レファレンス協同データベース新着事例

北原白秋が水戸市歌作成のため水戸に訪れた折,常陸太田 西山荘へ立ち寄ったか否か(水戸市立中央図書館)

『茨城の短歌風土』(M1911イ)p.8に「西山荘などの史跡,名勝が詠われている」という『渓流唱』という歌集があるとのこと。『白秋全集11』に収録されている。ただし実際に現地に赴いて作詞したかは不明。 水戸市歌の依頼のいきさつについては『市政こぼれ話』(M0318シ)p.30-45に詳しい 参考資料:中崎 長太(1923~)/著 , 中崎 長太 , 中崎 長太. 茨城の短歌風土. 茨城歌人会, 1981-06. (茨城歌人シリーズ : 第50篇) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062488675-00, 参考資料:大高 実/著 , 大高 実 , 大高 実. 市政こぼれ話. 茨城新聞社, 1972-12. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I063033605-00,

吉田神社(水戸市)の末社について書かれた資料はあるか。(水戸市立中央図書館)

『茨城の神社覚書1』 『新編常陸国誌』 12社あり 参考資料:鎌田啓司. 茨城の式内社. 鎌田啓司, 1986. (茨城の神社覚書 ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077248655-00, 参考資料:中山信名 修 , 栗田寛 補 , 中山, 信名, 1787-1836 , 栗田, 寛, 1835-1899. 新編常陸国誌 : 宮崎報恩会版 復刊. 崙書房, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010249367-00,

偕楽焼について書かれた資料はあるか(水戸市立中央図書館)

『茨城県大百科事典』 『水戸学随筆』 『水戸藩のやきもの』を紹介 参考資料:茨城新聞社編 , 茨城新聞社. 茨城県大百科事典. 茨城新聞社, 1981-10. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000250640-00, 参考資料:西村文則 著 , 西村, 文則, 1877-1971. 水戸学随筆. 昭和刊行会, 1944. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000663112-00, 参考資料:水戸市立博物館/編 , 水戸市立博物館 , 水戸市立博物館. 水戸藩のやきもの : 郷土の伝統産業 : 特別展. 水戸市立博物館, 1984-02. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062816929-00,

水戸市田谷町の春日神社について記載のある資料を知りたい(水戸市立中央図書館)

「那珂郡沿革誌」「茨城県史料近世地誌編」「東茨城郡誌」「国田史」「新編常陸国誌」「水戸市史 上巻」「茨城県神社誌」を紹介した 参考資料:小田野 辰之介/編輯 , 小田野 辰之介 , 小田野 辰之介. 那珂郡沿革誌. 郷土資料刊行会, 1976-06. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062822981-00, 参考資料:茨城県 , 茨城県史編さん近世史第1部会 編. 茨城県史料 近世地誌編. 茨城県, 1968. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002130196-00, 参考資料:東茨城郡教育会(茨城県)/編 , 東茨城郡教育会 , 東茨城郡教育会. 東茨城郡誌 下巻. 名著出版, 1973-02. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I063065250-00, 参考資料:国田史編纂会 編. 国田史. 国田史編纂会, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002246928-00, 参考資料:中山信名 修 , 栗田寛 補 , 中山, 信名, 1787-1836 , 栗田, 寛, 1835-1899. 新編常陸国誌 : 宮崎報恩会版 復刊. 崙書房, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010249367-00, 参考資料:水戸市史編さん委員会 編 , 水戸市. 水戸市史 上巻. 水戸市, 1963. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001053899-00, 参考資料:茨城県神社誌編纂委員会 編 , 茨城県神社庁. 茨城県神社誌. 茨城県神社庁, 1973. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001241181-00,

大串貝塚の隣にある折居神社について(水戸市立中央図書館)

『常澄村史 地誌編』P.118,『東茨城郡誌(上)』P.479,『茨城県神社誌』 参考資料:佐藤次男 監修・著 , 水戸市教育委員会 編 , 佐藤, 次男, 1931- , 水戸市教育委員会. 常澄村史 地誌編. 水戸市, 1994. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002337133-00, 参考資料:東茨城郡教育会(茨城県)/編 , 東茨城郡教育会 , 東茨城郡教育会. 東茨城郡誌 上巻. 名著出版, 1973-02. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I063065248-00, 参考資料:茨城県神社誌編纂委員会 編 , 茨城県神社庁. 茨城県神社誌. 茨城県神社庁, 1973. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001241181-00,

吉田松陰が水戸で泊った場所について知りたい(水戸市立中央図書館)

『幕末史蹟補完計画』 農林中金の反対側のサンケイ新聞支局や紀伊国屋書店のあるビルの前。  『水戸史学』35号に「旧永井家屋敷跡に建てられた吉田松陰留学記念の詩碑」として名越時正さんが書かれている。

江戸時代の水戸市亀田という地名について知りたい(水戸市立中央図書館)

水戸を支配した江戸氏の菩提寺の藤福寺が水戸城下の亀田につくられた。 『内原町史』から『茨城県歴史館報』の3号に「中世常陸における真言宗教団の展開について」がある。そこから,茨城県史料中世編Ⅱの解説にあり。同じものが『東国における仏教諸宗派の展開』に入っている。以上によると,藤福寺は,水戸城東にあって佐竹氏に江戸氏が負けて水戸城を明け渡した時にいったんなくなったが,その後井原に移って復興されたが,結局は廃寺になったという。  井原も亀田も正確な場所はわからなかった。 参考資料:茨城県史編さん中世史部会 編 , 茨城県. 茨城県史料 中世編 2. 茨城県, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001224975-00, 参考資料:内山純子 著 , 内山, 純子, 1933-. 東国における仏教諸宗派の展開. そしえて, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002024821-00,

光圀の湊川の碑について碑文と解説のあるもの(水戸市立中央図書館)

光圀が1692年楠正成を称えた墓碑。墓碑の〝鳴呼忠臣楠子之墓〟義公の筆だが,碑陰の文は朱舜水  『史蹟と名碑』 参考資料:本山桂川 著 , 本山桂川. 史蹟と名碑. 金石文化研究所, 1952. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003862915-00,

光圀が食べたというラーメンについて材料が小麦粉のほかに「粉」が使われているが、何を使ったのか知りたい(水戸市立中央図書館)

「今日はラーメンが食べたい」に光圀のラーメンの材料があり、レンコンの粉「藕湖(ぐうこ)」が使われていることが分かった 参考資料:今日はラーメンが食べたい. 茨城新聞社, 1994. (茨城グルメ本舗 ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I012539854-00,

水戸市「御茶園通り」の名前の由来について知りたい(水戸市立中央図書館)

「茨城県の地名」(日本歴史地名大系)P317千波村に「探旧考証」に貞亨四年(1687)の千波村御茶園場の売払作物として~」とある。 事前調査事項:市で愛称に決定したのは平成8年12月。「義公と緑ヶ岡」ただしあの御茶園に茶畑があったかはわからない。「水府異聞」P298の図桜川より東側のほうが御茶園畠があったような記憶がある。 参考資料:茨城県の地名. 平凡社, 1982. (日本歴史地名大系) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065060863-00, 備考:「日本国語大辞典5」より茶園 和訓栞(1777~1862)「さえん菜園也、<略>さいえんと云ヘリ」「茨城県の地名」P317に「売払作物として、大根・蕉・茄子・独活(ウド)・胡麻など四三種の作物名があげられる」とある。

水戸焼について教えてほしい(水戸市立中央図書館)

「角川日本陶磁大辞典」茨城県水戸市の偕楽園好文亭付近で焼かれた陶器。明治27年ころ、監手、小沢敏行の創意により、技師の岩間誠之を招いて開窯した。 回答プロセス:「 参考資料:矢部良明 ほか編 , 矢部, 良明, 1943-. 角川日本陶磁大辞典 普及版. 角川学芸出版, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011139822-00, 9784046219657

くれふしの里古墳について(水戸市立中央図書館)

「くれふしの里」古墳は正式には牛伏古墳群のこと。『牛伏4号墳の調査』『内原町史 通史編』第4章2節に記述あり「内原くれふしの里古墳公園」(内原町教育委員会発行パンフレット) 参考資料:国士舘大学牛伏4号墳調査団 編 , 国士舘大学牛伏4号墳調査団. 牛伏4号墳の調査. 内原町教育委員会, 1999. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003666862-00, 参考資料:内原町史編さん委員会 編 , 内原町 (茨城県). 内原町史 通史編. 内原町, 1996. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002525730-00, (M0210)

水戸市青年高等学院について。当時何人の女性が在籍されていたか。(水戸市立中央図書館)

水戸市事務報告書昭和38年から46年までに「水戸市青年高等学院」の記述がみられるが、在籍者数の記載があるのは昭和41年から43年。男女別の表になっている。「社会教育の30年の歩み」P37に「昭和38年度に水戸市が「水戸市青年高等学院」を開設し、国、県それぞれ100万円の補助をすることによりその学習の促進に努めた」とあり。昭和41年4月現在の生徒数もある。 参考資料:『水戸市事務報告書 自41年至42年』水戸市発行〔出版年不明〕,

水戸城の三階櫓は現在のどの辺りにあったのか(水戸市立中央図書館)

『古地図と歩こう水戸の城下町マップ』によると現在の県立第三高等学校の校庭(南側)に記載有り。 参考資料:小野寺 淳(1955~)/著作 , 小野寺 淳 , 小野寺 淳. 水戸の城下町マップ : 古地図と歩こう! 幕末版. 水戸商工会議所, 2010-02. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062562138-00, (M0291)

小学生が読みやすい茨城弁(方言)の本(水戸市立中央図書館)

『ごじゃっペディア 』青木智也 著 茨城新聞社,「常陽芸文」1990年6月号,特集 茨城の方言 参考資料:青木智也 著 , 青木, 智也, 1973-. ごじゃっペディア : 楽しく学ぶ茨城弁. 茨城新聞社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023157731-00, 9784872732665 参考資料:「常陽芸文」1990年6月号,特集 茨城の方言,

水戸市内に「吉田松陰留学の碑」があることが弘道館の案内板に書いてあった。その碑を見たいので、どこにあるかを知りたい。(水戸市立中央図書館)

「水戸市観光マップ」(副題:黄門様のふるさと水戸)、「中心商店街マップ」の地図上に「吉田松陰留学の碑」の場所が載っていた。 回答プロセス:記念碑から調べてみたが、出ている資料がなかったので、観光関係からアプローチしてみた。観光マップ、歴史地図を探してみると水戸市観光課の「水戸市観光マップ」(副題:黄門様のふるさと水戸)に載っているのを発見。場所は南町3丁目(旧仲町)だったので、南町商店会で出している「中心商店街マップ」も見てみるとこちらにも載っていた。 参考資料:M0291-ミ「水戸市観光マップ」黄門さまのふるさと水戸. 水戸市観光課, 2013., (地図 折りたたみ1枚) 参考資料:M0291-ミ-11 「中心商店街マップ 11」すべてを乗り越えてがんばる水戸  南町4丁目商店会/編 , 南町4丁目商店会 , 南町4丁目商店会. 南町連合商店会, 2011-00. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062737123-00, (地図 折りたたみ1枚)

「敗棋(まけご)に勝ちあり」という言葉の意味と出典を知りたいのですが。(水戸市立中央図書館)

「中国古典名言事典」に意味は「負け碁にかえって勝ち目がある。負けそうだと思えば、いちだんと注意するからである」ということと、出典が清時代の通俗語の辞書「通俗篇」ということがわかった。 回答プロセス:ことわざや故事成語、名言等から調べてみたところ、「中国古典名言事典」に載っていた。 参考資料:R159.8「中国古典名言事典 座右版」橋轍次 著 , 諸橋轍次. 講談社, 1993. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069502849-00, 4061232924

今の徳川ミュージアムのある場所の昔の地図を見たいのですが(水戸市立中央図書館)

「緑岡の今と昔」という資料に明治18年当時の地図が載っていた。その地図は「明治前期関東平野地誌図集成」1989刊から転用したものだったので、「明治前期関東平野地誌図集成」を紹介。該当箇所は10ページに載っていた。 回答プロセス:徳川ミュージアム住所:茨城県水戸市見川1-1215-1 現在の地図で位置を確認してから、昔の地図にあたってみた。 「水戸市街改正略図」明治23年にはなし。当時は水戸市外の地域。「便覧水戸市全図」明治35年の地図に緑岡村見川と載っていたので、現在の水戸市緑岡地区に関する資料にあたってみたところ、「緑岡の今と昔」という資料に明治18年当時の地図が載っていた。その地図は「明治前期関東平野地誌図集成」1989刊からの転用したものだったので、「明治前期関東平野地誌図集成」を紹介。 参考資料:便覧水戸市全図 明治35年, (古地図 1枚) 参考資料:M0291ミ「緑岡の今と昔」住民の会10周年記念 10周年記念誌編集委員会編 水戸市緑岡住民の会 2006, 参考資料:R291「明治前期関東平野地誌図集成」地図資料編纂会編 , 地図資料編纂会. 柏書房, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000008673-00, 4760104895

水戸市の旧町名「桜町(さくらまち)」現金町が武家屋敷になる前にあった寺院について調べているのですが。(水戸市立中央図書館)

「水戸の町名 改訂」よると、1694年(元禄7年)に桜町となり、武家屋敷になったとある。  寺院についての記述は  1598年(慶長3年)には日蓮宗 本行寺(ほんぎょうじ)、臨済宗 江林寺、真言宗 吉祥院(きっしょういん)・龍蔵院(りゅうぞういん)・不動院(ふどういん)、浄土宗善重寺(ぜんじゅうじ)、高野坊 富士別當富士権現があり、  1616年(元和2年)には日蓮宗 本法寺(ほんぽうじ)が移されてきたとあり、これらの寺院は1629年(寛永6年)に他に移されていることがわかった。  また、2代藩主徳川光圀が1663年(寛文3年)に始めた領内の寺社改革以前の地図「水戸武士小路明細図(徳川初期)」(複製)も案内した。 回答プロセス:町名がわかっているので「水戸の町名 改訂」を見てみた。p136に「桜町」の記載があったので、それを紹介した。 参考資料:M0291-ミ「水戸の町名 改訂」 地理と歴史 茨城歴史地理の会 編 , 茨城歴史地理の会. 水戸市, 1985. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001776162-00, 参考資料:M0291-ミ「水戸武士小路明細図(徳川初期)」作者不明 , 出版者不明, 出版地不明, 出版年不明, (古地図 1枚)

鎌倉時代の歌人「行氏(ゆきうじ)」という名と歌を1首しかわからないのですが、その人物について知りたいので、人名辞典を見たい。(水戸市立中央図書館)

「名前から引く人名辞典」で「東 行氏(とう ゆきうじ)」という名前がわかったので、人名辞典を調べところ、「日本人名大辞典」、「日本史諸家系図人名辞典」に載っていた。「日本史諸家系図人名辞典」には東氏系図といっしょに詳しい記載あり。 回答プロセス:まず、文学系の辞典を調べてみたがわからなかったので、次に「行氏(ゆきうじ)」という名前から「名前から引く人名辞典」があったので調べてみると,「東 行氏(とう ゆきうじ)」ということがわかった。そこで人名辞典にあたってみると「日本人名大辞典」、「日本史諸家系図人名辞典」に載っていた。 参考資料:R281「名前から引く人名辞典」日外アソシエーツ株式会社 編 , 日外アソシエーツ株式会社. 日外アソシエーツ, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001924829-00, 481690767X 参考資料:R281「日本人名大辞典 4」タカ-ナ 平凡社, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053149207-00, (「新撰大人名辞典」(1937~41年)の改題復刻) 参考資料:R288「日本史諸家系図人名辞典」小和田哲男 監修 , 小和田哲男, 菅原正子, 仁藤敦史 編 , 小和田, 哲男, 1944- , 菅原, 正子, 1959- , 仁藤, 敦史, 1960-. 講談社, 2003. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004303250-00, 4062115786

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