レファレンス協同データベース新着事例

岡山県内にある西行の記念碑について知りたい。(岡山県立図書館)

『岡山の文学碑』によれば岡山市郡の弁天島に西行の「むかしみし松は老木に成りにけりわが年へたるほどもしられて」の句を刻んだ歌碑がある。また『岡山県風土記』によれば玉野海洋博物館付近には西行の像がある。 参考資料:山本遺太郎『岡山の文学碑 岡山文庫6』日本文教出版社,1965.谷口澄夫・石田寛監修『岡山県風土記』旺文社,1996., 備考:M2007030217194158478

大正時代に製造された9600型蒸気機関車,8620型蒸気機関車の図や写真,特徴などが載っている本はないか。(岡山県立図書館)

『追憶の蒸気機関車』p.22-27の「3 国産標準機第1号の強力9600形式」,p.28-31の「4 国産標準機第2号の快速8620形式」に,各形式の誕生,運用と生涯などについての記述あり。『鉄道黄金時代シリーズNO.7 9600 ニッポンの蒸気機関車』に,9600型について写真,イラストによる形態分類,製造された770両全機のリストなどの掲載あり。『国鉄機関車事典』p.28-29に8620型について写真,図,説明の掲載あり。 参考資料:久保田博著『追憶の蒸気機関車』グランプリ出版,2002,204p.参照はp.22-27,28-31.和田英明編『鉄道黄金時代シリーズNO.7 9600 ニッポンの蒸気機関車』枻出版社,2002,94p.いのうえ・こーいち著『国鉄機関車事典』山海堂,1999,190p.参照はp.28-29,, 備考:M2007030615064258533

西行の岡山での足跡について知りたい。(岡山県立図書館)

『岡山県大百科事典』の「山家集」の項では、西行は「1168年(仁安3)に四国への旅の途中、岡山地方を通っている」としている。合わせて若い頃にも来遊した説があることも紹介している。歌が詠まれている地域は現在の玉野市、笠岡市真鍋島、瀬戸内市牛窓、倉敷市児島を挙げ、以下の句が紹介されている。玉野市渋川付近「おり立ちて浦田に拾ふ海士の子はつみより罪を習ふなりけり」、笠岡市真鍋島「真鍋より塩飽へ通ふ商人はつみをかひにて渡るなりけり」、瀬戸内市牛窓「さだへ棲む瀬戸の岩つぼ求め出て急ぎし海士の気色なるかな」「しきわたす月の氷をうたがひてひびのてまはるあちのむらとり」、倉敷市児島「たて初るあみとる浦の初さほはつみの中にもすぐれたるかな」「むかしみし松は老木に成りにけりわが年へたるほどもしられて」。この他、『岡山の文学碑』『岡山文学風土記』『倉敷市史 第二冊』『岡山県風土記』などにも西行や山家集に関する記事がある。また岡山県立図書館HP内にある「おかやま人物往来」にも西行の解説がある。 参考資料:岡山県大百科事典編集委員会編『岡山県大百科事典 上巻』山陽新聞社,1979.山本遺太郎『岡山の文学碑 岡山文庫6』日本文教出版社,1965.大岩徳二『岡山文学風土記 岡山文庫33』日本文教出版社,1970.永山卯三郎『倉敷市史(第二冊)』名著出版,1973.谷口澄夫・石田寛監修『岡山県風土記』旺文社,1996.倉敷の自然をまもる会『児島風土記』倉敷の自然をまもる会,1982.岡山県立図書館HP内「おかやま人物往来」(http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/person.htm)(2007年3月2日現在), 備考:M2007030217015958477

馬頭琴はどんな楽器ですか。(岡山県立図書館)

『国際理解に役立つ世界の民族楽器1 東アジアと日本の音楽』では、「モンゴルの代表的な楽器としてモリン・ホール(馬頭琴)がある。」と紹介されている。『楽器教室徹底ガイド 民族楽器を楽しもう』には、馬頭琴の構造を「桐材のような柔らかい木材で台形の箱型に作った胴に、糸蔵の先に馬頭の彫刻がある棹に二弦を張る。弓だけでなく、擦奏される弦自体も馬の尾毛を束ねたもので、一本の弦は完全にはよりあわされてはいない。」と記述しており、同書に馬頭琴の魅力として「大平原を思わせる力強い音色と、馬の嘶きにも似た擦り音や装飾音は、独特である。」という記載がある。また、『ジュニア音楽全集7 楽器のいろいろ』には、胴について、「共鳴箱の両面に、馬の皮をはります。」と説明され、「モンゴル人は馬と生活をともにする民族なので、楽器にもそのすがたがとりいれてあるのです。」と記されている。 参考資料:若林忠宏著『楽器教室徹底ガイド 民族楽器を楽しもう』ヤマハミュージックメディア,2002.5,271p.参照はp.42-43.白砂昭一著『ジュニア音楽全集7 楽器のいろいろ』国土社,1983.5,101p.参照はp.53-55.こどもくらぶ編井口淳子著『国際理解に役立つ世界の民族音楽 1東アジアと日本の音楽』ポプラ社,2003.4,47p.参照はp.17.西村佐二指導『世界の子どもたちはいま17モンゴルの子どもたち』学研,2002.2,64p.参照はp.49., 備考:M2007030811263858617

太平洋戦争中に適用されていた、捕虜の取り扱い等を定めたハーグ平和会議の条約とはどんなものだったか(岡山県立図書館)

国際法学会編『国際関係法辞典 第2版』p.711.によると、1899年と1907年にオランダのハーグで開かれた2回の平和会議で、「ハーグ陸戦規則」と呼ばれる交戦法規等の諸条約が採択された。同書p.872.の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の項を見ると、付属規則56ヵ条中に捕虜の人道的待遇の規定があることがわかる。大沼保昭編『国際条約集2006年版』p.626-627.に該当の条約および、付属書第二章俘虜(第四条~第二十条)の条文がある。日本は1911年11月6日批准、1912年1月13日公布(条約第4号)。内閣官報局編『明治年間法令全書』第45巻-10,p.69-97.でも確認。 参考資料:国際法学会編『国際関係法辞典 第2版』三省堂,2005,p.711.872. 大沼保昭編『国際条約集2006年版』有斐閣,2006,p.626-627. 内閣官報局編『明治年間法令全書』第45巻-10,原書房,1993,p.69-97., 備考:M2007040414282359562

ナンキョクブナについて知りたい。(岡山県立図書館)

『朝日百科植物の世界8 種子植物 双子葉類8』のp.91には、「ナンキョクブナ科はナンキョクブナ属だけからなり、かつてはブナ科の一員であったくらいで、葉や殻斗の形態、生育環境は北半球のブナ属とよく似ている。ナンキョクブナという名のゆえんである。しかし、学名の『notho-』は、似て非なるものに使う言葉で、属名を素直に訳せば、ブナモドキである。」とある。他にナンキョクブナについて記述がある本は以下のとおり。 『植物の分布と分化』(堀田満著 1974年 三省堂)p.179-180,183-184 『雑木林に出かけよう』(八田洋章著 2002年 朝日新聞社)p.36-45 『日本のブナ帯文化』(市川健夫〔ほか〕編 1984年 朝倉書店)p.42 『朝日百科植物の世界13 植物の生態地理』(1997年 朝日新聞社)p.168 『世界有用植物事典』(1989年 平凡社)p.727 『木の写真図鑑』(1994年 日本ヴォーグ社)p.155 参考資料:堀田満著『植物の分布と分化』三省堂,1974,414p.参照はp.179-180,183-184.八田洋章著『雑木林に出かけよう』朝日新聞社,2002,220,41p.参照はp.36-45.市川健夫〔ほか〕編『日本のブナ帯文化』朝倉書店,1984,307p.参照はp.42.『朝日百科植物の世界8 種子植物 双子葉類8』朝日新聞社,1997,320p.参照はp.91-93.『朝日百科植物の世界13 植物の生態地理』朝日新聞社,1997,352p.参照はp.168.堀田満〔ほか〕編『世界有用植物事典』平凡社,1989,1499p.参照はp.727.アレン・コーンビス著『木の写真図鑑』日本ヴォーグ社,1994,328p.参照はp.155., 備考:M2007030215180458474

「修」という漢字の部首は「イ」(にんべん)と「彡」(さんづくり)のどちらか。(岡山県立図書館)

『大漢和辞典』(大修館書店)、『三省堂五十音引き漢和辞典』(三省堂)、『新明解漢和辞典』(三省堂)、『旺文社標準漢和辞典』(旺文社)、『三省堂例解小学漢字辞典』(三省堂)、『例解学習漢字辞典』(小学館)、『岩波新漢語辞典』(岩波書店)、『全訳漢辞海』(三省堂)、『新選漢和辞典』(小学館)、以上の資料については「イ」の項目に部首の掲載がある。 一方、部首「彡」として掲載されている資料は、『角川事源辞典』(角川書店)、『下村式小学漢字学習辞典』(偕成社)、『新漢和辞典』(大修館書店)、『新漢語林』(大修館書店)、『大漢語林』(大修館書店)、『広漢和辞典 上巻』(大修館書店)などが挙げられる。また、『楽しい漢字教室』(ぎょうせい)によれば、「『人のせなかを洗い流す』ことを表した“攸”[ユウ]と“美しい”という意味を表した“彡”[さんづくり]とを組み合わせて作った字」(p739)と説明がある。さらに『図説部首がわかる字源辞典』(木耳社)も「彡」に項目がとられており、「にんべんを部首とし、右下部に彡をもつ『修』」という記述がある。 参考資料:1.『大漢和辞典』大修館書店,1986,1082p.参照は805p. 2.『三省堂五十音引き漢和辞典』三省堂,2004,1206p.参照はp495. 3.『新明解漢和辞典』三省堂,1995,1283,142p.参照は184p. 4.『旺文社標準漢和辞典』旺文社,2001,1003p.参照はp69. 5.『三省堂例解小学漢字辞典』三省堂,2002,1066p.参照はp93. 6.『例解学習漢字辞典』小学館,2004,1033p.参照はp78. 7.『岩波新漢語辞典』岩波書店,1994,1313p.参照はp94. 8.『全訳漢辞海』三省堂,2000,1740p.参照はp107. 9.『新選漢和辞典』小学館,2006,1523p.参照はp101. 10.加藤常賢ほか著『角川事源辞典』角川書店,1983,695p. 参照はp647-648. 11.下村昇編著『下村式小学漢字学習辞典』改訂3版,偕成社,1999,1239p.参照は48p. 12.諸橋轍次ほか著『新漢和辞典』新装大型版,大修館書店, 2002,1069p.参照はp316. 13.鎌田正著『新漢語林』大修館書店,2004,1609p.参照はp447. 14.鎌田正著『大漢語林』大修館書店,1992,1805p.参照はp491. 15.諸橋轍次ほか著『広漢和辞典 上巻』大修館書店,1981,1303p. 参照はp1263. 16.石井勲著『楽しい漢字教室』ぎょうせい,1990,1034p.参照はp739. 17.新井重良著『図説部首がわかる字源事典』木耳社,2007,182p.参照はp68., 備考:M2007040518121259569

日本全国にはどれくらいの数の寺子屋があったか(岡山県立図書館)

石川謙著『日本庶民教育史』p.262-266.に,文部省編『日本教育史資料』所載の寺子屋表では,「全国の七割五分以上の地方を網羅して、15,560校の寺子屋を列挙している」とある。ただし、埼玉、茨城、岩手、奈良、香川、愛媛、沖縄の七県の報告がなく、調査の精粗が地方々々によって異なっていることが指摘されている。佐藤健一編『江戸の寺子屋入門』p.15.では,東京府や群馬県の例から『日本教育史資料』の数よりは多く存在したとの記述がある。 また,江戸教育事情研究会著『寺子屋の「なるほど!!」』p.28-29.では,高田稔氏による神奈川県内の調査結果が、神奈川県内に1,186校の寺子屋があったとしていることから、全国の寺子屋総数は『日本教育史資料』の総数15,564の「2倍から3倍、4倍の寺子屋が存在していたと考えられる」とある。 参考資料:石川謙著『日本庶民教育史』玉川大学出版部,1998.p.262-266. 佐藤健一編『江戸の寺子屋入門』研成社,1996,p.15. 江戸教育事情研究会著『寺子屋の「なるほど!!」』ヤマハミュージックメディア,2004,p.28-29. 文部省編『日本教育史資料 8,9』臨川書店,1970., 備考:M2007030916114558693

操山(岡山市)の多宝塔はいつできたのか。(岡山県立図書館)

 資料①『岡山市の歴史みてあるき』で確認すると操山にある多宝塔は、安住院多宝塔だけである。同資料によれば、「元禄年間(1688~1703)、藩主池田綱政が後楽園をつくったときに、その借景として建築にとりかかり、完成したのは次の継政の代だと言われる。」とある。また、資料②『岡山後楽園史 通史編』に「借景」の一節があり、安住院多宝塔について次のとおり記述がある。「安住院には「寛延四年十月十四日再建」という多宝塔の棟札が残っており、この中には継政の助力によって建立されたことが書かれている。これにより、後楽園の借景で点景物となっている安住院多宝塔は、継政の代にできたことがわかる。」  なお、継政が藩主だった時期は、1714~1752年である。(資料③) 参考資料:資料①岡山市教育委員会編『岡山市の歴史みてあるき』岡山 岡山市遺跡調査団,1977,365p. 資料②後楽園史編纂委員会編『岡山後楽園史 通史編』岡山 岡山県,2001,14,1062,10p. 資料③岡山県歴史人物事典編纂委員会編『岡山県歴史人物事典』岡山 山陽新聞社,1994年,1254p.参照はp.60., 備考:M2007051914133160067

大正元年時点で、岡山中学校(県立岡山朝日高校の前身)のあった場所を知りたい。(岡山県立図書館)

資料①の「沿革の概要」によれば、「明治29.11内山下岡山城城郭内に新校舎を建てて移る。」とあり、昭和24年の高校再編まで校舎の移転はない。また、資料②の巻末「年譜」に「明治29年 1月より岡山市内内山下3番地(烏城城郭内)に建設中の校舎、11月13日に竣工(以下略)。」とある。 参考資料:資料①『岡山県立岡山朝日高等学校学校要覧 平成18年度』岡山 岡山朝日高等学校, [2006],1冊. 資料②岡山県立岡山朝日高等学校校史編纂室編『岡山朝日高等学校の生い立ち 戦前篇』岡山 岡山朝日高等学校,2004,13,330p., 備考:M2007051710560460065

家の柱の建て方のことと思われる,踏み落しとはどんな構造か(岡山県立図書館)

日本建築学会民家語彙集録部会編『日本民家語彙解説辞典』p.666.に「フミオトシ 踏み落し 福井県丹生郡越前町付近の民家において、二階の床を支える横架材を指す呼称。これに板を張って一階の天井を造る。」とある。横架材(おうかざい)とは,彰国社編『建築大辞典』p.178.によると「建造物の骨組みで、水平方向に架け渡された部材。木造建築物などで、梁、桁、胴差し、土台などを指す。」とある。 参考資料:日本建築学会民家語彙集録部会編『日本民家語彙解説辞典』日外アソシエーツ,1993,p.666. 彰国社編『建築大辞典』彰国社編刊,1993,p.178, 備考:M2007031110432358719

桜の咲く日を、どうやって調べるのですか。(岡山県立図書館)

『どうしてわかるの?サクラが咲く日』の「近づくサクラ前線・開花のひみつ」には、「さくらの開花のしくみ」と「温度変換日数による予想」について記載がある。『みんなが知りたい!「天気」のことがわかる本』では、「桜前線ってなあに?」に桜の予想の仕方が図で説明されている。 参考資料:七尾純著『調べておもしろい!どうしてわかるの?サクラが咲く日』アリス館,2002.1,109p.参照はp.42-56.気象キャスターネットワーク監修科学プロダクションコスモピア著『みんなが知りたい!「天気」のことがわかる本』メイツ出版,2005.7,128p.参照はp.78-79.富沢勝監修『お天気大作戦 これで君もお天気博士だ』誠文堂新光社,2005.7,94p.参照はp.80-81., 備考:M2007051110054159851

1948年12月12日国連総会議決(第195号3)の英文、和文の両方を見たい。内容は、朝鮮半島の政権に関すること。(岡山県立図書館)

環太平洋問題研究所編『朝鮮半島総合年表1945-1985』p.25.の年表に、1948/12-12「第3回国連総会、大韓民国政府を朝鮮半島における唯一の合法政府と認定」とある。神谷 不二〔編集〕『朝鮮問題戦後資料 第1巻一九四五-一九五三』第二部朝鮮戦争終結までの時期 Ⅲ国際的宣言、決議、文書の資料130に「第三回国連総会決議「朝鮮独立問題」(一九四八年一二月一二日)」の全文日本語訳がある。英文は所蔵資料になかったので、国連のホームページから見てもらった。 参考資料:環太平洋問題研究所編『朝鮮半島総合年表1945-1985』原書房,1986,p.25. 神谷 不二〔編集〕『朝鮮問題戦後資料 第1巻一九四五-一九五三』日本国際問題研究所,1976,p.466-467. 国連ホームページのGeneral Assembly, 備考:M2007060711293060336

1年はなぜ365日なのか知りたい。(岡山県立図書館)

資料1のp.229に「なぜ一年は三六五日なのか」という項目があり,「太陽暦をもとにしての話」,「地球が太陽を中心として一周する期間が一太陽年」,「一太陽年は三六五.二四二一九・・・日なので,概略三六五.二四二二日とされる。しかし,暦のうえで一日以下の端数は切り捨てるか切り上げるしかないから,一年の日数は三六五か三六六日とする。」などの記述がある。資料2の「太陽暦」,資料3「暦の仕組み」にも1年の日数に関する記述あり。 参考資料:資料1:暦の会編『暦の百科事典』本の友社,1999,509p.参照はp.229.資料2:岡田芳朗ほか著『暦を知る事典』東京堂出版,2006,228,68p.参照はp.7-10.資料3:三省堂編修所編『大活字季節を読み解く暦ことば辞典』三省堂,2002,511p.参照はp.14-15., 備考:M2007041310071459596

三橋三智也の歌謡曲「古城」にはモデルとなった城があるのか。(岡山県立図書館)

『日本のうた大全集』(自由現代社)p120に「古城」について「昭和34年7月、三橋三智也の歌で発売された格調高い日本的な歌」で、城のモデルについては「作詞者の高橋掬太郎は、特定の城を歌ったものではないと述べている」という記載があり、あわせて「古城」歌碑の建つ石川県七尾城がモデルであることを否定している。また、『日本の愛唱歌』(ヤマハミュージックメディア)のp85に、作詞者である高橋掬太郎が「古城」の作詞を依頼されたその日に、江戸城本丸跡を著者が一緒に歩いたというエピソードにふれている。そのときに「詩作に関わる何らかのヒントを得られたのに違いない」との見解を著者は示している。 参考資料:1.長田暁二編著『日本のうた大全集』自由現代社,2000,326p.参照はp120. 2.長田暁二著『日本の愛唱歌』ヤマハミュージックメディア,2006,303p.参照はp84-85., 備考:M2007061513144360526

「明治」、「大正」といった日本の年号の出典が一覧でわかる資料はないか。(岡山県立図書館)

『日本大百科全書』(小学館)の「年号」の項に「日本年号一覧」の掲載がある。当該年号の相当西暦年、改元理由、出典などが五十音順でそれぞれ説明されている。それによると、年号「明治」は「『周易』説卦の『聖人南面而聴天下、嚮明而治』、『孔子家語』巻五帝徳の『長聡明、治五気、設五量、撫万民、度四方』」、年号「大正」は「『周易』臨卦、彖伝の『大享以正、天之道也』」などが出典に挙げられている。 参考資料:『日本大百科全書18』東京 小学館,1987,915p.参照はp299-310., 備考:M2007061313554060423

日本の年号は、どのような場合に改められのか。(岡山県立図書館)

『ちょっとまじめな日本史 上』(山川出版社)によると、改元には「天皇の交代に際しての代始改元」、「祥瑞があった際の祥瑞改元」、「災厄を嫌っての災異改元」があり、さらに「甲子の年に革令、辛酉の年に革命という変革がおこるとしての、甲子・辛酉の革令・革命改元」があるとされている。現在では「1979年の元号法で元号制定は天皇の代がわりごとに政令で新元号が定められることに」なっている。 参考資料:五味文彦ほか編著『ちょっとまじめな日本史 上』東京 山川出版社,2006,204p.参照はp6-7. 所功著『年号の歴史』東京 雄山閣出版,1988,262p., 備考:M2007060112224260277

倉敷労働科学研究所が作った「労研饅頭」について知りたい。(岡山県立図書館)

資料①『岡山県大百科事典』の「倉敷労働科学研究所」の項目に「労働者の蛋白質代謝の研究などを通じ国民栄養問題にも注目し、<労研饅頭(ろうけんまんとう)>という名の蒸しパンを紹介した」とある。また資料②『倉敷紡績百年史』には「労研饅頭は、米よりも蛋白質や炭水化物が多く含まれ、優れた栄養食品であった。昭和五、六年ごろ全国で約四十店が製法を学び販売したが、現在でも松山市で製造販売されている」とある。 参考資料:資料①『岡山県大百科事典』山陽新聞社,昭和55年. 資料②『倉敷紡績百年史』倉敷紡績,1988年., 備考:M2007060812253360359

後楽園東側(知事公舎前)の桜並木はいつごろできたのか?(岡山県立図書館)

資料①『岡山後楽園史 通史編』第3章第7節に「国富側の堤防の桜」の項目があり「地元の浜蓬莱町町内会(現浜二丁目町内会)の有志の奉仕で、昭和30年代前半に桜が植栽された。」とある。  「山陽新聞総合データベースSandex」で「桜」「旭川河川敷」「町内会」を検索語として検索したところ、2002年4月6日付け朝刊に次の記事が確認された。「この河川敷には市道沿いにソメイヨシノ約三百本があり、一九五七年四月、地元の浜蓬莱(ほうらい)町町内会(現在の浜二丁目町内会)の町内会長らが植えたのが始まり。当時の三木行治知事や岡山市長を招き、盛大な植樹祭が開かれたという。」4月9日の県知事らによる植樹祭の写真も掲載されている。 参考資料:資料①『岡山後楽園史 通史編』岡山県,平成13年. 資料②『山陽新聞総合データベースSandex』, 備考:M2007051711050660066

県立岡田更生館と岡田更生館事件について知りたい(岡山県立図書館)

資料①『現代岡山県社会福祉事業史』資料②『浮浪児とともに』によると、県立岡田更生館とは、昭和21年に設立され翌22年認可の吉備郡岡田村にあった岡山県立の浮浪者保護施設。岡田更生館事件後(後述)、改組名称変更して岡山県吉備寮となったが昭和30年廃止。昭和31年からは更生施設から救護施設に改組なったが昭和32年廃止。 岡田更生館事件とは、食糧事情の悪さ、死亡者の多発、逃亡に対する制裁など館が抱える多くの問題を、逃亡した被収容者が毎日新聞記者に訴え、記者が変装入所し昭和24年4月18日に新聞記事として報道した事件、としている ただし、資料③『オカニチ 昭和51年2月27日』によると、報道の日付は昭和24年2月18日と記載されている。 実際の新聞記事を確認したところ、資料④『夕刊岡山 昭和24年2月18日』から数日報道記事を見ることができる。 また、「毎日新聞岡山版」でも同様に、昭和24年2月18日から同様に記事が確認でき、そのうち資料⑤『毎日新聞岡山版マイクロフィルム 昭和24年1~12月』には、「岡田更生館を探る:本紙記者潜行体験記」と題した記事を見ることができる。 参考資料:資料① 現代岡山県社会福祉事業史編集委員会/編『現代岡山県社会福祉事業史』同朋舎,1983 参照はp.146-153. 資料② 萩野 半麓/著『浮浪児とともに』 岡山県社会事業協会,1949,p.200-219. 資料③『オカニチ 昭和51年2月27日』p.3 資料④『夕刊岡山 昭和24年2月18日』p.2 資料⑤『毎日新聞岡山版マイクロフィルム 昭和24年1~12月』昭和24年2月19日, 備考:M2007052511121060234

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