レファレンス協同データベース新着事例

観葉植物の「ドラセナ」という品種についてとり木できると聞いたが、本に出ていたらみてみたい。(所沢市立所沢図書館)

「とり木は、親木の枝や幹の一部に傷をつけることで、根を出させ、その部分から切り取って新たな個体をつくる栄養繁殖のひとつです。」(『もっと簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木』 高柳良夫/著 日本文芸社 2018年より抜粋)とあります。   下記資料に、ドラセナのとり木について記載があります。  〇『もっと簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木』 高柳良夫/著 日本文芸社 2018年  〇『より簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木』 高柳良夫/著 日本文芸社 2005年  〇『失敗しないさし木・つぎ木・とり木』 尾亦芳則/著 西東社 2015年  〇『見てわかるさし木・つぎ木・とり木・株分け』 早川満生/著 誠文堂新光社 2007年  〇『イラスト草花のふやし方』 高木誠/著 家の光協会 2001年  〇『イラストでわかるやさしいさし木・とり木・つぎ木』 松家昇/監修 新星出版社 2000年  〇『株分け・さし木・とり木・つぎ木』 早川滿生/執筆 ブティック社 2016年  〇『はじめての観葉植物の手入れと育て方』 橋詰二三夫/監修 ナツメ社 2008年  〇『はじめての観葉植物』 渡辺均/監修 池田書店 2008年  〇『たのしい観葉植物』 薮正秀/監修 主婦の友社 2008年  〇『失敗しない観葉植物の育て方』 山方政樹/著 西東社 2003年  〇『やさしい観葉植物』 主婦の友社/編 主婦の友社 2004年  〇『育てて楽しむ観葉植物の手入れ』 尾崎章/ほか著 誠文堂新光社 2004年 回答プロセス:1.所蔵資料の内容確認  〇『もっと簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木』 高柳良夫/著 日本文芸社 2018年   p30~33「とり木は、このようにして行う」の項に以下の記載があります。    p30「とり木は、親木の枝や幹の一部に傷をつけることで、根を出させ、その部分から切り取って新たな個体をつくる栄養繁殖のひとつです。(後略)」    p30~31に、とり木の方法として、高とり法、圧条法(曲げどり法)、盛り土法が記載されています。   p204~205「ドラセナ」の項にとり木について、イラストとともに、「5~9月が適期です。生長して葉が落ち、間伸びした部分を適当な位置で環状剥皮か舌状剥皮します。湿らせた水ごけを巻いてビニールで包み、乾かさないように管理します。ビニール越しに見えるほど発根したら、とり木した部分の下で切って植えつけます。」と記載があります。  〇『より簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木』 高柳良夫/著 日本文芸社 2005年   p24~27「とり木は、このようにして行う」の項があります。   p190~191「ドラセナ」の項に、とり木についてイラストを用いて記載されています。   〇『失敗しないさし木・つぎ木・とり木』 尾亦芳則/著 西東社 2015年   p7「とり木」の項があります。   p20~23「とり木の基本作業」の項があります。   p188~p189「ドラセナ」の項に、「さし木もとり木も、4~8月の生育期に行うのがよいでしょう。(中略)とり木は幹の周囲を2cm幅にぐるりと表皮をはぎ(環状剥皮)、水ゴケを巻いてビニールで覆います。発根したら親木から切り離し、ビニールと水ゴケをとり除き、株に見合った大きさの鉢に植え替えます。」という説明とイラストが記載されています。  〇『見てわかるさし木・つぎ木・とり木・株分け』 早川満生/著 誠文堂新光社 2007年   p116~117「ドラセナ類」の項に、「(前略)多くはとり木できますが、ゴッドセフィアナのように株分けで殖やす種類もあり、とり木にあまり向かないものもあります。単幹で生長するものが、とり木できるものの目安です。(後略)」と記載されています。  〇『イラスト草花のふやし方』 高木誠/著 家の光協会 2001年   p50~51「ドラセナ・コンシンナ」の項があります。   p104~105「ゴムノキ」の項に、「取り木法/パキラ、ドラセナ」と記載があり、取り木の方法について、イラストと解説があります。  〇『イラストでわかるやさしいさし木・とり木・つぎ木』 松家昇/監修 新星出版社 2000年   p130~131「ドラセナ・コンシンナ」の項に、とり木について記載されています。  〇『株分け・さし木・とり木・つぎ木』 早川滿生/執筆 ブティック社 2016年   p104~105「とり木の方法」の項があります。   p112「ドラセナ・マッサンゲアナ」の項に、とり木についての説明と写真が、記載されています。  △『さし木とり木つぎ木株分けタネまき』 主婦の友社/編 主婦の友社 2009年   p13~15「とり木」の項があります。   p104~105「ドラセナ」の項があります。  △『観葉植物の上手な育て方』 主婦の友社/編 主婦の友社 2007年   p42「観葉植物のふやし方」に、「取り木」の項があります。   p67「ドラセナ」の項があります。  △『観葉植物』 尾崎章/著 日本放送出版協会 2009年   p80~83「ドラセナ」の項があります。   p140~141「とり木」の項があります。  △『さし木・株分け・とり木・つぎ木』 松家昇/監修 ブティック社 2002年   p38~39「ドラセナ」の項があります。   p129「とり木(とりき)」の項に、「植物の枝や茎から一部をそのままとってふやす方法」と記載があります。  △『観葉植物百科』 ブティック社 2019年   p60「ドラセナ」の項があります。   p167「とり木」の項があります。   2.下記資料には記載がありませんでした  ×『果樹の接ぎ木・さし木・とり木』 小池洋男/編著 農山漁村文化協会 2007年  ×『草花・鉢花・観葉植物を枯らさない「コツ」!』 天野麻里絵/著 講談社 2019年  ×『グリーンインテリア観葉植物のある生活』 ブティック社 2016年  ×『グリーン』 境野隆祐/著 翔泳社 2020年   3.本館による後日調査  〇『はじめての観葉植物の手入れと育て方』 橋詰二三夫/監修 ナツメ社 2008年   p27「取り木」の項があります。   p112~113「ドラセナ」の項に、以下の記載があります。    「(前略)茎が長く伸び過ぎてバランスが悪くなった株は、切り戻して腋芽を伸ばして再生します。挿し木や取り木で新たな株をつくり直すこともできます。(後略)」  〇『はじめての観葉植物』 渡辺均/監修 池田書店 2008年   p110~111「ドラセナ」の項に、「挿し木、取り木、株分けでふやすことができます。適期は5月下旬~9月上旬です。」と記載があります。   p182~183「取り木」の項があります。  〇『たのしい観葉植物』 薮正秀/監修 主婦の友社 2008年   p112~113「ドラセナ」の項があります。   p174~175「ふやし方」の項に、以下の記載があります。    p174「[とり木]高温多湿で、グリーンの生長も盛んな6~7月が適期です。(中略)ドラセナなどに適用されます。(中略)ドラセナなどのように皮部の区別がつかないものに行うもので、茎に舌状の切り込みを入れ、切り口と周囲に湿らせた水ごけを巻く舌状剥皮法です。(後略)」  〇『失敗しない観葉植物の育て方』 山方政樹/著 西東社 2003年   p39「取り木」の項があります。   p164~167「ドラセナ」の項のうち、「取り木」の項にワーネッキーの取り木について、イラストと解説があります。  〇『やさしい観葉植物』 主婦の友社/編 主婦の友社 2004年   p118~119「ドラセナ類」の項があります。   p185「高く伸びるものは取り木を」の項に、以下の記載があります。    「(前略)ドラセナ類など株が伸びるものは取り木でふやせます。枝や幹に傷をつけ、そこから発根させる方法ですが、(中略)ドラセナ類などのように表皮が見分けにくい種類は「切り込み法」を用います。(後略)」  〇『育てて楽しむ観葉植物の手入れ』 尾崎章/ほか著 誠文堂新光社 2004年   p58~61「ドラセナ類」の項があり、ワーネッキーの取り木について、イラストと解説があります。  △『やさしい観葉植物の育て方』 尾崎章/著 西東社 1999年   p41~42「取り木」の項があります。   p80~83「ドラセナ」の項があります。  △『見てわかる観葉植物の育て方』 高橋良孝/監修 誠文堂新光社 2006年   p13「とり木のポイント」の項があります。   p22~25「ドラセナ類」の項があり、殖やし方に「とり木やさし木で殖やします。(後略)」と記載されています。  ×『わかりやすい観葉植物の育て方』 小川恭弘/監修 大泉書店 2006年  ×『手軽にふやせるさし木・株分け・とり木・つぎ木・種まき』 渡辺均/監修 ブティック社 2018年 参考資料:もっと簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木 高柳良夫/著 日本文芸社 2018.11 627.12 978-4-537-21635-6, 参考資料:より簡単で確実にふやせるさし木・つぎ木・とり木 高柳良夫/著 日本文芸社 2005.3 627.12 4-537-20345-5, 参考資料:失敗しないさし木・つぎ木・とり木 尾亦芳則/著 西東社 2015.1 627.12 978-4-7916-2161-3, 参考資料:見てわかるさし木・つぎ木・とり木・株分け 早川満生/著 誠文堂新光社 2007.7 627.12 978-4-416-40720-2, 参考資料:イラスト草花のふやし方 高木誠/著 家の光協会 2001.5 627.12 4-259-53991-4, 参考資料:イラストでわかるやさしいさし木・とり木・つぎ木 松家昇/監修 新星出版社 2000.5 627.12 4-405-08538-2, 参考資料:株分け・さし木・とり木・つぎ木 早川滿生/執筆 ブティック社 2016.6 627.12 978-4-8347-7392-7, 参考資料:はじめての観葉植物の手入れと育て方 橋詰二三夫/監修 ナツメ社 2008.3 627.85 978-4-8163-4461-9, 参考資料:はじめての観葉植物 渡辺均/監修 池田書店 2008.11 627.85 978-4-262-13618-9, 参考資料:たのしい観葉植物 薮正秀/監修 主婦の友社 2008.10 627.85 978-4-07-262964-2, 参考資料:失敗しない観葉植物の育て方 山方政樹/著 西東社 2003.7 627.85 4-7916-1175-6, 参考資料:やさしい観葉植物 主婦の友社/編 主婦の友社 2004.7 627.85 4-07-244080-9, 参考資料:育てて楽しむ観葉植物の手入れ 尾崎章/[ほか]著 誠文堂新光社 2004.7 627.85 4-416-40408-5,

岡本かの子の「さくらばな」で始まる短歌が読みたい。(所沢市立所沢図書館)

岡本かの子の「さくらばな」という読みで始まる短歌は、14首見つかりました。 以下の資料に記載があります。  〇『岡本かの子全集 9』 岡本かの子/著 筑摩書房 1994年  〇『岡本かの子全集 12』 岡本かの子/著 筑摩書房 1994年  〇『愛よ、愛』 岡本かの子/著 メタローグ 1999年  〇『かの子歌の子』 尾崎左永子/著 集英社 1997年  〇『日本の詩歌 29』 中央公論社 1979年  〇『日本文学全集 29』 池澤夏樹/個人編集 河出書房新社 2016年  〇『岡本かの子全集 第8巻』 岡本かの子/著 冬樹社 1976年  〇『太宰とかの子』 太宰治/著 おうふう 2013年 回答プロセス:1.所蔵資料の内容確認  〇『岡本かの子全集 9』 岡本かの子/著 筑摩書房 1994年   p99①「桜花散りもしくらん眸ふせて人想ひ行く君が旅路に」   p101②「さくらばな明るき昼の窓近く置きもかねたるわが荒れし手よ」   p142③「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」      ④「さくら花咲きに咲きたり諸立ちの棕梠春光にかがやくかたへ」   p144⑤「さくら花ひたすらめづる片心せちに敵をおもひつつあり」   p145⑥「桜ばな暗夜に白くぼけてあり墨一色の藪のほとりに」   p148⑦「桜花軒端に近し頬にあつるかみそりの冷えのうすらさびしさ」   p149⑧「さくらばな咲く春なれや偽もまことも来よやともに眺めな」   p150⑨「さくら花まぼしけれどもやはらかく春のこころに咲きとほりたり」   p152⑩「桜花ちりて腐れりぬかるみに黒く腐れる椿がほとり」   p352⑪「さくら花さかんとするや日の本の弥生の雲は空になづまず」   p421⑫「桜花蕾ふゝめり青やかに根笹ぬらして今日ぞ降る雨」   p430⑬「さくらばな花体を解きて人のふむこまかき砂利に交りけるかも」   p519⑭「桜ばな外つ国にして傷つきし人に今年よわきて咲けかし」  〇『岡本かの子全集 12』 岡本かの子/著 筑摩書房 1994年   p490に、「(前略)その中には「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」という、かの子の代表歌も含まれていた。(後略)」と記載あり。  〇『愛よ、愛』 岡本かの子/著 メタローグ 1999年   p166③④記載あり。   p169⑤記載あり。   p171⑥記載あり。   p175⑦記載あり。(「軒端」を「軒場」、「さびしさ」を「さびしき」と記載あり。)   p177⑧記載あり。(「偽も」を「偽りも」と記載あり。)   p179⑨記載あり。   p183⑩記載あり。  〇『かの子歌の子』 尾崎左永子/著 集英社 1997年   p188③記載あり。   p189⑤記載あり。   p191⑧記載あり。(「偽も」を「偽りも」と記載あり。)   p213⑬記載あり。   p279③記載あり。  〇『日本の詩歌 29』 中央公論社 1979年   p115⑬記載あり。  〇『日本文学全集 29』 池澤夏樹/個人編集 河出書房新社 2016年   p247③記載あり。   2.県内所蔵資料の内容確認  〇『岡本かの子全集 第8巻』 岡本かの子/著 冬樹社 1976年   p72①記載あり。   p73②記載あり。   p114③④記載あり。   p116⑤記載あり。   p117⑥記載あり。   p119⑦記載あり。(「桜花」を「櫻花」、「さびしさ」を「さびしき」と記載あり。)   p121⑧記載あり。(「偽も」を「偽りも」と記載あり。)   p123⑨記載あり。   p125⑩記載あり。   p320⑪記載あり。   p380⑫記載あり。   p387⑬記載あり。   p482⑭記載あり。   3.記載のなかった資料  ×『岡本かの子』 岡本かの子/著 筑摩書房 2009年   4.本館による後日調査  〇『太宰とかの子』 太宰治/著 おうふう 2013年   p94③⑧の記載あり。   p95⑬の記載あり。  ×『人生論』 岡本かの子/著 中央公論新社 2011年  ×『散華抄』 岡本かの子/著 中央公論新社 2011年 参考資料:岡本かの子全集 9 岡本かの子/著 筑摩書房 1994.3 918.68 4-480-02829-3, 参考資料:岡本かの子全集 12 岡本かの子/著 筑摩書房 1994.7 918.68 4-480-02832-3, 参考資料:愛よ、愛 岡本かの子/[著] メタローグ 1999.5 914.6 4-8398-3006-1, 参考資料:かの子歌の子 尾崎左永子/著 集英社 1997.12 910.268 4-08-781158-1, 参考資料:日本の詩歌 29 中央公論社 1979.12 911.08 4-12-400199-1, 参考資料:日本文学全集 29 池澤夏樹/個人編集 河出書房新社 2016.9 918 978-4-309-72899-5, 参考資料:岡本かの子全集 第8巻 岡本かの子/著 冬樹社 1976 918.68, 参考資料:太宰とかの子 [太宰治/著] おうふう 2013.2 913.6 978-4-273-03707-9,

堀文子のブルーポピーの絵が掲載されている本はないか。(所沢市立所沢図書館)

下記の資料に掲載されています。  〇『堀文子画文集』 堀文子/著 JTBパブリッシング 2009年  〇『花ごよみ』 堀文子/著 JTBパブリッシング 2018年  〇『堀文子』 平凡社 2018年  〇『堀文子の言葉 ひとりで生きる』 堀文子/著 求龍堂 2010年  〇『命といふもの 第1集』 堀文子/著 小学館 2007年  〇『99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』 堀文子/著 三笠書房 2017年 回答プロセス:1、所蔵資料の内容確認  〇『堀文子画文集』 堀文子/著 JTBパブリッシング 2009年   p34~39 「ブルーポピーを探して」の項に、「幻の花ブルーポピー」の絵と、絵を描いた経緯について記載あり。  〇『花ごよみ』 堀文子/著 JTBパブリッシング 2018年   p122~123 「ヒマラヤのブルーポピー」の項に「幻の花 ブルーポピー」の絵あり。   2、後日調査による追加資料  〇『堀文子』 平凡社 2018年   p102 「幻の花 ブルーポピー」の絵あり。   p103にブルーポピーのスケッチの絵あり。  〇『堀文子の言葉 ひとりで生きる』 堀文子/著 求龍堂 2010年   p112 「幻の花 ブルーポピー」の絵あり。   3、掲載のなかった資料  ×『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』 堀文子/著 小学館 2017年   4、本館による後日調査  〇『命といふもの 第1集』 堀文子/著 小学館 2007年   p106-108 「私の仕事」に、『ブルーポピー』の絵と、その取材旅行の様子について写真と記述あり。  〇『99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』 堀文子/著 三笠書房 2017年   p114~120 「本物のブルーポピーを求めて」の項に取材旅行の記述と写真あり。   p117 「幻の花 ブルーポピー」の絵あり。  △『私流に現在(いま)を生きる』 堀文子/著 中央公論新社 2015年   p148~154 「ブルーポピーを求めて」の項に記述はあるが、絵の掲載はなし。  ×『命といふもの 第2集』 堀文子/著 小学館 2009年  ×『命といふもの 第3集』 堀文子/著 小学館 2012年  ×『花』 堀文子/著 日本交通公社 1982年  ×『季(トキ)』 堀文子/著 日本交通公社 1984年  ×『径(ミチ)』 堀文子/著 日本交通公社 1987年  ×『トスカーナの花野』 堀文子/著 日本交通公社出版事業局 1991年  ×『南の華』 堀文子/著 JTB 1998年  ×『花の四季』 堀文子/画 学研 1993年  ×『ホルトの木の下で』 堀文子/著 幻戯書房 2017年  ×『堀文子トスカーナのスケッチ帳』 堀文子/著 JTBパブリッシング 2008年 参考資料:堀文子画文集 堀文子/著 JTBパブリッシング 2009.12 721.9 978-4-533-07676-3, 参考資料:花ごよみ 堀文子/著 JTBパブリッシング 2018.10 721.9 978-4-533-12915-5, 参考資料:堀文子 平凡社 2018.11 721.9 978-4-582-92267-7, 参考資料:堀文子の言葉 ひとりで生きる 堀文子/著 求龍堂 2010.2 721.9 978-4-7630-1009-4, 参考資料:命といふもの [第1集] 堀文子/著 小学館 2007.6 721.9 978-4-09-343433-1, 参考資料:99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で 堀文子/著 三笠書房 2017.12 721.9 978-4-8379-2715-0,

唐招提寺や東大寺大仏殿の屋根の両端についている、飾りの名称が記載されている本を探している。(所沢市立所沢図書館)

唐招提寺や東大寺大仏殿の屋根の両端についている飾りは、鴟尾(しび)といいます。 以下の資料に記載があります。  〇『和風建築の大研究』 PHP研究所/編 PHP研究所 2006年  〇『事前学習に役立つみんなの修学旅行 奈良・大阪』 山田邦和/監修 小峰書店 2014年  〇『るるぶ京都奈良古寺めぐり』 JTBパブリッシング 2016年  〇『唐招提寺』 宝島社 2010年  〇『よみがえる鴟尾』 福田静男/著 大仏奉賛会 1989年  〇『建築大辞典』 彰国社/編 彰国社 1993年  〇『寺社建築の歴史図典』 前久夫/著 東京美術 2002年  〇『図説日本木造建築事典』 坂本功/総編集 朝倉書店 2018年  〇『不滅の建築 2』 鈴木嘉吉/責任編集 毎日新聞社 1988年  〇『古寺建築入門』 工藤圭章/文 岩波書店 1984年  〇『奈良の寺々』 太田博太郎/著 吉川弘文館 2019年 回答プロセス:1.所蔵資料の内容確認  〇『和風建築の大研究』 PHP研究所/編 PHP研究所  2006年   p.36 「東大寺・大仏殿」の項に、「鴟尾」という名称とイラスト、以下の解説が記載されています。    「棟飾りの1種。鳥や魚のしっぽににているが、想像上の生物の一部。のちの鬼瓦やしゃちほこのもとになった。」  〇『事前学習に役立つみんなの修学旅行 奈良・大阪』 山田邦和/監修 小峰書店 2014年   p.10-11 「東大寺」の項に、大仏殿の写真と、「鴟尾」という名前、以下の解説が記載されています。    p.11「古代の建築物で、屋根のはしに置かれた鴟尾は、魚がはねているようすを表したもの。水をつかさどる鴟尾を屋根に置いたのは、火事をさけるためのまじないだったという。しゃちほこや鬼瓦の起源ともなった。」    p.14 「唐招提寺」の項はあるが、建築の説明はありません。  〇『るるぶ京都奈良古寺めぐり』 JTBパブリッシング 2016年   p.98-99 「唐招提寺」の項に、金堂の写真と「鴟尾」についての解説が記載されています。  〇『唐招提寺』 宝島社 2010年   p.36に唐招提寺の鴟尾の解説と写真が記載されています。   p.56-61 「鴟尾や四万枚以上の瓦が語る建物の構造とは」の項に記載されています。   p.64 「屋根の形に合わない二つの鴟尾の穴」の項に記載されています。  〇『よみがえる鴟尾』 福田静男/著 大仏奉賛会 1989年   p.79-81 「「鴟尾」の話」の項に、東大寺大仏殿および唐招提寺金堂の鴟尾について記載されています。   2.本館による後日調査  〇『建築大辞典』 彰国社/編 彰国社 1993年   p.724 「しび 鴟尾」の項に以下の解説が記載されています。    「中国建築で、屋根の大棟の両端に付ける屋根飾りをいう。(中略)我が国では古代の宮殿や仏殿、官庁建築などに火防ぎのまじないとして用いられた。(後略)」    また、「鴟尾(仏光寺大殿)」の図があります。   p.2046「2 和様(唐招提寺金堂)」の図に、「鴟尾」が記載されています。   p.2059「16 唐代の寺院建築(仏光寺大殿)」の図に、「鴟尾」が記載されています。  〇『寺社建築の歴史図典』 前久夫/著 東京美術 2002年   p.344-357 「屋根・瓦(やね・かわら)」の項に、以下の解説が記載されています。    p352「最後に、さきの大棟と同様、瓦葺や檜皮葺その他を問わず共通に用いられるものとして、鴟尾、鬼瓦、獅子口などにふれておこう。これらは大棟や降棟などの先端をおおうとともに、一種の魔除け、災難除けとしての意味があった。鴟尾(中略)の起源については明らかでない。(中略)飛鳥・奈良時代の主要寺院や宮殿には、たいていこの鴟尾が上げてあった。(後略)」    p.354に「鴟尾」の図が記載されています。  〇『図説日本木造建築事典』 坂本功/総編集 朝倉書店 2018年   p326「(前略)棟の両端を納める手法としては、鴟尾、鬼瓦、獅子口がある。鴟尾、鬼瓦はともに、瓦の伝来時点から使われ、唐招提寺金堂(奈良県)には奈良時代創建時のものが残っている。(後略)」と記載があります。  〇『不滅の建築 2』 鈴木嘉吉/責任編集 毎日新聞社 1988年   p.60「唐招提寺金堂復原(断面及び側面)」の図に、「鴟尾」が記載されています。   p.62 「西方鴟尾」の写真があります。  〇『古寺建築入門』 工藤圭章/文 岩波書店 1984年   p.90-91 「瓦」の項に、鴟尾の写真および以下の解説が記載されています。    p.91「(前略)飛鳥時代や奈良時代の仏堂では、大棟の両端には鴟尾がのせられた。法隆寺金堂も建立当時は鴟尾が棟の両端を飾っていた。奈良時代の鴟尾がいまもそのまま大棟にのっているのは唐招提寺金堂(中略)だけであり、西の鴟尾(中略)が奈良時代、東の鴟尾は鎌倉時代のものである。(後略)」  〇『奈良の寺々』 太田博太郎/著 吉川弘文館 2019年   p.27「図13 屋根の形」に、鴟尾の記載あり。   p.117-123 「金堂」に、唐招提寺金堂の屋根について以下のとおり記載されています。    p.117「(前略)大棟の西には創建当初の、東には元亨三(一三二三)年に模造した鴟尾が上がっています。(後略)」  ×『伝統木造建築事典』 高橋昌巳/編著 井上書院 2018年  ×『図説建築用語事典』 五十嵐永吉/著作者 実教出版 2005年  ×『建築大百科事典』 長澤泰/編集 朝倉書店 2008年  ×『神社とお寺がわかる事典』 井上智勝/監修 PHP研究所 2009年  ×『宮大工と歩く千年の古寺』 松浦昭次/著 祥伝社 2002年  ×『入門日本の名建築』 松崎照明/監修 洋泉社 2013年 参考資料:和風建築の大研究 PHP研究所/編 PHP研究所 2006.4 521 4-569-68601-X, 参考資料:事前学習に役立つみんなの修学旅行 奈良・大阪 山田邦和/監修 小峰書店 2014.2 291.093 978-4-338-28402-8, 参考資料:るるぶ京都奈良古寺めぐり JTBパブリッシング 2016.9 291.62 978-4-533-11334-5, 参考資料:唐招提寺 宝島社 2010.4 188.15 978-4-7966-7185-9, 参考資料:よみがえる鴟尾 福田静男/著 大仏奉賛会 1989.3 521.818 4-7940-0050-2, 参考資料:建築大辞典 彰国社/編 彰国社 1993.6 520.33 4-395-10015-5, 参考資料:寺社建築の歴史図典 前久夫/著 東京美術 2002.3 521.81 4-8087-0719-5, 参考資料:図説日本木造建築事典 坂本功/総編集 朝倉書店 2018.12 521 978-4-254-26645-0, 参考資料:不滅の建築 2 鈴木嘉吉/責任編集 毎日新聞社 1988.7 521 4-620-60272-8, 参考資料:古寺建築入門 工藤圭章/文 岩波書店 1984.6 521.818, 参考資料:奈良の寺々 太田博太郎/著 吉川弘文館 2019.10 521.818 978-4-642-07109-3,

(進化論の)ダーウィンが「フジツボ」の研究をしていたと聞いたが、その研究内容について書かれている本はないか?(所沢市立所沢図書館)

『種の起源』の著者として有名なダーウィンの、フジツボ(蔓脚類)に関する研究について、「一八四六年十月、私は蔓脚類Cirripediaについての仕事をはじめた。(中略)私はそれからの八年間、この主題について休みなく研究をつづけ、そしてついに既知の現生種全部を記載した二巻の厚い書物と、絶滅種を記載した二巻の薄い、四つ折本を出版した。」(『ダーウィン自伝』 チャールズ・ダーウィン/著 筑摩書房 2000年より抜粋)とあります。   以下の資料に、その研究内容について記載があります。  〇『ダーウィン自伝』 チャールズ・ダーウィン/著 筑摩書房 2000年  〇『ダーウィンと家族の絆』 ランドル・ケインズ/著 白日社 2003年  〇『チャールズ・ダーウィンの生涯』 松永俊男/著 朝日新聞出版 2009年  〇『ダーウィンの生涯』 八杉竜一/著 岩波書店 1995年  〇『チャールズ・ダーウィン生涯・学説・その影響』 ピーター・J・ボウラー/著 朝日新聞社 1997年  〇『ダーウィンの思想』 内井惣七/著 岩波書店 2009年  〇『ダーウィン』 レベッカ・ステフォフ/著 大月書店 2007年 回答プロセス:1.所蔵資料の内容確認  〇『ダーウィン自伝』 チャールズ・ダーウィン/著 筑摩書房 2000年   p.145-181 「第八章 私の著書」の項目に、以下の記載あり。    p.146「(前略)一八四六年十月、私は蔓脚類Cirripediaについての仕事をはじめた。(中略)私はそれからの八年間、この主題について休みなく研究をつづけ、そしてついに既知の現生種全部を記載した二巻の厚い書物と、絶滅種を記載した二巻の薄い、四つ折本を出版した。(後略)」    p.147「(前略)いくつかの新しい注目すべき種類を記載したことと並んで、いろいろな部分の相同関係を証明し、(中略)最後に、ある若干の属では、雌雄同体の個体を補助しそれに寄生する矮小の雄があることを証明したからである。(後略)」  △『伝記世界を変えた人々 13』 アンナ・スプロウル/著 偕成社 1993年   p.117にフジツボの研究について触れているが、研究内容の詳しい記載はない。   p.181 「一八四六年」の項に、「八年つづく蔓脚類の研究をはじめる。」と記載あり。   2.追加調査事項  〇『ダーウィンと家族の絆』 ランドル・ケインズ/著 白日社 2003年   p.241-245 「フジツボの研究」の項目に記載あり。   p.249-252 「”神の設計図”でなく「共通の祖先」」の項目に、以下の記載あり。    p.250「(前略)チャールズはフジツボに取り組み、このグループの共通な特徴をすべて備えた「原型的な蔓脚類」を突き止めた。(後略)」    p.251「(前略)幼生と成体の触角を調べたところ、それが幼生では移動と接触用に使用されているのに対し、成体では生息場所の表面に固着するための器官になっていることを見つけた。(後略)」    p.252「(前略)蔓脚類に見られるはなはだしい種間差は、大本にある祖先種の構造が変容を遂げてきた結果として説明できる可能性を見つけたのである。(後略)」   p.252-254 「雌雄同体から雄と雌への進化」の項目に記載あり。  〇『チャールズ・ダーウィンの生涯』 松永俊男/著 朝日新聞出版 2009年   p.188-192 「7 蔓脚類の研究」の項目に、以下の記載あり。    p.189「(前略)ダーウィンの研究成果『蔓脚亜綱の研究』は四分冊で刊行された。『エボシガイ科』(一八五一)、『英国産化石エボシガイ科』(一八五一)、『フジツボ科とハナカゴ科』(一八五四)、それと『英国産化石フジツボ科』(一八五四)である。(後略)」    p.191「(前略)『蔓脚亜綱の研究』第二巻の序論では、「大多数の種において、高度の変異性を示さない外部形質がほとんど一つとしてないことを明らかにした」と述べている。野生生物に豊富な個体変異のあることが『種の起源』の進化論の前提になっているが、これは蔓脚類の研究をきっかけにして得られた認識であった。」   〇『ダーウィンの生涯』 八杉竜一/著 岩波書店 1995年   p132-148 「2 ダウンの生活一 地質学と動物学」の項に以下の記載あり。    p.140-141「(前略)一八四六年に、ダーウィンの仕事が大きい転回をした。地質学から動物学に、その重心がうつったのである。この年の一〇月から、蔓脚類についての研究がはじめられた。(中略)ダーウィンは、チリーの海岸で、貝殻に穴を掘って住む奇妙な蔓脚類を採集した。それを調べてみたいと思ったのが、蔓脚類の研究のはじまりである。(中略)彼の研究の努力は、蔓脚類の全部の分類、形態、発生におよび、現生のものばかりではなく化石種の研究もなされた。一八五一年に、現生種および絶滅種(化石)に関するものの、それぞれ第一巻が、一八五四年に両者の第二巻が、いずれもレー学会(Ray Society)の手で刊行された。(後略)」    p.141「(前略)蔓脚類についてのダーウィンの研究は、ただ分類や形態の記載だけにとどまっていない。彼は、それぞれの種によって異なる形態が、それぞれのものの習性と、いかにふかい関係を持っているか、言いかえれば、いかに習性に適応したものになっているか、ということに、たえず注目を向けた。(後略)」  〇『チャールズ・ダーウィン生涯・学説・その影響』 ピーター・J・ボウラー/著 朝日新聞社 1997年   p.131に、「蔓脚類の研究は群を抜いて広汎なものであった。(中略)蔓脚類と甲殻類とが近縁なことは、それらの幼虫の時期を研究することによってようやくその頃にわかったことである。(中略)二巻からなる彼の『蔓脚類亜綱に関する研究』(一八五一~五四年)と、それぞれに対応する化石蔓脚類についての二巻本は、現在でも我々がそれらの生物について知る際の基本的な文献とされている。(後略)」と記載あり。  〇『ダーウィンの思想』 内井惣七/著 岩波書店 2009年   p.80-82 「27 フジツボにはまる」の項目に、以下の記載あり。    p.81「(前略)この奇妙なサンプルを「アーツロバラナスArthro-balanus」と呼ぶことにし、時には敬称の「ミスター」までつけたのだが、実はこのサンプル本体はメスだったことがわかる。(中略)ダーウィンの突破口は、フィリピンからの標本で、雌雄異体であり、しかも微小なオスがメスに「寄生」していることを発見したことで開かれた。(後略)」    p.82「(前略)そして、アーツロバラナスは、殻に微小なオスをつけたメスだと判明しただけでなく、体節構造の変化もわかり、フジツボとカニやエビとの類縁関係もわかってきた。(後略)」  〇『ダーウィン』 レベッカ・ステフォフ/著 大月書店 2007年   p.103「(前略)ダーウィンはビーグル号の航海で興味深いフジツボの標本をいくつかもちかえっており、それらを解剖して説明をくわえたいと思っていた。(中略)ほかの博物学者と郵便で標本を交換し、解剖して写生し、予想もしなかった数の種を記述するうち、結局はフジツボの研究に八年の歳月をついやすことになった。(後略)」と記載あり。   p.104に「ダーウィンが8年にわたるフジツボの研究で描いた解剖図の一部。(後略)」と説明される絵の記載あり。  △『世界の名著 39』 ダーウィン/著 中央公論社 1977年   p.19-20にフジツボの研究について触れているが、研究内容の記載なし。  △『人類の知的遺産 47』 ダーウィン 講談社 1983年   p.68に、「『蔓脚類』(一八五一)」の記載はあるが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィン』 パトリック・トール/著 創元社 2001年   p.71にフジツボの研究について触れているが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィン』 江上生子/著 清水書院 2015年   p.144-145 「蔓脚類の研究に基づいて」の項目があるが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィンが信じた道』 エイドリアン・デズモンド/著 ジェイムズ・ムーア/著 日本放送出版協会 2009年   p.368に、フジツボの研究についての記載はあるが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィンとビーグル号』 アラン・ムーアヘッド/著 早川書房 1982年   p.239に蔓脚類の研究について記載があるが、研究内容の記載なし。  △『ミミズによる腐植土の形成』 ダーウィン/著 光文社 2020年   p.318-322 「ダーウィン年譜」にフジツボの研究について記載があるが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィン入門』 斎藤成也/著 筑摩書房 2011年   p.117-119 「3 フジツボの研究 八年間にわたる詳細な研究」の項目があるが、研究内容の記載なし。  △『ダーウィンの世界』 木本忠昭/ほか著 日本学術協力財団 2011年   p.62-63に、フジツボの研究について記載があるが、研究内容の詳細はなし。  △『ダーウィンの足跡を訪ねて』 長谷川眞理子/著 集英社 2006年   p.168-169に、フジツボの研究をしていたという記載はあるが、研究内容の記載なし。  △『世界の思想家 14』 八杉竜一/編 平凡社 1980年   p.14に蔓脚類の研究について触れているが、研究内容の記載なし。  △『世界伝記大事典 世界編 6』 ほるぷ出版 1980年   p.10-13「ダーウィン」の項目があるが、フジツボの研究内容の記載なし。  △『世界大百科事典 17』 平凡社 2007年   p.169「ダーウィン」の項に、蔓脚類の研究について記載があるが、研究内容の記載なし。  △『岩波世界人名大辞典 第1分冊』 岩波書店 2013年   p.1553 「ダーウィン Darwin,Charles Robert」の項はあるが、研究内容についての記載なし。  △『進化学事典』 日本進化学会/編 共立出版 2012年   p.917-918 「Darwin,Charles Robert(1809-1882)」の項に、蔓脚類の研究について記載があるが、研究内容の記載なし。  ×『西洋博物学者列伝』 ロバート・ハクスリー/編著 悠書館 2009年  ×『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』 アダム・フィリップス/著 みすず書房 2006年  ×『ダーウィンの珊瑚』 ホルスト・ブレーデカンプ/著 法政大学出版局 2010年  ×『生態学事典』 日本生態学会/編集 共立出版 2003年  ×『科学史技術史事典』 伊東俊太郎/ほか編集 弘文堂 1994年  ×『ダーウィンの遺産』 渡辺政隆/著 岩波書店 2015年 参考資料:ダーウィン自伝 チャールズ・ダーウィン/著 筑摩書房 2000.6 289.3 4-480-08558-0, 参考資料:ダーウィンと家族の絆 ランドル・ケインズ/著 白日社 2003.12 289.3 4-89173-110-9, 参考資料:チャールズ・ダーウィンの生涯 松永俊男/著 朝日新聞出版 2009.8 289.3 978-4-02-259957-5, 参考資料:ダーウィンの生涯 八杉竜一/著 岩波書店 1995.3 289.3 4-00-003871-0, 参考資料:チャールズ・ダーウィン生涯・学説・その影響 ピーター・J・ボウラー/著 朝日新聞社 1997.2 289.3 4-02-259671-6, 参考資料:ダーウィンの思想 内井惣七/著 岩波書店 2009.8 467.5 978-4-00-431202-4, 参考資料:ダーウィン レベッカ・ステフォフ/著 大月書店 2007.2 289.3 978-4-272-44041-2,

家によく来る虫について調べたい。(安城市図書情報館)

以下の資料を提供した。 ①『昆虫探検(エクスプローラ)図鑑1600』川邊透/全国農村教育協会(486.0/カワ/A) ②『海野和男灯りに集まる昆虫たち』海野和男/誠文堂新光社(486/ウン/A) 回答プロセス:はじめに「6本足でひげがある虫について調べたい。」とご質問があった。 児童書の図鑑と迷ったが、一般書のご案内をしたところ、実物をお持ちになり「この虫は何かが知りたい」とおっしゃられた。 特徴としては黒にグレーの点の模様があった。 ①や『身近な昆虫識別図鑑(978-4-416-51912-7)』を確認したが見つけられず。 再度インタビューを進めると「最近よく家の網戸などについている」とのことだった。 ②を確認したところ、「秋の灯りに集まる虫」というページの中に「クサギカメムシ」が載っており、特徴などからこちらではないかとのこと。 その後再度①を確認し、該当する虫の性質を調べレファレンス終了とした。 参考資料:昆虫探検(エクスプローラ)図鑑1600 新版. 川邊透著・写真 , 川邊, 透. 全国農村教育協会, 2019.(486.0/カワ/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I012078817-00, 9784881371961 参考資料:灯りに集まる昆虫たち : 家や街なかで気軽に昆虫観察・採集. 海野和男著 , 海野, 和男. 誠文堂新光社, 2013.(486/ウン/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004898176-00, 9784416113301

イギリスの天気について、朝に曇りが多いとか朝に雨が降ることもあると言われているが、そういう記述がある本はないか?(安城市図書情報館)

インターネットで国土交通省気象庁ホームページの世界の天候データツール( https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/dailyview/index.php )をご案内。 各拠点の降水量を確認することはできるが、曇りについてはみることができなかった。 回答プロセス:NDC290および293の棚を児童書、一般書をそれぞれブラウジングしたが、いずれの資料にも「イギリスの天気はとても変わりやすい」程度の記述しか確認できなかった。 そこでインターネットで検索をしたところ、気象庁のホームページにて『世界の天候データツール(ClimatView 日別値)』 https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/dailyview/index.php を発見。こちらでは各国の拠点別に該当する日の一日の気温、降水量を1月単位でみることができた。 しかし、曇りや時間ごとの推移などは確認ができないためそちらの旨をお伝えした。 これ以上の追求、調査は必要ないとの質問者様からのお申し出があり、こちらを回答とした。

バスの乗り方やルール等を扱った紙芝居や絵本はありますか?(安城市図書情報館)

以下の資料を提供した。 ①『バスくんとのおやくそく』山本省三,笹沼香/教育画劇(K01/バ/8) ②『ならんでるならんでる』竹下文子,鈴木まもる/偕成社(E/スズ) 回答プロセス:まず紙芝居の棚を生活(K01)、防災(K06)を中心にブラウジング。 ①を発見し提供した。 また、以前類似の質問を受けたスタッフから②について聞き、現物の内容を確認、提供に至った。 なお、業務システムでは「バス ルール」や「バス 乗り方」などのキーワードで検索したがヒットせず。 参考資料:バスくんとのおやくそく : 乗り物の乗り降りの危険を知らせる. 山本省三作 ; 笹沼香絵 , 山本, 省三 , 笹沼, 香. 教育画劇, 2012. (教育画劇のかみしばい,)(K01/バ/8) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010407013-00, 9784774616728 参考資料:ならんでるならんでる. 竹下文子 作 , 鈴木まもる 絵 , 竹下, 文子, 1957- , 鈴木, まもる, 1952-. 偕成社, 2014.(E/スズ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025329298-00, 9784032212600

ある特定の「名詞」の絵本等を探したいときどのように探したら(検索)良いか?(安城市図書情報館)

▼インタビューより⇒「綿」についての絵本を探したいがうまく検索できない。ヒット数が多すぎる。 ⇒検索時キーワードに助詞(~を、~の等)を入れると目的の資料に辿り着きやすいことを説明。  また、『テーマ・ジャンルからさがす物語・お話絵本』(028/デイ/RS)9784861400162も紹介。 参考資料:DBジャパン編集 , DBジャパン. 子どもの世界・生活/架空のもの・ファンタジー/乗り物/笑い話・ユーモア. DBジャパン, 2011. (テーマ・ジャンルからさがす物語・お話絵本 / DBジャパン編, 1)(028/デイ/RS), 9784861400162

編み物(衣類)も網(あみ)の仲間と考えて良いのか?(安城市図書情報館)

▼インタビューより→絵本『あみ』9784752008828 を読み聞かせで使おうと思うが、文中に「おかあさん ふゆになると マフラーとか あんでるよね。あれって あみものでしょ。あみものの あみって あみのこと?」とあるが、なんとなくしっくりこない。納得できる資料はないか。    ⇒『暮らしのことば 新語源辞典』(813.6/クラ)9784062653404 P48「網」を引く。  一部抜粋・・・「・・・糸や針金などを目をあらく編んだもの。・・・。網の糸と糸の間を、「網の目」または「網目」という。小さく開いたメ(目)の意である。」このことより完全な納得ではないが、間違いでないということがわかった。 参考資料:山口佳紀編 , 山口, 佳紀. 暮らしのことば新語源辞典. 講談社, 2008.(813.6/クラ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006628785-00, 9784062653404 参考資料:中川ひろたか作 ; 岡本よしろう絵 , 中川, ひろたか , 岡本, よしろう. あみ. アリス館, 2019. (中川ひろたかのせいかつかがく絵本,)(E58/オカ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I012059892-00, 9784752008828

水のかんきょう学習館の展示パネルに「かつて安城の中心地にはキツネしかいなかった」とあったが、駅を作るのに人の少ない場所をわざわざ選んだということなのか。安城駅を作るにあたり、数ある候補地から現在の場所が選ばれたのは周辺に集落があったのではないかと思っていたのだが、駅が作られる以前の一帯の様子がわかる資料を見て確認がしたい。(安城市図書情報館)

学習館のパネルには確かに「キツネしかいないといわれた安城が原に…」という表現がされていました。 ①~⑧に安城駅の成り立ち(できるまでの経緯)と、当時や、もっと前の地図・絵地図を用意しました。 安城ヶ原が「原山」「原野」という表現をされる地域(集落から外れた地域)だったからこそ、安城に安城駅ができたことがわかります。 ※「周辺に集落があったからではないか」というご意見より  ⇒⑥『新編安城市史3 通史編 近代』からは、安城ヶ原の様子とさらに駅の開設にあたっての話、集落から外れたところに電車が走った理由もわかります。「安城駅の場合は、そうした町場的なものは皆無であった。駅の北側に農家が数件あっただけで、駅の南には何もなかったという。」(本文より) 安城ヶ原の様子、駅ができる前についてわかる一文 同上資料 ⇒p2 1行目~   「『安城町誌』は、明治用水が完成する以前の安城の状況を次のように描写している    茅茨矮松の繁茂に任せ、狐狸徒に時を得顔なる荒蕪の原野にして、その間点在する村閭の緑僅かに耕地を存せしのみにして、水田にありては全面積の四分の一にも及ばざりき。    雑木と下草の生えた原野が広がり、その間に集落やあまり広くない田畑が存在するという荒涼した情景である。」 ⇒p125 10行目~   「鉄道が通ると町が寂れる、あるいは蒸気機関車の火の粉で火事になるといった理由だった。三河の場合も、各地でそうした反対の動きがあった。そこで東海道線は、旧街道よりかなり南を通ることになり、その結果、安城が原の中心を通るようになった。」 回答プロセス:水のかんきょう学習館の展示パネルに「かつて安城の中心地にはキツネしかいなかった」という一文を拝見され、駅が開設されるのは周辺に集落があり、雑木林などがすでに切り開かれていたからではと疑問を持たれた利用者様からのお問い合わせ。 〈参考資料〉 水のかんきょう学習館のパネルを資料にしたものが図書情報館にあります。 ●『明治用水 街を作った水ツアー』(A614/メイ/A)007114663 【提供資料】 ①『汽笛一聲・安城駅120年』(A069/アン/A)007085582   p3 3行目「…場所は岡崎と刈谷の中間地点で、当時は荒れ地から開墾されたばかりの耕作地がひろがる、いわば何もないようなところでした…」   p29 1行目「ほとんど人家のないような場所に開業した安城駅…」 ②『安城ヶ原の歴史』(A234.5/アマ/A)001497197   p1~2 2行目の内容 「1 三万年段丘の碧海台地」 1項・乏水性台地 2項・氷河期にできたがけ   p63~64の内容     p64の図「1891年ごろの安城駅付近」…駅周辺にはまだ田んぼと畑が残り、木や草の生えているところもあり。 ③『安城いまむかし 写真集』(A748/カミ/A)005421623   p6 3行目~「安城ヶ原というのは、安城村内の山野のことをいい、安城野とも呼ばれていた…」 ④『安城歴史紀行』(A234.5/カミ/A)003072113   p2~『安城いまむかし』と同文あり ⑤『新編安城市史2 通史編 近代』(A234.5/アン/A)007005556   p328 4-5 天明7年の安城が原土地利用図(安城村の新田畑検地の実地の経過をまとめたもの) ⑥『新編安城市史3 通史編 近代』(A234.5/アン/A)007018096   p2 1行目~    「『安城町誌』は、明治用水が完成する以前の安城の状況を次のように描写している     茅茨矮松の繁茂に任せ、狐狸徒に時を得顔なる荒蕪の原野にして、その間点在する村閭の緑僅かに耕地を存せしのみにして、水田にありては全面積の四分の一にも及ばざりき。     雑木と下草の生えた原野が広がり、その間に集落やあまり広くない田畑が存在するという荒涼した情景である。」   p125 10行目~    「鉄道が通ると町が寂れる、あるいは蒸気機関車の火の粉で火事になるといった理由だった。三河の場合も、各地でそうした反対の動きがあった。そこで東海道線は、旧街道よりかなり南を通ることになり、その結果、安城が原の中心を通るようになった。」   p126 2-11 安城駅開設以前の箕輪村付近(明治24年) ⑦『村絵図Ⅲ -安城が原と碧海台地に展開した村々-』(A234.5/アン/A)007303100   p3~ 安城が原の姿     「安城ヶ原」という名称は江戸時代にはありません。江戸時代には「安城原」「現地」など「安城村の原」を示す部分と「安城松山」「原山」など、「山」といわれる松林の部分に分けられており…    ※1 安城が原絵図〔参照〕元和8年(1622年)~寛永19年(1642年)に作成された絵図 ⑧『1/5万 図歴地形図』(A29/5)003079795    明治32年9月30日発行の地図より…安城駅周辺がまだ荒地だったことがわかる 参考資料:安城市歴史博物館 編 , 安城市歴史博物館. 汽笛一聲・安城駅120年 : 企画展. 安城市歴史博物館, 2011.(A069/アン/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011204078-00, 参考資料:天野暢保 著 , 天野, 暢保. 安城ケ原の歴史. 安城市農業協同組合, 1990.(A234.5/アマ/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002090022-00, 参考資料:神谷, 素光, 1926-. 安城いまむかし : 写真集. 名古屋郷土出版社, 1989.(A748/カミ/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001990700-00, 4876700001 参考資料:神谷素光 著 , 神谷, 素光, 1926-. 安城歴史紀行. [神谷素光], 1991.(A234.5/カミ/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002212215-00, 参考資料:安城市史編集委員会 編 , 安城市. 新編安城市史 2(通史編 近世). 安城市, 2007.(A234.5/アン/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009224822-00, 参考資料:安城市史編集委員会 編 , 安城市. 新編安城市史 3(通史編 近代). 安城市, 2008.(A234.5/アン/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009363071-00, 参考資料:安城市歴史博物館 編集 , 村絵図3(安城が原と碧海台地に展開した村々). 2012.(A234.5/アン/A), (当館資料番号 007303100,当館請求記号 A234.5/アン/A)

明治11年~22年郡区町村制による戸長(村長)選挙の資料・画像はないか。(安城市図書情報館)

インタビューより➡郡区町村制による戸長(村長)選挙は20歳以上の男子による公選であった。女性が選挙できなかったことを除けば、現在の選挙に近い中身であった。この選挙のことがわかる刊行物、資料・画像を紹介して欲しい。 ▼棚をブラウジング  『安城市史』(234.5/アン/A)007286461  『新編 安城市史3通史編近代』(A234.5/アン/A)007018096  『愛知県の選挙二十年』(A31/131)000876078  『愛知県史資料編21 近代1 政治・行政1』(A201/アイ/シリ-24)007112543  『愛知県議会史 第1巻(明治篇上)』(A31/177/1)000873091    ⇒上記5点を紹介したがすでに中身を確認済みであった。  『安城市史』の原本である『愛知県布達類聚 全 明治12年 第貮拾六号』(A320/アイ/26)007624612    ⇒戸長役場の日誌に選挙日の様子の記載があり。ご提供。  『明治村史資料』(A234.5/メイ/A)007261324    ⇒ご提供。 参考資料:安城市史., (当館請求記号 A234.5/アン/A, 当館資料番号 007286461) 参考資料:新編安城市史3 通史編近代., (当館請求記号 A234.5/アン/A, 当館資料番号 007018096) 参考資料:愛知県の選挙二十年., (当館請求記号 A31/131/, 当館資料番号 000876078) 参考資料:愛知県史資料編21 近代1 政治・行政1., (当館請求記号 A201/アイ/シリ-24, 当館資料番号 007112543) 参考資料:愛知県議会史 第1巻(明治篇上)., (当館請求記号 A31/177/1, 当館資料番号 000873091) 参考資料:『安城市史』の原本である『愛知県布達類聚 全 明治12年 第貮拾六号., (当館請求記号 A320/アイ/26, 当館資料番号 007624612) 参考資料:明治村史資料., (当館請求記号 A234.5/メイ/A, 当館資料番号 007261324)

スウェーデンの社会福祉について調べたい。参考になる資料はないか。(安城市図書情報館)

・以下の資料を提供   『スウェーデンの高齢者ケア戦略』(369.2/オク/H)9784887206243  『スウェーデン・モデル グローバリゼーション・揺らぎ・挑戦』(364.1/オカ/H)9784779170454  『女も男も生きやすい国、スウェーデン』(367.2/サン/YA)9784005008469 ・参考資料  『スウェーデンの社会福祉』(369.0/タ)4623034178 回答プロセス:▼インタビューより、卒論に使用するとのこと。   ▼館内検索機にて 「すべて:スウェーデン 社会福祉,所蔵」で検索    →41件ヒット。その中より上記資料を提供(選書された)。 参考資料:奥村芳孝著 , 奥村, 芳孝. スウェーデンの高齢者ケア戦略. 筒井書房, 2010.(369.2/オク/H) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000480004-00, 9784887206243 参考資料:岡澤憲芙, 斉藤弥生編著 , 岡沢, 憲芙 , 斉藤, 弥生. スウェーデン・モデル : グローバリゼーション・揺らぎ・挑戦. 彩流社, 2016. (フィギュール彩, 46)(364.1/オカ/H) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008771443-00, 9784779170454 参考資料:三瓶恵子著 , 三瓶, 恵子. 女も男も生きやすい国、スウェーデン. 岩波書店, 2017. (岩波ジュニア新書, 846)(367.2/サン/YA) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I005150206-00, 9784005008469 参考資料:高島昌二著 , 高島, 昌二. スウェーデンの社会福祉. ミネルヴァ書房, 2001.(369.0/タ) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I009502615-00, 4623034178

加藤嘉明(かとうよしあきら)という安城ゆかりの大名について調べている。(安城市図書情報館)

下記の資料①②をご提供。 回答プロセス:詳しくお聞きすると、以下のことをお調べになりたいとのこと。 (1)加藤嘉明の父・教明(たかあき)が滋賀県の矢島に領地をもらっているが、滋賀県にある資料を探しても加藤嘉明と矢島との関わりのある資料が見当たらない。加藤嘉明という名前であるが、矢島と姓を変えたのか知りたい。 (2)安城の加藤と矢島(谷島)との関係を知りたい。(※加藤嘉明は松山城(愛媛)の城主であった) ①『安城ゆかりの大名 時代を駆け抜けた武将加藤嘉明』(A289/カト/A)00754834の図録より   p17~ 「加藤嘉明伝」延宝五年(一六七七)成立、元文五年(一七四〇)写:甲賀市水口図書館蔵   p20~ 「三明院様御一代御系譜写 乾ノ巻」享和三年(一八〇三)成立、天保十四年(一八四三)写:甲賀市水口図書館蔵    →加藤嘉明の父・教明が近江国矢島郡に知行を得たと記載あり ②『新訂寛政重修諸家譜 第13』(288.2/カン/13)000083139   p4~ 教明=「近江国矢島に知行、同国住す」とあり   p5~ 嘉明=矢島に関しての記載なし 電話で①②の資料があることをお伝えすると、利用者様は水口図書館の近辺に在住されているが、水口図書館の所蔵の資料についてご存じなかったとのこと。 〈参考文献〉 ・『安城歴史研究 第40号』(A234.5/アン/A)007169873    p55~ 「系譜から見る加藤嘉明の出自について」 参考資料:安城市歴史博物館/編集 , 安城市歴史博物館. 時代を駆け抜けた武将加藤嘉明 : 安城ゆかりの大名. 安城市歴史博物館, 2014.(A289/カト/A) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068597599-00, 参考資料:新訂 寛政重修諸家譜 第13. 続群書類従完成会, 1984.(288.2/カン/13) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I013739401-00, 参考資料:安城歴史博物館/編 , 安城市教育委員会 . 安城歴史研究 第40号(2014).安城資料, 2015.(A234.5/アン/A),

黄泉を「ヨミ」と読む根拠について知りたい。『万葉集』等の古典籍では、どのように表音されていますか。(大阪府立中央図書館)

「黄泉」に関して、次の資料を調べました。 ※資料内容の表記に関しまして、旧字体を新字体で記載している部分があります。[ ]内はルビを記載しています。ルビの位置に書かれていてもルビではないと思われるものは、[ ]に入れずにカタカナ表記にしています。 『日本古典文学大系 1 古事記』(岩波書店 1958.6) p.63「黄泉[よみ]ノ国」の頭注に「ヨモツクニ、ヨミツクニと訓んでもよい。死者の住む国で、地下にある穢れた所と信じられていた。黄泉の二字は漢語の借用で「地中之泉」の意。」とあります。 『日本古典文学大系 67 日本書紀 上』(岩波書店 1967.3) p.94「泉門」を「よみど」と読んでいます。「泉門」は頭注によればp.95「冥界の入口にあって、邪霊の侵入を防ぐ神。部落の入口に陽物の像などを立てて、その勢能によって、部落の安全を保った。それと同じく冥界の死神を防ぐ意。」とあります。 本居宣長は『古事記伝』において「黄泉国」について次のように書いています。 『本居宣長全集 第9卷』(本居宣長/[著] 筑摩書房 1968.7)※中之島図書館所蔵資料 ※【 】内は、この資料の底本の二行割注です。 p.237-239 「古事記伝六之巻」に「黄泉国」についての記載があります。 p.237「黄泉国は、【豫美能久爾[ヨミノクニ]とも、豫美都久爾[ヨミツクニ]とも訓べし、與美津[ヨミツ]と云ことは、祝詞式に見ゆ、されどなほ】豫母都志許賣[ヨモツシコメ]、又書紀に余母都比羅佐可[ヨモツヒラサカ]など、例多きに依て、豫母都久爾[ヨモツクニ]と訓つ、たゞ黄泉とのみあるは、豫美[ヨミ]と読べし、さて豫美[ヨミ]は、死[シニ]し人の往[ユキ]て居[ヲル]国なり」とあります。 また、p.238「名ノ義は、口決に夜見土[ヨミド]とある、土ノ字は非[ヒガコト]なれど、*夜見[ヨミ]はさも有リぬべし、下文[シモノコトバ]に燭一火[ヒトツビトモシテ]とあれば、暗處[クラキトコロ]と見え、又夜之食国[ヨルノヲスクニ]を知看[シロシメス]月読ノ命の、読[ヨミ]てふ御名も通ひて聞ゆればなり」ともあります。 また、別の記述の二行割注の中の記載ですが、「出雲ノ国ノ風土記に、伯耆ノ国ノ郡ノ内ノ夜見[ヨミ]嶋と云ことあるは、黄泉[ヨミ]に由あることありての名なるべし」とあります。 この資料には、「注釈が今日の語学研究から見て誤りと思われる場合など」に*をつけ、補注を加えたと凡例にあります。上記、「夜見[ヨミ]はさも有リぬべし」の補注は次のとおりです。 p.545-546「上代特殊仮名遣によれば夜[ヨ]はヨ甲類yo、見[ミ]はミ甲類miである。しかし、黄泉はヨモツシコメ、ヨモツヒラサカ、ヨモツヘグヒなどに、豫母都志許賣、余母都比羅佐可、譽母都俳遇比とあり、豫・余・譽は、いずれもヨ乙類y〔oの上に点二つ〕の音である。従って、夜見国のyoとヨモのy〔oの上に点二つ〕とを関係づけるのは不適切である。ヨミノ国の古形は、ヨモツクニであるから、ヨミのミはミ乙類m〔iの上の点が二つ〕である方が蓋然性がある。ただし、祝詞式の、鎮火祭に、「與美津枚坂」とあるが、これは平安時代の転写を経ているので、そのまま信じがたい。」 また、こちらも別の記述の二行割注の中の記載になりますが、p.239「又世に十王経と云ものに、閻魔王国、自人間地去五百臾善那、名無佛世界、亦名預彌[ヨミ]国云々と云る、此経はもとより偽経と云中にも、此邦にて作れるものなり、預彌[ヨミ]国と云も、神典に依て作れる名なり、然るをかへりて、神典に豫美[ヨミ]と云る名は、此経より出たることかと、疑ふ人も有リなむかと思ヒて、今弁へおくなり」とあります。 *漢文の返り点などは記載していません。 国立国会図書館デジタルコレクションで『佛説地藏菩薩發心因縁十王經 1卷』((唐) 釋藏川 撰[他])がインターネット公開されています。14コマ目に、上記の記載を見ることができます。 国立国会図書館デジタルコレクション『佛説地藏菩薩發心因縁十王經 1卷』(2016/3/1現在) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542700 甲類・乙類の漢字については、次の資料に一覧を見ることができます。 『万葉事始』(坂本信幸/編 和泉書院 1995.3)※中之島図書館所蔵資料 p.44に「特殊仮名遣表」があり、甲類、乙類の別に漢字がまとめられています。 「夜」が甲類、「豫・余・譽・與・預」が乙類となっています。 「美」「見」は甲類となっています。 『小田切秀雄全集 1 戦時下の仕事』(小田切秀雄/著 勉誠出版 2000.11) p.242-243に『古事記伝』の黄泉国の説明をまとめた記述を見ることができますので、一部記載します。 「黄泉国は「よみのくに」とも「よもつくに」とも読むが、『祝詞式』などという本を見ると「よみつ」という言い方もある。しかし『古事記』での他の部分などに「よもつしこめ」などといわれていたり『日本書紀』という本でも「よもつひらさか」などと言われているので「よもつくに」と読むことにしよう。ただ「黄泉」とだけ書かれていたら「よみ」と読む。以上は「黄泉国」の読み方について考えて見たのだが、こんどはその意味を考えるとそれは死んだ人の行っている国という意味である。」 『本居宣長『古事記伝』を読む 1 講談社選書メチエ 461』(神野志隆光/著 講談社 2010.3) p.94-97に黄泉国についての記載があり、「『古事記伝』には、黄泉=ヨミは「夜見」の意で、一つ火をともすとあるから「暗き処と見え」、「下方に在る国」(地下にある国)であって「死人の往て住国と意得[ココロウ]べし」というだけです」とあります。 『新・古事記伝 1 神代の巻』(中山千夏/現代語訳・解説 築地書館 1990.2) p.85-87に「黄泉国[よもくに]」の現代語訳があり、黄泉国の注釈にp.85「「黄泉」は漢語で「黄」が土の色を表し、総じて地下の泉の意味で死者の国を表す。読みのヨモは和語。ヤミ(闇)と同源の言葉かという。」とあります。 『万葉ことば事典』(青木生子/監修 大和書房 2001.10) p.415-416 「よみ(黄泉)」の項目に、p.415「記には死んだイザナミの霊魂と肉体がともに住まう暗黒の汚れた世界として描写されるが、そこに描かれた「黄泉国」が古代人の普遍的な他界観であったかどうかは不明。紀本書にはみえない。出雲風には「黄泉坂」「黄泉穴」の地名があり、これは海辺の洞窟をさす。漢語「黄泉」は「地下の泉」を原義とするが、日本古代のヨミは必ずしも地下に限定されず、(略)水平的に遠距離の世界をいう場合もある。」とあります。 ※記:古事記 紀:日本書記 出雲風:出雲国風土記 『時代別国語大辞典 上代編』(上代語辞典編集委員会/編 三省堂 1990.1) p.802 「よみ[黄泉・泉]」(この[ ]は原文のものです)の項目に、「よみ」が出てくる資料として次の説明があります。 ※漢文の返り点は記載しておりません。 「「与美津枚坂[よみツヒラサカ]に至り坐して思ほし食さく」(祝詞鎮火祭)「遠つ国黄泉[よみ]の界[サカヒ]に」(万一八〇四)「生けりとも逢ふべくあれやししくしろ黄泉[よみ]に待たむと」(万一八〇九)「夢至此礒窟之辺者、必死、故俗人自古至今、号黄泉[よみ]之坂、黄泉[よみ]之穴也」(出雲風土記出雲郡)」「所塞磐石是謂泉門[よみド]塞之大神也」<泉門与美奈止尓[よみナトニ]>(神代紀上・私記乙本)」(最後の、「与美奈止尓」は小さく書かれています。) 参考とすべき事柄や補足的な解説などとして、「交替形としてヨモがある。上代の葬地は山坂・山上など山野に設けられることが多かった。後世も葬地・他界の意でヤマという語が多く用いられているが、ヨミはあるいは山[ヤマ]という語と関係があり、ア列音とオ列乙類音が交替して類義語を構成する一つの例ではないかと考える説もある。」と書かれています。また、「一方、死後の世界はネノクニ・シタツクニともいい、地下の国とも考えられていた。交替形にヨモがあり、木[キ]―木[コ]の交替の例から考えて、ミの仮名は乙類と考えられる。第四例の、ヨミノ坂は山のヨミの、ヨミノ穴は地下のヨミの入り口として考えられそうである。」とあります。 『時代別国語大辞典 上代編』の説明より、「黄泉」以外の表記となっている次の資料を確認しました。 『延喜式 上 訳注日本史料』(虎尾俊哉/編 集英社 2000.5) 「延喜式巻第八 神祇八 祝詞」のp.480-485「鎮火祭」を見ますと、その中に「與美津枚坂尓至坐弖所思食久」と書かれています。(尓、弖、久は小さく書かれています。) 神代紀の分については、 ・『日本古典文学大系 67 日本書紀 上』(岩波書店 1967.3) ・『国史大系 [1] 日本書紀 前篇 新訂増補 普及版』(黒板勝美/編 吉川弘文館 1977.6) ・『国史大系 第1巻 日本書紀』(経済雑誌社 1897) を確認してみましたが、「与美奈止尓」については記載が見当たりませんでした。 「與」の甲類・乙類の別については、先に挙げました『万葉事始』で記載したとおりです。 なお、母音交替に関して調べるには、 『古代日本語母音論:上代特殊仮名遣の再解釈 ひつじ研究叢書 言語編第4巻』(松本克己/著 ひつじ書房 1995.1) といった資料があります。 記述としては少ないのですが、p.23に「黄泉」が載っています。 参考までに、次の資料の記載を紹介します。 『日本古代地名事典』(吉田茂樹/著 新人物往来社 2001.12) p.236「よみのしま[夜見嶋] 『出雲風土記』意宇郡に「夜見の嶋」で初見し、鳥取県米子市から境港市へ伸びる弓ヶ浜(夜見ヶ浜)をいう。「ゆみのしま(弓の島)」の意で、古代では弓状の細長い洲島であったが、現在では砂地の半島になっている。」 (この[ ]は原文のものです。) [事例作成日:2016年5月6日] 参考資料:日本古典文学大系 1 岩波書店 1958.6, (63) 参考資料:日本古典文学大系 67 岩波書店 1967.3, (94-95) 参考資料:本居宣長全集 第9卷 本居/宣長∥[著] 筑摩書房 1968.7, (237-239,545-546) 参考資料:万葉事始 坂本/信幸∥編 和泉書院 1995.3, (44) 参考資料:小田切秀雄全集 1 小田切/秀雄∥著 勉誠出版 2000.11, (242-243) 参考資料:本居宣長『古事記伝』を読む 1 神野志/隆光∥著 講談社 2010.3, (94-97) 参考資料:新・古事記伝 1 中山/千夏∥現代語訳・解説 築地書館 1990.2, (85-87) 参考資料:万葉ことば事典 青木/生子∥監修 大和書房 2001.10, (415-416) 参考資料:時代別国語大辞典 上代編 上代語辞典編集委員会∥編 三省堂 1983, (802) 参考資料:延喜式 上 虎尾/俊哉∥編 集英社 2000.5, (480-485) 参考資料:国史大系 [1] 新訂増補 普及版 黒板/勝美∥編 吉川弘文館 1974, 参考資料:国史大系 第1巻 経済雑誌社 1897, 参考資料:古代日本語母音論 松本/克己∥著 ひつじ書房 1995.1, (23) 参考資料:日本古代地名事典 吉田/茂樹∥著 新人物往来社 2001.12, (236) 参考資料:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542700, (国立国会図書館デジタルコレクション『佛説地藏菩薩發心因縁十王經 1卷』(2016/3/1現在))

熊谷市玉井と関係のある賢景(奈良興福寺の僧)について知りたい。 794年頃、賢景が関東に来たとき、目を患って、現在の熊谷市玉井で井戸を掘って目を洗ったら治った。井戸からは玉が二つ出てきたので、その地は「玉井」という地名になったという伝説がある。(埼玉県立久喜図書館)

以下の資料を提供した。 『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)  p140「賢景」 『ふるさと玉井の歴史』(「ふるさと玉井の歴史」編集委員会編 熊谷市玉井地区自治会連合会 2008)  p15「地名の由来について」  p26「玉井神社」  p30「玉井寺」 『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1992)  p74「玉井神社」 『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)  p482-483「玉井寺」 『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)  p324「けんきょう(けんけい) 賢璟(賢憬)」 『世界大百科事典 9(ケマ-コウヒ)』(平凡社 2007)  p54「けんけい 賢憬」 『日本仏教人名辞典』(石川力山[ほか]編集 法蔵館 1992)  p221-222「けんきょう 賢璟」 『日本の名著 2』(伊藤整[ほか]編集 中央公論社 1983)  p429-457「唐大和上東征伝」  p452「賢璟(けんよう)」に関する記述あり。 『訓読元亨釈書 上巻』(虎関師錬原著 藤田琢司編著 禅文化研究所 2011)  p278-279「二三九 興福寺の賢憬」  p517-518「元亨釈書第二十三 資治表四 桓武皇帝」の「十有二年(793)」に賢憬の記述あり。 『日本古代僧伝の研究』(佐久間竜著 吉川弘文館 1983)  p167-181「賢璟」 『日本仏家人名辞書』(鷲尾順敬編纂 東京美術 1987)  p283「賢憬」 回答プロセス:1 参考図書を確認する。 2 《WHOPLUS》(日外アソシエーツ)を〈賢景〉で検索する。 3 NDC分類〈210〉の棚を確認する。 〈その他調査済み資料〉 『石井正敏著作集 4 通史と史料の間で』(石井正敏著 勉誠出版 2018) 『五十音引僧綱補任僧歴綜覧 推古卅二年-元暦二年「624年-1185年」』(平林盛得[ほか]編 笠間書院 2008) 『平安遺文 索引編 上』(竹内理三編 東京堂出版 1978) 『大日本仏教全書 第103冊 本朝高僧伝第二』(仏書刊行会編纂 名著普及会 1979) 『大日本仏教全書 第104冊 続日本高僧伝』(仏書刊行会編纂 名著普及会 1979) 『大日本仏教全書 第64巻 史伝部』(鈴木学術財団編 鈴木学術財団 1972) 『望月仏教大辞典 第1巻 ア-ケ』(望月信亨原編 塚本善隆編纂 世界聖典刊行協会 1974) 『国史大系 第12巻 扶桑略記』(黒坂勝美[ほか]編輯 吉川弘文館 1965) 『国史大系 第8巻 日本書紀私記』(黒坂勝美[ほか]編輯 吉川弘文館 1965) 『東大寺要録』(筒井英俊校訂 国書刊行会 1982) ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2019年4月11日。 参考資料:『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982), 参考資料:『ふるさと玉井の歴史』(「ふるさと玉井の歴史」編集委員会編 熊谷市玉井地区自治会連合会 2008), 参考資料:『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1992), 参考資料:『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978), 参考資料:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998), 参考資料:『世界大百科事典 9(ケマ-コウヒ)』(平凡社 2007), 9784582034004 参考資料:『日本仏教人名辞典』(石川力山[ほか]編集 法蔵館 1992), 4831870072 参考資料:『日本の名著 2』(伊藤整[ほか]編集 中央公論社 1983), 4124003420 参考資料:『訓読元亨釈書 上巻』(虎関師錬原著 藤田琢司編著 禅文化研究所 2011), 4881822632 参考資料:『日本古代僧伝の研究』(佐久間竜著 吉川弘文館 1983), 4642021175

埼玉県内の一級河川より小さい川の管理者の一覧を探している。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料を紹介した。 『河川指定調書 平成27年』(埼玉県 埼玉県 2015)  p17-36 「2 準用河川」  p19-36 利根川水系と荒川水系の一覧に河川名(市町村名)あり。 (注)p1-16は「1 1級河川」 回答プロセス:1 「河川法」を確認する。 《河川法》(http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=339AC0000000167 総務省行政管理局) 「第十条 二級河川の管理は、当該河川の存する都道府県を統轄する都道府県知事が行なう。  2 二級河川のうち指定都市の区域内に存する部分であつて、当該部分の存する都道府県を統括する都道府県知事が当該指定都市の長が管理することが適当であると認めて指定する区間の管理は、前項の規定にかかわらず、当該指定都市の長が行う。」 「第百条 一級河川及び二級河川以外の河川で市町村長が指定したもの(以下「準用河川」という。)については、この法律中二級河川に関する規定(政令で定める規定を除く。)を準用する。」とあり。 2 《埼玉県法規集データベース》(http://www3.e-reikinet.jp/saitama-pref/d1w_reiki/reiki.html 埼玉県総務部文書課)で河川の管理に関する条例・規則を検索する。 3 自館目録を〈河川 & 管理〉〈河川法〉で検索する。 4 NDC分類〈517〉の棚を確認する。 5 《埼玉県公式ウェブサイト》(https://www.pref.saitama.lg.jp/ 埼玉県)を〈河川管理者〉で検索する。 「水辺空間とことん活用プロジェクトに関するQ&A」 (http://www.pref.saitama.lg.jp/a1008/kawanosaisei/tokoton-qa.html 埼玉県県土整備部水辺再生課総合調整・地域連携担当) 「埼玉県が管理する河川を確認したい場合は、「県土整備事務所管轄区域図」を参考に県土整備事務所の管理担当までお問合せください。」とあり。 「県土整備事務所・さいたま市 管轄区域図」(http://www.pref.saitama.lg.jp/a1001/kankatsu.html 埼玉県県土整備部県土整備政策課)  県土整備事務所のページおよびさいたま市役所ウェブサイトへのリンクあり。  各県土整備事務所(東松山県土整備事務所、さいたま市役所を除く)のページに所管する河川に関する記述あり。二級河川や準用河川についての記述なし。 ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2019年5月16日。

1989年の6月から7月に川口市民会館(現在は閉館)で行われた演奏会の曲目を知りたい。主な曲と演奏者は、ドヴォルザーク三重奏曲「ドゥムキー」、トリオ(pf:ダン・タイ・ソン、ce:堤剛、vn:ヨゼフ・スーク)である。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料を提供した。 なお、当日の資料については確認できなかった。 『音楽の友 1989年6月』(音楽之友社 1989.6)  p275「室内楽」の欄に「9日(日)川口市民会館」の公演情報と曲目あり。 『音楽の友 1989年7月』(音楽之友社 1989.7)  「7月の演奏会」の9日の欄「ダン・タイ・ソン、ヨゼフ・スーク&堤剛トリオ」に、川口市民会館の公演情報と曲目あり。 回答プロセス:1 《サントリーホール公演アーカイブ》(https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/ サントリーホール)を〈トリオ演奏会 & 堤剛〉で検索する。 「ダン・タイ・ソン/ヨゼフ・スーク/堤剛 トリオ演奏会」(https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=1606 サントリーホール)  1989年7月24日にサントリーホールで行われた公演の曲目あり。 2 雑誌を確認する。 3 《聞蔵IIビジュアル》(朝日新聞社)を〈川口市民会館〉〈ダン・タイ・ソン〉〈堤剛〉で検索する。 4 埼玉関係データベースを〈川口市民会館〉〈ダン・タイ・ソン〉〈堤剛〉で検索する。 ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年12月26日。 事前調査事項:サントリーホールの公演アーカイブによると、「トリオ演奏会」が開催されていたことがわかっている。 公益財団法人川口総合文化センターに問い合わせたが、当時の資料がなく不明とのことだった。 参考資料:『音楽の友 1989年6月』(音楽之友社 1989.6), 参考資料:『音楽の友 1989年7月』(音楽之友社 1989.7),

1300年から1400年頃の会津領主葦名家とその重臣である石部治部大輔との繋がりがわかる資料を探している。葦名家の何代目にあたるのか知りたい。(埼玉県立久喜図書館)

該当資料は確認できなかった。 回答プロセス:1 自館目録を〈葦名氏〉〈会津史〉で検索する。  2 参考図書を調べる。 『日本歴史地名大系 7 福島県の地名』(平凡社 1993)  p1041「滝沢村」の項  「[滝沢村]館跡の北10 間ばかりに石部桜があり、石部治部大輔の庭であつたという。(新編会津風土記)」とあり。 3 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈会津領主葦名 & 石部氏〉〈石部治部大輔〉で検索する。 4 会津関連資料を確認する。 5 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈石部治部大輔〉〈芦名 & 石部〉で検索する。 《国立国会図書館デジタルコレクション》「私の城下町・会津若松」(宮崎十三八著 国書刊行会 1984)p9-10 「石塚観音」の項 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9643404 国立国会図書館)12コマ-13コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開 6 NDC分類〈212.6〉の棚を確認する。 『会津藩家世実紀綱文』(家世実紀刊本編纂委員会編 歴史春秋出版 1990)  p352「家世実紀巻之之八十一(元禄11年) 三月廿一日、石部桜花盛ニ付、為御慰御出、石部桜ハ往昔蘆名家之臣、石部治部太夫居館庭中之桜樹ニ付く 99」とあり。 7 《国立国会図書館デジタルコレクション》「会津藩家世実紀 第5巻 (巻之79~95)」(吉川弘文館 1979)p99「巻之八十一 徳翁様之二十五 元禄十一年正月より同十二月ニ至 /」の項 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9537871 国立国会図書館)53コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開  「三月廿一日、石部桜花盛ニ付、為御慰御出、石部桜ハ往昔蘆名家之臣、石部治部太夫居館庭中之桜樹ニ付く(後略)」とあり。 8 《会津若松市立図書館蔵書検索》(https://library.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index.html 会津若松市立図書館)を〈石部桜〉で検索する。 9 会津若松市立図書館へ調査を依頼する。 『会津鑑第2巻』(歴史春秋出版 1981)  p378-379 「石部何某の妻は芦名遠江守女而清玉姫と云う」とあるが、正確な繋がりは不明との回答あり。 10  《Japan Knowledge》(ネットアドバンス)を〈芦名氏〉〈芦名遠江守〉で検索する。 「蘆名盛舜 あしな-もりきよ 1490−1553」  戦国時代の武将。とあり。「日本人名大辞典」より。 11 『会津人名事典 武人編』(小島一男著 歴史春秋出版 1993)  p21-22「芦名盛舜」に第15代当主とあり。 〈その他調査済み資料〉 『会津人物事典 武人編』(小島一男著 歴史春秋出版 1993) 『戦国大名家臣団事典 東国編』(山本大〔ほか〕編 新人物往来社 1981) 『戦国大名系譜人名事典 東国編』(山本大〔ほか〕編 新人物往来社 1985) 『新編会津風土記』(雄山閣 1975) 『私の城下町・会津若松』(宮崎十三八著 国書刊行会 1985) 『三浦・会津蘆名一族』(七宮〔ケイ〕三著 新人物往来社 2007) 『中世の社会と史料』(羽下徳彦編 吉川弘文館 2005) 『会津藩 シリーズ藩物語』(野口信一著 現代書館 2005) 『わかりやすい会津の歴史 古代・中世・近世編』(長尾修著 歴史春秋出版 2011) 『会津歴史年表』(新訂会津歴史年表作成委員会編 会津史学会 2009) 『会津藩家世実紀綱文』(家世実紀刊本編纂委員会編 歴史春秋出版 1990) 『会津史 上』(池内儀八著 史誌出版社 1927) ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年6月1日。 事前調査事項:〈ことばマガジン〉(http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2013041400001.html) 1907〈明治40〉年5月6日東京朝日朝刊8面の記事。

ページ