レファレンス協同データベース新着事例

門司の石原煉瓦製作所に関する資料はありますか。 明治期、筑豊豊州鉄道や九州鉄道本社(元九州鉄道記念館)の使用レンガに用いられた事は調査済みです。(北九州市立中央図書館)

具体的な請負について記されている所蔵の資料はありませんでしたが、 所長の石原廣義氏が猿喰新田を開拓した大里の庄屋石原宗祐の家系の6代目で松ヶ枝村長をしていたことが分かる資料がありました。 市民の方の跡地調査のサイトに「日本銀行西部支店(後の門司支店)」建築煉瓦請負当時の石原煉瓦製作所の苦労話の掲載がありました。 辰野金吾が設計指導した日本銀行西部支店の建築仕様書より 石原煉瓦製作所のレンガを使用指定されていることが判明しました。 回答プロセス:OPAC、「Google」県立図書館の「福岡県郷土雑誌記事索引」「福岡県関係人物文献検索」「NDL Search」にて「煉瓦」、「煉瓦石」、「石原煉瓦製作所」などをキーワードに検索しました。 インターネットに跡地訪問調査を行ったサイトがありました。 「日本銀行西部支店」に携わった記述があったのでこちらをキーワ-ドに検索しました。 下記で検索 OPAC「Webcat Plus Minus」「CiNii Articles」「NDL Search」など。 論文に「日本銀行西部支店」1898年(明治31年)建築の際、猿喰石原工場のレンガを使用するという記述があり、上記サイトとあわせて請負していたことが分かりました。 辰野金吾著の日本銀行西部支店の建築仕様書が「建築雑誌」に掲載されています。(建築雑誌 11(124) 1897-04-25 p.121-126 所蔵なく未確認) 国会図書館デジタル資料の「耐火物年鑑」等で石原煉瓦製作所の煉瓦刻印を調査しましたが刻印は見つかりませんでした。 参考資料:門司市商工要覧 1950年度版 門司市役所/共編 K335, (当館資料番号 0016916710) 参考資料:工場通覧 1 農商務省商工局工務課/編 1986.1 503.5, (当館資料番号 0010559102) 参考資料:北九州市史 近代・現代 産業経済 1 北九州市史編さん委員会/編集 1991 K211, (当館資料番号 0017435884) 参考資料:日本煉瓦史の研究 水野 信太郎/著 法政大学出版局 1999 524.2, (当館資料番号 0014076863) 参考資料:門司郷土叢書 第10巻 門司郷土叢書刊行会/編 国書刊行会 1981 K081 239P 309P, (当館資料番号 0011376357) 参考資料:ものづくりの心を未来へ 北九州に生きた人々 北九州市企画政策室/企画 北九州都市協会 2006.3 K602 耐火煉瓦をつくった人たち 125P-136P, (当館資料番号 0015996044) 参考資料:北九州市産業史 北九州市産業史・公害対策史・土木史編集委/編 北九州市 1998 A020, (当館資料番号 0015241409) 参考資料:北九州市土木史 北九州市産業史・公害対策史・土木史編集委員会土木史部会/編集 北九州市 1998 A020, (当館資料番号 0015241417)

並榎八景について(高崎市立中央図書館)

“並榎八景”とは、護国寺から眺めた風景について詩歌(漢詩・和歌)を詠みあげ、描いた絵巻です。 「六郷公民館25年のあゆみ」によると、“筏場の夕照”(いかだばのせきしょう)、“唐崎夜雨”(からさきのやう)、“新比叡山晩鐘”(しんひえいざんばんしょう)、“愛宕晴嵐”(あたごのせいらん)、“片岡秋月”(かたおかしゅうげつ)、“烏川漁舟”(からすがわぎょしゅう)、“稲荷山暮雪”(いなりやまのぼせつ)、“雁田落雁”(がんだのらくがん)、の八景で構成されています。 この絵巻は、文化元年(1804)頃の作と伝えられ、詩歌はそれぞれ違う作者のものであるが、絵は群馬郡本郷村(現在の高崎市榛名町)出身の神宮太郎右衛門林雄斎守満の作です。 「六郷公民館25年のあゆみ」では、八景それぞれの詩歌とその作者、景色の簡単な解説がされており、「図説高崎の歴史」には、「描かれた並榎八景の世界」(p.134-135)の項に絵入りで解説があります。 また、「高崎の散歩道 第8集」では八景それぞれの詩歌とその作者、景色の説明に加えて、白黒ではありますが絵の写真も収録されています。 以下、当館所蔵の参考資料になります。 図説高崎の歴史 高崎の散歩道 第8集 p30-44 新編高崎市史 資料編14 p385-387 開化高崎扣帖 p.120-131  並榎今昔(1)-(4) 六郷公民館25年のあゆみ  並榎八景絵巻 森田秀策著 上毛及上毛人 昭和7年 護国寺の並榎八景絵巻 本多夏彦著 180号p.50-53 群馬風土記 9(2) 通巻41号 p.36-49  和田城と高崎城の興亡 4回 利根川靖幸著   第3節 幕末の高崎藩    和歌と並榎八景     前出の“烏川漁舟”が“烏川帰帆”となっている。 群馬歴史散歩 26号 p.20-25  高崎ところどころ 6 田島武夫著 高崎の散歩道 第8集  室田街道   並榎八景絵巻 p.30-44 参考資料:石原征明, 飯野信義 共著 , 石原, 征明, 1932- , 飯野, 信義, 1918-. 図説・高崎の歴史. あかぎ出版, 1988. (群馬県の歴史シリーズ ; 2) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001935166-00, (当館資料番号 111212825) 参考資料:高崎観光協会/編. 高崎の散歩道 第8集. 高崎観光協会, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050013407-00, (当館資料番号 110329224) 参考資料:高崎市市史編さん委員会 編 , 高崎市. 新編高崎市史 資料編 14 (社寺). 高崎市, 2003. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007511821-00, (当館資料番号 117143537) 参考資料:高崎市総務部庶務課市史資料担当 編 , 高崎市. 開化高崎扣帖 復刻. 高崎市, 2006. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008392657-00, (当館資料番号 117188631) 参考資料:高崎市六郷公民館. 六郷公民館25年のあゆみ. 高崎市六郷公民館, 2004., (当館資料番号 117203554) 参考資料:豊国義孝/編. 上毛及上毛人 第177号〜第188号(昭和7年) 上毛郷土史研究会 昭和7年刊の復刻版. 上毛新聞社, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050198360-00, (当館資料番号 111012688) 参考資料:利根川靖幸著. 和田城と高崎城の興亡 4回. 群馬風土記 9(2) 通巻41号 p. 36-49 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000080879-00, (当館資料番号 530058205) 参考資料:田島武夫著. 高崎ところどころ 6. 群馬歴史散歩 26号 p. 20-25 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000025867-00, (当館資料番号 610157836) 参考資料:高崎観光協会 編 , 高崎観光協会. 高崎の散歩道 第8集. 高崎観光協会, 1979. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I080939194-00, (当館資料番号 110329224) 備考:2016.2.16:「六郷公民館25年のあゆみ」を追加。 2016.6.1:「上毛及上毛人 昭和7年」を追加。 2016.6.6:「群馬風土記 9(2) 通巻41号」を追加。 2016.9.6:「群馬歴史散歩 26号」を追加。 2020.8.10:「高崎の散歩道 第8集」を追加。

狭山市に落下したという隕石について知りたい。国立科学博物館で狭山市柏原地区に落下、との展示を見た。(狭山市立中央図書館)

『隕石の見かた・調べかたがわかる本』p49の地図上に狭山の記述あり。 国立科学博物館HPの「日本の隕石リスト」の №33に記載あり。 http://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/inseki/inseki_list.html また、 同HPの「常設展データベース」の検索で、「狭山市 隕石」のキーワードで「狭山隕石」がヒットする。 詳細な記事の中に、狭山隕石は1986年(昭和61年)4月29日頃、埼玉県狭山市の民家に落下。2000年5月に同博物館に依頼があり、隕石であることを確認したとの記述。 データベーストップ http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/dbpermanent/index.html 狭山隕石のページ http://db.kahaku.go.jp/exh/detail?cls=col_z1_01&pkey=1761039  (隕石の写真も見られる) 読売新聞有料データベースのヨミダス文書館 2002年1月12日朝刊の[面白科学概説(1)」に、発見の経緯や隕石の調査方法などが詳しく記載されている。 HPはすべて2019年4月12日確認。 後日、高度な内容と思われるが、Ciniiで論文「激しい水質変成を伴う狭山隕石(CM2)のコンドリュールにおけるアルカリ元素の再分配」を発見。 また、国立国会図書館デジタルコレクションにも「日本地球化学会年会講演要旨集」の中に狭山隕石についての論文らしきものがあるようだが、未確認。 回答プロセス:国立科学博物館HPを確認。1986年4月29日頃落下、2000年5月に同博物館に調査依頼との記載が確認できたため、新聞記事のデータベース ヨミダスで「狭山 隕石」をキーとして検索。新聞記事の確認ができたので提供。同じキーワードで日経テレコンではヒットしないようだった。 さらに隕石の関連図書をあたったところ上記図書が見つかった。質問者の時間がなかったためそこで調査終了。 参考資料:藤井旭 著 , 藤井, 旭, 1941-. 隕石の見かた・調べかたがわかる本. 誠文堂新光社, 2010. (藤井旭の天体観測入門) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010825058-00, 9784416210079 備考:『ぐるり埼玉・石ものがたり49』ぐるり埼玉・石ものがたり49』関根 久夫/著さいたま:幹書房,2014.07ISBN:978-4-906799-41-1 のp45〜発見後の経緯について記述があるのをみつけた。(2020.7.11確認)

明治・大正期の牛肉の保存方法について。(新潟市立中央図書館)

以下の資料に記述があり,提供。 (1)新潟市立図書館所蔵 ①『焼肉の誕生』(佐々木 道雄著 雄山閣 2011)p70~73 屠殺からの流れの記述あり。 ②『日本食肉史』(福原康雄著 食肉文化社 1956)p89~90   「氷が非常に高価なので冷蔵庫といふものがない。店先きに牛肉の大きな一片があり、女が一人横に座って蠅を追うために団扇であおいでいた。」 「近江牛で有名な米久の始祖竹中久次は、新谷町の屠場で屠した牛を店に持ち込んで吊るして置くと、夏などは二、三日して臭くなり売り物にならないので、夜遅く人目を避けて大川に投げ込んで捨てたという。」 (2)国立国会図書館デジタルライブラリー ①『実地経験百工自在』(ボック著 杉本耕太郎訳述 日進堂 1888)19-20コマ 「牛肉罐詰ノ製法」 ②『婦人衛生雑誌(105)』(私立大日本婦人衛生会事務所 1898)※国立国会図書館内限定  「盛夏中牛肉を貯蔵する法」 ③『重要商品学講義』(三段崎景之著 巌松堂 1911)176-187コマ 「第二章 牛肉」  ④『和洋食物調理法 家庭実用春』(秋穂益実著 東京割烹女学校出版部 1912)87コマ 「食物原料の保存法」の中に牛肉保存法について記述あり。 参考資料:焼肉の誕生, 978-4-639-02175-9 参考資料:日本食肉史,

新潟市中央区弁天の弁天公園近くにある「公衆電話発祥の地の碑」について,疑問がある。この碑には「明治四十年三月六日 公衆電話が設置された」とあるが,実際には明治三十四年に新潟市で開催された聯合共進会の会場に臨時で設置されているので,こちらが発祥の地になると思う。碑の設置の根拠について知りたい。(新潟市立中央図書館)

『新潟の電話七十年のあゆみ』(新潟電話局 1973)p40~42 現在の公衆電話にあたる「電話所」と「自働電話」の記述。電話所が明治34年7月21日に西堀に,同年11月1日に沼垂に設置との記述あり。 自働電話所は明治34年8月に聯合共進会会場に臨時で開設,明治40年3月新潟駅前に設置されたのがはじめと記述あり。 回答プロセス:(1)新潟市立図書館資料 ①『新潟の電話七十年のあゆみ』(新潟電話局 1973) p40~42 現在の公衆電話にあたる「電話所」と「自働電話」の記述。電話所が明治34年7月21日に西堀に,同年11月1日に沼垂に設置との記述あり。自働電話所は明治34年8月に聯合共進会会場に臨時で開設,明治40年3月新潟駅前に設置されたのがはじめと記述あり。 ②『新潟郵便局史』(石黒正英著 新潟郵便局史編さん会 1986) ③『信越の電信電話史』(日本電信電話公社信越電気通信局 1972) ④『新潟中郵便局史』(新潟中郵便局編さん会 2002) (2)国立国会図書館デジタルコレクション (2018年11月19日確認) ①『官報』第5413号 明治三十四年七月十九日 逓信省告示第二百八十四号  「本月二十一日より越後國新潟電話交換局内ニ電話所ヲ置キ西堀通電話所ト稱ス」 ②『一府十一県聯合共進会審査報告書』(新潟県内務部 1901)  「電話 新潟電話交換局ハ来場者ノ便益ヲ計ランカタメ構内ニ自働公衆電話機ヲ据付ケタリ」 (3)「公衆電話発祥の地の碑」を設置した財団法人日本公衆電話新潟分会について ①「公益財団法人 日本公衆電話会」 (http://www.pcom.or.jp/) 信越統括支部 連絡先 TEL: 026-217-0403 FAX: 026-217-0406 (インターネット情報は2018年11月19日確認) 参考資料:新潟の電話七十年のあゆみ, 参考資料:新潟郵便局史, 参考資料:信越の電信電話史, 参考資料:信越の電信電話100年のあゆみ, 参考資料:新潟中郵便局史,

長崎ではなく小倉に原爆が落ちる予定だったと聞きました。標的になるものがあったのですか。作文を書くのですがどんな資料がありますか。(北九州市立中央図書館)

下記の資料をご紹介しました。今日は下見とおっしゃっていましたが、ご案内した所数冊借りていかれました。平和資料館の話題になったので、市民団体が運営している若松区の私設の平和資料館をご案内しました。 回答プロセス:自館端末にて「小倉」「原爆」のキーワード検索をしました。レファ協を確認し「戦争」関係の棚をブラウジングして分かりやすそうな資料をご案内しました。 参考資料:今ふたたび長崎の鐘 被爆の深層を探る 藤尾 裕宣/著 幻冬舎メディアコンサルティング 2019.4, 978-4-344-92204-4(0018410118) 参考資料:小倉に原爆が落ちた日 シミュレーション(モデル計測) 朝日新聞西部本社社会部/編 あらき書店 1983.8 分類:219, (0013338769) 参考資料:小倉造兵廠写真帖 朝日新聞西部本社/編  朝日新聞西部本社 1943, (0010776128) 参考資料:小倉と原爆 工藤 瀞也/著  軍都小倉と毒ガス爆弾・風船爆弾製造の記録 あらき書店 1997, (0013687033) 参考資料:米軍資料八幡製鉄所空襲 〔奥住 喜重/訳〕 〔工藤 洋三/訳〕 B-29による日本本土初空襲の記録 北九州の戦争を記録する会 2000.6, (0014359475) 参考資料:あの日、八幡で何が起こったか 平野塾/編集 八幡大空襲から70年 地域の記憶遺産を支える会 2015.8, (0017905282) 参考資料:北九州空襲 第1集〜第4集 北九州空襲を記録する会/編 北九州空襲を記録する会 1973, (0011219359) 参考資料:小倉陸軍造兵廠 中原 澄子/編著 〔中原澄子〕 2011.12, (0017255530) 参考資料:北九州の戦争遺跡 改訂版 北九州平和資料館をつくる会/編 ガイドブック [北九州平和資料館をつくる会] 2016.7, (0018119594) 参考資料:日本の原爆記録 2 長崎の鐘 家永 三郎/〔ほか〕編集 日本図書センター 1991.5, (0013363718) 参考資料:北九州・戦時下の市民のくらし 北九州市総務局総務部総務課/編 北九州市保健福祉局地域福祉課/編, (0013393707)

介護報酬での言語聴覚療法と精神作業療法の点数を知りたい。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料と情報を提供した。 『介護報酬の解釈 平成21年4月版 1 単位数表編』(社会保険研究所 2009)  p838、842に記述あり。 《官報情報検索サービス》(国立印刷局)  「平成二十一年三月三日号外 厚生労働省告示 第五十三号」に記述あり。 回答プロセス:1 自館目録を〈介護報酬〉で検索する。 2 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈介護報酬〉で検索する。 3 《D1-Law.com法情報総合データベース》(第一法規)で法令を調べる。 「厚生労働大臣が定める特定診療費に係る指導管理等及び単位数」(平成十二年二月十日号外厚生省告示第三十号)に記述あり。 4 《官報情報検索サービス》(国立印刷局)で3の告示の改正を確認する。 ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年6月19日。 参考資料:『介護報酬の解釈 平成21年4月版 1 単位数表編』(社会保険研究所 2009), 9784789411158

『ソヴィエト赤軍興亡史2』(学習研究社 2001)に書かれている、「スターリンの罵倒で怒ったクリメント・ヴォロシーロフが皿をテーブルに投げつけた」という逸話の出典を知りたい。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料を紹介した。 『フルシチョフ回想録』(フルシチョフ著 タイムライフ・インターナショナル 1972)  p149逸話の記述あり。  p161注(29)に「小豚の出来事についてはここではじめて明らかにされた」とあり。 回答プロセス:1 NDC分類〈238.07〉の棚を確認する。 2 スターリンについて書かれた本を確認する。 『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち 下巻』(サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著 白水社 2010)  p22逸話の出典は『Khrushchev remembers』であるとの記述あり。 『スターリン その謀略の内幕』(ニコライ・トルストイ著 読売新聞社 1984)  p153逸話の記述あり。  p396逸話の出典は「ストローブ・タルボット編「フルシチョフ回想録」(ボストン、一九七〇年)。」とあり。 3 自館目録を〈フルシチョフ & 回想録〉で検索する。 4 《国会図書館 NDL-OPAC》(https://ndlopac.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈Khrushchev Remembers〉で検索する。 〈その他調査済み資料〉 『歴史のなかのソ連』(松戸清裕著 山川出版社 2005) 『囁きと密告 スターリン時代の家族の歴史 上巻』(オーランドー・ファイジズ著 白水社 2011) 『囁きと密告 スターリン時代の家族の歴史 下巻』(オーランドー・ファイジズ著 白水社 2011) 『スターリンとイヴァン雷帝』(モーリーン・ペリー著 成文社 2009) 『スターリニズムの経験』(松井康浩著 岩波書店 2014) ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年5月23日。 参考資料:『フルシチョフ回想録』(フルシチョフ著 ストロープ・タルボット編 タイムライフ・インターナショナル 1972),

津藩(三重県)における戊辰戦争の参加者や戦死者の名簿が見たい。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料を提供した。 『三重県史 資料編 近世4 下』(三重県 1999)  p456部隊参加者の名前あり。  p467-469戦死者のリストあり。 『幕末維新全殉難者名鑑 3』(明田鉄男編 新人物往来社 1986)  p388-392「津藩」〔西軍〕の名簿あり。巻末に人名索引あり。 回答プロセス:1 三重県史を調べる。 2 《三重県》(https://www.pref.mie.lg.jp/ 三重県)を〈戊辰戦争〉でサイト内検索する。 《三重の人名を探す》(http://www.library.pref.mie.lg.jp/?page_id=59 三重県立図書館)に関連資料の記載あり。 3 参考図書を調べる。 ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年6月15日。 参考資料:『三重県史 資料編 近世4 下』(三重県 1999), 参考資料:『幕末維新全殉難者名鑑 3』(明田鉄男編 新人物往来社 1986), 4404013906

ツバメに自宅の軒先に巣を作らせるための資料を探している。(埼玉県立久喜図書館)

下記の資料を紹介した。 『ツバメの街』(川道美枝子著 フレーベル館 1998)  p43 「ツバメを街によびもどそう」の項に、巣台のつけ方について記述あり。 『ツバメのくらし百科』(大田眞也著 弦書房 2005)  p27-38 「マイホーム事情」の項に、巣の素材・営巣場所について記述あり。 『ツバメ観察事典』(小田英智構成 偕成社 1997)  p37「巣をつくる台をつくってやろう」の項に、人口の巣台の写真と解説あり。 内田康夫著「ツバメはなぜ軒先に巣を作るのか」(『科学 1988年6月』p343-351 岩波書店 1988.6)  p343-345「営巣箇所の特性」の項に、ツバメが巣を作る条件について記述あり。 『おかえりなさいツバメたち』(唐沢孝一著 大日本図書 1986)  p3-17巣を作りやすい場所についての記述と、様々な場所の巣の写真あり。 回答プロセス:1 NDC分類〈488〉の棚を確認する。 2 《国会図書館レファレンス協同データベース》(http://crd.ndl.go.jp/reference/ 国会図書館)を〈ツバメ & 巣〉で検索する。 《つばめの生態・特に巣の材料について知りたい》(埼玉県立久喜図書館 http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000189588)  ツバメの巣の材料について記述のある参考資料あり。 3 《国会図書館サーチ》(http://iss.ndl.go.jp/ 国立国会図書館)を〈ツバメ & 巣〉で検索する。 4 《JDreamⅢ》(ジー・サーチ)を〈ツバメ & 巣〉で検索する。 〈その他調査済み資料〉 『巣と卵図鑑鳥』(小海途銀次郎著  世界文化社 2011) 『都市の鳥』(唐沢孝一著 保育社 1994) 『巣と卵図鑑 日本の野鳥』(世界文化社 2011) 『都市の鳥 その謎にせまる』(唐沢孝一著 保育社 1994) ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年5月4日。 参考資料:『ツバメのくらし百科』(大田眞也著 弦書房 2005), 4902116316 参考資料:『ツバメの街』(川道美枝子著 フレーベル館 1998), 4577018519 参考資料:『ツバメ観察事典』(小田英智構成 偕成社 1997), 4035273201 参考資料:『科学 1988年6月』(岩波書店 1988), 参考資料:『おかえりなさいツバメたち』(唐沢孝一著 大日本図書 1986),

終戦後、山梨県甲府市にある舞鶴城公園のお濠を埋め立て、アメリカ軍がカマボコ型の兵舎を建てたと聞くが、どのようなものか。いくつ建っていたのか知りたい。(山梨県立図書館)

アメリカ軍のカマボコ型兵舎は、「コンセット」という。 山梨軍政部は、将校6人(途中から7人)・兵士25人であった。兵士たちは舞鶴城公園にカマボコ型兵舎を仮設して、住居とした。「座談会米軍占領下の甲府市を語る」(「甲府市研究」第3号)によると、「医師会館の隣に住まい(コンセット)を建てた」「お城の中にも3か所くらい宿舎があった」「米兵の宿舎はカマボコ兵舎と呼んでいた」とある。2,3か所に宿舎が建てられていたが、戸数は不明。 回答プロセス:1.『山梨県史』を確認 ・『山梨県史』通史編6によると、1945(昭和20)年9月の段階で日本は間接統治方式で占領されることとなり、連合国軍の15の軍政グループ傘下に各県1つずつの軍政中隊が割り当てられた。山梨軍政部は、将校6人(途中から7人)・兵士25人だった。 ・軍政部の事務所は、当時の県立図書館に置かれ、焼け残っていた山梨県医師会館、三楽荘、常盤ホテル、甲府水道水源事務所などが接収されて将校住居に充てられ、兵士たちは舞鶴城公園にカマボコ型兵舎を仮設して住居とした。住居数は不明。 ・参考文献として「座談会米軍占領下の甲府市を語る」(「甲府市史研究」3号) 2.『甲府市史』を確認 ・『甲府市史』通史編第4巻によると、医師会館や平瀬の貯水池事務所が接収されて将校とその家族の宿舎になり、舞鶴城公園にはカマボコ型の兵舎が建てられて兵士たちが暮らしていた。戸数は不明。 3.1の参考文献として挙げられていた甲府市史研究を確認。 ・「甲府市史研究」第3号によると、「医師会館の隣に住まい(コンセット)を建てた」「お城の中にも3か所くらい宿舎があった」「米兵の宿舎はカマボコ兵舎と呼んでいた」「城の中にコンセットが3つほど並んでいたとすると、かなりの数の軍人が住んでいたことになります」 4.「山梨日日新聞縮刷版データベース」で「山梨軍政部」を検索 ・「山梨日日新聞」平成12年4月3日17面「やまなし20世紀群像 50米軍進駐」の記事にはカマボコ兵舎の記述なし。「占領時代の米軍政府付近」の略図あり。これによると、「下士官宿舎」は道を挟んで2か所ある。 5.4で民間情報教育担当官スターヴァンの「アメリカ・イン・ジャパン 1945~1948」が紹介されていたので確認すると「チームの本部からそう遠くない所に小さな二階建ての建物があった。『あれが独身将校宿舎で、下のほうのカマボコ兵舎が下士官用宿舎で、その下が駐車場になっています。』」p.39の記述があるが、戸数は不明。 6.甲府市の写真集などを確認するが、山梨軍政部に関する写真は確認できなかった。 参考資料:山梨県/編集 , 山梨県. 山梨県史 通史編6. 山梨日日新聞社, 2006. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005561037-00, (p.396) 参考資料:甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市市史編さん委員会. 甲府市史研究 第3号. 甲府市, 1986. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544583-00, (pp.45-46)

越後新潟湊真景の載っている本がみたい。(新潟市立中央図書館)

①『新潟県立図書館創立100周年記念誌』(新潟県立図書館 2016)  p6「記念絵葉書の作成・配布」に絵葉書の掲載あり。 ②『大新潟湊展』(新潟市歴史博物館 2014)  p70~71「越后新潟湊真景 十六興」などの掲載あり。 ③『越後名所浮世絵集』(読売新聞社 出版年不明)   ・第一集 広重(一)   ・第三集 広重(二)   ・第四集 広重(三)   ・第九集 新潟真景-三代目広重・国周合作   ・第十一集 物産図会-三代広重画   ・第十二集 名所絵の変遷-貞秀・三代広重画 参考資料:新潟県立図書館創立100周年記念誌, 参考資料:大新潟湊展, 参考資料:越後名所浮世絵集,

CIE図書館について書かれた自費出版の本 戦後、県庁近くにCIE図書館(のちにアメリカ文化センターと改称された)が設立された。村松の女性が、このことについて書いた自費出版の伝記があったと思う。(新潟市立中央図書館)

(1)新潟日報データベースを検索 ①2015年1月6日 元新潟アメリカ文化センター館長秘書 星 豊子さん(五泉市在住)のインタビュー。 ②2014年8月15日 新潟アメリカ文化センター職員 土田 玲子さん(中央区在住)の記述。 (2)「CIE図書館」でネット検索 『八八歳レイコの軌跡』(豊後レイコ著 ドメス出版 2008) 著者は長崎のCIE図書館に勤務。新潟県立図書館に所蔵あり。 (3)CIE図書館(新潟アメリカ文化センター)の検索結果に,新潟大学附属図書館,新潟県立図書館の記述あり。各図書館へ所蔵の確認等依頼。 新潟大学附属図書館にはアメリカ文化センター所蔵の蔵書が寄贈されており,現在新潟大学附属図書館中央図書館2階にACCコーナーあり。 新潟県立図書館は、寄贈された事実は確認できるが,その後の所蔵状態は不明。 どちらの図書館も該当資料なしとのこと。

沼垂駅前に公衆電話はあったか。 明治34年11月1日の官報に出ていた「電話所」の住所,「電話所」の様子,外観がわかる写真はあるか。(新潟市立中央図書館)

(1)国立国会図書館デジタルコレクションで「官報」を検索し設置事実を確認。 ①明治34年10月29日付 官報第5489号577(1コマ上段)「逓信省告示第429号:來11月1日ヨリ左ノ電話所ヲ設置ス 明治34年10月29日 逓信大臣 子爵芳川顕正 新潟県中蒲原郡沼垂町 沼垂電話所」 ②明治44年1月23日付 官報第8274号408(3コマ上段)「逓信省告示第93号:本月26日ヨリ左記郵便局ニ電話通信事務ヲ開始ス 明治44年1月23日 逓信大臣 男爵後藤新平 沼垂郵便局 新潟縣中蒲原郡沼垂町」 (2)蔵書を確認。 『新潟市合併町村の歴史 第三巻』 p132 「沼垂郵便局内に電話所が設置されたと考えられる」という記述あり。 p130 沼垂郵便局の住所の記載有。 (3)下記資料で沼垂郵便局の写真を探したが、記載なし。 『新潟郵便局史』(石黒正英著 新潟郵便局史編さん会 1986) 『信越の電信電話史』(日本電信電話公社信越電気通信局/著 1972) 『新潟の電話七十年のあゆみ』(新潟電話局 1973) 『新潟中郵便局史』(新潟中郵便局編さん会 2002) 『新潟市の120年』(いき出版 北越書館 2009) 『ぬったり』(沼垂定住三百年祭実行委員会 1984) 『新潟市パノラマ館』(郷土出版社 1999) 『ふるさとの百年 新潟』(新潟日報事業社 1980) 『流作場二百五十年誌』(大橋 毅著 三社神社御鎮座二百五十年祭実行委員会 2000) 参考資料:新潟市合併町村の歴史 史料編 3,

『新潟の夜』という本に新潟駅前広場の噴水と裸婦像の写真があった。現在の駅前にはないようだが,いつからいつまであったものなのか。(新潟市立中央図書館)

1960年に製作。2014年2月中旬に撤去,3月中に移設予定。 回答プロセス:(1)『新潟の夜』(新潟日報事業社 1967)を確認。 巻頭の口絵に「広場の中央,噴水の中に白く浮かぶ裸婦像。…」とあり。本文中には特に像についての説明はなし。 (2)「新潟日報記事データベース」で撤去の記事を検索。 2014年3月14日の夕刊に「新潟駅前裸婦像消えた」という記事あり。「1960年に製作」「2月中旬に撤去」「3月中に近くの石宮公園に移設」等の記載あり。 参考資料:新潟の夜,

紫鳥線と笹出線はいつから道路としてあるのか知りたい。また,周囲の様子がわかる資料はあるか。(新潟市立中央図書館)

以下の資料を提供。 ①『郷土史とやの』(鳥屋野自治会 1987) p57 旧跡道(紫鳥線)の記述あり。 ②『女池いまむかし』(新潟市立女池小学校 1986) p22~23 「昭和二十五,六年ごろに紫鳥線がつくられ,昭和四十五年ごろにほそうされた」と記述あり。 ③『鳥屋野の土地改良』(亀田郷土地改良区鳥屋野工区著 1980)  p161 堤外の肥料土運搬水路の旧前堀(上所島地内笹出線)の写真あり。     「鳥屋野地区の耕地整理工事が昭和二十五年度から緒につくことになる。」と記述あり。 p165 「笹口~出来島の笹出線,紫竹山~鳥屋野の紫竹線は都市計画道路の一環として実施され    ることになる。」と記述あり。 p208 「鳥屋野大形線(現在の紫鳥線)工事計画について…」と記述あり。 p402~403 新潟市の都市計画街路網の記述あり。 ④『鳥屋野地区の今昔』(鳥屋野地区農業協同組合 1980) p650 笹出線の鉄塔問題の記述あり。 p664 道路幅員について記述あり。 p666 昭和30年,昭和51年当時の笹出線の写真あり。 ⑤『水と土と農民』(亀田郷土地改良区 1976) p567 昭和30年,昭和51年当時の笹出線の写真あり。(4の資料と同一写真) 参考資料:郷土史とやの, 参考資料:女池いまむかし, 参考資料:鳥屋野の土地改良, 参考資料:鳥屋野地区の今昔, 参考資料:水と土と農民,

全国高校サッカー選手権山梨県大会、1997(平成9)年の機山工業高等学校の記事を見たい。また、そのときのレーダーチャートを見たい。(山梨県立図書館)

山梨日日新聞によると、1997(平成9)年9月26日(金)10面に「帝京三、韮崎軸に展開か」の見出しで、山梨県大会組み合わせと各チーム監督の戦力自己分析のレーダーチャートが掲載されていた。試合結果記事として、9月28日12面、9月29日10面、10月5日10面、10月6日11面に掲載された。 山梨県大会の記事としては、8月30日の組み合わせ抽選の記事から、12月まで随時掲載されている。 回答プロセス:1.スポーツ新聞は保存期間終了により、確認できなかった。 2.山梨日日新聞データベースにより、記事の確認。 3.全国紙の山梨県版(毎日新聞、産経新聞)をマイクロフィルムにより確認したが、該当記事はなかった。 4.「全国高校サッカー選手権大会山梨県大会 第75回平成8年度」はあったが、平成9年度が所蔵無し。 5.インターネット調査。

昭和電工鹿瀬工場の全景が写っている写真,航空写真,地図もしくは工場図面で,1960年代のものを探している。(新潟市立中央図書館)

以下の資料を提供。 (1)新潟水俣病関連の資料 ①『新潟水俣病関係文献目録』(新潟県立新潟図書館 1973) ②『新潟水俣病 新聞・雑誌見出し集 1965~1996』(新潟水俣病資料政策委員会 1996) (2)昭和電工旧鹿瀬工場の全景が写っている写真 ①『鹿瀬工場概況』(昭和電工 出版年不明)※1960年頃出版と推測される。  表紙の裏に鹿瀬工場全景写真 ②『新潟水俣病の教訓を後世に伝えるために』(新潟県 2010) p131 「昭和電工鹿瀬工場の全景」 (3)昭和電工旧鹿瀬工場見取り図など ①『阿賀の流れに 新潟水俣病ガイドブックⅡ』(新潟水俣病共闘会議 2002) p13 「旧昭和電工鹿瀬工場」の見取り図 p17 アセドアルデヒドプラントの写真 ②『阿賀よ 忘れるな』(新潟水俣病被害者の会 1996) p219 昭和電工鹿瀬工場の写真(年代不明) ③『阿賀の里 図説・東蒲原郡史 下』(東蒲原郡史編さん委員会 1985) p175 鹿瀬電工の工場写真 p176 廃棄物の捨て場所決壊を報じた新聞記事の写真 参考資料:新潟水俣病関係文献目録 図書・雑誌の部, 参考資料:新潟水俣病 新聞・雑誌見出し集 ’65~,

新潟県の神社数が全国で一番多い理由と,その記載のある資料を知りたい。(新潟市立中央図書館)

(1)新潟県の神社数が一番多い理由について記載がある資料。 ①『ありがたい神社の歩き方,神様の見つけ方 なんでもベスト10』(戸部 民夫著 芸術新聞社 2013)  p36~37に記載あり。 ②『イラストで丸わかり!神社入門』(洋泉社 2016)  p22に記載あり。 ③『えっ?本当?!地図に隠れた日本の謎』(浅井 建爾著 実業之日本社 2008)  p107に記載あり。 (2)新潟県の神社数が一番多い理由について掲載されているホームページ 新潟県神社庁ホームページ:コラム 新潟県の神社について http://niigata-jinjacho.jp/column/#column1 (インターネット情報は2019年1月4日確認) 参考資料:ありがたい神社の歩き方、神様の見つけ方, 978-4-87586-352-6 参考資料:イラストで丸わかり!神社入門, 978-4-8003-1090-3 参考資料:えっ?本当?!地図に隠れた日本の謎, 978-4-408-42007-3

笹神村にある旦飯野神社(あさいのじんじゃ)について詳しく書いてある本が数冊読みたい。 吉田東伍(阿賀野市出身)の旦飯野神社について記載されている本があれば見たい。(新潟市立中央図書館)

①『越佐の神社 式内社六十三』(花ケ前盛明著 新潟日報事業社 2002)p84に記載あり。 ②『笹神村史 通史編』(笹神村 2004)p111~112に記載あり。 ③新潟県立文書館のホームページ『新潟県神社寺院仏堂明細帳検索』より笹神村で検索。27番に記載あり。 ④吉田東伍が旦飯野神社について記述している資料は所蔵なし。 参考資料:越佐の神社, 4-88862-943-9 参考資料:笹神村史 通史編,

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