レファレンス協同データベース新着事例

我孫子・柏両市に同じ町名(根戸、布施)が存在する理由について。(千葉県立西部図書館)

「根戸」「布施」を含む「富勢村」が昭和29年11月1日をもって隣接する東葛市(現柏市)、我孫子町(現我孫子市)と分村合併した結果、「根戸」「布施」などの一部の地名が柏市と我孫子市のそれぞれに存在することになった旨が、以下の資料からわかる。 【資料1】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984) 【資料2】『我孫子市史 近現代編』(我孫子市史編纂委員会近現代部会編 我孫子市教育委員会 2004) 【資料3】『千葉県町村合併史 下巻』(千葉県地方課/編著 大和学芸図書 1979)  【資料4】『千葉県史 資料編 近現代3』(千葉県史料研究財団編 千葉県 2008)  【資料5】『千葉県町村合併史々料 東葛飾郡 流山,関宿,我孫子,沼南』(〔千葉県〕 〔195‐〕) 【資料6】『千葉県町村合併史々料 佐原市,成田市,柏市』(〔千葉県〕 〔195‐〕) 回答プロセス:国立国会図書館レファレンス協同データベースに同様の事例がないか検索する。 簡易検索で「合併 千葉」「合併 柏」「合併 我孫子」「合併 富勢」「柏 我孫子」「根戸」「布施」で検索するが該当するものは見当たらなかった。 地名に関することなので、まず【資料1】にあたる。質問の中の地名「根戸」「布施」は、近世にはそれぞれ「根戸村」(p671-672)「布施村」(p737)だったものが、明治時代に合併し「富勢村」(p597)の大字となったこと、その「富勢村」が昭和29年11月1日をもって隣接する東葛市(昭和29年9月1日柏町、小金町、田中村、土村の合併により成立、現柏市)、我孫子町(現我孫子市)と分村合併した結果、「根戸」「布施」などの一部の地名が柏市と我孫子市のそれぞれに存在することになった旨記述がある。  「富勢村」が分村合併に至った理由、また合併までに時間がかかった理由について、千葉県、我孫子市及び柏市に関する郷土資料を調査した。【資料2】の「富勢村の動向」「富勢村・我孫子町・田中村・柏町合併案」「世論調査と村長選挙」「成島村政下の合併問題」の項(p573-578)、【資料3】の「我孫子町」の項(p506-511)によれば、地理的歴史的に柏町、我孫子町との結びつきの強い地域が村内にそれぞれ存在していたこと、分村合併めぐる柏町派と我孫子町派の対立、村長と村議会の対立、葛飾郡地方事務所や県議会議員の仲介や調停案に対する反発、村当局や村議会に対する住民の不満など、複雑な村内事情に求められるとの記述があった。 【資料4】の「第二章 町村合併」に「四 富勢村」(p663-684)の項があり、「〔合併に関する住民投票について〕」「〔合併の提案理由説明〕」「富勢村急施議会会議録」「土谷津部落合併問題に関する裁定書送付の件」「土谷津東側部落の我孫子町への分離措置の経過について」を史料として収録している。「富勢村急施議会会議録」は分村合併直前の昭和29年10月9日の村議会議事録であり、村長、村議会員の言葉による村内事情を伝えている。【資料5】は、昭和30年7月31日付け東葛飾地方事務所長名で千葉県の総務部長宛に提出された行政文書「東葛飾郡における町村合併の概況」とその付随資料であり、【資料2】【資料3】の該当項の主要な史料にあたり、富勢村の事情について文書作成者の考察がうかがえる。  なお、【資料3】の「柏市」の項(p448-454)、【資料6】(紙葉No.7)には、富勢村の「村内事情」により合併を留保した旨記述があるものの、その具体的記述のない旨付記する。 その他の資料調査: 【一部記述のあった資料】 『東葛流山研究 第30号』(流山市立博物館友の会事務局編 2012)の特集名は「楽しい東葛地名事典」となっており、「富勢」の項に簡略な説明がある。 『柏 その歴史・地理』(相原正義著 崙書房出版 2005)には、富勢村の分村合併について、「昭和の大合併で二分割」(p189-193)の項がある。  『歴史ガイドかしわ』(柏市史編さん委員会編 柏市教育委員会 2007)に「東葛市―柏市誕生ものがたり」(p216-217)の項がある。 『柏市史』(1969~2000年順次刊行)には現代編がなく、本件に関する情報はなかった。 なお、年表編には合併の事実だけが記載されている。  『千葉県史 通史編 近現代3』の「町村合併にともなう混乱」(p324-356)があるものの富勢村に関する記述はない。 【記述のなかった資料】 『柏のむかし [正] 』(柏市史編さん委員会編 柏市役所 1982)  『柏のむかし 続』(柏市史編さん委員会編 柏市役所 1981)  『柏の歴史よもやま話』(柏市民新聞社著 崙書房出版 1998)  『柏市史 資料編 1 富勢村誌』(柏市史編さん委員会/編集 1985) 参考資料:【資料1】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984), 参考資料:【資料2】『我孫子市史 近現代編』(我孫子市史編纂委員会近現代部会編 我孫子市教育委員会 2004), 参考資料:【資料3】『千葉県町村合併史 下巻』(千葉県地方課/編著 大和学芸図書 1979), 参考資料:【資料4】『千葉県史 資料編 近現代3』(千葉県史料研究財団編 千葉県 2008), 参考資料:【資料5】『千葉県町村合併史々料 東葛飾郡 流山,関宿,我孫子,沼南』(〔千葉県〕 〔195‐〕), 参考資料:【資料6】『千葉県町村合併史々料 佐原市,成田市,柏市』(〔千葉県〕 〔195‐〕),

豊原国周作の「源氏廼君富士見亭遊覧之図」という絵の中に書かれている三位有功卿の和歌とその意味について知りたい。(千葉県立西部図書館)

以下の【資料1】に和歌と語釈が、【資料2】に和歌が載っていましたが、和歌全体の解釈は見つかりませんでした。 【資料1】『校註国歌大系 第19巻』(国民図書編 講談社 1976) p696「ちたび見て千度めづらし雲風のすがたさだめぬ不二の芝山」「芝山」の語釈あり。 【資料2】『日本歌学全書 続第7篇』p11「千々廼屋集」のp72に和歌の記載あり。語釈はなし。 回答プロセス:・「源氏廼君富士見亭遊覧之図」について確認しました。 事前調査にあった早稲田大学古典籍総合データベース(http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/)で「源氏廼君富士見亭遊覧之図」から検索すると該当する絵がヒットし、今回の質問の和歌は3枚続の絵の1番左の絵の背景に「三位有功卿」の文字に続けて書かれており、発句が「ちたび見て」、最後が「富士乃芝山」となっていました。  国立国会図書館デジタルコレクションや国立国会図書館サーチでも「源氏廼君富士見亭遊覧之図」やキーワード「源氏廼君」「富士見亭」「国周」「遊覧之図」のかけ合わせなどで検索しましたが該当する絵に関する情報は得られませんでした。 ・和歌関連の資料で当該和歌の解釈が載っている資料を探すため、自館の和歌に関する資料911.1の書架を見たところ【資料3】で【資料1】が見つかりました。 【資料3】『和歌大辞典』(犬養廉[ほか]編集 明治書院 昭和61)(1100287779)p35「有功 ありこと」 「〖江戸期歌人〗千種。号は千々廼舎ちぢのや。(中略)家集『千々廼舎集』は没した翌年安政二年初編として出版されたが、想の新しい歌が見出される。国歌体系19所収。(後略)」とあり、その他『ふるかがみ』『和漢草』『日枝百首』『有功卿集』などの著作があることがわかりました。  このことから『千々廼舎集』『ふるかがみ』『和漢草』『日枝百首』『有功卿集』について『国書総目録』でそれぞれの活字本の出版について確認しました。 『千々廼舎集』は『国書総目録 5巻』p626に「(前略)校註国歌大系19・続日本歌学全書7初編」との記載がありました。 【資料1】は当館で所蔵していたので、p599~731の「千々廼屋集」を発句が「ちたび見て」、最後の句が「富士乃芝山」の歌を探したところp695「雑部」のp696「不二」という見出しの1首目に「ちたび見て千度めづらし雲風のすがたさだめぬ不二の芝山」という歌があり、絵の中に書かれている歌と同じ歌のようでした。 歌の上部欄外に語句の註として「芝山 雑木の生えてゐる山」との記載がありました。 【資料1】は国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館/図書館送信参加館公開)でご覧になれます。(「千々廼屋集」雑部http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241722/388?tocOpened=1) また、『続日本歌学全書7』は自館で所蔵していないため国立国会図書館デジタルコレクションで『日本歌学全書』から検索してヒットした【資料2】『日本歌学全書 続第7篇』を確認したところ、「千々廼屋集」(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993385/13?tocOpened=1)のp72に【資料1】と同じ和歌が記載されていました。語句の註や歌意は記載されていませんでした。 〈以下は関連情報を得られなかった資料です。〉 ・『千々廼舎集』以外の歌集も確認するため、『ふるかがみ』『和漢草』『日枝百首』『有功卿集』について『国書総目録』、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しました。 『和漢草』『日枝の百枝』が『続日本歌学全書 七』所収とあり、国立国会図書館デジタルコレクションで本文にあたりましたが該当する歌は見つかりませんでした。  『ふるかがみ』と『有功卿集』は活字本についての記載はなく、国立国会図書館デジタルコレクションでキーワード『ふるかがみ』と「有功」の掛け合わせや『有功卿集』から検索しましたがヒットしませんでした。 ・絵の解説に歌の意味を説明している資料がないか探すため、分類「721.8」と全項目「国周」で蔵書検索によりヒットした次の資料を確認しましたがいずれでも該当する絵や和歌に関する情報は得られませんでした。 『浮世絵大家集成 続第4巻 国周・周延』(大鳳閣書房 1933)(県立中央図書館所蔵) 『浮世絵大系 12 清親 芳年/国周/三代広重ほか』(座右宝刊行会編集制作 集英社 1975)(県立中央図書館所蔵) 『最後の浮世絵師豊原国周展』(野田市郷土博物館 1993)(県立中央図書館所蔵) ・当館の蔵書検索システムで件名「浮世絵-辞典」で検索してヒットした『浮世絵大事典』(国際浮世絵学会編 東京堂出版 2008)(県立中央図書館所蔵)を「源氏廼君富士見亭遊覧之図」、「豊原国周」から確認したところp347「豊原国周」に「[参考文献]小島烏水「豊原国周評伝」(『江戸末期の浮世絵』)所収 梓書房 一九三一」との記載があったので、『江戸末期の浮世絵』(小島烏水著 梓書房 1939)(県立中央図書館所蔵)の本文p217~259を確認しましたが該当する絵についての記載はありませんでした。 ・蔵書検索システムで件名「浮世絵-辞典」で検索してヒットした次の資料も確認しましたがいずれでも該当する絵や和歌に関する情報は得られませんでした。 『浮世絵事典 上巻 定本 あ-さ』(吉田暎二著 画文堂 1990)(自館所蔵) 『浮世絵事典 中巻 定本 し-はこ』(吉田暎二著 画文堂 1990)(自館所蔵) ・自館の書架721.8(浮世絵)で関連資料を探し、以下の資料の索引等で「豊原国周」「国周」「源氏廼君富士見亭遊覧之図」から確認しましたが、「国周」に関する記載はあっても該当する絵につながる情報は得られませんでした。 『原色浮世絵大百科事典 第1~11巻』(日本浮世絵協会編 大修館書店 1980~1982) 『日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 浮世絵』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 1993) 『画集写真集全情報 91/96』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 1998) 『画集写真集全情報 1997-2001』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 2002) 『画集・画文集全情報 45/90』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ  1991) ・その他 『新編和歌の解釈と鑑賞事典』(井上宗雄編 笠間書院 1999) 『浮世絵の見方事典』(吉田漱著 渓水社 1987) 『図説浮世絵入門』(稲垣進一編 河出書房新社 1990) (インターネット最終アクセス:2019年9月10日) 事前調査事項:絵自体は以下に出ていました。 早稲田大学図書館古典籍総合データベース http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko30/bunko30_b0235/index.html (「源氏廼君富士見亭遊覧之図 / 国周 画」) 千種有功の歌について、国歌大観等の資料を探しても「ちたひ見て~」からはじまる歌はありませんでした。 参考資料:『校註国歌大系 第19巻』(国民図書編 講談社 1976)(1100284721), 参考資料:『日本歌学全書 続第7篇』(佐々木信綱編 博文館 1903), 参考資料:『和歌大辞典』(犬養廉[ほか]編集 明治書院 昭和61)(1100287779),

書の展覧会を開催するにあたり出典を調べている。書に書かれた以下の漢詩の出典が知りたい。 1 鸞飛鶴舞 玉潤珠暉 規圓矩方 準乎澠宜 絳樹青碧 殊姿無艶 随珠和璧 異質同研 2 僧語澹如雲 塵事繁堪織 暮靄生深樹 斜陽不小棲 3 庭樹転兼兼 陰蛩是戚戚 獨向高齋眠 夜聲寒雨滴 微風時動牖 残燈尚留壁 煙帳平生懐 倫来委々夕 4 断雁聲帰烟 靄裏(不明)数聲残磬度 渓(不明)(安城市図書情報館)

以下までを回答とし、利用者に了承いただいた。 1の後半「絳樹青碧~」は孫過庭の書譜の一部 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1182065 の70コマ目にあり 2の前半は「偶游石盎僧舍」(杜牧)の一部に類似 http://www16.zzu.edu.cn/qtss/zzjpoem1.dll/viewoneshi?js=520&ns=013 2の後半は「题扬州禅智寺」(杜牧)の一部 http://www16.zzu.edu.cn/qtss/zzjpoem1.dll/viewoneshi?js=522&ns=003 3は「秋夜二首」(韋応物)の一部 http://www16.zzu.edu.cn/qtss/zzjpoem1.dll/viewoneshi?js=191&ns=045 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898970 でも確認(デジタルコレクション送信参加館のみ閲覧可能) 4は不明 ≪追記≫ 新詩改罷自長吟】全唐詩檢索系統 http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/SrchMain.aspx 2 作 者: 杜牧 卷 別: 卷五二二 詩 題: 題揚州禪智寺 詩 句: 雨過一蟬噪,飄蕭松桂秋。 青苔滿階砌,白鳥故遲留。 暮靄生深樹,斜陽下小樓。 誰知竹西路,歌吹是揚州。 http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/Srch_ListShow.aspx?TsId=10685220114 2 作者: 杜牧 卷 別: 卷五二○ 詩 題: 偶遊石盎僧舍【案:宣州作。】 詩 文: 敬岑草浮光,句沚水解脈。 益鬱乍怡融,凝嚴忽頹坼。 梅纇暖眠酣,風緒和無力。 鳧浴漲汪汪,雛嬌村冪冪。 落日美樓臺,輕煙飾阡陌。 瀲綠古津遠,積潤苔基釋。 孰謂漢陵人,來作江汀客。 載筆念無能,捧籌慚所畫。 任轡偶追閒,逢幽果遭適。 僧語淡如雲,塵事繁堪織。 今古幾輩人,而我何能息。 http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/Srch_ListShow.aspx?TsId=10685200021 3 作者: 韋應物 卷 別: 卷一九一 詩 題: 秋夜,二首之一【案:同德精舍舊居傷懷時所作。】 詩 文: 庭樹轉蕭蕭,陰蟲還戚戚。 獨向高齋眠,夜聞寒雨滴。 微風時動牖,殘燈尚留壁。 惆悵平生懷,偏來委今夕。 http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/Srch_ListShow.aspx?TsId=04331910360 4  Internet Archiveで公開されていた下記文献にそれぞれに 該当すると思われる箇所あり。 「斷鴈聲歸烟靄裏」 御訂全金詩增補中州集·卷七 (清)郭元釪; (清)康煕 浙江大学図書館蔵 欽定四庫全書·集部八·總集類 https://archive.org/details/06053248.cn 舟次丹陽(金·祝簡) 「斷鴈聲歸烟靄裏」 https://archive.org/details/06053248.cn/page/n72 「數聲殘磬度溪風」 元詩選二集·卷十九 (清)顧嗣立 浙江大学図書館蔵 欽定四庫全書·集部八·總集類 https://archive.org/details/06069036.cn 寒巖夕照(元·曹文晦) https://archive.org/details/06069036.cn/page/n32 「數聲殘磬度溪風」 https://archive.org/details/06069036.cn/page/n34 搜韻 https://sou-yun.cn/ にも下記テキストの情報あり。 「斷鴈聲歸烟靄裏」 『中州集』 舟次丹陽(金・祝簡) 七言律詩 船頭東下趂晨鐘,船外清霜氣暗通。斷鴈聲歸烟靄裏,孤帆影落月明中。 隋河波浪千年急,梁苑池臺一半空。試問碧堤無限柳,敗條衰葉幾秋風。 https://bit.ly/2SYSPvf 「數聲殘磬度溪風」 『元詩選』 https://bit.ly/2FA2KPN 新山別館十景 其十 寒巖夕照(元・曹文晦) 七言律詩 巖戶陰森隔萬松,暮雲卷盡寺林空。天邊漸蝕千峰紫,木杪猶餘一縷紅。 兩箇歸僧開竹院,數聲殘磬度溪風。憑誰喚起寒山子,共看回光入梵宮。 https://bit.ly/2T2egvi 回答プロセス:①それぞれの一文目をGoogle検索 →4に類似の質問としてYahoo!知恵袋の記事があるが、出典はなし。1~3は有力情報なし。  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1283488207 ②大阪市立中央図書館の調べ方案内「漢詩のさがしかた」を参考に調査を行う。  https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=man_view&id=2000021627 ③『中国学芸大事典』『大漢和事典;語彙索引』『漢詩名句辞典』→× 『漢詩大観』は当館所蔵なし。 ④2の二文目をGoogle検索 →杜牧「偶游石盎僧舍」の一部に類似あり ⑤当館所蔵『漢詩大系;14:杜牧』を確認するが、掲載なし。 ⑥杜牧が唐代の詩人とわかったため、唐詩関係の資料を調査。 『唐詩選(新釈漢文大系)』『唐詩選;上(漢詩大系)』『唐詩選;下(漢詩大系)』『中国名詞選(新釈漢文大系』『歴代名詞選(漢詩大系)』『唐詩三百首;1~3(ワイド版東洋文庫)』『唐詩選;上・中(朝日選書中国古典選)』『唐詩選;上・中(ワイド版岩波文庫)』→×  ※『唐詩選;下(ワイド版岩波文庫)』『唐詩選;下(朝日選書中国古典選)』は貸出中のため確認できず。 ⑦漢詩(921)および書道(728)関係の棚をブラウジング。 →『書道唐詩百選』『新註墨場必携』』『墨場必携:唐詩選律詩を書く』『墨場必携:名句を書く』『古詩墨場必携』→× ⑧当館未所蔵の『墨場必携:唐詩選絶句を書く』について、2・4の詩が載っていないか愛知県図書館に依頼 →掲載なし ⑨国立国会図書館調べ方案内「漢詩の出典」を併せて参考にする。 http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-16.php ⑩全唐詩庫(鄭州大学網絡管理中心) http://www3.zzu.edu.cn/qts/ にて検索を行おうとするが、簡体字しか利用できないため、「日中漢字変換ツール」http://www.jcinfo.net/jp/kanji/ にて単語ごとに変換しながら調査する。 →2の前半・後半、3について出典を確認。 ⑫1の「随珠 異質同研」でGoogle検索 →「孫過庭の書論 中本白洲 書道教室のページ」http://www.shodoukyoushitu.net/sonnkatei.html にて「書譜」の一部に同様の文があるとわかる。 ⑬⑫の裏づけをとるために、書譜の原本を探すが当館所蔵なし。 ⑭国立国会図書館デジタルコレクションにて「孫過庭 書譜」で検索 →『孫過庭書譜衍釈 : 一名・芸術書論』で該当の文があることを確認。 ⑮利用者にここまで回答したところ、これで大丈夫のことで調査を終了した。 参考資料:全唐詩庫, (http://www3.zzu.edu.cn/qts/ (2016-10-10確認)) 照会先:愛知県図書館 寄与者:国立国会図書館レファレンス協同データベース事業サポーター 寺尾様 《追記》部

松戸にあった陸軍予備士官学校について調べたい。 知人から預かった、御本人の当時の肖像写真に、「松戸陸軍予備士官学校 甲種幹部候補生」と墨書してあった。この学校について書かれたものはないか。(千葉県立西部図書館)

回答プロセス(1)のとおり、「予備士官学校」という名称ではみつからなかったが、松戸市にあった戦争関連施設が該当していそうだということになったため、(2)「陸軍工兵学校」や(3)「航空機乗員養成所」について調査した。 工兵学校でも予備士官学校と同等の教育をしていたとの記述が(1)の【資料1】『日本陸海軍事典』(原剛編 新人物往来社 1997)にあったため、(2)「陸軍工兵学校」の【資料2】から【資料5】を中心に回答とした 回答プロセス:千葉県立図書館OPAC(蔵書検索システム)、松戸市立図書館OPAC、千葉県内図書館横断検索、NDLサーチ、リサーチナビ(目次データベース、近代日本軍事関係文献目録)、CiNii Articles、CiNii Booksなどを検索した。 また、レファレンス協同データベースの事例や、千葉県立中央図書館が作成したパスファインダー、「千葉県の「戦争遺跡」を調べる」も参考にした。 (http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000029907) (http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000020-CHB1681998) (1)陸軍予備士官学校について 以下の資料からは、松戸市(松戸町)に存在していたことが確認できなかった。 『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦編 東京大学出版会 2005) p337 予備士官学校の項目に松戸の記載なし。 『帝国陸海軍事典』(大浜徹也編 同成社 1984) p59-60 教育機関の組織図と所在地名あり。予備士官学校は松戸にはない。 【資料1】『日本陸海軍事典』(原剛編 新人物往来社 1997) p175-176「陸軍予備士官学校」 「(前略)工兵・通信・習志野・自動車学校など各実施学校は校内に幹部候補生隊を編制し、予備士官学校と同様の教育を実施した。」との記述あり。 『国防大事典』(桜井忠温編 国書刊行会 1978) 『国家総動員史 上巻』(石川準吉著 国家総動員史刊行会 1983)補巻も確認。 p1778- 各学校の編制表あり。 『千葉県の戦争遺跡をあるく 戦跡ガイド&マップ』(千葉県歴史教育者協議会編 国書刊行会 2004) p61-76「松戸コース「陸軍工兵学校」と「帝都防衛の戦跡」を下総台地の西部に見る」 「「下士官候補者及び甲種幹部候補生教育」などを目的とした兵科学校を急いで創設した(後略)」、との記述あり。 『TOKYO軍事遺跡』(飯田則夫著 交通新聞社 2005) p138-141「千葉エリア No.24 陸軍工兵学校」 『房総発見100』(産経新聞社千葉総局編著 崙書房出版 1998) p76-77「軍都松戸の象徴 陸軍工兵学校」 なお、次の情報も参考とした。 Wikipedia「幹部候補生 (日本軍)」の項目に、幹部候補生教育について記述があった。 3 甲種幹部候補生の教育施設 「歩兵科の派遣先は陸軍予備士官学校がもっとも一般的であるが、候補生の総数に対して学校の規模が十分でなく、改正陸軍補充令附則第5条にもとづいて陸軍歩兵学校、陸軍教導学校などの施設を利用して教育する場合があった。(中略)陸軍工兵学校などの校内に幹部候補生隊を編成して教育をした。」 また、Wikipedia「陸軍予備士官学校 (日本)」の項目にも、同様の記述があった。 1.3 陸軍予備士官学校に準ずる組織 (2)陸軍工兵学校について 松戸にあった陸軍関連施設として、工兵学校を調べた。 千葉県立図書館ホームページで公開している、千葉県関係のデータベース「菜の花ライブラリー」や松戸市立図書館OPACを検索したところ、雑誌『松戸史談』に掲載があった。 【資料2】に、「工兵学校は実施学校であるが、歩兵学校とは異なり補充学校を兼ねた一面を持っており、昭和13年1月から(甲種)幹部候補生教育を実施していた」ということが書かれていた。 【資料2】春山善良「陸軍工兵学校始末記」(『松戸史談』 第29号 1990)p1-13 質問者によると、この手記の記述が知人から聞いた話と合致するとのことなので、予備士官学校ではなく松戸工兵学校に関する資料を、上記(1)とあわせて次のとおり紹介した。 以下は千葉県立図書館に所蔵あり。 【資料3】『松戸市史 下巻 2大正昭和編』(松戸市誌編さん委員会編集 松戸市役所 1978) p456-467「陸軍工兵学校の開設」 【資料4】『陸軍工兵学校』(工友会著 工友会事務局 1977) 学校史、各種記録、名簿、関係者の文集から成る。 「下士官候補者教育の経過」、「幹部候補生教育の経過」の章もあり。 【資料5】『陸軍工兵学校 続』(工友会著 工友会事務局 1985) 『松戸市の昭和 写真アルバム』(いき出版 2015) 『目で見る松戸の100年』(郷土出版社 2008) p61、76-77 演習などの写真あり 『松戸の昭和史 子らに語りつぐふるさとの歴史』(安藤操[ほか]編 千秋社 1993) p128-137「陸軍工兵学校」 『幻の本土決戦 第1巻 房総半島の防衛』(石橋正一著 千葉日報社 1989) p69-74「陸軍工兵学校」 1 摂政宮殿下ご見学 2 架橋機材など開発 3 江戸川で架橋演習 下士官候補者教育と甲種幹部候補生教育を行っており、「豊橋、久留米などの予備士官学校に幹部候補生編成の幹部要員を転進させた時点で終戦を迎えた」との記述がある。 『松戸の歴史案内 改訂新版』(松下邦夫著 郷土史出版 1982) 『旧帝国陸軍編制便覧 第2巻』(大内那翁逸共編 大内那翁逸 1995) 第二部p10-11「教育(主として学校の創設・廃止・併合)変遷表」 第二部p117 学校長、教育部長、教官の名簿あり また、松戸市立図書館の所蔵資料を紹介した(内容は未確認)。 『陸軍工兵学校職員表』(春山善良編 春山善良 1991) 『松工会回想録 松戸陸軍工兵学校幹部候補生隊第二期生』(〔松工会〕 1982) 『陸軍工兵学校よもやま話』(春山善良編 春山善良 1984) (3)航空機乗員養成所について さらに、松戸にあった戦争関連施設としては、「松戸中央航空機乗員養成所」がある。 (逓信省航空局所轄。18年4月以降、「中央」を「高等」と改称。『千葉県の戦争遺跡をあるく』では、逓信省松戸飛行場、陸軍「松戸基地」、などの名称もあり。) インターネットサイトに次の記述があったので、念のためこのサイトも紹介した。 「入所資格は地方航養所卒業生、且つ、軍事訓練修了者とし、全寮制で普通科と高等科があった。前者は1年の課程であり陸軍予備士官学校と相当し、後者は2年の課程であり、陸軍士官学校に相当するととらえられていた。」 WEB版「航空と文化」(一般財団法人日本航空協会 ) (http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.03.10historyswkb-top.htm) 徳田忠成「逓信省航空局 航空機乗員養成所物語」(11) 中央航空機乗員養成所の設立 また、以下の資料も確認し参考にした。 『印旛の空 長浜清・陸軍特別攻撃隊員の記録と印旛航空機乗員養成所五期生の回想』 (小林実[ほか]編 印養五期生回想集出版委員会 1997) p44-54 中村正「印旛地方航空機乗員養成所」 (初出は『うすゐ 第12号』(臼井文化懇話会 1996) 「(前略)昭和十年代、逓信省航空局の新航空政策に基づき、民間航空の拡充と、陸海軍の予備航空要員確保のため、多数の航空機乗員を必要としたことから、全国に十五の逓信省所管の航空機乗員養成所があった(中略)。 千葉県には、松戸に松戸高等(中央)航空機乗員養成所があり、(後略)」 「当時、乗員養成所には陸軍系と海軍系があった。」 以下は千葉県立図書館に所蔵あり。 『21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ』 (戸田大八郎著 [戸田大八郎] [千葉] 1997) p170「松戸中央航空機乗員養成所/松戸陸軍飛行場」  所在地、任務、配属部隊、面積、開隊年月日などの記載あり 『日本民間航空通史』 (佐藤一一著 国書刊行会 2003) p207-230「航空機乗員養成所 第八節 中央(高等)航空機乗員養成所」ほか p217に、「中央航空機乗員養成所普通科は陸軍予備航空士官学校と同等、(後略)」との記述あり。 また、p224に本科生・操縦生の各期在籍一覧表、p225~に松戸の第1~5期生までの入所年・卒業年あり。 松戸市立図書館には、次の資料があったのでこれも紹介した。 『赤とんぼ 旧逓信省航空機乗員養成所 本科第二期生会記念誌』 (旧逓信省改空機乗員養成所本科第二期生会 1980) 『松戸高等航空機乗員養成所 卒業生・職員 総会記念誌』 (杉山均編 松戸航養会 1998) (4)その他 ・確認済み資料 『千葉県の歴史 通史編近現代2 県史シリーズ 7』(千葉県史料研究財団編集 千葉県 2006)p116 ・未確認資料 国会図書館所蔵資料 『日本陸軍工兵史』(吉原矩著 九段社 1958) 荒山彰久「新・航空史発掘(9)松戸飛行場(1)中央(松戸高等)航空機乗員養成所」 (『航空情報 = Aireview』 65巻3号通巻858号)p92-95 (インターネット最終アクセス:2019年9月15日) 参考資料:【資料1】『日本陸海軍事典』(原剛編 新人物往来社 1997)(1101551089), 参考資料:【資料2】春山善良「陸軍工兵学校始末記」(『松戸史談』 第29号 平成2年)p1-13 (1501490707), 参考資料:【資料3】『松戸市史 下巻 2大正昭和編』(松戸市誌編さん委員会編集 松戸市役所 1978)(1102088925), 参考資料:【資料4】『陸軍工兵学校』(工友会著 工友会事務局 1977)(9200295221), 参考資料:【資料5】『陸軍工兵学校 続』(工友会著 工友会事務局 1985)(9200295230), 参考資料:「菜の花ライブラリー」(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/nanohana/index.html),

葬儀の際に茶碗にご飯をよそって中央に箸を立ててそなえる「一杯飯」(一膳飯とも言う)や、旅行や他界により不在の者のためにそなえる「陰膳」について調べている。事典レベルの情報量ではなく、ある程度まとまったもの、研究論文などが読みたい。(千葉県立西部図書館)

次のとおり、【資料1】から【資料13】を紹介する。 (1)枕飯について 辞典を確認したところ、「一杯飯」や「一膳飯」は、「枕飯」という名称が一般的であることがわかったため、「枕飯」について以下のとおり調査した。 【資料1】『葬と供養』(五来重著 東方出版 1992) p880-987「霊供」 p739-754「民俗の臨終儀礼」 枕飯と枕団子ほか 【資料2】『五来重著作集 第12巻 葬と供養(下)』(五来重著 法藏館 2009) 上記【資料1】を底本に再編集したもの。 【資料3】『お葬式 死と慰霊の日本史』(新谷尚紀著 吉川弘文館 2009) p54-75「枕飯と引っ張り餅」ほか p63-64「三種類の米」 「さて、このように、日本の葬式ではお米や餅がたいへん重要な役割を持っています。そして、葬儀に際してのお米には、三種類があります。一つはいまみたようなアトミラズや枕飯など死者のための米、もう一つは死者と生者との食い別れの米です。出立ちの飯とか、引っ張り餅などです。四十九餅も(中略)。そして、もう一つが生きている人のための米で、香典がそれです。」 同じ内容が、同著者の次の資料で詳しく述べられている。 【資料4】『日本人の葬儀』(新谷尚紀著 紀伊国屋書店 1992) p32-62「米の霊力」 【資料5】『定本柳田国男集 第14巻』(筑摩書房 1988) p240-258「食物と心臓 米の力」 p259-274「生と死と食物」 (「生と死と食物」は『葬送墓制研究集成2 葬送儀礼』(名著出版 1986)にも所収。) 【資料6】井阪康二「枕飯考」(『御影史学論集』 2号 御影史学研究会 1974.6)p1‐17 国立国会図書館デジタルコレクション(図書館送信資料 永続的識別子info:ndljp/pid/7930533) 【資料7】田中宣一「枕飯と枕団子:葬送儀礼における雑神への施食」(『日本常民文化紀要』 成城大学 20輯 1999.3)p1-23 成城大学リポジトリ(http://id.nii.ac.jp/1109/00000449/) 【資料8】林承緯「脚尾飯と枕飯:台日葬具の比較民俗研究の試み(特集 葬送という文化)」(『中国21』 愛知大学現代中国学会 Vol.41 2014.8)p133-149 愛知大学リポジトリ(http://id.nii.ac.jp/1082/00007308/) (2)陰膳について 【資料9】『桜井徳太郎著作集4 民間信仰の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1990) p113-137「陰膳習俗源流考」 「民間信仰成立の基盤 陰膳習俗の源流」(『日本歴史』 日本歴史学会 182号 1963.7)及び『民間信仰 塙選書56』(桜井徳太郎著 塙書房 1980)も、ほぼ同内容。 【資料5】『定本柳田国男集 第14巻』(筑摩書房 1988) p445-449「影膳の話」 【資料10】大越公平「加計呂麻島芝(奄美)におけるカゲゼン習俗とカミオガミの行事 家族組織研究の一視点」(『南島史学』 南島史学会 14号 1979.9)p54-76 国立国会図書館デジタルコレクション(図書館送信資料 永続的識別子info:ndljp/pid/4419224) 【資料11】佐々木陽子「「お供え」と「蔭膳」:不在者との共食」(『現代民俗学研究』 現代民俗学会 4号 2012)p25-38 つくばリポジトリ(筑波大学)(http://hdl.handle.net/2241/00143576) 【資料12】佐々木陽子「ジェンダーを潜めた習俗「墓参り」「お供え」「蔭膳」:鹿児島県枕崎市を中心に」(『地域総合研究』 地域総合研究所 40巻2号 2013.2)p39-53 鹿児島国際大学リポジトリ(http://id.nii.ac.jp/1654/00000570/) 【資料13】関敬吾「蔭膳のこと」(『民間伝承』 6巻7号 秋田書店 1941.4)p73 国立国会図書館デジタルコレクション(館内限定資料 永続的識別子info:ndljp/pid/2264301)  復刻版 『民間伝承 第2巻(第4巻1号~第7巻6号)』(民間伝承の会編 国書刊行会 1985)p371 回答プロセス:(1)まず、民俗学の事典で基本事項を確認する。 「一杯飯」、「一膳飯」ではほとんどみつからないため、ジャパンナレッジLib(オンラインデータベース)を検索したところ、『大辞泉』、『日本国語大辞典』では「枕飯」という用語も紹介されていた。 (なお、後述の「枕飯と枕団子」(田中宣一)という論文では、「枕飯・枕団子は研究上の術語としても定着している」と書かれている。また、『日本民俗大辞典』索引では一杯飯から枕飯へ参照指示があった。) そこで、「枕飯」も追加して以下の辞典をひき直し、内容と参考文献を確認した。 『日本民俗語大辞典』(石上堅著 桜楓社 1983) 『民俗学辞典』(柳田國男監修 東京堂出版 1951) 『日本民俗事典』(大塚民俗学会編 弘文堂 1978) 『日本民俗大辞典』(福田アジオ[ほか]編 吉川弘文館 1999) 『民俗小事典死と葬送』(新谷尚紀編 吉川弘文館 2005) (なお、「蔭膳」は『国史大辞典』にもあり。) 千葉県立図書館OPAC(蔵書検索システム)、NDLサーチ、リサーチナビ(目次データベース等)、CiNii Articles、CiNii Booksなどを以下の検索語で検索するとともに、民俗学の書架をブラウジングし関係のありそうな図書について内容を確認した(千葉県立図書館の所蔵分のみ)。 検索語: かげぜん(陰膳、影膳、蔭膳)、枕飯、一杯飯、一膳飯、米、葬式、葬制、葬送、供養、生と死、民間信仰、風習、民俗、習俗、まじない、祈り 以上から、【資料1】から【資料13】を見つけた。 (2)以下は枕飯等について触れられていた資料である。必要に応じて紹介する。 『葬送儀礼の民俗 民俗民芸双書 62』(佐藤米司著 岩崎美術社 1981) Ⅱ 各地の事例 p114-115「枕飯・ホウロクメシ」 p175-176、p194-195 枕飯の事例紹介あり。 『日本民俗地図7 葬制・墓制』(文化庁編集 国土地理協会 1980)  枕飯・枕だんごの分布図と解説あり。 『日本民俗調査報告書集成[12] 関東の民俗 千葉県編』(大島暁雄[ほか]編著 三一書房 1994)  県内の事例が紹介されている。 なお、日本各地の事例については、各市町村史の民俗編などにもよく掲載されている。 『関東の葬送・墓制』(池田秀夫[ほか]著 明玄書房 1979)  各県ごとに、枕団子・枕飯や赤飯などの事例が紹介されている。 『図説葬儀』(松本慈恵著 国書刊行会 2001) p78-80「枕団子」、「枕飯」 『東アジア葬・墓制の研究』(斎藤忠著 第一書房 1987) p408-409「供膳」 (3)千葉県立図書館に所蔵なし(内容未確認)。 『死・葬送・墓制資料集成 東日本編 国立歴史民俗博物館資料調査報告書 9』 (国立歴史民俗博物館 1999)1、2巻 井阪康二「葬式と食物」(『岡山民俗文化論集』 岡山民俗学会 1981) 関沢まゆみ「行き場を失った枕飯 (特集 死の現在)」(『現代宗教』 秋山書店 国際宗教研究所編 2004)p178-197 古川のり子「日本神話と葬式の民俗 泣き女・枕飯 (〈スピリチュアル〉をめぐって)」(『死生学年報』 リトン 東洋英和女学院大学死生学研究所編 2008)p207-228 福岡サヨ「祈りの「陰膳」」(『女性と経験』 35号 女性民俗学研究会 2010.10)p125-128 加藤良治「かげ膳考」(『西郊民俗』 西郊民俗談話会 177号 2001.12)p7-11 小林美恵子「『香に匂ふ』「かげ膳」を据えたがる〈女たち〉」(『国文目白』 43号 2004.2)p85-96 (インターネット最終アクセス:2019年9月10日) 参考資料:【資料1】『葬と供養』(五来重著 東方出版 1992)(1101041236), 参考資料:【資料2】『五来重著作集 第12巻 葬と供養(下)』(五来重著 法藏館 2009)(0106167103), 参考資料:【資料3】『お葬式 死と慰霊の日本史』(新谷尚紀著 吉川弘文館 2009)(2102217630), 参考資料:【資料4】『日本人の葬儀』(新谷尚紀著 紀伊国屋書店 1992)(1101086864), 参考資料:【資料5】『定本柳田国男集 第14巻』(筑摩書房 1988)(1100734324), 参考資料:【資料6】井阪康二「枕飯考」(『御影史学論集』 2号 御影史学研究会 1974.6), 参考資料:【資料7】田中宣一「枕飯と枕団子:葬送儀礼における雑神への施食」(『日本常民文化紀要』 成城大学 20輯 1999.3), 参考資料:【資料8】林承緯「脚尾飯と枕飯:台日葬具の比較民俗研究の試み(特集 葬送という文化)」(『中国21』 愛知大学現代中国学会 Vol.41 2014.8), 参考資料:【資料9】『桜井徳太郎著作集4 民間信仰の研究』(桜井徳太郎著 吉川弘文館 1990)(1100826758), 参考資料:【資料10】大越公平「加計呂麻島芝(奄美)におけるカゲゼン習俗とカミオガミの行事 家族組織研究の一視点」(『南島史学』 南島史学会 14号 1979.9), 参考資料:【資料11】佐々木陽子「「お供え」と「蔭膳」:不在者との共食」(『現代民俗学研究』 現代民俗学会 4号 2012), 参考資料:【資料12】佐々木陽子「ジェンダーを潜めた習俗「墓参り」「お供え」「蔭膳」:鹿児島県枕崎市を中心に」(『地域総合研究』 地域総合研究所 40巻2号 2013.2), 参考資料:【資料13】関敬吾「蔭膳のこと」(『民間伝承』6巻7号 秋田書店 1941.4)p73 復刻版 『民間伝承 第2巻(第4巻1号~第7巻6号)』(民間伝承の会編 国書刊行会 1985)(9103897892),

小石川養生所で働いていた人の身分や扱いが知りたい。(与力、同心、医療関係者など。)(千葉県立西部図書館)

回答プロセス(1)の日本史事典のほか、以下の資料を紹介した。調査段階や範囲に応じて回答プロセス(2)、(3)にある資料も紹介する。 【資料1】『江戸の社会構造』(南和男著 塙書房 1969) p295-341「養生所の成立と実態」 養生所の成立、内部組織や運営、経費などが詳しく書かれている。出典である『旧幕府引継書』(国会図書館所蔵)の目録あり。 なお、『旧幕府引継書』にある養生所関連の史料については、次に紹介されている。これらの史料は国立国会図書館デジタルコレクションとして閲覧可能である(影印)。 (国立国会図書館のリサーチナビ・調べ方案内『旧幕府引継書』参照。) 南和男「古書古人(6)養生所史料」 (『参考書誌研究』 国立国会図書館 第9号 1974)p50-51 【資料2】『江戸の養生所』(安藤優一郎著 PHP研究所 2005) p72-74「町奉行大岡忠相と小石川養生所 幕府エリート医師たちの任命」 p94-104「養生所の入所生活1 養生所のスタッフとは」 医師や肝煎の役料、褒美について詳細な記述がある。見習医師の待遇のほか、看病人や養生所見廻り与力・同心の業務内容、人数、給金も書かれている。 【資料3】『大岡忠相』(大石学著 吉川弘文館 2006) p96-100「下層民対策と小石川養生所」 養生所設立計画書の内容として、与力、年寄同心、平同心の人数や業務内容が記されているほか、精励手当が与えられた事例などが載っている。 【資料4】『江戸役人役職大事典』(新人物往来社編 新人物往来社 1995) p138-141「養生所見廻り与力」 与力の職務内容が詳しく書かれている。同心、中間、医師の記述もあり。 【資料5】『江戸時代制度の研究』(松平太郎著 新人物往来社 1993) p892-895「養生所」 経費や職員、給金について記述がある。 【資料6】山口静子著「小石川養生所初期の医療活動」(『日本医史学雑誌』 日本医史学会 第61巻第1号 通巻1557号 2015)p88 第116回 日本医史学会総会抄録号 一般口演67 日本医史学会(http://jsmh.umin.jp/journal/61-1/index.html) 【資料7】順天堂大学古文書研究会「貧民養生所記録」(『日本医史学雑誌』 日本医史学会 第62巻第1号 通巻1561号 2016)p17-37 日本医史学会(http://jsmh.umin.jp/journal/62-1/index.html) 「貧民養生所記録」が翻刻されている。 【資料8】鈴木紀子「職業看護婦の始まりに関する一考察:「小石川養生所」「長崎養生所」「横浜梅毒病院」を通して」(『法政史学』 法政大学史学会 80号 2013)p72-88 一 「小石川養生所」の看病中間と女看病人 法政大学学術機関リポジトリ(http://hdl.handle.net/10114/10621) 【資料9】『日本病院史』(福永肇著 PILAR PRESS 2014) p54-61「江戸時代中期「施療院小石川養生所」」 「当初、小石川養生所の運営費は町奉行が負担し、江戸町奉行大岡越前の管轄下に与力(下級武士)二名、同心六名を配置、下男八名、下女三名が看護にあたった。経費は当初、年額七百両であり一日あたり約二両になる。医師は常勤・非常勤の合計八~九名で、診療科目は(後略)」 【資料10】『日本医療史』(新村拓編 吉川弘文館 2006) p104-105「図20 徳川幕府(医員)の職制」 p112-115「小石川養生所の施療と看護」 「町奉行所配下の与力二人と同心一〇人が運営と警備に当たったが、ほかに看病などのための下働きの男が八人、看病や洗濯のための女が三人、飯焚・汁焚・水汲み・門番が各一人、小使と調剤師が各二人という構成であった。(中略)寄合医師と小普請医師が役料(本給)のほか隔年に銀七~一〇枚という待遇でこれを担当した。」 【資料11】『時代考証事典 続』(稲垣史生著 新人物往来社 1985) p190-193「幕府医員の職務内容」 p201-204「吉宗将軍お声がかりの養生所」「入院と療養の実際」「養生所の出納について」 【資料12】『歴史の中の病と医学』(山田慶児共編 思文閣出版 1997) p375-383「小石川養生所の「看病人」」 回答プロセス:(1)まず、日本史事典などで小石川養生所について確認した。これらにも職員・医員の種類や人数、給与が載っていた。 『国史大辞典』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1993) p338「養生所」 『東京市史稿』ほか参考文献あり。 『徳川幕府事典』(竹内誠編 東京堂出版 2003) p373-374「養生所」 p169「医師」 『古事類苑 官位部三』ほか参考文献あり。 『江戸幕府大事典』(大石学編 吉川弘文館 2009) p815-816「養生所」 寄合医師、小普請医師などの項目もあり。 『江戸東京学事典』(小木新造編 三省堂 2003) p584-585「養生所」 また、レファレンス協同データベースで他館の事例を参照した。 「「小石川養生所」について書かれている文献。」(国立国会図書館 管理番号A2001F4745) 千葉県立図書館OPAC(蔵書検索システム)、千葉県内図書館横断検索、NDLサーチ、江戸東京博物館図書室OPAC、リサーチナビ(目次データベース等)、CiNii Articles、CiNii Booksなどを以下の検索語で検索するとともに、2~4分類(近世史、法制史、医療・病院史)の書架をブラウジングし関係のありそうな図書について内容を確認した(千葉県立図書館の所蔵分のみ)。 検索語: 小石川、養生所、職制、官職、役職、町奉行、禄(高)、役高(役料)、医学、病院、医療、歴史、江戸、日本 その他、『日本近世史図書目録』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 1993)ほか「歴史図書総目録シリーズ」、及び各資料に掲載されている参考文献等を確認した。 また、東京都立図書館の「テーマ別調べ方案内 東京について調べる」を参照し、次の目録を確認した。 『江戸・東京学雑誌論文総覧』大串夏身、江戸・東京資料研究会編(青弓社 1994年) 『東京に関する文献目録 雑誌文献編』東京市政調査会市政専門図書館編(東京市政調査会 1992年) 『江戸・東京学研究文献案内』(大串夏身編 青弓社 1991) 以上により見つかった資料の内容を確認し、【資料1】から【資料12】を紹介した。 (2)以下は養生所や与力・同心について触れられていた資料である。必要に応じて紹介する。 『江戸町奉行事蹟問答』(佐久間長敬著 東洋書院 2000) p86-129 巻四と、巻末の改題に、与力・同心の職務や役料などが書かれている。ただし、養生所見廻り与力・同心に限ったものではない。 『図説・江戸町奉行所事典』(笹間良彦著 柏書房 1991) 与力、同心について記述あり。 p61-62「養生所見廻与力」 『江戸幕府役職集成』(笹間良彦著 雄山閣出版 1976)  江戸城勤番武士の職制 p193-194「老中支配の諸役 養生所見廻り」 p319-320「若年寄支配の諸役 小石川養生所医師」 『江戸時代役職事典』(川口謙二[ほか]著 東京美術 1981) 巻末に、付録 江戸幕府役職要覧あり。詰部屋、官位、職禄、家禄、定員、昇進経路や配下の吏員数などあり。 『江戸の町役人 <江戸>選書 4』(吉原健一郎著 吉川弘文館 1980) p5-6「町役人とは 与力と同心」 『医界風土記 関東・甲信越篇』(日本医師会編集 思文閣出版 1994) p181-182「東京都 赤ひげ先生-小川笙船と小石川養生所- 玉置勉著」 「院長は小川笙船、副院長は息子の園治、記録に残る医師は、林良適、岡丈庵、木下道園、八尾伴庵、堀長慶の計七名のみ。」 『江戸時代医学史の研究』(服部敏良著 吉川弘文館 1988) p772-775「養生所医師」 「(前略)本道(内科)医は五〇両、外科・眼科医は二〇両づつ支給(後略)」 『江戸の医療風俗事典』(鈴木昶著 東京堂出版 2000) p283-284「いまに伝わる医家たち 小川笙船 目安箱で養生所」 「笙船を中心にして本道(内科)、外科、眼科の医師九人と与力二人が配置されていた。」 『医療と日本人 医師がひもとく日本の近世』(江藤文夫著 医歯薬出版 2019) p68-69「医学校と病院の導入 病院とホスピタル 小石川養生所」 開設の経緯や廃止前の様子などが書かれている。 『医師の歴史 その日本的特長』(布施昌一著 中央公論社 1979) p127 付記1 徳川将軍家の侍医団の組織表あり(扶持、役料)。 『日本の病院 その歩みと問題点』(菅谷章著 中央公論社 1981) p15-17「近代病院への夜あけ 小石川養生所」 『東京市史稿 救済篇 第1』(東京市役所編纂 臨川書店 1975)小石川養生所修理 『東京市史稿 救済篇 第3』(東京市役所編纂 臨川書店 1975)小石川養生所改革、小石川養生所修理 『東京市史稿 救済篇 第4』(東京市役所編纂 臨川書店 1975)小石川養生所改革 『東京市史稿 産業篇 第14』(東京都編纂 東京都 1970)小石川養生所定書 『東京市史稿 市街篇 第20』(東京市役所編 臨川書店 1997)小石川養生所設立 『東京市史稿 市街篇 第28』(東京市役所編 臨川書店 1998) 小石川養生所患者数 (3)千葉県立図書館に所蔵なし(内容未確認)。 『赤ひげと小石川養生所:肝煎の歴史 上・下』(小川明著 小川明 2010) 『江戸幕府職官考9 雑職』(萩野由之編纂 文化図書 2011) 『大江戸役人役職読本 時代小説がもっと面白くなる!』 (新人物往来社編 新人物往来社 2009) 『数字と図表で読み解く徳川幕府の実力と統治のしくみ』 (蒲生眞紗雄著 新人物往来社 2010) 「享保の改革の成功と限界」(『週刊 新発見!日本の歴史』 32号(江戸時代5) 朝日新聞出版 2014) 『徳川吉宗 享保の改革とその時代』(大石慎三郎監修 日本放送出版協会 1994) 南和男著「養生所考 上」(『国史学』 国史学会 62号 1954.02)p56-65 南和男著「養生所考 下」(『国史学』 国史学会 63号 1954.10)p37-44 (インターネット最終アクセス:2019年9月10日) 参考資料:【資料1】『江戸の社会構造』(南和男著 塙書房 1969)(2100714673), 参考資料:【資料2】『江戸の養生所』(安藤優一郎著 PHP研究所 2005)(2101791149), 参考資料:【資料3】『大岡忠相』(大石学著 吉川弘文館 2006)(0105972210), 参考資料:【資料4】『江戸役人役職大事典』(新人物往来社編 新人物往来社 1995)(1101378214), 参考資料:【資料5】『江戸時代制度の研究』(松平太郎著 新人物往来社 1993)(1101186995), 参考資料:【資料6】山口静子著「小石川養生所初期の医療活動」(『日本医史学雑誌』 日本医史学会 第61巻第1号 通巻1557号 2015)p88, 参考資料:【資料7】順天堂大学古文書研究会「貧民養生所記録」(『日本医史学雑誌』 日本医史学会 第62巻第1号 通巻1561号 2016)p17-37, 参考資料:【資料8】鈴木紀子「職業看護婦の始まりに関する一考察:「小石川養生所」「長崎養生所」「横浜梅毒病院」を通して」(『法政史学』 法政大学史学会 80号 2013)p72-88, 参考資料:【資料9】『日本病院史』(福永肇著 PILAR PRESS 2014)(1102362362), 参考資料:【資料10】『日本医療史』(新村拓編 吉川弘文館 2006)(1102015526), 参考資料:【資料11】『時代考証事典 続』(稲垣史生著 新人物往来社 1985)(2100513880), 参考資料:【資料12】『歴史の中の病と医学』(山田慶児共編 思文閣出版 1997)(1101541449),

谷崎潤一郎の作品に、句読点を一切付けないものがあると聞いた。作品名を知りたい。(千葉県立西部図書館)

今回調査した範囲では、句読点を一切付けない作品は見当たりませんでした。ただし、『春琴抄』や『蘆刈』という作品については、以下の【資料1】~【資料6】で「句読点が少ない」「句読点を削除した」という説明がされています。参考までにご紹介します。 【資料1】『谷崎潤一郎の世界』(稲沢秀夫著 思潮社 1979)p159 【資料2】金明哲「読点から現代作家のクセを検証する」(『統計数理』44巻1号 1996)p121-125(https://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/tokeisuri-44j.html) 【資料3】『日本現代文学大事典 作品篇』(三好行雄[ほか]編集 明治書院 1994)p431 【資料4】『日本文芸鑑賞事典 10』(石本隆一[ほか]編纂 ぎょうせい 1988)p177 【資料5】『日本文学鑑賞辞典 近代編』(吉田精一編 東京堂出版 1978)p337 【資料6】李漢正「表現における越境と混淆 谷崎潤一郎と日本語」(東京大学 博士論文 2006)(http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=121696) (インターネット最終アクセス:2019年8月8日) 回答プロセス:・検索エンジンで「谷崎潤一郎」「句読点」「句点」「読点」等のキーワードで検索して、問合せの作品名についてヒントを得ようとしました。Googleブックスでの検索結果から【資料2】を見つけ、本文を確認したところ、「春琴抄」において句読点が少ないことがわかりました。 【資料2】p123「谷崎の「痴人の愛」、「吉野葛」、「青春物語」では平均約24~27文字置きに一つの読点を付けているが、「春琴抄」の場合は平均約195文字置きに一つの読点を付けている。読点を付ける間隔から見ると、「春琴抄」の文体は谷崎潤一郎の他の作品とは異なると考えられる。」 ・自館の蔵書検索システムで件名「谷崎潤一郎」と検索して関連資料に当たりました。 【資料1】p159「「春琴抄」での句読点の省略あるいは句読点の打ち方についても、谷崎潤一郎は「文章読本」で詳しく説明して」います。 なお、「文章読本」の本文を確認したところ、句読点に関する記述がありました。 「文章読本」(『谷崎潤一郎全集 第21巻』 中央公論社 1968)p87-246 p214「句読点」 「読者が読み下す時に、調子の上から、そこで一と息入れて貰いたい場所で打つことにしておりますが、その息の入れ方の短い時に 、 や長い時に 。 を使います。(中略)私の「春琴抄」と云う小説の文章は、徹底的に此の方針を押し進めた一つの試みであり(後略)」 ・自館の書架で分類910(日本文学)の辞典類に当たりました。 【資料3】p431「句読点が極度に節約されているのが『春琴抄』の文体の特色である。」 【資料4】p177「本文には句読点、かぎかっこが極端に少ないのです。」 【資料5】p337「『吉野葛』『盲目物語』『紀伊国狐憑漆掻語』『覚海上人天狗になる事』『武州公秘話』『蘆刈』など、『春琴抄』に至るこの時期の作品は、すべて昔語りの説話体か、古書・古記録を使ったとみせる体裁で、あるいは仮名書きの味わいを生かし、または会話を地の文に混入し、句読点を減じ、変体仮名をさえ採用している。」 ・上の【資料5】に挙げられた各作品を「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)で閲覧し、それぞれページ内検索で句読点を強調表示してみました。その結果、調査者には『蘆刈』の句点の数が比較的少ないように見えました(例えば、作品全体のおおよそ3分の2を読み進んだところに「父はおしずにそれはそなたの思いすごしというものだからと、」から始まる文があり、その後しばらく句点がありません)。ただしこれは調査者の印象ですので、裏付けとなる資料を探しました。 ・検索エンジンで「谷崎潤一郎 蘆刈 句読点」と検索して【資料6】が見つかりました。本文は確認できていませんが、内容要旨で次のような指摘がされています。 【資料6】内容要旨「『蘆刈』は(中略)その古典作品との影響関係が注目された。本稿では(中略)句読点を削除していく過程を、自筆原稿と初版本の対比分析によって捉えた。読点を多く省略したこの小説は、語と語の関係において視覚的に連続性を印象づける。」 参考資料:【資料1】『谷崎潤一郎の世界』(稲沢秀夫著 思潮社 1979)(1101631582), 参考資料:【資料2】金明哲「読点から現代作家のクセを検証する」(『統計数理』44巻1号 1996)(https://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/tokeisuri-44j.html), 参考資料:【資料3】『日本現代文学大事典 作品篇』(三好行雄[ほか]編集 明治書院 1994)(1101301513), 参考資料:【資料4】『日本文芸鑑賞事典 10』(石本隆一[ほか]編纂 ぎょうせい 1988)(1100572816), 参考資料:【資料5】『日本文学鑑賞辞典 近代編』(吉田精一編 東京堂出版 1978)(1100058239), 参考資料:【資料6】李漢正「表現における越境と混淆 谷崎潤一郎と日本語」(東京大学 博士論文 2006)(http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=121696),

植民地支配していた国と支配されていた国との関係が地図上でわかる資料がほしい。(千葉県立西部図書館)

まず、一つの世界地図上で関係がわかる資料を紹介します。 【資料1】『世界史年表・地図』(亀井高孝編 吉川弘文館 2006) 世界史地図編p50「1884年の列国植民地」「1914年の列国植民地」 【資料2】『三省堂世界歴史地図』(ピエ-ル・ヴィダル=ナケ編 三省堂 1995) p251「1900年頃の世界の分割」 【資料3】『世界歴史地図』(ハンス‐エーリヒ=シュティーア[ほか]原著 帝国書院 1982) p106「1900年頃の列強」 【資料4】『グローバリゼーション 世界地図から学ぼう国際理解』(古内洋平著 ほるぷ出版 2007)p28-29「旧宗主国と旧植民地」 【資料5】『列強「植民帝国」旗章図鑑』(苅安望編著 彩流社 2009) p6「1898年植民地・海外領土地図」「1945年植民地・海外領土地図」 【資料6】『世界大百科事典 14』(平凡社 2007) p61「植民地」図「世界のおもな非自治地域」 【資料7】『日本大百科全書 12』(小学館 1995) p249「植民地」 次に、地域単位(アジア・アフリカ)や旧宗主国単位の地図上で関係がわかる資料を紹介します。 【資料8】『世界歴史地図』(R.I.ムーア編 東京書籍 1982) p137「1900年頃の東アジア」 p138「アフリカにおけるヨーロッパ帝国主義」 【資料9】『ラルース世界歴史地図』(木村尚三郎監訳 ぎょうせい 1991) p74-77付近 「ポルトガル植民地の発展」 「スペインの植民地」 「フランスの植民地」 「イギリス植民地の形成」 「オランダの植民地」 「イタリアの植民地」 回答プロセス:・まず百科事典を引いて【資料6】【資料7】が見つかりました。 【資料6】支配していた国(イギリス、フランス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、ニュージーランド、ポルトガル)別に、支配地域の地名、人口、面積、法的地位(植民地、海外県、自治領など)の一覧表が載っており、世界地図上にその位置が示されています。 【資料7】「第一次世界大戦直前(1914年)」の各国領土が世界地図上に色別で示されています。 ・次に、自館の書架で世界史に関する資料に当たりました。 【資料1】主な地名を付して各国領土が世界地図上に色別で示されています。 【資料2】主な地名を付してイギリス、フランス、ドイツなどの領土が世界地図上に色別で示されています。 【資料9】詳しい地名も載っています。 【資料3】主な国(イギリス、フランス、ドイツ)の領土が世界地図上に色別で示されています。詳しい地名も載っています。 【資料8】英語表記ですが詳しい地名も載っています。 ・さらに、自館の蔵書検索システムで件名「植民地 歴史」、全項目「宗主国 植民地」などと検索して関連資料に当たりました。 【資料5】地名の記載はありませんが、各国領土が世界地図上に色別で示されています。 また本文では、支配していた国別に、支配地域の地名、略歴、国旗が載っています。 【資料4】現在の国名が記載された世界地図上に、旧宗主国ごとに支配していた地域が色別で示されています。 参考資料:【資料1】『世界史年表・地図』(亀井高孝編 吉川弘文館 2006)(1101994041), 参考資料:【資料2】『三省堂世界歴史地図』(ピエ-ル・ヴィダル=ナケ編 三省堂 1995)(1101400315), 参考資料:【資料3】『世界歴史地図』(ハンス‐エーリヒ=シュティーア[ほか]原著 帝国書院 1982)(1100065618), 参考資料:【資料4】『グローバリゼーション 世界地図から学ぼう国際理解』(古内洋平著 ほるぷ出版 2007)(0600346951), 参考資料:【資料5】『列強「植民帝国」旗章図鑑』(苅安望編著 彩流社 2009)(2102217158), 参考資料:【資料6】『世界大百科事典 14』(平凡社 2007)(1102075088), 参考資料:【資料7】『日本大百科全書 12』(小学館 1995)(1101516230), 参考資料:【資料8】『世界歴史地図』(R.I.ムーア編 東京書籍 1982)(1100018574), 参考資料:【資料9】『ラルース世界歴史地図』(木村尚三郎監訳 ぎょうせい 1991)(1101018031),

「あさぎ色」がどのような色味か見てみたい。青色系の「浅葱色」ではなく、黄色系の「浅黄色」が載っている資料はないか。(千葉県立西部図書館)

以下の【資料1】から【資料3】に黄色系の「浅黄色」の色味が載っています。 【資料1】『日本の伝統色』(ピエ・ブックス 2007) p83「浅黄うすき」解説もあり。 【資料2】『日本の伝統色 その色名と色調』(長崎盛輝著 青幻舎 2001) p34「浅黄うすき Straw 赤みのうすい黄」 p165「浅黄うすき」解説もあり。 【資料3】『日本色彩大鑑 第1巻 古代の色』(松本宗久著 河出書房新社 1993) p20「浅黄あさき」 また、【資料4】から【資料7】には色味の掲載はありませんが、解説が載っています。 【資料4】『美しい日本の伝統色』(森村宗冬著 山川出版社 2013) p87「浅黄うすき」 【資料5】『日本史色彩事典』(丸山伸彦編 吉川弘文館 2012) p26「浅黄うすき」 【資料6】『日本色彩大鑑 別巻 解説』(松本宗久著 河出書房新社 1993) p72「浅黄あさぎ」 【資料7】山下洋子「「あさぎ」はどんな色?」(『放送研究と調査』 2014年11月)p73 (https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/kotobax3/pdf/114.pdf) (インターネット最終アクセス:2019年8月8日) 回答プロセス:・国立国会図書館サーチで「浅黄色」と検索して以下の資料に当たりましたが、黄色系のものは確認できませんでした。 高橋誠一郎「高橋誠一郎の染色技法アイデア講座(17)生葉染より鮮やかな浅黄色「インド藍液の煮染法」」(『月刊染織α』176号 1995.11)p62-65 『出雲民芸紙譜』(安部栄四郎著 出雲民芸紙業協同組合 1956)(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館送信参加館内公開) (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2479636) 「56 楮 浅黄染」 「58 楮 浅黄染 楮外皮入」 ・自館の書架757.3(色彩)付近で関連資料を探したところ、以下の資料の索引に「浅黄色」の記載がありましたが、いずれも黄色系のものではありませんでした。 『国際版色の手帖』(尚学図書・言語研究所編 小学館 1988) p79「ターコイズブルー浅葱色」 『色の百科事典』(日本色彩研究所編 丸善 2005) p500「浅葱色あさぎいろ」 ・ヒントを得るために検索エンジンで「あさぎ色」「浅葱」「浅黄」等と検索したところ、【資料7】から次のような情報が得られました。 「あさぎ」は「浅葱」とも「浅黄」とも書くが、「浅葱」が青色を指す一方で、「浅黄」は青色と黄色の両方を指す場合があり、区別するために、「浅黄」を「うすき」と読んだり、「うす玉子」と表現したりすることもあるそうです。 ・上の『色の百科事典』に「浅黄とも書くが『延喜式』では薄い黄色のこととされている」という記述があったことから、自館の蔵書検索システムで件名「色彩」「歴史」と全項目「平安」「古代」「歴史」「伝統」等のキーワードを組み合わせて検索しました。各資料の索引や目次で、「あさぎ」とともに、【資料7】で得た「うすき」「うすたまご」等のキーワードを確認した結果、【資料1】~【資料6】が見つかりました。 参考資料:【資料1】『日本の伝統色』(ピエ・ブックス 2007)(0105979239), 参考資料:【資料2】『日本の伝統色 その色名と色調』(長崎盛輝著 青幻舎 2001)(2101397786), 参考資料:【資料3】『日本色彩大鑑』5巻及び別巻(松本宗久著 河出書房新社 1993)(9102701766), 参考資料:【資料4】『美しい日本の伝統色』(森村宗冬著 山川出版社 2013)(2102570948), 参考資料:【資料5】『日本史色彩事典』(丸山伸彦編 吉川弘文館 2012)(0106339772), 参考資料:【資料6】『日本色彩大鑑 別巻 解説』(松本宗久著 河出書房新社 1993)(9102701793), 参考資料:【資料7】山下洋子「「あさぎ」はどんな色?」(『放送研究と調査』 2014年11月)p73 (https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/kotobax3/pdf/114.pdf)(0503700525),

佐野に伝わる伝説で「朝日長者夕日長者」というものがあるらしい。それに関する本はあるか。(高崎市立中央図書館)

郷土の民話・伝説を確認したところ、「佐野の舟橋」という伝説が、朝日長者の娘と夕日長者の息子の悲恋物語であることがわかりました。 以下、当館所蔵の参考資料になります。 高崎のむかしばなし p.26-29  佐野の舟橋 上州の史話と伝説 その2 p.15-20  悲恋の舟橋(1)  悲恋の舟橋(2) ふるさとの民話 高崎 p.67-71  佐野の舟橋 グラフぐんま 591号 p.21  ちょっと昔話   舟木の橋(高崎市) 民話と伝説の舞台 p.13-17  2 佐野の舟橋 榛名路の文学 p.24-26  佐野の渡と傳説 回答プロセス:「朝日長者」で当館所蔵資料を検索すると民話のCDのみが該当。 参考資料:後藤博子/文 , 高井恵子/文 , 北島新平/さしえ. ふるさとの民話 高崎 : 群馬町 箕郷町 榛名町 倉淵村. あかぎ出版, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050117477-00, (当館資料番号 111282117) 参考資料:小沢清子 [著] , 高崎市市長公室広報広聴課 編 , 小沢, 清子, 1939- , 高崎市. 高崎のむかしばなし. 高崎市, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002464754-00, (当館資料番号 117032144) 参考資料:上毛新聞社. 上州の史話と伝説. 上毛新聞社, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001259152-00, (当館資料番号 117018440) 参考資料:群馬県 企画 , 上毛新聞社 編 , 群馬県 , 上毛新聞社 , アイデアセンター. グラフぐんま = Graph Gunma. 上毛新聞社, 1967. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000006060-00, (当館資料番号 157015561) 参考資料:民話と伝説の舞台. 小暮 淳. ライフケア群栄, 2018., 9784991038204(当館資料番号 117277830) 参考資料:樋口秀次郎 編 , 樋口秀次郎. 榛名路の文学. 群馬県立室田高等学校文芸部, 1953. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I080789049-00, (当館資料番号 110341641) 備考:2016.11.17:「グラフぐんま 591号」を追加。 2018.8.25:「民話と伝説の舞台」を追加。 2020.1.17:「榛名路の文学」を追加。

D.H.Lawrenceの『愛の歪み』(原題:The mess of love)の原文を探している。(沖縄国際大学図書館)

The complete poems of D.H. Lawrence/collected and edited with an introduction and notes by Vivian de Sola Pinto and Warren Roberts ; : pbk. -- Penguin Books, 1977. -- (The Penguin poets)1977に原文が収録されている。 回答プロセス:本学OPACにおいて、著者にD.H.Lawrence、言語を英語、請求記号を931*(931:英米文学・詩)で検索。4件の資料があがってくる中の、 The complete poems of D.H. Lawrence collected and edited with an introduction and notes by Vivian de Sola Pinto and Warren Roberts ; : pbk. -- Penguin Books, 1977. -- (The Penguin poets) を見ると、p472に「THE MESS OF LOVE」が載っている。 一方、D.H.Lawrenceの日本語訳詩集を国立国会図書館オンラインで検索すると(著作者・ロレンス、タイトル・詩を含む)32件の資料がでてくる。 その中で詩集は18冊で詳細書誌情報で収録詩が確認できるものに『愛の歪み』という詩はなかった。 『ロレンス詩集 第5集:三色すみれ・いらくさ』国文社 1969年には「THE MESS OF LOVE」は「愛の混乱」 『D.H.ロレンス全詩集【完全版】』彩流社 2011年には「愛の錯乱」と訳されていた。 現時点で検索エンジン等で『愛の歪み』と検索しても、D.H.Lawrenceに関連する項目はあがってこないため、質問者がなぜ『愛の歪み』と言ったのかは不明のままである。 事前調査事項:不明 参考資料:ポール・ポプラウスキー 編著 , 木村公一, 倉田雅美, 宮瀬順子 訳編 , Poplawski, Paul , 木村, 公一, 1946- , 倉田, 雅美, 1947- , 宮瀬, 順子, 1960-. D・H・ロレンス事典. 鷹書房弓プレス, 2002. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003633028-00, 4803404682 備考:2008年に実際にあったレファレンスを2019年に遡及調査。質問者が必要とする回答は得られたが、一部未解決。

「佐野の渡し」について資料はあるか。(高崎市立中央図書館)

以下、当館所蔵の参考資料となります。 上野国郡村誌 5 群馬郡2 p.248  上野国群馬郡下佐野村  烏川の説明として、次のような内容の“佐野渡”の記述あり   吉井道に属する   村の東南   川籠石と川久保の境に、烏川の下流にあり   川幅20間、深さ4尺、   渡し舟2艘、根小屋村と共有  また、これとは別に“中川渡”(佐野窪村 p.246)、“佐野舟橋”(上佐野村 p.244)の記述あり 日本歴史地名大系 10 p.408  下佐野村  “東南部の字川籠石(かわごいし)と川久保(かわくぼ)辺りの烏川は川幅20間・深さ4尺ほどで、対岸根小屋村との共有の舟2艘があり、佐野渡とよばれた(郡村誌)。”  また、これとは別に“中川渡”(佐野窪村 p.409)、“佐野の舟橋”(佐野 p.408)の記述あり。   賛郷 p.123  佐野の歴史、自然と文化に触れて(明治期のころ) 山口久著  (8)下佐野村   上記2点と同様の内容となっていた。   また、これとは別に“中川渡”(佐野窪村 p.123)、“佐野の舟橋”(上佐野村 p.118-119)の記述あり。 鎌倉街道  道の推定:山本宿から烏川の渡しへ p.18  “烏川の渡しは四か所が推定される。”とし、次のように記述されていた。   薬師沢から斜めに進み、川籠石辺りで渡るもの   赤石の辺りから渡る道   佐野の舟橋の伝説のある辺りの渡し   佐野窪の渡し  鎌倉街道の現状と文化財:山本宿から烏川の渡しへ p.63  “烏川の左岸の状況から大別して四個所に分けられる。”とし、次のように記述されていた。   現在「一本松橋」<中略>「川籠石」と云われる大きな石が川の中にあり、信仰の対象であった。   <略>「赤石」と云われる大きな石が川の中にあり、この附近にも渡しがあったと推定される所である。   <略>佐野舟橋の伝承地である佐野橋の辺りを渡った道   <略>「佐野窪」へ渡った道がある。   高崎漫歩  その十七 p.287   大きな石といえば下流の一本松橋の近くにも川の中に石がある。   石の名前は川籠石といい、小字名も川籠石というが、元は神籠石であろうといわれる。  その十九 p.290   渡れる場所は、佐野窪の渡し、佐野の舟橋があったと伝えられる所、一本松橋の辺りと、赤石の近辺と考えられる。  また、その十八 (p.289)の最後の部分で川籠石に触れている。 榛名路の文学  佐野の渡と古歌 p.20-22  佐野の渡と謠曲 p.22-24  佐野の渡と傳説 p.24-26 上記資料の他に、“佐野の渡し”、“佐野の舟橋”、“佐野窪の渡し”を明確に切り分けず、一緒に紹介している以下のような資料もあった。    高崎市史 第2巻 p.507-508  新編高崎市史 通史編2 p.384-386  高崎百年 p.152(写真・解説)   “佐野の渡し付近の水車小屋”の写真    解説文には「佐野の舟橋」とあり  写真集 明治大正昭和 高崎 p.36   写真64「佐野の渡し場」    解説文には「佐野の舟橋」とあり 参考資料:群馬県文化事業振興会. 上野国郡村誌 5 (群馬郡 2). 群馬県文化事業振興会, 1980. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001518643-00, (当館資料番号 110321429) 参考資料:日本歴史地名大系 第10巻 (群馬県の地名). 平凡社, 1987. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001849684-00, 4582490107(当館資料番号 111222014) 参考資料:佐野小学校開校120周年実行委員会/編. 賛郷 : 高崎市立佐野小学校開校120周年記念誌. 佐野小学校開校120周年実行委員会, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050462754-00, (当館資料番号 117022970) 参考資料:群馬県教育委員会文化財保護課 編 , 群馬県教育委員会. 鎌倉街道 : 歴史の道調査報告書. 群馬県教育委員会, 1983. (群馬県歴史の道調査報告書 ; 第17集) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001634670-00, (当館資料番号 110351384) 参考資料:土屋喜英 著 , 土屋, 喜英, 1928-. 高崎漫歩. 高崎地方史料普及会, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002160150-00, (当館資料番号 117031112) 参考資料:高崎市/編. 高崎市史 第2巻. 高崎市, 1970. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026216314-00, (当館資料番号 111023180) 参考資料:高崎市市史編さん委員会 編 , 高崎市. 新編高崎市史 通史編 2 (中世). 高崎市, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002929058-00, (当館資料番号 117100149) 参考資料:高崎市. 高崎百年 : 20世紀時間旅行1900-2000. 高崎市, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002879485-00, (当館資料番号 117256974) 参考資料:田島武夫 編 , 田島, 武夫, 1899-1987. 写真集明治大正昭和高崎 : ふるさとの想い出180. 国書刊行会, 1981. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001495879-00, (当館資料番号 111226122) 参考資料:樋口秀次郎 編 , 樋口秀次郎. 榛名路の文学. 群馬県立室田高等学校文芸部, 1953. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I080789049-00, (当館資料番号 110341641) 備考:2020.1.17:「榛名路の文学」を追加。

舘たばこについて、所蔵資料から紹介してほしい。(高崎市立中央図書館)

“舘たばこ”は、観音山丘陵南部、高崎市寺尾町の舘地域で江戸時代に生産されていました。 高崎の名産品として「本朝食鑑」や、貝原益軒の紀行文「岐蘇路記」にも紹介されています。 また、同市内の山名町でも“光台寺たばこ”が生産されており、「寺尾町舘の民俗」(p.8)によると、創始期やどちらが先に栽培されたのか、などははっきりしていないようです。しかし、元禄期には広く国内に広まり、“舘たばこ”“高崎たばこ”“山名たばこ”などといわれ、しだいに“舘たばこ”に集約されたようです。 以下、当館所蔵の参考資料になります。 近世の北関東と商品流通p.311-342  館煙草の流通をめぐる二、三の問題 高崎の産業と経済の歴史 [1] p.356-363  舘のタバコと民営時代の刻みタバコ 上州の史話と伝説 その2 p.114-117  光台寺のたばこ 図説・高崎の歴史 p.166  味と香りの上州葉たばこ 寺尾町舘の民俗  タバコ p.56   舘地区のたばこについて触れている。  勤め人 p.127   舘の勤め人には専売局勤務が多かったと記載あり。  生産歴 p.212-213   山名町の“光台寺煙草”について触れている。 高崎の名所と伝説 p.60-61,162-163  たばこの館  館たばこ 商工たかさき 2014年2月号 p.28-29  舘たばこ 高崎名所百題 p.666  たばこの館   “はじめはこの地を開いた佐藤治部右衛門宅地の背戸山一反五畝歩の畑だという”   “若松町の佐藤病院を館出張-タテデバリ-というのは先祖代々の地館出張の意味である。”   “光台寺たばこも原種は館たばこである。”   といった記述あり。 高崎市史研究 第3号 p.71-94  館煙草の流通をめぐる二、三の問題 井上定幸著 群馬新百科事典 p.497  舘たばこ 本朝食鑑 2 p124-128  煙草   “集解”に高崎のたばこについて記述あり。 高崎市史 第2巻 p.734-741  館たばこと山名たばこ 片岡の歴史 p.208-214  館(たて)のたばこ 群馬県史 通史編5  木綿・麻と煙草 p.41-46  館煙草と集荷商人 p.559-563 群馬県史 通史編8 p.291-293  民営時代のたばこ 和漢三才図会 17 p.389-392  煙草   有名な産地として“上州の高崎”が文中で紹介されている。 新編高崎市史 通史編3 p.357-377  舘煙草の生産と流通 新編高崎市史 通史編4 p.530-532  民営たばこの製造 新編高崎市史 資料編6  館葉荷主   解説 p.153-155   資料 p.157-167   高崎商工会議所100年史 p.19-22  高崎館問屋と煙草刻職人 高崎産業経済史 p.100-106  たばこと専売公社 広報たかさき 955号 p.16  民営たばこの盛衰 高階勇輔著(たかさき100年 6) 上毛及上毛人 昭和16年昭和17年 288号p.20-24  上下両野に於ける煙草創栽相阿考 群馬県多野郡誌  光台寺 p.510   附記に“上野國志に「此境内煙草の名産なり」とあり。”と記載あり。 たばこ史研究 141号  光台寺の装飾瓦 表紙  相阿和尚再考 編集部著 p.2-17 商工たかさき 783号 p.28-29  高崎とタバコ生産(高崎アーカイブ) ことばにみる江戸のたばこ p.44-45  諸国銘葉 谷田有史著   「館たばこ」の二つの産地、上州館と秩父館について、弘化三年(1846)刊行の『狂歌煙草百首』に基づいて解説。 回答プロセス:「群馬県多野郡誌」の第11章吉井町の生業の部分(p.701)に“本町地方は古来煙草蓮華葉の特産地にして(略)”といった記述があった。 参考資料:井上定幸 著 , 井上, 定幸, 1926-. 近世の北関東と商品流通. 岩田書院, 2004. (近世史研究叢書 ; 12) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007583125-00, 4872943414(当館資料番号 117200634) 参考資料:高崎経済大学附属産業研究所 編 , 高崎経済大学附属産業研究所. 高崎の産業と経済の歴史 [1]. 高崎経済大学附属産業研究所, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001898365-00, (当館資料番号 110393998) 参考資料:上州の史話と伝説 その2. 上毛新聞社, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021320590-00, (当館資料番号 117018440) 参考資料:石原征明, 飯野信義 共著 , 石原, 征明, 1932- , 飯野, 信義, 1918-. 図説・高崎の歴史. あかぎ出版, 1988. (群馬県の歴史シリーズ ; 2) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001935166-00, (当館資料番号 111212825) 参考資料:高崎市 編 , 高崎市. 寺尾町館の民俗 : 丘陵部の民俗とその変化. 高崎市, 1992. (高崎市史民俗調査報告書 ; 第1集) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002276679-00, (当館資料番号 117008920) 参考資料:田島武夫 著 , 高崎市秘書課 企画編集 , 田島, 武夫, 1899-1987 , 高崎市. 高崎の名所と伝説. 高崎中央ライオンズクラブ, 1973. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025517498-00, (当館資料番号 110356128) 参考資料:舘たばこ. 商工たかさき 2014年2月号 p. 28-29, (当館資料番号 157000985) 参考資料:田島武夫. 高崎名所百題. [田島武夫], [1970]., (当館資料番号 110329075) 参考資料:井上定幸著. 館煙草の流通をめぐる二、三の問題. 高崎市史研究 第3号 p. 71-94 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000078780-00, (当館資料番号 117008888) 参考資料:群馬新百科事典. 上毛新聞社, 2008. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009360013-00, 9784880589886(当館資料番号 117200972) 参考資料:人見必大/〔著〕 , 島田勇雄/訳注 , 人見‖必大 , 島田‖勇雄. 本朝食鑑 2. 平凡社, 1984. (東洋文庫 ; 312) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I027612422-00, 4582803121(当館資料番号 110083557) 参考資料:高崎市 , 高崎市史編さん委員会 編. 高崎市史 第2巻. 高崎市, 1970. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002641951-00, (当館資料番号 111023180) 参考資料:高崎市立片岡中学校/編. 資料で語る片岡の歴史. 高崎市立片岡中学校同窓会, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I049785771-00, (当館資料番号 111232088) 参考資料:群馬県史編さん委員会 編 , 群馬県. 群馬県史 通史編 5 (近世 2 産業・交通). 群馬県, 1991. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002148634-00, (当館資料番号 111302022) 参考資料:寺島良安 [著] , 島田勇雄 [ほか]訳注 , 寺島, 良安, 江戸中期 , 島田, 勇雄, 1911-. 和漢三才図会 17. 平凡社, 1991. (東洋文庫 ; 527) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002091311-00, 4582805272(当館資料番号 610411365) 参考資料:高崎市市史編さん委員会 編 , 高崎市. 新編高崎市史 通史編 3 (近世). 高崎市, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007511774-00, (当館資料番号 117143826) 参考資料:高崎商工会議所100年史刊行委員会 編 , 高崎商工会議所. 高崎商工会議所100年史. 高崎商工会議所, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002539946-00, (当館資料番号 117035519) 参考資料:根岸省三/編. 高崎産業経済史. 高崎市社会教育振興会, 1964. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050242270-00, (当館資料番号 110393477) 参考資料:高階勇輔著. 民営たばこの盛衰. (たかさき100年 6) 広報たかさき 955号 p. 16, (当館資料番号 157016940) 参考資料:豊国義孝/編. 上毛及上毛人 第285号〜第297号(昭和16年昭和17年) 上毛郷土史研究会 昭和16年昭和17年刊の復刻版. 上毛新聞社, 1975. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050258634-00, (当館資料番号 111013017) 参考資料:群馬県多野郡教育会 編 , 多野郡教育会 (群馬県). 群馬県多野郡誌. 群馬県多野郡教育会, 1927. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000744337-00, (当館資料番号 111003505) 参考資料:編集部. 相阿和尚再考. 2017. たばこ史研究 141号, ISSN 0287668X http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000037708-00, (当館資料番号 157019928) 参考資料:高崎とタバコ生産. (高崎アーカイブ) 商工たかさき 783号 p. 28-29, (当館資料番号 157023219) 参考資料:群馬県史編さん委員会 編 , 群馬県. 群馬県史 通史編 8 (近代現代 2 産業・経済). 群馬県, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001973654-00, (当館資料番号 111228722) 参考資料:高崎市市史編さん委員会 編 , 高崎市. 新編高崎市史 通史編 4 (近代現代). 高崎市, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007511756-00, (当館資料番号 117143933) 参考資料:高崎市市史編さん委員会 編 , 高崎市. 新編高崎市史 資料編 6 (近世 2). 高崎市, 1997. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002622905-00, (当館資料番号 117054361) 参考資料:たばこと塩の博物館 編 , たばこと塩の博物館. ことばにみる江戸のたばこ. 山愛書院, 2008. (TASC双書 ; 5) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009264805-00, 9784434115707(当館資料番号 114054992) 備考:2016.7.29:「群馬県史 通史編5」を追加。 2016.8.3:「和漢三才図会 17」を追加。 2016.8.9:「新編高崎市史 通史編3」を追加。 2016.8.29:「高崎商工会議所100年史」を追加。 2017.1.16:「高崎産業経済史」を追加。 2017.7.7:「上毛及上毛人」「群馬県多野郡誌」を追加。 2017.2.23:「広報たかさき 955号」を追加。 2017.7.6:回答を修正。 2017.7.8:「上毛及上毛人」「群馬県多野郡誌」を追加。 2017.9.5:「たばこ史研究 141号」を追加。 2018.3.15:「商工たかさき 783号」を追加。 2018.5.2:「群馬県史 通史編8」を追加。 2019.5.16:「新編高崎市史 通史編4」を追加。 2019.7.5:「新編高崎市史 通史編6」を追加。 2020.1.17:「ことばにみる江戸のたばこ」を追加。

地理学に関する情報の調べ方(近畿大学中央図書館)

地理学に関する文献を探すには(主題書誌) リサーチ・ナビ http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-210.php (2012/04/18確認) 地理学文献データベース 人文地理学会 NII-DBR http://dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000082GEOG (2012/04/18確認) 地図をさがす リサーチ・ナビ http://rnavi.ndl.go.jp/chizu/ (2012/04/18確認) 歴史・地理 人文リンク集 リサーチ・ナビ http://rnavi.ndl.go.jp/humanities/entry/post-8.php (2012/04/18確認) Webcat Plus Minus http://webcatplus.nii.ac.jp/pro/ (2012/04/18確認) Webcat Plus http://webcatplus.nii.ac.jp/ (2012/04/18確認) CiNii Books 大学図書館の本をさがす http://ci.nii.ac.jp/books/ (2012/04/18確認) CiNii Articles 日本の論文をさがす http://ci.nii.ac.jp/ (2012/04/18確認) IRDB 学術機関リポジトリデータベース https://irdb.nii.ac.jp/ (2020/1/17確認) NII-DBR 学術研究データベース・リポジトリ https://dbr.nii.ac.jp/ (2012/04/18確認) 国立国会図書館サーチ https://iss.ndl.go.jp/ (2012/04/18確認) NDL-OPAC 国立国会図書館 https://ndlopac.ndl.go.jp/ (2012/04/18確認) Google https://www.google.co.jp/ (2012/04/18確認) Google books 本を探す https://books.google.co.jp/ (2012/04/18確認) Google Scholar 論文を探す https://scholar.google.co.jp/ (2012/04/18確認) ☆ 文献管理(2020/1/17確認) EndNote ログイン画面 https://access.clarivate.com/login?app=endnote EndNote オンライン クイック・レファレンス・ガイド https://clarivate.jp/wp-content/uploads/2019/11/EndNote_Online_Quick_Reference_Guide.pdf?utm_campaign=TYM_EndNote_Webinar_Nov13_SAR_Japan_2019&utm_medium=email&utm_source=Eloqua もう手入力しない!引用文献リストをかんたん自動作成 EndNote オンライン https://clarivate.jp/wp-content/uploads/2019/11/Webinar_EndNote-Online_20191113.pdf?utm_campaign=TYM_EndNote_Webinar_Nov13_SAR_Japan_2019&utm_medium=email&utm_source=Eloqua EndNote basic https://www.myendnoteweb.com/ http://endnote.com/ 参考資料:リサーチ・ナビ 国立国会図書館 http://rnavi.ndl.go.jp/ (2012/04/18確認), 参考資料:地理学がわかる。. 朝日新聞社, 1999. (アエラムック = Aera mook ; no.48) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002768158-00, 4022740981 参考資料:浮田典良 著 , 浮田, 典良, 1928-2005. 地理学入門 : マルティ・スケール・ジオグラフィ [2010年]改訂版. 原書房, 2010. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010712436-00, 9784562091393 参考資料:高橋伸夫, 谷内達, 阿部和俊, 佐藤哲夫, 杉谷隆 編 , 高橋, 伸夫, 1939-2013 , 谷内, 達, 1944- , 阿部, 和俊, 1949-. ジオグラフィー入門 : 考える力を養う地理学は面白い 改訂新版. 古今書院, 2008. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009490862-00, 9784772231183 参考資料:正井泰夫, 小池一之 編 , 正井, 泰夫, 1929-2012 , 小池, 一之, 1935-. 卒論作成マニュアル : よりよい地理学論文作成のために. 古今書院, 1994. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002363968-00, 477221738X

尻無川南岸直通路開通への寄付金を出した「大井伊助」の人物像を知りたい。生まれ、出身、職業など。(大阪市立中央図書館)

大井伊助(1864~1938)は泉尾新田(現在の大阪市大正区)の貧しい農家に生まれました。正直・勤勉を旨として家業に励んだ後質屋に転向、やがて西大阪を中心に貸家業を営み「大阪の貸家王」と呼ばれるまでになりました。 関連記述のある資料を以下にご紹介します。 (1)『大井伊助翁-立志伝-』(米井 節次郎/著 大阪府立泉尾高等女学校白百合会, 1940) 没後間もなくまとめられた伝記で写真も掲載されています。 p.2-13に下記の旨の記述がありました。 「大井伊助」は代々の屋号でその4代目にあたり、幼名は猪之松。貧しい農家に生まる等の経歴がまとめられています。 p.23-27には店子に対して人情のある対応を行ったエピソードが記されています。 p.50-54には晩年、国家公共への奉仕の精神で私財百万円を投じ、財団法人「大井積善会」の設立を遺言したとあります。 (2)『大正区の歴史を語る』(「大正区の歴史を語る会」事務局/編集,2005.11) 泉尾北・中泉尾地区の章のp.29-31で、大井伊助の曾孫・大井文子氏が大井家の歴史や地域への貢献について語っています。4代目大井伊助は「家賃をいただいてもそれは世に還元しなければならない」と考え、地域へ多額の寄附を行ったとの記述があります。 p.24にも大井伊助の賃貸住宅経営や寄附についての記述があります。 (3)『日本人物情報大系』32企業家編2(芳賀 登/編集 皓星社, 2000.3) 『成功亀鑑』(尾野好三/編 大阪実業興信所,1909)を復刻・収録しており、p.220-221に「質商 大井伊助氏」の項があります。(1)と同様の内容が短くまとめられており、写真も掲載されています。 『成功亀鑑』(尾野好三/編 大阪実業興信所,1909)は「国立国会図書館デジタルコレクション」でもご覧になれます。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778189 (2019.9.12確認) 261-264コマ目 (4)『明治大正昭和大阪人名録』下巻(日本図書センター,1989.10) 大阪とその近辺に居住する一定の金額以上の納税者を掲載した『日本紳士録』(交詢社 昭和11(1936)年刊)の復刻で、p.50に大井伊助の名が掲載されています。住所は大正区北泉尾とあり、下記の地図で確認すると現在の三軒家西3丁目あたりとなります。 国際日本文化研究センター(日文研)「所蔵地図データベース」 「最新大大阪市街地図」昭和(1935)10年 http://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1205.html (2019.9.12確認) (5)『近代とは何か(シリーズ都市・建築・歴史 7)』(鈴木 博之/編 東京大学出版会,2005.7) p.306-309に大井伊助の貸家経営についての記述があります。 (6)『実業の日本』40巻1号(実業之日本社,1937年10月)に 「近頃大当り実話 家作三千軒を持つ大阪の貸家王大井土地合名社長大井伊助氏」(p.194~197)の記事が存在することが、国立国会図書館オンラインで確認できました。 あいにくこの雑誌そのものをデータ通信で見ることはできませんが、大阪府立中央図書館で所蔵がございますので、よろしければそちらでお尋ねください。 回答プロセス:1.当館OPACをフリーワード“大井伊助”で検索。当該人物の伝記(資料1)が見つかる。 2.「大正区の歴史を語る」(資料2)索引を確認。該当記述あり。 3.国立国会図書館デジタルコレクションをキーワード“大井伊助”で検索。資料6が見つかる。 4.資料6を当館OPACで検索。復刻版を所蔵していることを確認(資料3)。 5.国立国会オンラインをキーワード“大井伊助”で検索。資料7が見つかる。 6資料7の原本が大阪府立中央図書館に所蔵されていることを大阪府立図書館蔵書検索で確認。 7.「明治大正昭和大阪人名録」を確認、下巻(資料4)に該当記述あり。 8.「Google books」(https://books.google.co.jp/)(2019.9.12確認)でキーワード“大井伊助”で検索。 ヒットしたうち大阪市立図書館所蔵資料とその参考文献を確認。資料5が見つかる。 参考資料:当館書誌ID <0080206016>  大井伊助翁 -立志伝- 米井 節次郎/著 大阪府立泉尾高等女学校白百合会 1940  (資料1), 参考資料:当館書誌ID <0011134761>  大正区の歴史を語る 「大正区の歴史を語る会」事務局/編集 「大正区の歴史を語る会」事務局 2005.11  (資料2), 参考資料:当館書誌ID <0050134807>  日本人物情報大系 32 企業家編 2 芳賀 登/[ほか]編集 皓星社 2000.3  (資料3), 参考資料:当館書誌ID <0000218694>  明治大正昭和大阪人名録 下巻  日本図書センター 1989.10 9784820520603 (資料4), 参考資料:当館書誌ID <0011028958>  近代とは何か(シリーズ都市・建築・歴史 7) 鈴木 博之/編 東京大学出版会 2005.7 9784130652070 (資料5), 参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション「成功亀鑑」(尾野好三/編 大阪実業興信所 明治42(1907)10) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778189/261 (資料6), 参考資料:国立国会図書館「実業の日本」 40(1) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3552411 (資料7),

「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」の出典を知りたい。(沖縄県立図書館)

「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」の出典には、諸説ある。 ① 『沖縄コンパクト事典』(琉球新報社 編・刊、2003.3) p324 「命どぅ宝」の項目で、「出典は琉歌の「戦さ世んしまち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」。」の記述がある。 ② 『琉歌註釈』(喜納 緑村 [著]、琉歌研究社、1965.11) p188 「尚泰王 いくさ世もすまちみろく世もやがて、嘆くなやう臣下命どたから。」の琉歌がある。 ③ 『山里永吉集[複製本]』(山里 永吉 著、沖縄県立図書館、2012.3) p245-289 「那覇四町昔気質 四幕」で、p289 「尚泰王 戰世も濟まち、彌勒世もやがて、嘆くなよ臣下命ど寶。」の琉歌がある。 ④ 『沖縄文学の諸相』(仲程 昌徳 著、ボーダーインク、2010.2) p143-176 「王国の解体 ―「首里城明渡し」をめぐって」の項目で、p170-171 「…大野道雄は、次のように書いていた。ところで、現在上演される「首里城明渡し」の大詰めは、東京へ連れられて行く尚泰の那覇港別れの場であり、「戦さ世ん済まち/弥勒世んやがてぃ/嘆くなよ臣下/命どぅ宝」のつらねで有名になっている。ところが、山里永吉の原作には、この場面はない。口立てのため、沖縄芝居の脚本にはのこっていないのが普通なのに、山里の作品は共通語で書かれた脚本が残っていて、これも画期的であるが、それで見ると、原作には「命どぅ宝」の琉歌もなければ、散山節も書かれてはいない。真境名由康作の「国難」には「命どぅ宝」の歌が出てくるが、この場合は尚泰ではなく、薩摩に連れていかれた尚寧で、場面も首里城内となっている。同じ山里の「那覇四町」には尚泰の那覇港別れの場面があり、「命どぅ宝」の歌も、散山節の指定もあって、現在のラストにもっとも近い。山里本人が一九三二(昭和七)年の「琉球新報」に作者後記として「那覇四町」の「大詰に散山節がはいって幕になるが、私の戯曲として最初の試みである」と書いているので、いつのまにか「那覇四町」が「首里城」に紛れ込んだらしい。」の記述がある。 ⑤ 『日本東洋文化論集 第14号』(琉球大学法文学部 編・刊、2008.3) p1-28 「「首里城明渡し」小論 仲程昌徳」の論文もある。 →p23-24 参考資料④と同じ内容。 ⑥ 『琉球新報[マイクロフィルム複製本] 2000年7月16日~31日』([沖縄県立図書館(製作)]、2015.3) p272 「「命どぅ宝」異聞 大城立裕」の新聞記事で、「「平和の礎」でクリントン米大統領が、「命どぅ宝」の文言を「琉球の最後の王、尚泰が詠んだ詩」として演説に引用したことに対し、「尚泰王作は俗説」と指摘する一文を作家の大城立裕氏が寄稿した。…「私が気づいたのは、山里永吉の琉球処分シリーズの戯曲群である。『山里永吉集』(一九三三、新星堂書房)で調べてみた。 「那覇四町昔気質」(初演は喜納著に半年先立つ一九三二年三月)で、劇の幕切れに尚泰王が東京へ発つ船の上で詠むことになっている。それが最近の上演では、やはり山里の「首里城明渡し」に入っているようだが、これは演出で焼きなおしたものだろう。歴史文学というものは「罪」なもので、フィクションが実話にされてしまう惧れがある。…作者は山里永吉でもなく、尚泰に扮した名優・伊良波尹吉である可能性が高い。山里の戯曲は日本語で書かれているし、尹吉は芝居のために琉歌を何千と創っているらしいからである。さらに、歌をよくよく吟味してみれば、奇妙なことに気がつく。 「いくさ世もすまち」というが、ではどの戦かという疑問がまず生じる。琉球処分を戦争に比するとは大袈裟だ。そのせいかどうか、戦後しばらく尚寧王作という説がはやった。それなら、薩摩侵入のことかと、なかば納得がいかないものでもない。しかし、ここではまた、二つの疑問が出る。ひとつは、絶望のどん底にいた尚寧王が「みろく世もやがて」という希望を持ち得たか、ということ。もうひとつは、この時点で八・八・八・六という琉歌の形式が完成していたか、ということである。私は九割以上、伊良波作と信じているが、「命どぅ宝」という句も、とってつけたようで、上作とはいえない。」の記述がある。(2000.7.23 4面) ⑦ 『沖縄大学地域研究所紀要年報 1997年度 No.10』(沖縄大学地域研究所 [編]・刊、1998.3) p89-100 「演劇に見る琉球処分 「首里城明渡し」と「世替りや世替りや」を中心に 与那覇晶子」の論文で、p91 「真喜志方言台本には、第六幕が付け加えられている。東京に出発する尚泰王の見送りの場面だ。そこでうたわれる尚泰王のつらねが印象的である。「戦さ世ん 終わてぃ 豊世んやがてぃ 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」このつらねは、散山節の中でもうたわれているが、真喜志によると、この名台詞は他の芝居、例えば慶長十四年(1609)の薩摩侵入を題材とする「国難」でも登場するとのことである。山里自身が演出した戦前の珊瑚座の舞台にこの第六幕はなく、真喜志の話によると、アンマーたちの好み、つまり、観客の好みで付け加えられたとのことだ。この尚泰王が読んだといわれる琉歌は、「首里城明渡し」の2年後に書かれた日本語版テキスト「那覇四町気質」の終幕、尚泰王が東京行きの船に乗る前にもうたわれている。大城は「この琉歌は山里の作ではなく、伊良波尹吉の作だと思う」と推察している。(5)」の記述がある。 p99 「(5)大城立裕が電話をとおして話した内容である。氏によると尚泰王ではなく、尚寧王ではないかという説もあるが、慶長十四年の薩摩侵入の時の琉球にはまだ、8、8、8、6の琉歌はできていなかったので、江戸に強制連行された尚寧王に、「豊世んやがてぃ」と読む可能性はなかったとの事だ。船越義彰との一致した考えとして、伊良波尹吉の作であり、山里が、それを「那覇四町気質」に剽窃したと思われる、とさらに付け加えている。」の記述がある。 ⑧ 『沖縄県史料 前近代8』(沖縄県沖縄史料編集所 編、沖縄県教育委員会、1995.3) p645-655 「屋慶名大主敵討」の組踊で、p650 「浜村 …ハア此世人間ヤ命ド宝ラ短気腹立ヤ軽我ノ基ヒ」の記述がある。 参考資料:沖縄コンパクト事典 琉球新報社/編 琉球新報社 2003.3, 4-89742-050-4(p324) 参考資料:琉歌註釈 喜納 緑村/[著] 琉歌研究社 1965.11, (p188) 参考資料:山里永吉集[複製本] 山里 永吉/著 沖縄県立図書館 2012.3, (p245-289) 参考資料:沖縄文学の諸相 仲程 昌徳/著 ボーダーインク 2010.2, 4-89982-168-7(p143-176) 参考資料:日本東洋文化論集 第14号 琉球大学法文学部/編集 琉球大学法文学部 琉球大学法文学部紀要 2008.3, (p1-28) 参考資料:琉球新報[マイクロフィルム複製本] 2000年7月16日~31日 [沖縄県立図書館(製作)] 2015.3, (p272(2000.7.23 4面)) 参考資料:沖縄大学地域研究所紀要年報 1997年度 No.10 沖縄大学地域研究所/[編] 沖縄大学地域研究所 1998.3, (p89-100) 参考資料:沖縄県史料 前近代8 沖縄県沖縄史料編集所/編 沖縄県教育委員会 1995.3, (p645-655)

「依山築閣…」で始まる漢詩(七言古詩)について、作品の題と作者を知りたい。(牛久市立中央図書館)

作品は「松風閣詩巻」、作者は「黄庭堅」と判明。 作品と作者について、以下の資料を紹介。  『書道芸術 第6巻』(中田勇次郎/中央公論社/1975)…p72-81、p204-205 回答プロセス:1. キーワード「依山築閣」でGoogle検索し、「日高新報」(https://www.hidakashimpo.co.jp/news1/2013/02/post-1633.html)にアクセスする。 →詩人・黄庭堅の臨書で 「松風閣詩巻」 の一節とあり、「依山築閣見」の記述があり、作者は「黄庭堅」で、作品は「松風閣詩巻」と判明。(最終アクセス日2020年1月5日)   2. フリーワード「松風閣詩巻」で自館所蔵検索し、当館所蔵はなし。ただし、書誌情報として下記の資料があり、茨城県立横断検索を行う。→県内に所蔵あり。 (1)『松風閣詩巻・寒山子龐居士詩巻』(黄庭堅/二玄社/2006.3)   3. フリーワード「黄庭堅」で自館資料検索し、1件ヒット。 (2)『書道芸術 第6巻』(中田勇次郎/中央公論社/1975.11)…p72-81に「松風閣詩巻」の書の掲載あり。p204-205に釈文と解題あり。 「黄庭堅」についての説明もあり。 →(2)の資料を紹介。 事前調査事項:質問者は作品の文章のコピーをお持ちで、作品の全文がわかる状態から調査を始めた。 参考資料:B10166023 書道芸術 第6巻 中田勇次郎/責任編集 中央公論社 1975.11 728.8, 参考資料:日高新報 https://www.hidakashimpo.co.jp/news1/2013/02/post-1633.html 2020.1.5,

三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたが、その時一緒にいた同志について調べたい。またその同志の関係の本は無いか知りたい。(牛久市立中央図書館)

・一緒にいた同志の名前は、楯の会会員の森田必勝、小賀正義、古賀浩靖、小川正洋。 ・同志についての資料として次を紹介。 『三島由紀夫と楯の会事件』(保阪正康/角川書店/2001.4) 『資料三島由紀夫』(福島鋳郎/朝文社/1992.11) 『烈士と呼ばれる男 森田必勝の物語』(中村彰彦/文芸春秋/2000.5) 回答プロセス:1. 三島由紀夫の割腹事件について、参考資料NDC「R281」「R210」の棚をブラウジングし、次の資料にあたる。 (1)『20世紀日本人名事典 [2] 』(日外アソシエーツ株式会社/日外アソシエーツ/2004.7)…p2401に昭和45年11月25日、楯の会会員・森田必勝ら4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に突入。憂国の檄をとばした後、割腹自決をとげた(三島事件)とあり。同志の名前について、他3名の記述なし。 (2)『日本歴史大事典 3』(小学館/2001.3)…p804に三島事件の記述はあるが、同志3名の名前の記述なし。   2. フリーワード「三島由紀夫」+状態「在架」で自館所蔵検索し、ヒットした中から次の資料にあたる。 (3)『三島由紀夫』(松本徹/河出書房新社/1990.4)…p220に小賀正義、古賀浩靖、小川正洋の3名の名前と事件について時系列で記述あり。 (4)『三島由紀夫と楯の会事件』(保阪正康/角川書店/2001.4)…p30に4人の名前あり。p300-301に三島事件の4人の事件前の記述あり。 (5)『五衰の人』(徳岡孝夫/文芸春秋/1996.11)…p218に4人の名前あり。p218~247に「11月25日」の記述あり。 (6)『資料三島由紀夫』(福島鋳郎/朝文社/1992.11)…p15-19に3人の簡単な紹介文あり。p243-283に「三島由紀夫事件関係文献目録」あり。p284-287に「三島由紀夫事件関係新聞記事」あり。 (7)『三島由紀夫』(松本徹/平凡社/2010.11)…p128-129に4名の名前と事件についての記述あり。    3. フリーワード「森田必勝」で自館所蔵検索しヒットした2件にあたる。 (8)『烈士と呼ばれる男 森田必勝の物語』(中村彰彦/文芸春秋/2000.5) (9)『わが思想と行動 遺稿集』(森田必勝/日新報道/2002.11)…森田必勝の著作だが、当館に所蔵なし。県内横断検索をしたところ、県内に所蔵があるため相互貸借可能だが、質問者に確認した所そこまでは必要がないとのこと。 →以上の検索結果より、(4)(6)(8)を紹介。 参考資料:B10204796 烈士と呼ばれる男 中村彰彦/著 文芸春秋 2000.5 289.1 9784163562605, (森田必勝の物語) 参考資料:B10258305 三島由紀夫と楯の会事件 保阪正康/[著] 角川書店 2001.4 311.8 9784043556021, 参考資料:B10007593 資料三島由紀夫 福島鋳郎/著 朝文社 1992.11 910.268 9784886950772, 参考資料: 20世紀日本人名事典 [2] 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2004.7 281.033 9784816918537, 参考資料: 日本歴史大事典 3 小学館 2001.3 210.033 9784095230030, 参考資料:三島由紀夫 松本徹/編著 河出書房新社 1990.4 910.268 9784309700526, 参考資料:五衰の人 徳岡孝夫/著 文芸春秋 1996.11 910.268 9784163522302, 参考資料:三島由紀夫 松本徹/監修 平凡社 2010.11 910.268 978-4-582-92175-5,

若山牧水の歌『朝づく日峯をはなれつわが歩む』の続きを知りたい。 また、当館の利用者用端末で全集があることが判明したが、何巻に載っているのかを知りたい。(牛久市立中央図書館)

「朝づく日峯をはなれつわが歩む」の続きは「渓間のわか葉青みかがやく」である。 『若山牧水全集 第12巻』(若山牧水/増進会出版社/1993.9)…p95に載っている。 回答プロセス:1. 『朝づく日峯をはなれつわが歩む』でgoogle検索。 → 青空文庫「樹木とその葉 若山牧水」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/3408_20339.html)より、「樹木とその葉」の中の「若葉の頃と旅」にお探しの詩があることが判明。(※最終アクセス2020年1月8日)   2. フリーワード「樹木とその葉」、著者「若山牧水」で自館所蔵検索し、1件ヒット。 →『若山牧水全集 第12巻』(若山牧水/増進会出版社/1993.9)p95の「若葉の頃と旅」に該当の詩を見つける。 →「朝づく日峯をはなれつわが歩む」の続きは、「渓間のわか葉青みかがやく」であることが判明。『若山牧水全集 第12巻』を紹介する。 参考資料:B10560199 若山牧水全集 第12巻 若山牧水/著 増進会出版社 1993.9 918.68 9784879150950, 参考資料:青空文庫「樹木とその葉 若葉の頃と旅 若山牧水」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/3408_20339.html 2020.01.08,

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』に登場する大佐の子供たちの人数が知りたい。(牛久市立中央図書館)

『ミュージカル映画事典』(重木昭信/平凡社/2016.2)…p351-352に「サウンド・オブ・ミュージック」の項があり、「7人の子供たち」と記載あり。 回答プロセス:1. NDCR700番台の音楽関係のレファレンス資料の棚をブラウジング。 →『ミュージカル映画事典』(重木昭信/平凡社/2016.2)p351-352「サウンド・オブ・ミュージック」の項に、「7人の子供たち」との記載があったので、質問者に回答。 参考資料:B10677722 ミュージカル映画事典 重木昭信/著 平凡社 2016.2 778.2 978-4-582-12649-5,

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