レファレンス協同データベース新着事例

下記のそれぞれの現住所を知りたい。 ①浅草区西三筋51番(明治25年) ②浅草区栄久町15番地(明治35年) ③下谷区善養寺町(明治25年以前)(台東区立中央図書館)

①『角川日本地名大辞典』P.556に、西三筋町は現行の三筋1~2丁目中央とある。『地籍台帳・地籍地図「東京」 第6巻 (地図編 2)』のP.259と『江戸-東京市街地図集成』のP.67,80で場所を確認し、近くに「鳥越神社」「壽松院」があることがわかったので、その位置関係から『ゼンリン住宅地図. 東京都台東区 2017』のP.37と照らし合わせると、現住所は「台東区三筋1-4」あたりであると推測される。 ②『角川日本地名大辞典』P.125に栄久町は現在の寿1~2丁目の西側、蔵前4丁目のうちとある。『地籍台帳・地籍地図「東京」 第6巻 (地図編 2)』のP.269で場所を確認すると、栄久町15は「東新寺」の所。そばに「浄念寺」と近くに「龍宝寺」があり、その位置関係から『ゼンリン住宅地図. 東京都台東区 2017』P.37,33を見ると、「浄念寺」と「龍宝寺」が確認できたため、現住所は蔵前4丁目24~27のあたりであると推測される。 ③『角川日本地名大辞典』P.437に善養寺町は現行の下谷1丁目とある。『江戸-東京市街地図集成』のP.66に善養寺町が確認できる。博物館との位置関係から、『ゼンリン住宅地図. 東京都台東区 2017』のP.20,21で確認すると、現住所は下谷1丁目であると推測できる。 参考資料:「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 , 「角川日本地名大辞典」編纂委員会. 角川日本地名大辞典 13 東京都 3版. 角川書店, 1998. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077860587-00, 4040011309(台東区113015275) 参考資料:地図資料編纂会 編 , 地図資料編纂会. 地籍台帳・地籍地図「東京」 第6巻 (地図編 2). 柏書房, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001974092-00, 4760104755(台東区121396691) 参考資料:台東区 201707. ゼンリン, 2017. (ゼンリン住宅地図. 東京都) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028339268-00, 9784432440085(台東区122407257) 参考資料:地図資料編纂会 編 , 地図資料編纂会. 江戸-東京市街地図集成 : 5千分の1 2 (1887(明治20)年~1959(昭和34)年). 柏書房, 1990. (日本近代都市変遷地図集成) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002055046-00, 4760105867(台東区121442180)

昭和天皇が皇太子時代(大正年間)に上野公園を視察した写真を探している。(西郷像の広場で広小路を向いて写っている写真だったかもしれない) ←併せて視察記念で建てられたガス灯も調べている。(台東区立中央図書館)

・関東大震災後の上野公園を視察した写真は、以下の資料に掲載。 ・インターネットにて「摂政宮と関東大震災」という特別展(平成25年9月1日~12月1日)の図録が掲載。  12ページと47ページに質問に関係する写真が掲載されている。  http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/shinsei/pdf/kyodotenji-zuroku.pdf ※ガス灯が写っている写真はなし 参考資料:毎日新聞社/[編]. 昭和天皇 : 復刻毎日新聞 紙面に見る誕生から崩御まで. 毎日新聞社, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053683466-00, (台東区113390207) 参考資料:昭和の天皇. 東京新聞出版局, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001984842-00, 4808302616(台東区113390033) 参考資料:昭和天皇 : 週刊誌・特集号 七誌, (台東区113390025) 備考:昭和天皇(摂政宮)関東大震災(大正12年9月1日)後、上野公園へ 〇最初の視察  大正12年(1923)9月15日・・・上野公園他          9月18日・・・下町方面          10月10日・・・横浜市 〇復興記念の視察  昭和4年(1929)4月・・・横浜へ行幸  昭和5年(1930)3月・・・東京市各所巡幸(九段、上野公園、隅田公園他) 視察記念で建てられたガス灯の記載はなし。 ←道路照明の必要性が高まり、復興記念事業として各都市に設置が広まる (図録)『摂政宮と関東大震災~宮内庁の記録から』  所蔵:東京都立図書館、国立国会図書館     荒川区、文京区、墨田区、千代田区、足立区 他所蔵あり

1.参謀本部陸軍部が作成した浅草橋周辺の住宅の形が表現されている地図が見たい(明治10~40年代にかけてのもの) 2.内田九一(1844-1875 幕末から明治時代にかけての写真家(写真師)。最初に明治天皇の肖像写真を撮影したことで知られている。)の写真館についての資料がみたい。(台東区立中央図書館)

1.該当の資料は見当たらず(参考資料『東亰市浅草區全圖』『台東区百年の歩み 付録』) 2.『知られざる日本写真開拓史』を紹介。写真館の細かい位置まではわからず。 事前調査事項:・地籍台帳、地籍地図(大正元年)、明治・大正・昭和東京1万分の1地形図集成は調査済み。 ・「台東区百年の歩み付録」第二図は確認済み。 参考資料:東亰郵便電信局 [著] , 東亰郵便電信局. 東亰市浅草區全圖 : 明治三十年二月調査 再版. 北畠茂兵衛, 1898. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077384022-00, (台東区121285381) 参考資料:東京都台東区/編 , 東京都台東区. 台東区百年の歩み 付録. 東京都台東区, 1968. (台東叢書 ; 第4集) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005549359-00, (台東区112458674) 参考資料:東京都写真美術館 編集 , 東京都写真美術館. 知られざる日本写真開拓史. 山川出版社, 2017. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028013913-00, 9784634151130(台東区114830425)

①寿と秋葉原の地名の由来について ②秋葉原の区画がごく一部で狭い理由について(台東区立中央図書館)

①について ・寿町の地名の由来について  『角川地名大事典』P.293   「町名は寿という嘉字による」との記載あり。  『旧町名下町散歩』P.101   「寿というめでたい字によるものであろうと考えられている」との記載あり。 ・秋葉原の地名の由来について  『角川地名大事典』P.57   「あきばのはら 秋葉ヶ原」の項目に「明治3年 秋葉神社をまつり、秋葉ヶ原と称した」との記載あり。 ②について 『旧町名下町散歩』P.16(練塀町の項目)  秋葉原の区画が一部狭くなっている経緯と理由の記載あり。   明治5年(1872):練塀町は秋葉原駅構内の鉄道及び線路沿いの狭い範囲を町域として起立    明治32年(1890):上野・秋葉原間貨物線開通で、町は二分   大正14年(1925):上野・神田間高架線開通で秋葉原駅拡張。町は狭くなる。   昭和18年(1943):下谷・神田両区の境界変更で、練塀町の南半分を神田区に編入。町域をますます狭めた。   ※昭和39年(1964)に住居表示制度で練塀町全域が松永町とともに秋葉原になった。 参考資料:「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編. 角川日本地名大辞典 13 (東京都). 角川書店, 1978. https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001393112-00, 参考資料:旧町名下町散歩編集委員会 編 , 東京都台東区. 旧町名下町散歩 改訂版. 東京都台東区, 2007. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008563468-00,

五間堀の南部開削が明治10年頃だったとする根拠となる資料を探してほしい。(台東区立中央図書館)

『川の地図辞典』のP.128,129にある「M10頃、南に延長されている」という内容から、『東京市史稿 事項別目次索引』P.893の「掘割、深川東元町、新川」との内容を発見した。 事前調査事項:・東京市史稿に記載があると思って探してみたが、調べ方がよくわからず見つけられなかった。探し方も教えてほしい。 ・墨田区史、江東区史、本所区史、深川区史には記載がない。 参考資料:菅原健二 著 , 菅原, 健二, 1952-. 川の地図辞典 : 江戸・東京/23区編. 之潮, 2007. (フィールド・スタディ文庫 ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009273392-00, 9784902695045(台東区113351373 P.128,129) 参考資料:東京都 編 , 東京都. 東京市史稿 事項別目次索引. 東京都, 1997. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002674869-00, (台東区121876957 P.893) 参考資料:東京都 編 , 東京都. 東京市史稿 : 市街篇 第60. 臨川書店, 2002. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004224450-00, 4653036756(台東区121252878 P.394)

池波志乃さんは池波正太郎の娘?(台東区立中央図書館)

ちがいます 父は噺家・金原亭馬生 新国劇入団時の芸名 回答プロセス:詳しくは、『仕掛人・藤枝梅安(三) 梅安最合傘』の巻末・解説 参考資料:池波正太郎 [著] , 池波, 正太郎, 1923-1990. 梅安最合傘 新装版. 講談社, 2001. (講談社文庫. 仕掛人・藤枝梅安 ; 3) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002981579-00, 4062731371

東流二絃琴(あずまりゅうにげんきん)について 特に三代目家元藤舎芦船(とうしゃろせん)について調べている 浅草周辺で二絃琴を習った人、聞いた人など地元ならではの資料があれば。(台東区立中央図書館)

台東区立図書館にある資料をご案内。 2000年に台東区立下町風俗資料館にて特別展「下町の暮らしと音楽」が開催された。 下町風俗資料館に詳細資料あるかもしれないとご案内。 三代目藤舎芦船 (前名は藤舎芦質 本名:斯波(しば)マサ)蘆 浅草黒船町の御厩河岸に住んでいた旗本の斯波家の御隠居 回答プロセス:台東区ならではの資料を とのことなので、 日本人名大辞典、芸能人物辞典、国史大辞典、楽器の事典爭(琴) などの参考図書はご案内にとどめた。 参考資料:二絃琴. 東流二絃琴研究会, 1982., (台東区(150120939)) 参考資料:台東区立下町風俗資料館 号外第48号. 下町風俗資料館号外 第48号. 台東区立下町風俗資料館, 2000., (台東区(121947287)) 参考資料:矢島せい子 著 , 矢島, せい子, 1903-1988. わたしの思い出. ドメス出版, 1988. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001909498-00, (台東区(113760078)) 参考資料:東京都台東区教育委員会文化事業体育課 編 , 東京都台東区教育委員会. 台東区の文化財 第8集. 東京都台東区教育委員会文化事業体育課, 2003. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004151689-00, (台東区(111468872)) 参考資料:台東区文化財保護審議会 監修 ; 台東区教育委員会文化事業体育課文化財担当 編集 , 台東区文化財保護審議会 , 台東区教育委員会文化事業体育課文化財担当. 台東区の文化財保護 第4集. 東京都台東区教育委員会, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077167617-00, (台東区(111510616))

①『江戸と東京』の希望ページのコピーが欲しい ②大滝勝三郎の次男・大滝徳三郎(おおたきとくさぶろう)の日記またはそれに準じるものが欲しい ③関東大震災から動物の飼育をやめるまでの花屋敷の経営について知りたい。(台東区立中央図書館)

①『江戸と東京』はガラス戸資料としての取り扱いのため、コピー不可。  同資料を都立図書館で所蔵している為、都立図書館をご案内。 ②大滝徳三郎の日記の情報はない。  『浅草人物史』P.87、88  明治19年、勝三郎の長男として浅草区馬道町に生まれたとの記述あり。  『大衆人事録』P.166  大勝館(映画館)を経営していたとの記載あり。明治19年、勝三郎の三男として生まれ、先代豊次郎の養子となるとの記述あり。  『台東区史 社会文化編 昭和41年』P.360  大勝館の経営主で、勝三郎の次男との記載あり。  以上より資料により、勝三郎の長男・次男・三男と異なって記載されている。 ③『江戸と東京 花屋敷特集号』  花屋敷の具体的な経営については書かれていないが、「経営が厳しいため動物を売り払った」などの記述あり。 参考資料:後藤三岳 著 , 後藤, 三岳. 浅草人物史. 実業新聞社, 1913. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000565964-00, 参考資料:帝国秘密探偵社 編 , 帝国秘密探偵社 , 帝国人事通信社 , 国勢協会. 大衆人事録 第13版東京篇. 帝国秘密探偵社, 1940. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001287737-00, 参考資料:東京都台東区役所/編. 台東区史 社会文化編. 台東区, 1966. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010491882-00, 参考資料:江戸と東京社 [編] , 江戸と東京社. 江戸と東京 復刻. 明石書店, 1991. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000079040-00,

『近代将棋』2001年2月号に、「石立鉄男の旅立ち紀行駒師竹風を訪ねる」という記事があるらしい。 頁が不明であるので、その記事が記載さている頁を教えていただきたい。(国立国会図書館(National Diet Library))

ご照会の記事の書誌事項は以下のとおりです。 記事名 石立鉄男の旅立ち紀行 駒師竹風を訪ねる 当館請求記号 Z11-157 タイトル 近代将棋 出版事項 東京 : 近代将棋 巻号年月等 52(2)(通号611) 2001.2 掲載ページ pp.90-91 事前調査事項:ブログ「将棋ペンクラブログ」2010年4月24日の記事石立鉄男さん」に中で紹介されていた模様 NDLーOPAC  請求番号:Z11ー157 東京新館書庫

本能寺の変で信長が戦っている姿の江戸時代、明治時代の錦絵が見たい。(愛知芸術文化センター愛知県図書館)

 当館では、楊斎延一の「本能寺焼討之図」(出版年不詳)【資料1】を所蔵している。  本能寺の変を題材に信長が描かれている錦絵を掲載しているものとして【資料2】があり、歌川国貞(タイトルは不明)、落合芳幾の「本応寺大合戦之図」、歌川芳艶の「瓢軍談五十四場」第26場、月岡芳年の「大日本名将鑑」中の「織田右大臣平信長」、「京都四条夜討之図」 、楊洲周延の「東絵画夜競」中の「明智光秀」、「安田作兵衛/織田信長」、役者絵では歌川国貞の「時今摂握虎」中の一場面の掲載がある。  上記の錦絵(「本応寺大合戦之図」以外)は、インターネット上のデータベースでも見ることができる【資料4~10】。これら以外にも、データベースでは歌川芳富の「盆応寺夜討図」【資料11】、役者絵では豊原国周の「見立本能寺之場」【資料12】などを見ることができる。 回答プロセス:①当館の所蔵資料を調べる。  当館OPACで「本能寺」と検索すると、【資料1】を所蔵していることが確認できる。この絵は愛知県図書館ホームページ「郷土資料常設展(第5回)愛知の戦国武将 ―織田信長展―」で小さな画像を見ることができる。  再度「織田」と「錦絵」で検索すると、【資料2】がヒットする。この資料には、本能寺の変を題材とした錦絵もいくつか紹介されており、その中で信長が描かれているものは、国貞が役者絵風に描いた図68(タイトル不明 p.66)、芳幾の図69(「本応寺大合戦之図」 p.67)、芳艶の図70(「瓢軍談五十四場」の第26場 p.67)、芳年の図71(「大日本名将鑑」の「織田右大臣平信長」 p.68)、図74(「京都四条夜討之図」 p.69)、周延の図73(「東絵画夜競」の「明智光秀」 p.69)、芳年の図74(「京都四条夜討之図」 p.69)、周延の図75(「安田作兵衛/織田信長」 p.70)がある。なお、同資料に「出版物検閲制度で一番厳しかったのは、文化元年頃から天保十五年位であり、天正以来の武者に姓氏、紋所、合印の使用を禁じた「絵草子取締令」が出されます。この関係上、明治期まで作品には、名前に当て字を使うこととなり、例えば、織田信長を小田春永」と表現していたと書かれており、「本能寺」や「織田信長」などを推測させる別の名称が使用されているものもあることがわかる。  【資料3】で上記の浮世絵師が江戸・明治時代の人物であることを確認した。(p281) ②浮世絵が検索・閲覧できるデータベースを調べる。  【資料1】及び【資料2】に掲載されている錦絵について検索エンジン等でキーワード検索をすると、【資料4~10】が見つかる。この他に、【資料1、2】に出てきていないものを探す。「本能寺」、「信長」、「春永」などで検索すると、【資料11、12】等がヒットする。他にも役者絵で本能寺の変の信長と思われるもの(歌川国芳「尾田春永」など)がいくつかヒットしたが、タイトル等に本能寺の変の場面であることが明記されていないのでここにはあげなかった。 参考資料:【資料1】本能寺焼討之図 楊斎 延一著 <当館資料コード:1103268178>及び愛知県図書館ホームページ「郷土資料常設展(第5回)」https://websv.aichi-pref-library.jp/chiki/jyousetsu_5.html(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料2】織田・豊臣時代の錦絵 橘高茂著 2010.12 <当館資料コード:1110108290>, 参考資料:【資料3】浮世絵大事典 東京堂出版 2008.6<当館資料コード:1109430212>, 参考資料:【資料4】 「本能寺焼討之図」楊斎延一 国立歴史民俗博物館錦絵データベース https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/searchrd.pl(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料5】「時今摂握虎」歌川国貞 「早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システム」https://archive.waseda.jp/archive/index.htm(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料6】「瓢軍談五十四場」歌川芳艶 国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309191(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料7】「大日本名将鑑織田右大臣平信長」月岡芳年(「静岡県立中央図書館 デジタルライブラリー」 http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/contents/library/)(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料8】「京都四条夜討之図」月岡芳年「立命館大学アート・リサーチセンター浮世絵ポータル・データベース」http://www.dh-jac.net/db/nishikie/(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料9】「東錦昼夜競 明智光秀」楊洲周延 「山口県立萩美術館・浦上記念館 収蔵作品検索システム」 http://www.hum2.pref.yamaguchi.lg.jp/sk2/sku/sku.aspx(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料10】「安田作兵衛/織田信長」楊洲周延「立命館大学アート・リサーチセンター浮世絵ポータル・データベース」http://www.dh-jac.net/db/nishikie/(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料11】「盆応寺夜討図」歌川芳富「国立歴史民俗博物館錦絵データベース」http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/searchrd.pl(last access 2019/10/06), 参考資料:【資料12】「見立本能寺之場」豊原国周 東京都立図書館TOKYO アーカイブ http://archive.library.metro.tokyo.jp/(last access 2019/10/06), 備考:「パブリックドメイン  浮世絵、 錦絵の世界」(http://www.bestweb-link.net/PD-Museum-of-Art/)というウェブサイトで、歌川芳虎「1864_本能寺の変」、歌川芳富「年不明_盆應寺夜討図」、月岡芳年「1864_京都四条夜討之図」、楊斎延一「1893_真書太閤記, 本能寺焼討之図」、楊斎延一「1896_本能寺焼討之図」を見ることができる。(last access 2019/10/06)

アメダスの歴史を知りたい。(愛知芸術文化センター愛知県図書館)

『NHK気象ハンドブック 改訂版』【資料2】、『都市の気候変動と異常気象』【資料3】に、アメダスの簡単な歴史が書かれている。 『気象庁物語』【資料5】、雑誌記事「運用を開始した地域気象観測システム」【資料6】に、アメダス運用開始までの経緯が書かれている。 雑誌記事「地域気象観測システム--その後と現状」【資料7】に、アメダス運用開始から6年間の業務の推移と現状について書かれている。 雑誌記事「気象災害の防止・軽減を支えるアメダス(地域気象観測システム)」【資料8】に、2007年の東西二局システム整備、2015年のシステム刷新について書かれている。 回答プロセス:【資料1】により、p.593「アメダス」の概要を確認する。アメダスとは、気象庁の「地域気象観測システム」で、「Automated Meteorolgical Data Acquistion System」を略して「AMeDAS」と記すとのこと。歴史についての記載はなかった。 1 図書を確認 「アメダス」、「AMeDAS」、「地方気象観測」で当館OPACを検索。歴史が記されていそうなものは見当たらなかったので、気象学の図書を直接確認した。 【資料2】に「アメダス」の項目があり、p.12に概要、設置の経緯などが書かれている。改訂版である『NHK気象・災害ハンドブック』〈当館資料コード:110885914〉も確認したが、【資料2】の方が詳しく書かれていた。p.13にデータ送信の方法の変更、pp.14~15にテレビへの登場についての記述があった。 【資料3】のpp.12~13、【資料4】のpp.24~25にもアメダスの簡単な歴史が書かれている。また、【資料5】のpp.94~101には、アメダス誕生の経緯が書かれている。 2 雑誌記事を確認 NDLサーチで、「地域気象観測」を検索すると、【資料6】、【資料7】、【資料8】などがヒットする。【資料6】、【資料7】は当館所蔵なし、国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)で確認できる。 【資料6】の「2 地域気象観測システムの運用開始までの経緯」(pp.135~142)に、検討段階からシステム運用開始に至るまでの経緯について書かれている。 【資料7】のpp.306~320に、運用開始から6年間の業務の推移と現状について書かれている。 【資料8】のp.70のまえがきに、「2007年には、運用継続の継続の観点から東西二局システムを整備し、震災などで片方が被害を受けても業務を継続できるようになった。そして2015年、アメダスは最新の情報処理技術を導入し、より効率的かつ信頼性の高いシステムの実現を目的として刷新された。」と書かれている。本文中には、2015年に刷新した最新システムについて詳しく書かれている。 3 インターネットを確認 気象庁のHP【資料9】を確認したが、アメダスの歴史についての記述は見つからなかった。 アメダスの頁(http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/amedas/kaisetsu.html)には、「地域気象観測所一覧」が掲載されており、表中には令和元年9月20日現在約1,300カ所ある観測所の「観測開始年月日」が記されている。 参考資料:【資料1】日本大百科全書 1 (あーあん). 小学館, 1984.〈当館資料コード:1105305127〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001706071-00, 4095260017 参考資料:【資料2】NHK放送文化研究所 編 , 日本放送協会放送文化研究所. NHK気象ハンドブック 改訂版. 日本放送出版協会, 1996.〈当館資料コード:1107101645〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002603414-00, 4140110880 参考資料:【資料3】藤部文昭著 , 藤部, 文昭. 都市の気候変動と異常気象. 朝倉書店, 2012-04. (気象学の新潮流)〈当館資料コード:1110429439〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000610851-00, 9784254167719 参考資料:【資料4】古川武彦, 室井ちあし著 , 古川, 武彦 , 室井, ちあし. 現代天気予報学 : 現象から観測・予報・法制度まで. 朝倉書店, 2012.〈当館資料コード:1110535173〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004605326-00, 9784254161243 参考資料:【資料5】古川武彦著 , 古川, 武彦. 気象庁物語 : 天気予報から地震・津波・火山まで. 中央公論新社, 2015. (中公新書, 2340)〈当館資料コード:1111113240〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008749705-00, 9784121023407 参考資料:【資料6】来海 徹一「運用を開始した地域気象観測システム」 『測候時報』42(4/5), 1975.7, p.135-167, 参考資料:【資料7】気象庁地域気象観測センター「地域気象観測システム--その後と現状」 『測候時報』47(11/12), 1981.3, p.305-321, 参考資料:【資料8】気象災害の防止・軽減を支えるアメダス(地域気象観測システム)『FUJITSU』67(6),2016.11,p.69-76, 参考資料:【資料9】気象庁HP内「地域気象観測所一覧」http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/amedas/ame_master.pdf(last access 2019/10/19),

アメリカにおける、日本車の現地生産台数が知りたい。(愛知芸術文化センター愛知県図書館)

『世界自動車統計年報 第18集』【資料1】及び『自動車年鑑 2018~2019年版』【資料2】にアメリカにおける日本メーカー別生産台数、日本自動車工業会HP【資料3】にアメリカにおける日本メーカー合計生産台数が掲載されている。 回答プロセス:1 NDC 537(自動車工学)の参考図書を探す。 【資料1】のpp.15~23に「主要国メーカー別(ブランド別)生産台数」が掲載されている。アメリカの情報はp.15にあり、乗用車、トラック・バス別で日本メーカーのアメリカ国内生産台数が分かる。 過去2年分の台数が掲載されている。 【資料2】のpp.496~519に「主要国のメーカー別生産台数、シェア」が掲載されている。アメリカの情報はpp.496~499にあり、乗用車、商用車別で日本メーカーのアメリカ国内生産台数が分かる。 1985~2000年までは5年毎、2008年以降は毎年の台数が掲載されている。 2 【資料1】の発行元である日本自動車工業会のHP【資料3】を確認する。 データファイルの中に、日本メーカーの海外生産についての統計速報値があり、1998年以降(1999年以降は四半期毎)のアメリカ国内での生産台数が分かる。 参考資料:【資料1】世界自動車統計年報 第18集(2019). 日本自動車工業会, 2019.〈当館資料コード:1111638255〉, 参考資料:【資料2】日刊自動車新聞社 共編 ; 日本自動車会議所 共編 , 日刊自動車新聞社 , 日本自動車会議所. 自動車年鑑 2018~2019年版. 日刊自動車新聞社, 2018.〈当館資料コード:1111567019〉 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086300201-00, 9784863163423 参考資料:【資料3】 「日本自動車工業会HP データファイル>統計速報>海外生産」 http://www.jama.or.jp/stats/foreign_prdct/index.html(last access 2019/10/19),

ページ