レファレンス協同データベース新着事例

国語表現の授業でレジ袋の有料化の是非について考えレポートする。ネットの情報ではなく本を使って調べたい。参考になる資料はあるか。(神奈川県学校図書館員研究会)

『プラスチック汚染とは何か』枝廣淳子 岩波ブックレット 2019 『「脱使い捨て」でいこう! 世界で、日本で、始まっている社会のしくみづくり』瀬口亮子 彩流社 2018  *第2章が「レジ袋を減らす」で、有料制についての記述がある。 『いくらかな?社会がみえるねだんのはなし 5 リサイクルと環境のねだん』大月書店 2018 *「スーパーのレジ袋1枚いくら?」4p。「レジ袋の使用を規制している国」の地図が載っている。 『シリーズ「ゴミと人類」過去・現在・未来 3 「5R+1R」とは?』あすなろ書房 2016 *「リフューズ」の例としてレジ袋をもらわない(p27,39) 『ごみ減量 全国自治体の挑戦』服部美佐子 2011 *「第5章 ごみ有料化政策の効果と課題」25pに渡って、7つの自治体の取組が紹介されている。 『地球の未来とゴミ学習 3 ゴミを減らすために』さ・え・ら書房 2005 *第4章に「まだレジ袋?これからはマイバッグ」6p ◆新聞・雑誌記事 「月刊Newsがわかる」(毎日新聞社) 2018年12月号「進む脱プラスチック」p24-25 海外での使い捨てを減らす取り組みについて記述あり 2017年10月号「海をよごすプラスチック」p24-25 海外のレジ袋削減対策について記述あり 読売中高生新聞(読売新聞東京本社) 2018年12月14日号 「脱プラ時代へ」p2-3レジ袋有料義務化の記事あり 2018年8月24日号 プラストロー使用中止 p5 レジ袋にも言及 2018年6月22日号 海のプラスチック汚染深刻 p11 事前調査事項:次の資料は借用予定。 『レジ袋がなくなる日 2030年日本が危ない!』マイクロマガジン社 2007 『「レジ袋」の環境経済政策 ヨーロッパや韓国、日本のレジ袋削減の試み』リサイクル文化社 2006 参考資料:枝廣淳子 著 , 枝広, 淳子. プラスチック汚染とは何か. 岩波書店, 2019. (岩波ブックレット ; No.1003) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029682247-00, 9784002710037 参考資料:瀬口亮子 著 , 瀬口, 亮子. 「脱使い捨て」でいこう! : 世界で、日本で、始まっている社会のしくみづくり. 彩流社, 2019. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029494138-00, 9784779125539 参考資料:藤田 千枝/編. いくらかな?社会がみえるねだんのはなし 5. 大月書店, 2018-02. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081582339-00, 9784272409655 参考資料:稲葉茂勝著 , 稲葉, 茂勝. 「5R+1R」とは? : ゴミ焼却炉から宇宙ゴミまで. あすなろ書房, 2016. (シリーズ「ゴミと人類」過去・現在・未来, 3) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I005155223-00, 9784751528587 参考資料:服部美佐子 著 , 服部, 美佐子. ごみ減量 : 全国自治体の挑戦. 丸善, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011077881-00, 9784621082980 参考資料:服部美佐子著 , 服部, 美佐子. ゴミを減らすために. さ・え・ら書房, 2005. (地球の未来とゴミ学習, 3) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004154876-00, 4378011530 参考資料:環境問題を考える編集者の会 著 , 環境問題を考える編集者の会. レジ袋がなくなる日 : 2030年日本が危ない!. マイクロマガジン社, 2007. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009086285-00, 9784896372502 参考資料:舟木賢徳 著 , 舟木, 賢徳. 「レジ袋」の環境経済政策 : ヨーロッパや韓国、日本のレジ袋削減の試み. リサイクル文化社, 2006. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008232726-00, 4434079093

キング牧師と、次の事柄とのかかわりについて調べたい。 バス・ボイコット運動/シット・イン/ワシントン大行進/非暴力・非服従について/バーミングハム運動/血の日曜日/公民権運動(神奈川県学校図書館員研究会)

学校図書館内の関係書籍の収集、隣接する大学図書館からの資料貸出 回答プロセス:(1)4年生(高1)がクラス・班ごとに調べるための資料ということで準備。資料はキング牧師との関連が深いものが望ましいとのこと。関連書籍30冊ほどを集める。  (2)念のため、大学図書館の資料も検索する。そこでアメリカ大使館発行の『ついに自由を我らに:米国の公民権運動』(米国国務省国際情報プログラム局 [著]、米国大使館レファレンス資料室 編. 米国大使館レファレンス資料室 2010)という、今回の全テーマが記載された資料あり。 (3)残念ながら、アメリカ大使館発行の資料の配布は既に終わっていて冊子として手に入れることはできなかったが、PDFにて公開されていたので、そちらを活用。https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3350/#jplist(最終アクセス 2020.11.28) さらにいくつかの関連図書資料を発注。 (4)授業で担当教員から資料の紹介をしてもらった。 備考:4年生(高1)聖書『キング牧師』 調べ学習(KP法での発表)

消費税について知りたい。外国との比較も見たい。(相模原市立橋本図書館)

①②を借り、自身のスマートフォンにて③を検索して行かれた。 回答プロセス:自館OPACでキーワード“ショウヒゼイ”で検索した結果、以下の資料が見つかった。 ①『消費税ってどんな税? 税ってなに?4』三木 義一/監修 かもがわ出版 2014 (自館請求記号:J34)   ②『よくわかる税金 種類・役割から消費税の問題まで(楽しい調べ学習シリーズ)』 新井 明/著 泉 美智子/監修 PHP研究所 2016 (自館請求記号:J34) 検索エンジンGoogle(http://www.google.co.jp/ 2019/08/29 最終確認)でキーワード”消費税 他国”で検索した結果、以下のホームページが見つかった。 ③『国税庁』ホームページの「税の学習コーナー > 学習・発展編 > 税の国際比較」(https://www.nta.go.jp/taxes/kids/hatten/page13.htm/ 2019/08/29 最終確認) 参考資料:『消費税ってどんな税? 税ってなに?4』三木 義一/監修 かもがわ出版 2014, 参考資料:『よくわかる税金 種類・役割から消費税の問題まで(楽しい調べ学習シリーズ)』 新井 明/著,

茨城民謡といわれる「もずが枯木で」の作曲者である徳富繁の出身が奄美大島なのはわかっているが、 曲が東京でできた歌という説と茨城でできたという説があり、どちらが正しいか調べたい。 また、徳富繁が牛久に住んでいたのは、「もずが枯れ木で」が茨城民謡といわれていたことと関係あるのか。(牛久市立中央図書館)

『牛久市史研究 第7号』(牛久市史編さん委員会/牛久市/1998)のp72~p93に “東京の板橋第六尋常小学校時代に、サトウハチロー作詞の「百舌よ泣くな」という詩に 作曲し、ガリ版で50部刷って知人に配った。”という記述があるので、 東京でできたという説が正しいのではないかと思われる。 同書の記述に、“牛久に住んだのは昭和53年8月8日。定年になり、都内よりも落ち着く場所ということで、 姉に聞いたら牛久が環境のよいところということで選んだ。”とあり、牛久に住んでいたから 「もずが枯木で」が茨城民謡と言われていたことに直接は関係ないようだ。 回答プロセス:牛久市関係の資料の目次を確認。 →『牛久市史研究 第7号』(牛久市史編さん委員会/牛久市/1998)の  p72~「◆調査報告「もずが枯木で」の作曲者を探して」とあり。  確認すると、以下のような記述あり。 “「もずが枯木で」サトウハチロー作詞 徳富繁作曲 昭和13年9月18日作  徳富さんは、この歌は昭和13年東京の板橋第六尋常小学校時代に、サトウハチロー作詞の「百舌よ泣くな」という詩に  作曲し、ガリ版で50部刷って知人に配った。一般には発表されなかったが戦争中陸軍病院の慰問に教え子たちに歌ってもらった。  野口肇さんのハガキより  *************  参議院議員の選挙の時、応援に来てくれた学生たちがとてもいい歌を歌っている。  1人の女子学生が学童疎開で茨城に行っていた頃に覚えた歌。  良い歌なので、「日本のうたごえ」ニュース第二号に題知らずの茨城の歌として掲載。  要求が多く増版を繰り返し、1953年度には青年歌集第三篇に茨城民謡として収録。  *************  徳富さんは戦時中の疎開からの上京後、第6回東京都教育音楽会で歌われた  「もずが枯木で」がどうも聞いたことがある。自分のメロディと思うが、茨城民謡となっている。  また、昭和31年頃映画「ビルマの竪琴」の中で使われているのを知る。  その後、徳富氏がサトウハチローに手紙を書く。サトウハチローも手紙をもらうまでは知らなかった。  サトウハチロー氏の憤慨した記事が昭和31年4月8日「東京タイムズ」に「青年歌集が無断で借用」という  見出しで掲載。結局「もずが枯木で」は徳富氏のガリ版刷りの原稿が決め手となり、  著作権協会によって作詞者サトウハチロー、作曲者徳富繁と認められるようになる。  ~(中略)~  牛久に住んだのは昭和53年8月8日。定年になり、都内よりも落ち着く場所ということで、  姉に聞いたら牛久が環境のよいところということで選んだ。” 上記の記述から、「もずが枯木で」は東京でできたという説が正しく、 茨城民謡とされたのは、女子学生が学童疎開で茨城に行っていた頃に覚えた歌であるため、 徳富氏が牛久に住んだのは、「もずが枯木で」が茨城民謡といわれていたこととは関係ない (別の理由がある)ことがわかった。 以上のことを質問者に説明し、レファレンス終了。 参考資料:牛久市史編さん委員会/編集. 牛久市史研究 第7号. 牛久市, 1998.2., 参考資料:牛久市議会会議録 平成4年第4回臨時会. 牛久市議会, 1992., 備考:2020.11.28追加調査 ・『牛久市議会会議録 平成4年第4回臨時会』(牛久市議会/1992) …p43に作曲家の徳富繁氏は牛久市のみどりの野に住んでいたとの記載あり。

『よみうり戦時版』の所蔵状況について(県立長野図書館)

『よみうり戦時版』の所蔵については下記のとおり。   『戦時版よみうり』(当館ではこう登録されている。)読売新聞社 所蔵期間:昭和19年6月1日〜昭和20年3月31日  欠号:昭和19年7月30日     8月12,31日         9月12日         10月1-6,11,13-14,18,20-21,27日         11月13-14,17,22,24,26日         12月8-12,14,17,19-24,26-27,29-31日     昭和20年1月24-29日          2月8,18-19,26日          3月1,3,16-17,20,22-23,30日       ※第393号(3月29日と思われる)は下半分のみ所蔵、上半分は欠損。  上記の資料について、原紙のため当館の館内のみで閲覧が可能。マイクロフィルム化はしていない。電子複写は出来ないが、写真撮影は可能。  また資料に関して、破れ、変色など保存状態の悪い個所が多々あり。 回答プロセス: 一部ずつ状態も含め欠号確認。 事前調査事項:国立国会図書館(レファレンス協同データベース)にて所蔵館を確認。 参考資料:読売新聞社. よみうり/戦時版. 読売新聞社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000003-I000021177-00,

中座(東千石町の劇場)について ①昭和11年10月17日 17時30分公演の「半島の舞姫 崔承喜舞踏会」の記事が見たい。 ②中座の地図が見たい。(当時のものと,同住所の現在の様子の両方) ③中座の建物写真が見たい。 ④『鹿児島市の100年』以外の図書で昭和,特に戦前の写真を取り扱った写真集があるか。(鹿児島県立図書館)

①について 資料1 9月30日,10月14日,10月15日,10月17日,10月18日の記事を閲覧。 ②について 資料2~4 東千石町の地図に中座あり。 ③について 資料5 p.146-劇場と東千石町の天文館の中に高千穂座(中座)と明治座あり。      p.150に中座前付近の図,p.151に中座の絵あり。 資料6 絵はないが,p.69に中座の紹介とp.163に中座の広告あり。 ④について 資料7 戦前の項目がある写真集である。 参考資料: 1 鹿児島新聞マイクロフィルム ポジ 昭和11年9月18日?11月22日 鹿児島新聞社?編 鹿児島新聞社 1936.9 A01/173, 参考資料: 2 最新実測鹿児島市街地図 昭和4年 地図出版舎/編 地図出版舎 1929 K2911/チ29/1929, 参考資料: 3 鹿児島市及び名所案内地図 平原 荘兵衛/[編] 平原荘兵衛 K2911/ヒ, 参考資料: 4 鹿児島市街地図 昭和16年 土橋 兼良/著 俣野集景堂 1941.06 K291.1/ツ41, 参考資料: 5 天文館の歴史 唐鎌 祐祥/著 春苑堂書店 1992.09 K08/カ91 146-151, 参考資料: 6 新鹿児島 下園 三州男?著 新鹿児島編輯所 1915.11 K29/シ15 69,163, 参考資料: 7 鹿児島市の昭和 原口/泉?監修 樹林舎 2016.12 K291.1/シ016,

鹿児島市出身で水泳のオリンピック選手だった「鶴田義行さん」の,幼少期のエピソードを知りたい。(鹿児島県立図書館)

資料1 p72 「三州から途った水泳選手と拳闘と三人のオリンピック選手 晴れの舞臺に活躍を期待させる…」      p43 「わが薩南より世界制覇の二強豪を出す 縣青年團及び第一師範…」 資料2 「驚異の平泳ぎ二連勝「一着,鶴田,ニッポン・タイム2分45秒4…まず英語でそして日本語で場内アナウンスが優勝を知らせる。…」 資料3 「鶴田義行の巻 伊敷の一隅から,時ならぬ時代の英雄がおどり出たものです。その名を鶴田義行といいます。…」 資料4 「鶴田義行 一九〇三年(明治三六)~。オリンピック水泳選手。日本水泳連盟理事。鹿児島市生まれ…。」 資料5 「鶴田義行 水泳選手。佐世保海兵団に入隊。巡洋艦「由良」に乗組んでいた。…」 資料6 「佐世保海兵団で選手に抜擢 一九〇三(明治三十六)年十月生まれ。伊敷村(当時)飯山の農家・八太郎の二男坊は水が苦手だった。というのも,二つ違いの兄・栄態に甲突川に投げ込まれ,おぼれそうになったから。…(略)…夏になると甲突川や石井手用水でがむしゃらに泳ぎまくった。…(略)ケンカ大将の鶴田君は竹やぶ越しに,あるいは橋の上から飛び込んでいた。…」 資料7 「鶴田君は,明治36(1903)年,現在の鹿児島市伊敷,当時の鹿児島郡伊敷村上伊敷飯山で生まれました。若い頃,伊敷から荒田まで甲突川の水を引いた石井手用水で泳いでいました。…」 参考資料: 1 三州 第7号?12号(昭和7年) 三州社/編 三州社 1932. K05/サ23/7 72,43, 参考資料: 2 郷土人系 中 南日本新聞社/編 春苑堂書店 1969 K281/ミ69/2 537-539, 参考資料: 3 明治大正学童期の思い出集 No.2 鹿児島西高齢者学級/編 鹿児島西高齢者学級 [1974] K37/カ72/2 82, 参考資料: 4 鹿児島大百科事典 南日本新聞社鹿児島大百科事典編纂室/編 南日本新聞社 1981.09 K03/ミ81 704, 参考資料: 5 郷土と日本を築いた熱き薩摩の群像700名 下竹原 弘志/編集 指宿白水館 1990 K281/シ90 104, 参考資料: 6 かごしま20世紀 上 南日本新聞社 2000.4 K21/ミ000 142-147, 参考資料: 7 伊敷地域ガイドブック 伊敷地域まちづくりワークショップ?編 伊敷地域まちづくりワークショップ 2017.3 K291.1/イ017 57,

『郷土はらら1968』(0130446537)に“原良の町名の起こりは,アイヌ語にある”と書かれているが,何故アイヌ語が関係するのか。 分かる資料があるか?もしくは専門家に聞くとしたらどの機関か?(鹿児島県立図書館)

資料1 p1-4“アイヌ語を語源”とすることについて記述あり。      p12「原良」の語源について解説あり。 資料2 p2-3「はじめに」に,「“現在の日本人やアイヌ人の祖先は縄文人”であり“縄文語(仮称)がアイヌ語に受け継がれているのではないか”と想定している」といった趣旨の記述あり。      p136-137「原良」の語源について解説あり。      p184-185「おわりに」で,“アイヌ語が由来”と考える根拠について述べている。      p186参考文献あり      奥付に著者のプロフィール,連絡先(住所)あり。 参考資料: 1 鹿児島県地名考 最上 宏/著 熊毛文化研究会 1947 K29/モ47 p1-4,12, 参考資料: 2 地名は縄文から始まった 丸山 文男?著 丸山文男 2018.9 K290/マ018 p2-3,136-137,184-185,186,

トッパンの絵本などはどうしたら見られるのか。(凸版印刷株式会社印刷博物館ライブラリー)

当館では収蔵品としての所蔵となるため、一般来館者の方には未公開となっています。 国立国会図書館 国際子ども図書館に所蔵があるため、 国際子ども図書館での閲覧をご紹介しています。

「高校3年生」舟木一夫の歌詞が載っている本を探している( あま市美和図書館)

「親子で歌いつごう日本の歌百選 親から子、子から孫へ」767/オ (こどものころ歌った、なつかしい歌101曲)あり 歌詞・音譜もあり 参考資料:文化庁編 ; 上田信道解説 , 文化庁 , 上田, 信道. 親子で歌いつごう日本の歌百選 : 親から子、子から孫へ. 東京書籍, 2007. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007492940-00, 9784487801800

今年のジェンダーギャップ指数について書かれたものと、これまでの変遷が知りたい。日本だけでなく外国のデータも知りたい。(大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)情報ライブラリー)

昨年と今年の数値と記事については、NWECの雑誌・新聞記事検索をし、下記資料を紹介した。 【雑誌】 ・『共同参画(内閣府)』内閣府∥編 内閣府 No.132(2020)p.11 ・『月刊女性情報』パド・ウィメンズ・オフィス∥編 パド・ウィメンズ・オフィス No.406(2020)p.92-93 ・『にんじん:いずみおおつ男女共同参画交流サロンだより』にんじんサロン∥編 No.34(2020) ・『男女共生フロアだより Will ウィル メセナひらかた・ウィル』メセナひらかた男女共生フロア・ウィル∥編 No.130(2020) 【Webサイト】(いずれも最終アクセス確認 2020.11.27) 内閣府男女共同参画局の男女共同参画に関する国際的な指数のページ ジェンダー・ギャップ指数の上位8か国と日本の順位が確認できる。 Global Gender Gap Report 2020 ジェンダー・ギャップ指数とは、世界経済フォーラムが発表しているものである。 上記リンクはその2020年版の報告書であるため、すべての国の順位が分かる。 海外との比較については、下記資料を紹介した。 ・『諸外国における政治分野の男女共同参画のための取組:Women in Politics』内閣府男女共同参画局∥編 内閣府男女共同参画局(2020) ・『共同参画(内閣府)』内閣府∥編 内閣府 No.130(2020)特集:各国の男女共同参画の取組 各国大使館より ・『図表で見る男女格差:今なお蔓延る不平等に終止符を!』OECD編著 濱田久美子∥訳 明石書店(2018) 参考資料:OECD 編著 , 濱田久美子 訳 , 濱田, 久美子 , 経済協力開発機構. 図表でみる男女格差 : OECDジェンダー白書 2 : 今なお蔓延る不平等に終止符を!. 明石書店, 2018. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029395030-00, 9784750347653

神奈川県合唱祭が20年ほど主催していた「神奈川芸術祭合唱曲作曲コンクール」の「全入選作品一覧(作品タイトル、作詩者、作曲者、および第何位の入賞かが記載されているもの)」を探している。全一覧が掲載されている文献があれば教えてほしい。(神奈川県立図書館)

下記資料を紹介した。 『神奈川県合唱曲作曲コンク-ル入選曲集 第19回』 神奈川県県民部文化室 1995.12  p.55~57に第1回(昭和52年度)~第18回(平成6年度)の<入選作品一覧>が、 p.54に「第19回合唱曲コンクール入選者名簿」がそれぞれ掲載されており、順位、タイトル、種別(混声、女声、児童)、作曲者名、作詞者名が明記されている。 事前調査事項:第19回までは出版されていることを確認済だが、第20回は行われなかった可能性がある。

神奈川県には小学校の教員を養成する教員養成所という機関があったそうだが、教員養成所に関する資料があれば知りたい。(神奈川県立図書館)

・『神奈川県教育年報 昭和40年度』 神奈川県教育委員会 1967 p.24に「(3)公立小学校教員の養成」の項があり、「中・高等学校教員の普通免許状を有するが、小学校教員普通免許状を有しない、いわゆる公立小学校の有資格助教諭に小学校教諭の普通免許状取得に必要な科目の履修を京浜女子大学に委託して、聴講生課程を受講させる制度は非常な反響を呼び、222人が委託生となり、このうち単位取得者216人が小学校2級普通免許状を取得した。これら委託生は、横浜市を除く各市町村教育委員会からの推せんに基づき選定し、各人の登録料および聴講料の半額を県が負担した。」と記載されている。 以下、『神奈川県教育年報 昭和41年度』~『同 昭和57年度』神奈川県教育委員会 において「小学校教員養成事業」として記載があり、京浜女子大学のほか、明星大学へ委託を行った年もあった。 しかし、昭和58年版以降の『神奈川県教育年報』において、当該事業に関する記述は見つからなかった。 事前調査事項:1966年6月14日付の読売新聞に、神奈川県に臨時的な教員養成所がある、という旨が記載されていた。

「エリニス」(18,565トン 1932年建造)ギリシャの客船は、昭和48年4月、昭和49年4月、昭和52年4月と10月、昭和53年4月と5回横浜港に入港していると思うが、その正確な入港および出港日時と、その時のエピソードやニュースを知りたい。また昭和49年4月の際には、途中でエンジントラブルになり、香港でかつての姉妹船「ホメリック」のものと交換した事の真偽と内容についても知りたい。(神奈川県立図書館)

入港と出港の日時は、神奈川新聞の「出船入り船」に掲載されているため、記載内容を紹介した。 ●昭和48(1973)年4月 ・20日(金) 12面 「出船入り船 20日 横浜港(五,〇〇〇トン以上)【入港】エリニス(ドッド)後3フレマントル~大桟橋C」 ・22日(日) 10面 「出船入り船 22日 横浜港(五,〇〇〇トン以上)【出港】エリニス(ドッド)前11大桟橋C~ウェリントン」 ●昭和49(1974)年4月 ・8日(月) 11面 「出船入り船 8日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【入港】エリナイス(ドッド)前11フリマントル~大桟橋C。」 ※「エリナイス」と記載されているが、誤植の可能性としてお知らせした。 ・10日(水) 10面 「出船入り船 10日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【出港】エリニス(ドッド)前11・30~大桟橋C~シドニー」 ●昭和52(1977)年4月 ・24日(日) 8面 「出船入り船 24日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【入港】エリニス(ドッド)後6フリマントル~大桟橋D」 ・24日(日) 8面 「“初夏”彩る白い船体 「フェア・スター」入港 横浜港大桟橋 昨秋に次いで2度目」 上記の記事では「フェア・スター」入港が主ですが、エリニス号のことについても若干記載されている。 ・26日(火) 10面 「出船入り船 26日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【出港】エリニス(ドッド)正午、大桟橋D~シドニー」 ●昭和52(1977)年10月 10月の「出船入り船 横浜港」には「エリニス」の【入港】の記載は見つからなかった。ただし、17日は新聞休刊日となっており、17日の出入港については不明。 ・19日(水) 10面 「出船入り船 19日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【出港】エリニス(ドッド)正午、大桟橋C~基隆」 ●昭和53(1978)年4月 ・16日(日) 10面 「出船入り船 16日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【入港】エリニス(ドッド)前7フリマントル~大桟橋C」 ・18日(火) 12面 「出船入り船 18日 横浜港(八,〇〇〇トン以上)【出港】エリニス(ドッド)前11・30大桟橋C~神戸」 また、昭和43(1973)年4月入港時の記事が以下の雑誌に掲載されていた。 ・『世界の艦船 190号』 海人社 1973.6  p.19 「ギリシア客船『エリニス』が来航」の記事が掲載されており、4月22日横浜出港時の写真が掲載されている。 昭和49年4月の際に、途中でエンジントラブルになり、香港でかつての姉妹船「ホメリック」のものと交換したことに関する情報については、当館所蔵資料の中からは見つけることができなかった。 なお、エリニスの横浜港への寄港中止について、以下の新聞に記事が掲載されていた。 ・昭和53(1978)年5月31日(水) 神奈川新聞 11面 「憂色増す横浜港 極東クルーズ撤退か 今秋、外国客船2隻が寄港取りやめ エリニスとシャリアピン」

「ペリー艦隊が横浜村に着船し、軍楽隊が浜辺を行進した時に演奏で使用された楽器や曲目について知りたい。」(神奈川県立図書館)

下記の資料を紹介した。 ・『黒船来航と音楽』 笠原潔著 吉川弘文館 2001 p.58~68「横浜初上陸」の項では、p.58~59に「ペリー上陸と同時にドラム連打が始まり、蒸気船三艦所属の音楽隊(軍楽隊二隊と鼓笛隊)が『星条旗』を演奏した。次いで、『ヘイル・コロンビア』が演奏されるなか、ペリーは交渉会場へ入った。」と記載あり。 また、p.69~p.85「華麗な楽器群」の項では、「横浜に持ち込まれた楽器」が立項されており、ペリー第二回来航時に日本人絵師が描いた図像史料(樋畑翁輔の白描画『来朝図絵』所収)を元に、楽器の説明が記載されている。 ・『横浜と音楽』 横浜市教育委員会 1986 p.12~14に「黒船絵巻といわれるペリー来朝図絵には、この一八五四年三月八日の上陸と、三月二十七日の饗宴で見たと思われる楽器が描かれている。(中略)この画集に描かれている第七図右上に、楽人調練之図として楽隊九名が並ぶ。太鼓(サイドドラム)2名を中心に 横笛(ピッコロかフルート)1名、たて笛(クラリネット)1名、シンバル1名、サクソルン2名、トランペット(或はコルネットかもしれない)2名である。左頁では楽隊10名が調練をしている。左からトランペット(又はコルネット)1名、サクソルン1名、ピッコロ1名、クラリネット1名、シンバル1名、トロンボーン1、サイドドラム2名、不明2名である。この両頁下の楽器の写生は、金管楽器6種類と木管楽器2種類と打楽器3種類である。金管楽器はサクソルン、トランペット、コルネット、トロンボーン及びホルンである。」等の記述がある。 なお、本書で紹介されている画集「米国使節彼理提督来朝図絵」は、国立国会図書館デジタルコレクションにて、インターネットで公開されているため、併せて紹介した。 ・『港都横浜の文化論』 小林照夫ほか編著 関東学院大学出版会 2009 「第六章 山手に開花した洋楽の世界」のp.107「一節 ペリー来航と洋楽 (一)ペリー上陸と音楽隊」が立項されており、「一八五四年三月八日(嘉永七年二月一○日)晴天の中、午前一一時三○分頃に(中略)整列した軍楽隊二隊と鼓笛隊は「星条旗」と「ヘイルコロンビア」の二曲を演奏し、その中をペリー提督一行は行進し交渉会場に入ったのである。」とある。また、「この日演奏されたのは二曲だけではなく、「十篇余りもこれ有り候」と福井藩士が報告しているが、具体的な曲名は分かっていない。」と記載されている。

「昭和24年度から平成6年まで神奈川県の中学校で実施されていたアチーブメントテスト(ア・テスト)の「美術」の問題について。 美術についての過去問をできるかぎり知りたいが、過去の神奈川新聞には昭和20年代、30年代の過去問も掲載されているか。(神奈川県立図書館)

・『神奈川の教育 戦後30年のあゆみ』 神奈川県教育委員会 1979年刊 「資料」の中の「2 教育の内容の変化と子どもの学習指導の充実」の中に「[11] 学習検査(アチーブメント・テスト)の沿革及び実施の変遷について」と立項されている。 p102に「国語・社会・数学・理科・図工・職業家庭の6教科を統合混成したもので、昭和25年2月18日初めて学習検査が実施された。(中略)昭和28年度には必修全教科(各50分)に拡大され、(以下略)」と記載されていた。 上記の調査結果をもとに、神奈川新聞の記事を調査した。 ○神奈川新聞 ・昭和24(1949)年度(昭和25(1950)年2月18日開催) 昭和25(1950)年2月19日 1面 「ア・テスト 一斉実施がくるう 最後まで後味の悪さ 本格的なア・テスト 横浜市、来年度に実施」の記事が掲載されている。 この中に「十八日午前九時から県下一斉に実施されるはずであったが、(中略)十八日に実施せず数日延期した中学もある模様である、(以下略)」との記述がある。 この記事のみで、実際の問題を掲載した記事は見つけることができなかった。 ・昭和28(1953)年度~32(1957)年度 該当年度1月25日~2月1日分の紙面を確認したが、実際の問題を掲載した記事は見つけることができなかった。 ・昭和33(1958)年度(図工は第2日分に掲載) 昭和34(1959)年 1月30日 3~4面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準    31日 3~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 ・昭和34(1959)年度(図工は第2日分に掲載) 昭和35(1960)年 1月28日 3~5面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準    29日 3~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 ・昭和35(1960)年度 昭和36(1961)年 1月26日 4~5面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 27日 4~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 28日    1面 ア・テストの訂正及び許容  4~5面 (第2日)図工の問題 ・昭和36(1961)年度(図工は第2日分に掲載) 昭和37(1962)年 1月30日 4~6面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準    31日 3~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 ・昭和37(1962)年度(美術は第1日分に掲載) 昭和38(1963)年 1月25日 3~5面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 26日 3~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 ・昭和38(1963)年度(美術は第1日分に掲載) 昭和39(1964)年 1月22日 4~5面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準    23日 3~5面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準 ・昭和39(1964)年度(美術は第1日分に掲載) 昭和40(1965)年 1月20日 5~7面 (第1日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準    21日 5~7面 (第2日)ア・テストの問題と答え 答えと採点基準

東京都 稲城市の地名の由来について(稲城市立中央図書館)

「稲城」という地名の由来について明確な事情を明らかにする資料は今のところ存在しない。 ただし『窪全亮と奚疑塾』、『武蔵野郷土地名稿(草稿)』という資料に地名の由来が書かれているが、 この2冊以外に地名の由来について書かれた資料がないため確証はない。 説①窪全亮による命名とする説(『窪全亮と奚疑塾』による) 『窪全亮と奚疑塾』という資料のなかに川島琢象によって書かれた「稲城の地名と窪先生」という文章がある。これによると明治22年の市制町村制により六つの村が合併する際、初代村長の森清之助が窪全亮に新しい村名を相談したところ、「稲城」と「稲穂」の2つの候補が示され「稲城」に決まったという説が記述されている。 説②地方豪族の稲毛氏を由来とする説(『武蔵野郷土地名稿(草稿)』による) 『武蔵野郷土地名稿(草稿)』はとある地域史の研究者が個人で所蔵している資料のため、現物を確認することはできない。稲城市ホームページによると『武蔵野郷土地名稿(草稿)』には「稲毛村」の名称が選ばれたが許可を得られず、字義の通じる「稲城」村に命名されたと記述されているらしい。 明治19年に発行された『地誌編輯取調簿』には鎌倉時代にこの地域を稲毛氏という地方豪族の所領であったとあり、当時の人々の歴史認識として「稲毛」を共有していた思われる。 回答プロセス:まずは『角川日本地名大辞典』で稲城の地名の由来を調査した。 結果「市名の由来は成立直前の町名による」とある。 さらに稲城市の沿革をみると明治22年に稲城村成立、昭和32年に稲城町成立となっている。 そこで稲城村成立の歴史について調査を進めた。 『稲城町誌』、『稲城のあゆみ改訂版』、『稲城市の地名と旧道』を調査し、 上記の回答を得た。回答内で紹介された参考資料を確認した。 参考資料:角川日本地名大辞典 13 東京都., (当館請求記号 R291/カ, 当館資料番号 111288807) 参考資料:『稲城町誌』.稲城町誌編纂委員会., (当館請求記号 K21/イ, 当館資料番号 110990836) 参考資料:『稲城のあゆみ』 改訂版.稲城市教育委員会生涯学習課., (当館請求記号 K21/イ, 当館資料番号 650075392) 参考資料:『稲城市の地名と旧道』.稲城市教育委員会教育部生涯学習課., (当館請求記号 K28/イ, 当館資料番号 112093874) 参考資料:『地誌編輯取調簿』.稲城市教育委員会., (当館請求記号 K28/イ, 当館資料番号 110626472) 参考資料:『窪全亮先生と奚疑塾』. 窪全亮先生頌徳碑建立委員., (当館請求記号 K372/ク, 当館資料番号 110654056) 参考資料:稲城市ホームページ, (https://www.city.inagi.tokyo.jp/kanko/rekishi/inagishibunkazai/timeinoyurai.html)

National Industrial Recovery Act(略称NIRA)(全国産業復興法)というアメリカの法律(1933年)の原文または対訳がみたい。(埼玉県立久喜図書館)

当館の資料では法律そのものは見つけられず。東大法学部付属外国法文献センターに問い合わせ→資料あり、個人でのコピー依頼にも応じてくれるとのことで利用者に紹介。 備考欄に追記あり。 備考:追記(2020/11/26) レファレンス協同データベース事業サポーターの方から情報提供があった。 下記のウェブサイトに条文あり。 《United States Code》(https://uscode.house.gov/ Office of the Law Revision Counsel)   「National Industrial Recovery Act (1933)」(『The United States Code』)(https://uscode.house.gov/statviewer.htm?volume=48&page=195) 《Our Documents》(https://www.ourdocuments.gov/index.php?flash=false& NARA)  「National Industrial Recovery Act (1933)」(『PUBLIC No.67 73d. Congress of the United States of America 』) (https://www.ourdocuments.gov/doc.php?flash=false&doc=66&page=transcript)(注)Transcript

現在の信州大学教育学部のキャンパスにあった高校を教えてほしい(そこにスケートの小平奈緒選手が在学していた)(県立長野図書館)

以下の資料を紹介した。 1 現在の信州大学教育学部のキャンパスにあった高校について    『信州大学教育学部九十年史』 信州大学教育学部九十年史編集委員会編 信州大学創立九十周年記念会 1965 【N377/6】    信州大学教育学部の校舎施設については、以下の記述があった。   ・p.44「明治六年八月 長野県は師範講習所を長野東之門宝林院念仏堂に設置し、管内小学校教員志願者を募集し、文部省制定の小学校教則により   下等小学授業法を伝習せしめた。」   ・p.89「(明治19年)十二月 尋常師範学校敷地として県庁の西方(現在の地)四千八百坪を三千七百余円にて請求し此の月土工に着手する。」   ・p.777「昭和二十四年六月一日、信州大学教育学部の開設にともない、長野師範学校・長野青年師範学校の諸施設は教育学部へ移管された。」   ・p.938「付録 教育年表」に「一九四九 昭和二四 六月 国立大学設置法により信州大学が設置され、師範学校・青年師範学校を母体として教育   学部が設置され、師範学校・青年師範学校は信州大学の一部となる。」   上記の記載はあったが、「信州大学教育学部のキャンパスにあった高校」の記載は確認することができなかった。 2 スケートの小平奈緒選手の出身校について  小平奈緒選手の履歴について、『長野県人物・人材情報リスト2019第2巻』 日外アソシエーツ株式会社編 日外アソシエーツ 2018 【N283/19/’19-2】にp.1433に「伊那西高校卒、信州大学教育学部(平成21年)卒の記載あり。 また、『小平奈緒 栄光と友情』 甲斐毅彦編 汐文社 2018 【N784/86】に、以下のとおり記載あり。  p.35 2002年4月伊那西高等学校入学(長野県伊那市にある私立の女子高)  P.44 2005年4月信州大学教育学部入学 回答プロセス:1 信州大学の歴史に関する事項のため、記念誌(三十年誌、五十年誌、九十年史)を調査する。その中で、九十年史に校舎施設についての記載あり。 2 スケートの小平奈緒選手に関して、当館オンライン蔵書目録検索システムで、キーワード「書名:スポーツ」「書名:事典」で検索。その中に『スポーツ人名事典』があったが、最新のものは2002年発行で、小平奈緒選手の名前はなし。 3 「図書郷土」で「全項目:小平奈緒」で検索。ヒットした中の、『小平奈緒 栄光と友情』内に出身高校、大学の記載あり。 4 柳沢主幹に、長野県の人物ということで『長野県人物・人材情報リスト』を調査すれば記載があるのではないかとの助言を受け、『長野県人物・人材情報リスト』の最新の、2019年版を調査したところ、「小平奈緒」の項目があり、出身校の記載あり。

1 江戸時代の信州筑摩郡における「五人組手形」あるいは「五人組」について文献をみたい 2 広く江戸時代の信州の五人組についてもあったら見たい。(県立長野図書館)

1-①「筑摩郡の五人組」について次の4点の資料に掲載があった。  ・尾崎行也 「筑摩郡幕領における五人組帳の実体-筑摩郡大足村の場合-」『信濃 第三次』   第16巻2号 1964(昭和39)年2月 p.45-62  ・太田秀保 「五人組御改帳からみた下町のこどもたち-信濃国筑摩郡松本本町五人組御改帳の分析-」  『信濃 第三次』 第51巻9号1999(平成11)年9月 p.26-39  ・『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第2巻 歴史下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会編    東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会1968年【N233/10/2-2ア】 p.188-190    第二章 町と村 三 五人組制度」についての項で記述があった。  ・『五人組法規集 続編上』穂積陳重 有斐閣 1944 【322.1/54/2-1】 p.639-640に   「安政2年信濃国筑摩郡神戸村五人組帳(第40・2号ノ3)」があった。(全文省略)となっており、   p.640項の末尾に「一内容 に系統 第40・2号ノ2   に全く同じ。」の記述があった。   「第40・2号ノ2」を探すと、p.634-「宝暦7年信濃国上伊那郡飯島領五人組帳(第40・2号ノ1)」   があり、一部省略があるものの、条文が記載されている。   その[備考]末尾p.637に「同系のもの4種(第40・2号ノ1-4)。」の記述があった。     また、本書は江戸時代の信州他地域の五人組帳も掲載されている。  こちらの資料は宇都宮大学付属図書館で所蔵しており、利用可能となっている。  また国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる。(コマ数350・351・352・353) (最終確認日 2020年6月10日)  -②「五人組手形」について次の資料に記述があった。法規としての内容だが、参考までに記載する。  『五人組制度論』 穂積陳重編 有斐閣 1940 【322.1/20】 p.132「五人組帳の題號(号)と其法規の體(体)裁との関係」の項に、 「五人組帳の題號中、単に「五人組帳」または「五人組前書帳」と稱(称)するものは命令式なるものあり又は受命式なるものあれども、「五人組手形」「五人組村約定書」「五人組村約束書「五人組連判帳」「五人組證(証)文」及び「差上申一礼之事」と題するものの如きは皆な受命式に其法規を記載せり-後略-」という記載があった。 この、命令式または受命式の書き方の違いは「実質上に影響を及ぼしたるものに非らず。必竟其地方某時代に於いて人民に其法令遵奉の感念を強くせんが為めに、一箇条毎に之を約束又は請書の体裁に記したるに過ぎざりしもののごとし -抜粋- 」と記載があった。 2 江戸時代の信州の五人組について。  上記1の『五人組法規集 続編上』とともに、次の資料15点をを紹介する。  ・市川雄一郎 「寛永及慶安の五人組帳について」    『信濃 第一次』 [復刻版] 第5巻2号1936(昭和11)年2月 p.43-47   ・市川雄一郎「佐久の五人組前書」   『信濃 第二次』 [復刻版] 創刊号 1942(昭和17)年1月 p.78-88  ・市川雄一郎 「佐久の五人組前書(2)」   『信濃 第二次』[復刻版] 第17巻3号 1942(昭17)年3月 p.24-34  ・平沢清人「信州伊那郡伊久間村の家並・宗門・五人組帳における一軒前の考察」   『信濃 第三次』 第9巻7号 1957(昭和32)年7月 p.11‐21  ・平沢清人 「近世村落の五人組の構成-信州伊那郡柿野沢村を中心として-」   『信濃 第三次』 第15巻3号 1963(昭和38)年3月 p.2-13   ・小穴芳実 「近世の家族構成について-宗門改五人組連判帳の分析-」   『信濃 第三次 第40巻10号』 1988(昭和63)年10月 p.1-16  ・平沢清人 「江戸時代の五人組制度と其教化的意義」    『信濃教育』667号1942(昭和17)年5月 p.53-58  ・平沢清人 「三人組・五人組・十人組」 『伊那』 第377号 1959(昭和34)年10月 p.13-16   ・下平すみ子 【古文書の窓】144 「五人組組替え願いに付き御役所にお願い」    『伊那路』第63巻7号 2019(令和元)年7月 p.34-36  ・青木友雄 佐藤松太郎 資料紹介「五人組前書五条目」について」    『須高』第6号 1977(昭和52)年8月 p.43-51  ・佐藤松太郎 資料紹介[再び「五人組前書五条目」について」    『須高』 第9号 1979(昭和54)年7月 p.119-121   ・研修部 古文書探検(2) 「五人組の役割」 『高井』第153号 2005(平成17)年9月 p.58-59   ・中沢浅二郎 「信州埴科郡小嶋村御仕置五人組 」(小嶋区有文書から)    『ちょうま』第8号1987(昭和62)年11月 p.12-18   ・柳町節夫 「隣保組織としての五人組について」 『ちょうま』第31号2010(平成22)年11月 p.19-24    ・「塩崎上町五人組願書 雲州職人入婿(寛政3年)『長野 古文書練習特集号』    第155号 1991(平成3)年1月 p.30-31 〈上記以外の調査済み資料〉 『小川郷土史料 第11輯 旧幕時代の五人組制度一班』 伊藤豊弥編 不明 【N212/10/11】 『五人組法規集 続編下』 穂積陳重編 有斐閣 1944 【322.1/54/2-2】 『五人組帳の研究』 野村兼太郎編 有斐閣 1943 【322.1/53】 回答プロセス:1 レファ協で「五人組」で検索、埼玉県立久喜図書館のレファ記録に上がっていた資料のうち、当館所蔵の次の4冊に資料にあたる。  ・『五人組制度論』穂積陳重 有斐閣 1921 【322.1/20】   ・『法制史の研究』三浦周行 岩波書店 1920 【322.1/18/1】   ・『近世農民生活史』児玉幸多 吉川弘文館 1951 【611.9/122/】   ・『五人組法規集 続編上』穂積陳重 有斐閣 1944 【322.1/54/2-1】 2 質問1について。   ・上記『五人組法規集 続編上』に信濃国筑摩郡神戸村五人組帳の記述があったので紹介する。   国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できることを紹介する。    ・信濃史学会の『信濃』論文検索で「五人組」のキーワードで検索する。   信濃の五人組に関する記事が載っているものとして8件がヒットした。そのうち筑摩郡に関する記事が掲載されている2点を紹介した。 「五人組手形」については、法規としての内容だが、『五人組制度論』に記載があったので参考までに紹介した。 3 ・江戸時代の信州の五人組については、『五人組法規集 続編上』とともに、上記の論文検索でヒットした残り6件の資料を紹介する。  さらに、当館オパックで「五人組」のキーワードで検索したところ、江戸時代の他地域の五人組に関する資料として郷土雑誌9件がヒットしたので一緒に紹介した。 参考資料:穂積重遠 編 , 穂積, 重遠, 1883-1951. 五人組法規集 続編 上,下. 有斐閣, 1944. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000698714-00, 参考資料:東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会 編. 東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第2巻 下. 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会, 1968. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001272612-00, 参考資料:信濃 第三次 16巻2号,

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