2.1 図書館における文化を超えた意識を高めることにより、様々な言語を話す人々に対しサービスを提供する~日本、米国でラテン系アメリカ人、ブラジル人、ラティーノ、ヒスパニック系の人々にサービスを提供することについて~

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Sandra Rios Balderrama
RiosBalderrama Consulting, Recruitment, Consultation & Presentations for Libraries
(図書館コンサルタント  サンドラ・リオス・ボルダーラマ)

はじめに

 米国のアリゾナから報告します。遠く離れたこの地から、報告できてとても光栄に思っています。我々は異なる時間帯、緯度、経度に暮らし、異なる言語を話し、文化的価値観も異なっていますが、我々には公共図書館を訪れる全ての人に優れた図書館サービスを提供したいという共通の願いがあるのではないかと考えています。私は日本の公共図書館について、そして日本図書館協会(JLA)について幾つかのウェブサイトで学ぶことが出来嬉しく思っていますが、ウェブサイトや文献にはあまり多くの情報はなかったため、日本についてはわずかな知見や手がかりしか得ることが出来ませんでした。申し訳なく思っています。またJLAは国際図書館連盟(IFLA)のメンバーであることがわかりました。残念ながら、私は(まだ!)日本を訪問したことがなく、ほんの基本的な幾つかの挨拶以外は日本語も話せません。言葉の限界についても申し訳なく思います。本稿を訳してくれる翻訳者に感謝します。翻訳は技能であり、芸術です。

 本稿で、私は我々両国の文化的条件が、多文化的な背景をもつ人々と文化を超えて効果的に仕事をする際にどのようなものが妨げになるか、また文化的能力がいかに我々の仕事を促進し、強化してくれるかについて述べたいと思います。日本に住むラテン系アメリカ人に対するサービスに皆さんが関心を寄せられていることに応えて、ここではラティーノ/ヒスパニックに対するサービスの戦略について語るよう要請されています。最終的にはラテン系アメリカ人に対するサービスの具体例や、彼らの持つ文化的価値観についても述べ、米国の事例や情報源へのリンクも提供するつもりです。ひな型や事例はどの国でも、そして、おそらくは同じ国内のどの図書館においても、完全に翻訳して応用することはできないものです。しかし、事例に手を加え、調整して、自分達に合うように変えていくことは出来ますし、そこから新しいアイデアが生まれることもあるのです。

 本稿は網羅的でも、科学的でも、計量可能なものでもありません。移入民/移出民、そして多文化主義に関する主題は非常に複雑で、継続的な調査、研究、そして学習に値するものです。代わりに、私は皆さんに24年間の公共図書館での司書、現役の学生、教育者、指導者、多文化主義と多様性の信奉者としての、そして最後にメキシコからの移民の孫としての見解を示したいと思います。

 本稿はみなさんに話しかけるように書かれています。みなさんの国や私の国の話をすることもありますし、皆さんの言語や私の言語の話もします。そうすることで“we(我々)”という感覚を伝えたいと思っているのです。「我々」は私達が今共に同じ努力をしていることを意味しています。また「彼の」「彼女の」という言葉を同じ意味で使います。これらの言葉の使い方については説明もいれています。ラテン系アメリカ人とラティーノ/ヒスパニックについては本稿末尾の「注釈とレファレンス」の部分で説明しています(1)。また末尾には私のメールアドレスも掲載しておりますので、今後も皆さんとの対話を続けていければと期待しています。我々の知恵の結集を互いに共有し、さらにまた他の国へと分かち合っていくことが大切なのです。

献辞

 本稿を私の同僚であり、1990年代にカリフォルニア州オークランドを訪問中に出会った井上靖代さんに捧げます。私達が再び出会ったのは2005年11月、Thinking Outside the Borders Leadership Instituteでのことでした。これはイリノイ大学国際図書館プログラム・モーテンソン・センターとイリノイ州立図書館が共同開催したものです。長年にわたり井上さんと連絡を取り続けることが出来とても嬉しく思っています。

(1) 多文化サービスを届けるための基盤

 多文化および移民コミュニティに対するサービスに必要なものは

 • 国、政治、異文化、およびグローバルな手腕を有する図書館の指導者

 • 組織の文化的価値としての多様性

 • 多文化図書館サービスを提供するスキルの訓練を受けた図書館スタッフ

 • 機関としての文化的能力

 我々がグローバルなビジョンを持つ多文化主義者であれば、上記は我々皆が達成すべく努力しなければならない理想的な状態である。日米ともに、移民や新参者を受け入れてこなかった大きなコミュニティに囲まれ、リソースの少ない非常に小規模な図書館があることを私は理解している。リストに挙げられた要素のうち1つか2つだけを満たしている大規模な図書館もある。我々は皆、国や地域が変化し、図書館がそれに対応しようと努力している「進行中」の過程にある。あなたの図書館がどの程度理想的な状態の範囲にあるかということにかかわらず、公共図書館は、そのコミュニティに新しく入ってきたと思われる人に手を差し伸べ、彼らの故郷についての読み物を備え、インターネットが使え、彼らの新しい国やその言語について学ぶことが出来る場所であり、書籍やインターネット、新聞、DVD、プログラムなど公共図書館にあるものすべてを通じて世界の文化や文学について学ぶことに関心を寄せる家族や人々を歓迎する場所であることを、彼らに知らせたいという地域の図書館司書が持つ基本的な想いは重要で価値のあるものである。

 文化的能力とは何か? クロス(Terry Cross)は次のように定義している。

「1つのシステム、機関または専門家集団として共有する行動、態度、ポリシーの集合体であり、これによって、そのシステム、機関、専門家集団は異文化間状況で効果的に機能するようになる。」(2)

(2) 多文化図書館の効果的なリーダーシップ

 日本語や英語を話せない人たちを援助しようとしたり、1、2の新しい童謡や指遊びをスペイン語やポルトガル語で行って子供向けのお話しの時間を持とうとする図書館で働く「ありふれた」リーダーがいる。こうしたリーダーの行為は「単に自分の仕事をしている」と表現される。しかし、こうした行動のための決意は小さくて、簡単に見えるかもしれないが、勇気ある洞察と努力に基づいたものなのである。そこでは、任命されたリーダー(図書館長や管理職者)は決定を行い、リソースを配分し、そして将来の計画を立てる権限を与えられている。多文化をめぐる問題、特に移民に関する問題は、どの市、郡、図書館、そして国においても意見が二極化している問題であるため、異文化間環境に、効果的に向かう能力を発揮するのに、我々はこうしたリーダーに頼ることになる。外国人排斥や人種差別主義の現実は別として、反移民的反応は異なるものへの恐れ、見知らぬものに脅かされているという感覚、そして国の文化の喪失や弱体化の恐れから来るものである。

 多文化のリーダーは、お互いに尊敬と公開されたコミュニケーションの方法を大切にしなければならない。文化的背景や組織における地位に関わらず、人からは何かしら学べるのだということの理解が、この方法の裏にはある。文化を超えたグループが歩み寄りと理解を通じて活動するとき、文化的価値の相違はどちらかが優れている、劣っているといった上下のあるものではなく、単なる相違であり、互いに尊敬されるべきものであるということをリーダーは理解している。よいリーダーは国際的な移民問題に対する意識が高く、同時に全く見知らない移民に対しても共感している。そのようなリーダーは、国境や障壁ではなく、文化と文化の架け橋を築くという公共図書館の役割を理解している。

 図書館内や、さらに大きくは親組織において、序列に基づく決定がなされるかもしれないが、「頂点にいる」人々は、図書館の利用者と直接接している図書館スタッフの意見を常に考慮し、取り入れていく必要がある。そのようなリーダーは、こうした意見を考慮に入れて決定を行い、リソースを配分し、図書館サービスの価値のアドヴォカシーを行っていく。米国では、任命されたリーダーとの関係において「short power distance(権力との距離が小さいこと)」(文化の側面の一つ)が好まれる傾向にある。これはスタッフや図書館利用者が、自分たちは任命されたリーダーにアクセスし、自分たちが懸念していることやアイデアを直接伝えることが出来ると考えていることを意味している。たとえ、図書館長や政府のリーダーと直接話をするという前例がないような「large power distance(権力との距離が大きいこと)」の文化的状況にあるとしても、前線で働くスタッフが、自分達の考えや懸念、問題解決のためのアイデアを間接的に表現できるプロセスがあるはずである。これは多文化主義の基本信条である「包括(inclusion)」の環境を強化するものである。効果的な多文化リーダーは、たとえ非常に多忙で時間が無くても、図書館のプログラムやコミュニティ活動に参加する。そこにいるだけで、リーダーはコミュニティと図書館スタッフの努力をサポートしていることを示しているのである。任命されたリーダーは特に、米国でいう“walk the talk”、つまり、自らが語ったり書いたりしたとおりに、行動し振舞わなければならない。

(3) 組織の文化的価値としての多様性

 多文化の人々にサービスを提供するために図書館システムに必要なことは何か?まず、図書館自体が多様性を尊ぶ組織的文化を持たねばならない。この価値を図書館スタッフと市民が広く共有し、図書館サービスの設計と計画に取り入れていく必要がある。米国の図書館の多様性戦略の意図は二重構造になっている。それは、1)図書館サービスを届けるにあたって、格差と不平等をなくす、2)“underserved”(十分なサービスを受けていない)とされる人々や、多数派または主流文化ではない人々を歓迎し、統合し中に取り込んでいくこと、である。

 その戦略は、一つには次のような基礎を持つ。

 1) 平等主義、能力主義、そして多元主義は、米国の基礎を成す国家的価値観である。これらの価値観と現実の間にギャップがあることがわかっていても、我々は依然、これらの価値を理想として掲げる。

 2) 米国図書館協会(ALA)では多様性、知的自由、そしてアクセスの平等性という価値観を明言している。ALAは最近、移民の権利を支援する決議を可決した(3)。この決議は「図書館の権利宣言」とさらに大きな枠組みである「知的自由に関する声明」の一部でもある、言語の多様性の価値に関する#53.3.1を含む歴史的決議に続くものである(4)

 3) IFLAは多文化主義、多文化コミュニティ、そしてサービスのためのガイドラインの定義を提供している(5)

 4) “REFORMA(National Association to Promote Library and Information Services to Latinos and the Spanish Speaking)”はその目的として、a)スペイン語とラティーノ文化にもとづいた図書館所蔵資料の構築、b)バイリンガルで多文化的図書館スタッフの採用、c)ラティーノの人々の図書館と図書館員に対する意識を高める、d)ラティーノのコミュニティの情報ニーズのためのアドヴォカシー、e)他の専門機関との連携を掲げている(6)。REFORMAはALAの関連機関で、公共図書館司書、学校図書館司書、大学図書館司書、図書館で働く人々、ベンダー、出版社などからなるメンバーが、助言、経験、知識をもとにしばしば相談に応じている。

 図書館の文化的価値としての多様性は次のように表されている。

 1) 任命されたリーダーの態度、振る舞い、そしてコミットメント

 2) 多文化主義を促進する人的資源/個人の慣習

 3) 多文化主義を強化する職員研修と能力開発

 4) ターゲットとされるコミュニティと共に働く人々を中に取り込み、参加を促していくようなオープンなコミュニケーションと意思決定の方法

 5) 結果と成果、そしてそれらの量的かつ質的分析に注目した、サービスの継続的な評価と測定

 外部に向けては次のように表される。

 6) 関連する多文化図書館プログラムの実施

 7) 多言語、多文化の蔵書構築

 8) 多言語、多文化のPRツール

 9) コミュニティとの連携

 10) 文化的能力を有するスタッフと管理職によるアウトリーチ戦略

 11) 最後に、サービスのデザインおよび実施に際し、コミュニティが参加し、アドバイスを行うこと

(4) スタッフトレーニングと能力開発

 スタッフの能力開発とトレーニングの方法は、異文化と出会っても能力を発揮でき、適切な図書館サービスを提供できるように、スタッフに力をつけることに焦点をあてなければならない。スタッフの中には、「やりながら学ぶ」者もいれば、授業や文献、また地元の大学教授やコミュニティの代表から話を聞いて学ぶ者もいる。どの国でも、スタッフは社会化され、教育を受けているので、主流の学習方法を身に着けてはいるが、特に多文化主義においては、異なった学習スタイルに気づくことが非常に重要である。各スタッフは学習という流れの中で異なったステージにいる。その流れは異文化・多文化への気づきから、文化的能力を経験する知識へと移っていくものである。誰も一夜にして異文化間スキルを身につけることは出来ない。それは本稿の後半でも取り上げる文化的価値や偏見の強さ・影響のせいである。トレーニングプログラムは多言語の所蔵資料の収集構築から多文化プログラム、第2、第3言語のスキル、そして異文化間コミュニケーションのスキル、移民と国際的な人口移動の原因と見なされている様々な要因について読み、知識を得ること、図書館利用者となりえる人々に対するアウトリーチスキルなどの全てが網羅されることになる。パフォーマンス評価のためのプロセスや雇用者を引き止めるための計画を含むことも大切であり、それによってスタッフの異文化間能力を身につけようという努力をサポートし、報酬を与えることになる。

(5) 多様性と文化的能力

 アウトリーチを担当する司書であるエルテューク(Ghada Elturk)は文化的能力を持たずとも、多様性という価値観とそのための行動は可能かどうかを問うている。

 文化的能力が欠けていても、多様性は実現できるか?…誰しも「正しいこと」をしたいと思っているが、ある文化にとって正しいことが、他の文化でもそうとは限らない。例えば、あなたがそうして欲しいと思うように、他の人を扱いなさいというような「黄金の法則」を口にしたり、実行することは文化的に正しいことなのだろうか?他の文化に属する人々がどのように扱われたいと願っているかを見出し、それをガイドラインとして使うことについてはどうだろうか?これはものさしの一つであり、これによって、こうした社会の問題に対する我々のアプローチがどのくらい力を持っているかを知ることができるのである(7)

(6) 文化的価値の力

 文化的能力を高める第一歩は、我々の生活における文化的価値の果たす強力な役割についての自省と気づきにある。エルテュークは、「あなたがそうして欲しいと思うように、他の人を扱いなさい」という「黄金の法則」について述べている。これは米国でよく引き合いに出される言葉であるが、彼女はここで、「我々のやり方」や「我々の好み」が普遍的に共有されているという前提に疑問を投げかけている。どの国の誰もが、それと共に育ったという理由で、特定の価値への愛着を持っている。教育家のコルテス(Carlos Cortés)(8)は、我々は米国の「社会的カリキュラム」に影響されていると語っている。彼はこの概念を、身の回りのカリキュラム、組織的なカリキュラム、そしてメディアによるカリキュラムに分けている。もう1つの要素は「思わぬ発見をするカリキュラム」で、これには「個人的な、異民族間の経験、偶然の出会い、そして構造化されていない出来事」が含まれている。こうした出来事は、我々の生涯を通して各人に起こっているものである。各人の経験は独自で異なるものである(9)

 あなたは時間をとって、自省し、そしてこれまでの人生で、どのような文化的価値をいかにして獲得してきたかを書き留めるとよい。

 1) 家族からはどのような文化的価値を得たか?

 2) 日本の市民であること、または日本人であることからどのような文化的価値を得たか?

 3) 宗教的/精神的なガイダンスからどのような文化的価値を得たか?

 4) 自分の民族的、宗教的、伝統的遺産からどのような文化的価値を得たか?

 5) どんな予期せぬ経験が、どのように他の文化を見る方法に影響を与えたのか?

 6) 他者や他の文化に対するどのような前提や判断が、予期せぬ経験によってもたらされたのか?

 例えば米国のアメリカ人(10)のように、こうした文化的価値のいくつかを非常に長い間持っていてはっきりと意識している場合もあろう。中にはその価値観に「基づき」行動したり、その価値観「ゆえに」行動しているにも関わらず、よく考えてみたことがないため、はっきりとしない価値観もある。これらは自動的な価値観である。われわれは世界を旅する際には、異なった価値観と出会うことを期待しているが、自分の職場やコミュニティ、あるいは自国内でも、そうした経験をするとは思っていない。時にはこれを発見したときの驚きが、感情的反応(恐怖、怒り、不安、混乱)を引き起こすこともあり、外国人排斥、偏見、人種差別主義につながることもある。我々の文化的価値は、誰が、また何が我々より優れていて、劣っているのかを決めるふるいとなってしまう。心の中にカースト制度を作ってしまっているのだ。文化的価値は、我々が「我々」自身の方法で他者を見るときに使うレンズとなっており、おそらく他者の本当の姿は見えないのだ。我々が自身の価値観を非常に強く信じている場合、どうやって我々とは違う人々に対してサービスを提供することが出来るだろうか?

 一歩下がって、立ち止まり、そして周りを見渡して、次の演習問題に取組みでより大きな社会的な文脈で自分自身の位置を捉えるようにしてみよう。

 1) 日本に存在する異なる文化を全て書き出す

 2) あなたの図書館で働く人々の間にある全ての異なる文化を書き出す

 3) あなたの図書館の利用者に代表される全ての異なる文化を書き出す

 4) 図書館の外や周辺、すなわち近隣の企業、学校、住民の間であなたが気づいた全ての異なる文化を書き出す

 5) 日本であなたが(メディアを通じて)耳にしたり、読んだりしたことはあるが、これまでのところ出あったことの無い全ての異なる文化を書き出す

 さあ、リストと、大いなる多様性と均一性を見てみよう。誰かの民族的、文化的背景を正しく判断できていないこともあるかもしれないが、ここではよしとする。肌の色、特徴、また服装などから文化について仮定することは簡単であるが、これは我々の身の回りにおける眼に見える差異の存在、またはそれがないことに意識を向ける演習問題である。あなたのとも私のとも異なる国の出身である大学図書館司書は、図書館の全ての人が同じ文化と階級の人で、民族的・経済的多様性は図書館の外と路上にしか見られなかったと語っている。私は彼の正直なコメントを評価する。

(7) 諸文化間の接触

 多様な環境で仕事をしたり、生活したりしているなら、また他の国に旅行をしているなら、次のことについて考えて欲しい。

 1) 特に心地よく感じる文化的背景の人々はいるか。それはなぜか。

 2) 特に不快に感じる文化的背景の人々はいるか。それはなぜか。

 3) その人たち自身ではなく、どのような振る舞い、言語、または態度があなたを愉快にしたり、不愉快にしたりするのか?

 このリストを取っておいて、数日間または数週間、こうした反応について自分自身を観察すること。

 複数文化の衝突は、しばしば誤ったラベル(標識)や思い込みによるものである。

 我々はステレオタイプ、誤解(misappropriation)、また時には一般化(generalization)によりトラブルを起こすことがある。ステレオタイプ(コルテスが“精神的拘束衣”(mental straightjackets)と呼ぶもの)は、我々の視野を狭くする。それらは、文化的「アウトサイダー」によって形成される傾向があり、人々、個人、グループの価値を貶めるような記述子である。ステレオタイプを形成している人の心の中では、たとえ現実が異なる様相を呈していようとも、その記述子は常に真実である。

 一般化(コルテスが「柔軟な手がかり」と呼ぶもの)は時に有用なもので、典型的には文化的「インサイダー」により作られるものである。一般化によって、地域による、また各個人の様々な理由による例外もあるという警告も含め、ある人の文化がわかるようになる。私が日本に行くにあたって期待すべきことや知っておくべきことについて、あなたに手がかりを聞くであろう。あなたが米国に来たことがない場合、あなたは私に米国に関する手がかりを求めるであろう。このような時、我々は互いに「文化的コーチ」の役割を果たしており、「常に」例外はあるのだということも理解している。

 次の言い回しは、一般化かステレオタイプのどちらだと思うか?

 米国のアメリカ人は個人主義を好む傾向にある。

 ラティーノ、ヒスパニックの人々は皆、背が低い。

 日本人は皆、物静かで遠慮がちである。

 ほとんどのブラジル人はポルトガル語を話す。

 司書は賢くない。ただものの見つけ方を知っているだけである。

 日本には多くの異なる宗教があることに気づくだろう。

 メキシコ北部出身の人には背の高い人が多い。

 ブラジル人は皆、サンバの踊り方を知っている。

 日本人は団体旅行しかしない。

 ほとんどの司書はダンスの仕方を知らない。

 米国のアメリカ人は傲慢である。

 ラテン系アメリカ人は新しい言語を習得したがらない。

 ほとんどの移民は自分達の子供達の暮らしをよくすることに関心を抱いている。

 ステレオタイプと一般化の差異を見極めるのは難しいことだろうか。これらの言い回しのいくつかは事実だとあなたは感じただろうか?ユーモアとしてこれらの言い回しを使うこともあるし、我々の認識や思いがけない経験にのみ基づいたいくつかの「真実」と認識してこれらの言い回しを使うこともある。また時には、これらの言い回しを使うことで、怒りや不満といった感情的反応を引き起こすこともある。中にはまったくばかげた内容として何の反応も得られない言い回しもあるだろう。

 誤解とは、他者の経験や行動に対し、我々自身の価値観や思い込みを押し付け、実際に目にしていることや、それによって感じたことを気に入らないからという理由で、それを相手の欠点のせいにして、判断することである。

(8) 図書館業務に関連したいくつかの文化の側面

 次に文化の側面をいくつかあげる。これらは一般化されたものであり、連続体の両端を表していることに留意していただきたい。連続体の中での個人の立ち位置は、性別、経済的、教育的な環境や機会、土着のまたは民族的伝統への近さ、文化の同化・文化の変容の程度、2つの文化へのアイデンティティ、「新しい」国における世代、といった多くの変数により左右される。

 1) コンテクスト-高低

 ラテン系アメリカ人は「高いコンテクスト」である傾向が強い。これは、「どのように」話をするかがより重要であるということである。しかし米国は、「何」を言うかがとても重要であり、話はすばやく、明確で直接的にすべきであるとする非常に「低いコンテクスト」な文化であり、ラティーノやヒスパニックはこの中で生活しなければならない。米国のアメリカ人はこの「高いコンテクスト」のラティーノを、「遠まわし」な表現をすることを理由に、自分自身を表現するのに時間がかかり過ぎていて、何かを隠そうとしているのだと誤解するかもしれない。あなたもしばしば、米国のアメリカ人が「ポイントは」とか「問題があるなら直接言って欲しいと思うんだ」と言うのを耳にするだろう。ラティーノは米国のアメリカ人をあまりにもとげとげしく、ふるまいががさつであると見るかもしれない。これらは、ステレオタイプ、一般化のどちらにもつながりうる誤解である。

 ラティーノおよびヒスパニック向けの図書館のプログラムで成功しているものは、「高いコンテクスト」なものであることにあなたは気が付くだろう。図書館のスタッフがよく配慮して“ambiente”(環境)を整えているのである。お祭りのようなカラフルなデコレーション、例えば“papel picado”(切り紙細工)を施し、プログラムの前後に軽い飲食物も提供する。日本で言えば、図書館のスタッフがラテンアメリカのスナック(antojitos)を買ったり、作ったりしたり、時には日本の文化的な食べ物を提供したりするようなものとなろう。実際のプログラムの中身と形式と共に、こうした努力が「歓迎!/ Bienvenidos!」という雰囲気を作り出すのである。ラティーノにとって、人を家に迎え入れるにあたって、飲み物や食べ物を出さないということは考えられないことである。しかし低いコンテクストの人は、こうした行為は不真面目でばかげていると見なすかもしれない。そして図書館で無料のお茶やクッキーを欲しがるなんて、とラティーノの訪問者を非難するかもしれない。これは、その人が実際のプログラムの「内容」こそが最も重要で、全人格的に、そしてほとんどセレモニーのように人を歓迎する必要性とはまったく別ものとして考えているからである。米国のアメリカ人は、図書館でのイベントはもっと「形式張らない」ものであり、このような「儀礼」は不必要、と考える傾向がある。ただプログラムを開始し、実行し、そして終了すれば十分であると考えるのである。しかしラティーノにとって、この「儀礼」は自然に行われる、欠かせない、ごく普通のことなのである。また米国のアメリカ人は、イベントの準備や実行という点において、時間の概念や、どのようなものが有効な、あるいは無駄な時間の使い方であるかについても異なった考えを持っている。日本や米国で、司書とラティーノコミュニティとが一度パートナーシップを築くと、結局はラティーノコミュニティの人々の方から、集団の大義名分に寄与するということで、イベントに食べ物を持ってくるよう提案してくるだろう。

 「高いコンテクスト」の文化では「関係」を大切にする。歓迎されていると感じてもらえるように、また不用意に批判されたり、困惑させられたりして気分を害されたりしないように、注意が払われる。司書としてのあなたは、なかなか質問されなかったり、人々が図書館で必要とするもの、欲しいものに対して満足してもらうには時間がかかるかもしれない、ということに気づくだろう。これはまた、あなたが司書に任命された権威ある人物として見なされている場合、“long-power distance”(権力との距離が大きいこと)が好まれることとも関係する。しかしながら、一度パートナーシップや関係が築かれると、信頼(confianza)が芽生え、人々は自分たちの関心事について直接話してくれるようになる。

 日本人の文化とラテン系アメリカ人の文化に共通点はあるだろうか。コンテクストと内容に関して、それぞれの文化はどう異なっているだろうか。

 2) 時間

 ラテン系アメリカ人は時間と時間を守ることについて、グローバルなビジネス標準に影響されてきた。しかし、彼らはより柔軟で浸透性の高い時間観を持つ傾向にある。時間には過去と現在が含まれている。ここからあそこまでの線というよりも、円として、時間が捉えられることもある。これに基づき、先祖が尊ばれ、依然として家族の一員として扱われている例をしばしば目撃するだろう。“Día de Los Muertos”(死者の日)はメキシコのいくつかの地域で祝われている日の一例であるが、現在、幾つかの米国の図書館ではこの日にプログラムを行い、“ofrenda”(彼岸の人生へと旅立っていった人々に対する供物を備える台)を作る日として知られている。また時間は人々と分かち合う価値のあるものとも見なされており、そのため、ほとんどのラティーノは(たとえ仕事があっても!)急いで話をしたりしないし、あなたの赤ちゃんやおばあさんの具合はどうか、といったことを時間をかけて聞いたりするのである。「時間を作ること」「時間をかけること」はとても重要なのである。これに対し、米国のアメリカ人は時間を線として捉えがちである。彼らは「前へ進んでいく」必要があり、そして「それは昔で、これは今」と言う。また、常に将来を見て、物事の新しいやり方を検討する。ラティーノのグループに対する図書館プログラムの場合、全員が時間通りに来るわけではないだろう。あなたは何分待って始めるかを決めることも出来るし、また来ている人々に対し、次回のプログラムは「時間通り」に開始すると説明することも出来るだろう。またプログラムに遅れて参加することが可能かどうかを決めなければならないだろう。日本人は時間をどのように見ているだろうか。

 3) コミュニケーション(コンテクスト、内容、関係)

 先ほども述べたが、ラテン系アメリカ人は高いコンテクストを好む傾向があり、もっと時間をかけてメッセージを伝え、生産性の高い交流やコミュニケーションにむけて動くことの出来る環境を作ろうとする。ビジネスに取り掛かる前に、時間をかけて家族の様子を聞いたり、コミュニティの話をすることを良しとする傾向がある。もし批判や批評が行われる場合には、それはポジティブなコンテクストで間接的に伝えられたり、当事者ではなく第三者に告げられたりする。ラテン系アメリカ人にとって、触れることやスペースもコミュニケーションの一部である。大半のラティーノはハグ(abrazo)を挨拶として楽しむし、立ったり、座ったり、話をしている時の相手との距離もそう遠くはない。これに対し、米国のアメリカ人は相手との距離をとりたがる。ハグはしてもかまわないが、「握手」の方が好まれる。そこでラティーノが初めて米国に来ると、彼らは米国のアメリカ人は“friolente”(冷たい)と感じるのである。この語からは、フレンドリーでなく、真面目すぎて、無感情であるという含みが生じるが、これらはラティーノが、「暖かさ」や「友情」(amistad)、「配慮と愛情」(cariño)といった自分達の文化的価値観に従って、米国のアメリカ人の行動を判断しているときに生じる誤解である。逆に米国のアメリカ人は、ラティーノの行動はあまりにも「ルーズ」で、親密過ぎ、息苦しいと判断するかもしれない。物理的に距離をおき、表現や感情の露出はできるだけ控えめにするという自分達の文化的価値観で、やはり相手を判断しているのである。

 文化の変容と、新しい文化への同化につれて、新しい国の価値観に対する理解が深まり、意識も高まるが、依然として、伝統的価値観と行動を「目には見えない」選好が残っていることはよくある。目に見える/客観的な行動は、新しい国の価値観を取り入れて変化するかもしれないが、目には見えない/主観的な行動や文化は、心の中に、そして家の中に保たれている。二つの文化に属する米国在住のラティーノは、家族の時間のために、または他のラティーノと一緒にいる時のために“abrazo”(ハグ)を残しているかもしれない。ラティーノも米国のアメリカ人も同様に、微笑みやアイコンタクトには好意的な反応を示す。これらは自分達が歓迎されていたり、快く迎え入れられているということを示す手がかりである。多くの文化においては、微笑みは別の意味を持ちえる。もし微笑みが図書館のスタッフにとって不快なものであるなら、おそらく別の方法で「ご来館有難うございます」「図書館にようこそ」といった気持ちを伝えることができるはずである。それはどんな方法だろうか。スペイン語やポルトガル語のサイン?

 ラテン系アメリカ人や米国のアメリカ人が知っておくと役に立つ、日本人とのコミュニケーションの鍵は何だろうか?

 4) アイデンティティ:個人と集団

 ラテン系アメリカ人は、集団、典型的には家族やコミュニティにアイデンティティを置きがちである。時には、子供達を育て、成人に導くことに対する生涯の責任を分担する、名づけ親(ゴッドファーザー、ゴッドマザー)のネットワーク(“comadres”と“compadres”、各々実母・実父と同等の存在)であることもある。集団は尊敬されている。独立し、家族の元を去り、別の地方へ行くこと、まして国を離れることは、非常に難しい決断である。相互依存の関係が家族の間にあり、家族には道徳的なサポート、アドバイス、意思決定が求められている。図書館のプログラムに関して言うと、米国では(個人ではなく)家族を招待することを考えなければならないかもしれない。コンピューターのクラスに参加するのに、女性なら姉妹で来るかもしれない。そうなると、コンピューター1台につき1度に1人しか座ってはいけないというルールがあると、これが障壁になってしまう。男性なら、図書館プログラムに名づけ子(ゴッドチャイルド)やおいを連れて参加するかもしれず、実際、名づけ子やおいこそが、そのプラグラムに主に関心を寄せているのかもしれない。子ども達が両親に付いて来て、バイリンガル通訳の役割を果たすこともある。図書館のスタッフとしてのあなたは、共通の言葉で子ども達とコミュニケーションをとれるとしても、一緒に来ている大人や高齢者と、微笑みやアイコンタクトで会話をすることもまた重要であることに気づくだろう。これが「尊敬」(respeto)である。米国に暮らすラティーノは成人するまで両親と共に生活することが多く、そして家族も核家族は少なく、同居しているおばやおじ、従兄弟、祖父母も家族に含まれていることが多い。米国のアメリカ人は、このような生活環境は「彼らは皆で一部屋に住んでいる」(ステレオタイプ)、そして人に頼りがちである(誤解)ことの証拠だと思い込んでいる。米国のアメリカ人は独立性、個性、自律性に価値を置き、人に頼ることはネガティブな響きを持っている。米国のアメリカ人にとって、自らの生計を立てることは独立の重要な尺度であり、必要ならば家族から離れて就職や教育の機会を求め、つかむ。というのも、米国のアメリカ人のアイデンティティにとって仕事やキャリアは重要なものだからである。それゆえ、若者は家を出なければならないと考えられている。一方で、家族から離れて暮らす米国のアメリカ人と共に仕事をするラティーノは、彼らを「いつも一人ぼっち」と気の毒に思うかもしれない。しかし、「信頼」(confianza)を伴った友情関係が無ければ、直接それを相手に伝えることはしない。そして、そのラティーノは自分の思い込みに基づいて、誕生日パーティや、洗礼のお祝い、日曜日の「バーベキュー」(barbacoa)にそのアメリカ人を招待するのである。

 日本の文化との共通点、差異は何かあるだろうか。

 5) 権威―権力との距離の大小

 文化のこの側面に関しては、本稿の冒頭でも少し触れているが、文化の中には権力との距離が大きい、つまり任命されたリーダー、例えば教師、司書、政府の役人、政治家、大統領等々とは距離を置くべきである、とする文化がある。決して質問もしなければ、彼の考えや仮説について批判的分析を行わない学生達に、米国の教師は困惑するかもしれない。米国の司書は、ラティーノの子供達とお話の時間などにコミュニケーションを図ろうとして、子供達が果たして楽しんでいるのか、お話を理解しているのかわからないことがあるかもしれない。多くのラティーノの親達は、子供達が静かでお行儀良く“la maestra”(先生/司書)の話を聞き、質問をしたりさえぎったりしないことを誇りに思っているのだ。どこで文化的誤解が生じるかわかっただろうか。米国のアメリカ人は権力との距離が小さいと見なされており、教授や教師とコミュニケーションをすること、質問をすること、そして批判をすることが高く評価される。これにより、リーダーの役割をする人は、聴衆がテーマに関心を持ち、参加していると感じることが出来る。米国にも階層的な政府があり、適切な振る舞いや尊敬の念を求める規範もあるが、典型的なアメリカ人ならば、米国大統領に意見する必要があると考えたなら、自信を持って、何らかの方法でどのようにしてでも、直接または選挙で選んだ代表を通じても、またはメールででも意見するだろう!大統領が耳をかたむけ、その言葉によって行動することはないかもしれないが、少なくとも大統領に一般市民が接触することはある。このような行動の基となっているのは、米国のアメリカ人が理想とする「真の」民主主義の姿である。

(9) 文化の側面と文化的価値についての要約

 文化、異文化間コミュニケーション(ジェスチャーを含めた)、文化的能力についてはもっと多くの研究が行われているが、ここでは2つ以上の文化には共通点もあるが、大きな差異もあるのだということを理解してもらうために、幾つかの領域にのみ焦点を当ててきた。差異からは、誤解、衝突、紛争が生まれ得る。我々はしばしば、自分達の国や文化の価値は普遍的、人類的なものであると思い込んでいる。しかしそうではない!人々は近代化には関心があるかもしれないが、「西欧化」に必ずしも関心があるわけではない。食べ物、ファッション、子供達の教育に対する要求は共通しているかもしれないが、子供達が何を食べ、どんな色の何を着、そしてどのように何を学ぶかは異なっている。人々はみな尊敬して欲しいと考えているだろうが、どのように尊敬を表現するかは文化ごとに異なっている。

 どの多文化の国でも、サブカルチャー、共通カルチャー、そしてマイクロカルチャーが存在していることを付け加えておかねばならない。国レベルの文化は依然としてビジネス、教育、政治の主たる文化で、そして状況を作っているものの、これらの文化も、国や地域の中で、国レベルの文化と共に存在している。「第3の」文化とは、文化が混ざり合うことで生み出される新しい文化で、どちらの文化とも似つかないものである。あなたの国の「第3の」文化として、思いつくものがあるだろうか。さらに、ある人々にとっての「心の文化」もある。移民が文化を変容していくにつれ、例えばアメリカ人のように話したり、服装もそうなるかもしれないが、内側では自分は依然として「メキシコ人」であると感じている。この現象を説明する次の文章を引用する。

 別の言語を習得し、この世界での物事の動き方を学ぶことはできるが、そうしたとしても、我々は自身の言語、伝統、文化を保っていたい。私自身を一番うまく表現できるのは自分の言語だからだ。翻訳は決して十分ではない。我々皆が共有し、大切に出来る価値もある-例えば善良な心、忍耐、愛-しかし、いつまでも我々だけのものである価値もあるのだ(11)

 もちろん、自分達の文化をどのように実行し、身につけようとも、またどんなに新しい文化に同化し文化が変容しても、人種差別主義、性差別主義、階級主義、同性愛嫌悪に直面する可能性はある。多文化主義自体は、各国の他の要素の中に存在するのである。

(10) 図書館のサービスーアウトリーチの原則と考え方

 どのようにしてラテン系アメリカ人に手を差し伸べるか。今やあなたは、自分が根ざしている文化的差異と文化的価値に関しての背景知識を持っており、意識を高めることができる。ではまずリェーンザ(Debbie Llenza)というフロリダの私の同僚の言葉を引用するところから始めよう。彼女の勤めている図書館システムはブラジル人コミュニティにサービスを提供しており、彼らの決定をよく反映している。

 ブロワード(Broward)郡にはブラジル人住民が多い(2004年のAmerican Community Surveyによると22,087人)。そこで我々は彼らに対するサービスの提供を開始した。ポルトガル語が堪能なスタッフはそう多くなかったので、プログラムの大半は“Outreach Services”からのものであった。我々はポルトガル語でのコンピュータ・クラスや市民権取得に関するオリエンテーションを行っている。地域の図書館の1つでは、毎年文化イベントを行っているほか、ブロワード郡学校委員会とブラジル人コミュニティの組織と協力して他のプログラムも行っている。またポルトガル語での「雇用されるためのスキル」シリーズも計画している。ブラジル人が集住するエリアで提供するいくつかのプログラムには、通訳をつけることも考えている。ヒスパニックコミュニティ(そして我々の場合はハイチ人コミュニティも)に対するサービスについては、我々が人のいるところ、教会などにまでも出向き、プログラムを提供している(12)

 アウトリーチの計画には次のようなステップがある。

1) 質問をし、リサーチをすることで新しいコミュニティを認識する。

 A)教会の礼拝は他の言語で行われているか?

 B) 小、中学校、カレッジ、そして大学の統計に、英語を話さない学生またはESL(英語を第二外国語とする)学生の存在が反映されているか?(日本では、外国生まれの、または移民、日本語を話さない児童・生徒や学生に関するリサーチが行われているか?)そのコミュニティのうち、何割ぐらいが日本語が堪能であるか知っているか?

 C) 民族や家庭で使われている言語で分析できる、最も新しい国、市、県レベルの人口統計の結果はどうなっているか。

 D) スペイン語/ポルトガル語のラジオ局、新聞が地域にあるか。

 E) ラテン系アメリカ人/ブラジル人のための出前ビジネス、例えば食品店や理容店、書店などがあるか。

 F) ラテン系アメリカ人、およびブラジル人のコミュニティに関して、ラテンアメリカやブラジルのどの地域の出身かを調べるとともに、彼らが固まって暮らしているか、または日本人の間で暮らしているかについて考えよ。米国のように「リトルブラジル」や「リトルペルー」と呼ばれるようなコミュニティが存在するか(13)

2) コミュニティの欲するもの、ニーズを認識する。

 A) ラティーノ/ラテン系アメリカ人のコミュニティのリーダー、ビジネスオーナー、聖職者、大学教授、教師に、コミュニティへの手の差し伸べ方に関するヒントをもらう。移民や新参者があなたの国で歓迎されていない場合、この情報の入手は困難で不可能に近いかもしれないが、完全に不可能ではないだろう。特に公共図書館が在留状況に関わらず訪れる人全てを平等に扱うことを重視している場合には。

 B) ラテン系アメリカ人があなたの図書館に来館する場合には、スタッフ、地元の語学教師、またはビジネスマンに翻訳してもらって、短いバイリンガル、またはスペイン語/ポルトガル語の言語に関する調査票を作るとよかろう。この調査票で、どのようなタイプの資料、プログラム、インターネットやコンピュータのサービスやクラスに彼らが関心を持っているかをたずねる。その時点で、この調査は提供しているサービスを宣伝することにもなる。

 C) スタッフの中にバイリンガルの者がいれば、ラテン系アメリカ人・ブラジル人が図書館に来館した際に、どのようなことが新しい国での彼らの助けとなるかを直接たずねることも出来る。そして質的なデータや語りを集める。

 D) また新しくやってきた人たちの多くが次のようなニーズを持っていると仮定することも出来る。

  i) 資料(DVD、テープ、書籍、インターネット情報源)そして新しい国の言語(英語や日本語)を学習するクラス

  ii) 彼らの母国語(スペイン語やポルトガル語)の娯楽資料(文学、フィクション、DVDなど)、情報を得るための資料(新聞、雑誌、インターネット)そして児童書

  iii) 仕事と住居に関する情報、その他の対処/生活/生存に必要なスキルの情報。例えば公共交通機関に関する情報や図書館と学校のスケジュール、就職のための応募方法、家やアパートの借り方、健康保険の取得方法など。

 E) 新参者が図書館になじむようになり、あなたと彼らのバイリンガルのスキルが伸びるにつれ、彼らのニーズと関心がより洗練され多様化し、あなたの調査方法もさらによいものになる。ラテン系アメリカ人は、あなたの国と彼らの国の祝日を図書館で祝うことに関心を抱くだろう。ラテンアメリカのどの地域の出身であるかを調べることで、どのようなお祝いを彼らが行っていたかを具体的に知り、何を懐かしがっているかがわかる。公共図書館は世界の文化について学ぶ場所であるというメッセージを伝えるあなたの役割は重要である。

3) コミュニティの中でコンタクトをとる

 A) コミュニティのリーダー、ビジネスオーナー、語学学校の教師、社会的組織の代表と話をする許可を得、彼らのコミュニティにどのように図書館を宣伝していけばよいかの知識や手がかりを得る。ラテン系アメリカ人、ブラジル人、ペルー人、メキシコ人などのクラブや組織が地域に存在するかどうかをチェックすること。ブラジルまたはラテン系アメリカ人の領事館が情報を得る助けとなるかどうか、またはパートナーとなるかどうかをチェックする。時には彼らが文化的プログラムのスポンサーとなることもある。

 B) 親のグループ、教会、コミュニティのグループ、従業員の組合、文化グループ、クラブなどに対しプレゼンテーションを行う。

 C) 図書館のクラス、プログラム、蔵書や、図書館のスケジュールに関して宣伝するためのスペイン語/ポルトガル語の、またはバイリンガルのチラシやしおりを貼ったり置いたりする許可を得る。

4) メディアとコンタクトをとる

 ポルトガル語/スペイン語の新聞やラジオ局とコンタクトをとり、関連のある図書館のクラス、蔵書、プログラムについてアナウンスする許可を得る。ラジオ局には誰かバイリンガルの人がいるだろうし、その人が公共サービスに関する広報やプレスリリース、広告をどのように翻訳すればよいか、アイデアを出してくれるだろう。

5) 公衆へのプレゼンテーション

 A) あなた自身がバイリンガルでなければ、通訳の助けとしてバイリンガルの人を連れて行くこと。その人が文化的にも両方を知っている人であればさらに助けとなる。

 B) 歓迎のためのプレゼンテーションを行う。ビジュアル情報も交え、どのようにして貸し出しカードを作るか、クラスに参加するか、さらにコンピューターの使い方などを説明する。

 C) 聴衆に対し、あなたが普段は図書館にいるが、留守にしている場合でも他のスタッフが喜んで助けとなることを説明すること。日本語学習のための資料や、日本の文化や政治についてのポルトガル語やスペイン語の資料があるかどうか、また彼らの母国語のスペイン語やポルトガル語の資料(書籍、DVD、雑誌、新聞)があるかどうか、強調することも忘れずに。

注意:前述のように、ラティーノは関係を重視し、また「高いコンテクスト」の行動を好むことを覚えておくこと。ラティーノに文書の翻訳の手伝いや、プレゼンテーションの手伝いを依頼する場合は、丁重に頼み、あなたと図書館の感謝の印として何か贈り物をすること。例えば無料のインターネットのクラスであるとか、彼らのチラシを図書館に置くということが出来るだろう。彼らは“NO, NO, NO”と辞退するかもしれないが、贈り物をすることが大切である。そしてもちろん「ありがとう」の言葉がとても重要である。

6) 図書館を人を歓迎する場所にする

 図書館の建物、部屋、ブックモービル、ウェブページ、PR用資料全てが「歓迎!」「どうぞ来て下さい」ということ伝えなければならない。「環境 」(ambiente)という言葉は目、耳、口、触覚の全てを指す。言葉で表すことの出来ないことは、他の方法で示せばよい。

i) サインをバイリンガルにしたり、スペイン語/ポルトガル語で表示すること。

ii) ラテン系アメリカの文化のポスター、ディスプレイ、展示が役に立つ。

iii) もし邪魔でなければ、ラテン系アメリカの音楽をバックミュージックとして流すことも出来る。

iv) 日本文化、日本の祝日、そしてラテン系アメリカの祝祭日等に焦点をあてた歓迎のための文化プログラムを行う。

7) 蔵書構築

 これは幅広いトピックである。日本語を学ぶための資料が必要になるだろうが、英語とスペイン語/ポルトガル語のバイリンガルの資料、移民の母国語での資料を見つけなければならない。例えば、ペルーやブラジル出身の人々の場合、2つの異なる言語で探さなければならないだろうし、もし存在するのであれば、ブラジル語とヨーロッパのポルトガル語の相違、またスペインで刊行されたスペイン語資料とメキシコ、ペルーその他の国で刊行されたスペイン語資料の相違も考慮する必要があろう。このトピックだけでもう1つ別のペーパーを書くことが出来る大きなトピックであるが、私はここで資料を購入する前に考慮すべき点について指摘しておく。出版社の同僚グッドマン(Linda Goodman)はみなさんに提供すべく私に問い合わせ先を教えてくれている(14)。これは私が彼女に日本にスペイン語の資料を販売出来るかどうかを問い合わせたことに対する応えである。本稿の末尾に、「注」の部分で触れたブロワード郡図書館の情報も含む、ポルトガル語を話す人々にサービスを提供している米国の図書館を紹介する「ウェブ情報源」をつけておく。

8) 差異はうまれたか?評価とその方法

 質的手法と量的手法の組み合わせを適用するとよい。

 A) 量的方法には、図書館内で、電話で、またはインターネットで個人に行う調査が含まれる。

 B) 質的方法には、スペイン語またはポルトガル語を話し、文化的能力のある進行役が居る場合の「フォーカスグループ」が含まれる。

 C) 物語、引用、語りを集めることが出来る。それらは図書館にやって来る家族、親、子供、個人のもので、「日本語を学ぶ手伝いをしてもらって図書館にとても感謝している」とか「図書館のおかげで祖国の家族にメールを送ることができます。私はコンピューターを持っていないので」といったような内容のものである。

 大切なことは、図書館が目的や目標は何か、その成果とアウトカムはどうあるべきか、これらの基準をどのように利用するかを決めるということである。おそらくあなたはサービスの継続を正当化したり、より多くの資金を調達したり、そして目的に向けてあなたの方法が正しいことを証明したりしたいと考えるだろう。中には図書館が人の人生に「違いを生んだ」ことを計ることは難しいと言う人もいるだろう。そしてまた公共図書館において全ての人にサービスを提供することは、疑問の余地無く「正しいことを単にしているだけ」と言う人もいるだろう。しかし米国における現実は、多くの場合、資金は資金提供者とのパートナーシップに依存しており、資金提供者はなんらかの評価測定を求めているのである。

 「ウェブ情報源」の下にあるリンク先のいくつかは米国の図書館で実際に提供されているサービスやアウトリーチの例である。

(11) 終わりに

 誰かあなたとは異なる人々に手を差し伸べるには、あなた自身を知り、あなた自身の価値観や偏見を見つめることが必要である。緊張や衝突がある時にはいつも、必ず岐路があるものである。新しいことを学び、自分の理解の限界を広げ、そして他の世界の文化を見ようとすることが出来る。多文化の図書館サービスを作り出し、異文化間の理解を深めるためには、自らの価値観を捨て去ることではなく、自らのとは異なる価値観を尊敬することがどれだけ重要なことかを測り知ることが求められている。最も高い理想的価値は、単なる共存のレベルを超えて、新しいグローバルな世界で、共有される新しい価値を追求することである。差異は、この新しい「全体」への新しい洞察をもたらす。この新しい「全体」、この新しいグローバルな考え方、新しい世界を推し進めることは、我々、司書の責任である。本稿を通じて皆さんに話をする機会が得られたことを感謝する。

 

Ref:

ウェブ情報源

子供のリテラシー:
Spanish Language Resources on the Web – Children’s Literacy
コロラド州立大学、コロラド州教育省が編さん。親、家族、司書のためのスペイン語と英語のツールへのリンクを提供
http://www.cde.state.co.us/cdelib/download/pdf/SpanishLiteracyWebResourcesForKids.pdf

スペイン語でのアウトリーチツールとヒント:
Web Junction Spanish Language Outreach Program
アウトリーチの計画を立てる際のヒントを提供している優れたウェブ情報源。サインのサンプル、マーケティングのヒント、スペイン語の学び方(英語を話す司書向け)が、ラテン系コミュニティで働く司書により提供されている。他にももりだくさん。
http://www.webjunction.org/do/Navigation?category=10555

公共図書館のウエブページで米国のポルトガル人コミュニティをターゲットにしたもの:
マサチューセッツ州Framingham(フラミンハム)公共図書館
http://www.framinghamlibrary.org/portuges/portugue.htm

マサチューセッツ州Somerville(サマービル)公共図書館 – 英会話のグループ
http://www.somervillepubliclibrary.org/EASTbr.htm
注:もし第二外国語としての日本語クラスを提供していなければ、練習のために日本語会話のグループを作るとよいだろう。

マサチューセッツ州Milford Town (ミルフォード町立)図書館
http://www.milfordtownlibrary.org/PortugueseHome.htm

コネチカット州Danbury (ダンベリー)図書館
http://www.danburylibrary.org/index.htm

Danbury(ダンベリー)図書館言語センター– Aprenda Inglés (スペイン語の図書館ウェブページ)
http://www.danburylibrary.org/esl/portugese/index.htm

Danbury(ダンベリー)図書館言語センター-Aprenda Inglês (ポルトガル語の図書館ウェブページ)
http://www.danburylibrary.org/esl/portugese/index.htm

公共図書館のウエブページで米国への新しい移民をターゲットにしたもの:
テキサス州Austin公共図書館 新移民センター
http://www.ci.austin.tx.us/library/index.cfm?action=i_about
サービスには学習センター、トークタイム、ESLクラス、図書館ツアー、無料コンピュータークラスがある。この図書館がどのようにして移民コミュニティに手を差し伸べているかの情報も網羅されている。

ニューヨーク州Queens (クイーンズ)公共図書館-移民と公民権サービス
http://www.queenslibrary.org/index.aspx?section_id=5&page_id=42

オンラインディレクトリ、対処スキル、文化的プログラム、公民権取得の準備、移民サービス局等に関するリンク。ニューヨークの区部の多様性の大きさ故に、この図書館は移民に対するサービス提供においては指導的立場をしばしばとってきた。

書籍

米国におけるラティーノ・ヒスパニックのためのサービスの全体像のために:
Alire, Camila A and Jacqueline Ayala, Serving Latino Communities: A How-To-do-It Manual for Librarians, Second Edition, Neal Schuman, forthcoming, 2007.
本書は直接サービスの問題についてに留まらず、資金調達、資金提供者探しの実践的ガイドラインや、図書館管理職のためのフォーカスグループや調査実施方法等のための実践的ガイドラインなども提供している。
http://www.neal-schuman.com/db/1/601.html

マーケティング、アウトリーチ、広報、そして蔵書構築のために:
Byrd, Susannah Mississippi, ¡Bienvenidos! ¡Welcome!: A Handy Resource Guide for Marketing Your Library to Latinos, Chicago: American Library Association and in collaboration with Cinco Puntos Press, El Paso Texas, 2005.
本書は出版社、卸業者、販売業者の広範囲なダイレクトリである。

児童書のために:
Treviño, Rose Zertuche ed., The Pura Belpré Awards: Celebrating Latino Authors and Illustrators, Chicago: American Library Association, 2006.
本書は、ラティーノの著者およびイラストレーターが書いた、賞を受賞した英語、スペイン語、バイリンガルの児童書を提供している。ブックトークと活動のサンプル、さらに出版社情報を含むウエブリソースも入っている。
Pura Belpré 賞に関するさらに詳しい情報は: http://www.reforma.org/bepreaward.html

子供の工作のために:
Pavon, Ana-Elba and Diana Borrego, 25 Latino Craft Projects, Chicago: American Library Association, 2003.
2人の児童サービス担当公共図書館司書による本書には、メキシコおよび他のラテンアメリカの伝統に基づいた工作プログラムのサンプルが入っている。わかりやすい指示と写真付き。主なヒスパニックの祝日や、毎日の工作も掲載されている。



(1) 私はラテン系アメリカ人という用語を、南米とカリブ出身の人々を意味するものとして使っている。「ラティーノ」および「ヒスパニック」という用語は、米国ではラテンアメリカ、スペイン、プエルトリコ、ドミニカ共和国、キューバなどカリブの国々で生まれた人々の子孫を指している。またこうした地域から最近やってきた移民もさす。これらは、米国に大勢暮らしているこうした人々にラベルをつけ区分しようとした幅広い言葉である。「ラティーノ」は米国の東・西海岸で使われ、「ヒスパニック」は中西部、ハートランド(中核地)、南東部、南西部で主に使われている。もちろん例外もある。2つの呼称は、バイリンガリズム/モノリンガリズム両者の大きな多様性、出生/出自/遺産、米国での世代、経済的状況、民族的、人種的背景、そしてその他の様々な要素をその中に含んでいる。多くのラティーノはハイフンを入れて「Mexican-American」(メキシコ系アメリカ人)のように呼ばれる方を好んでいる。中には米国生まれであっても出自の国にアイデンティティを置き、例えば「Soy Dominicano」(私はドミニカ人です)という者もいれば、単に「American」や「私は米国のアメリカ人です。以上」というのを好むもの者もいる。これらの呼称の歴史についてはもう一本ペーパーが書けるだろう。

(2) Cross, Terry L. “Cultural Competence Continuum”. Retrieved Feb. 10. New York State Citizen’s Coalition for Children. http://www.nysccc.org/T-Rarts/Articles/CultCompCont.html, (accessed 2007-03-05).

(3) “Resolution in Support of Immigrant Rights”. American Library Association. 2007. http://www.ala.org/ala/ourassociation/governanceb/council/councildocuments/ResolinSupportofImmigrantRights.doc, (accessed 2007-03-05).

(4) “Policy Manual:Intellectual Freedom”. American Library Association. http://www.ala.org/ala/ourassociation/governingdocs/policymanual/intellectual.htm, (accessed 2007-03-05).

(5) “Library Services to Multicultural Populations Section”. IFLANET. http://www.ifla.org/VII/s32/index.htm, (accessed 2007-03-05).

(6) “REFORMA”. http://www.reforma.org, (accessed 2007-03-05).

(7) Elturk, Ghada. “Diversity and Cultural Competency”. Colorado Libraries. 2003, (winter), p.5-7. http://www.webjunction.org/do/DisplayContent?id=1525, (accessed 2007-03-05).

(8) Cortés, Carlos, The Making and Remaking of a Multiculturalist. Teachers College Press, 2002. 215p.

(9) Cross, Terry L. “Cultural Competence Continuum”. Retrieved Feb. 10. New York State Citizen’s Coalition for Children. http://www.nysccc.org/T-Rarts/Articles/CultCompCont.html, (accessed 2007-03-05).

(10) 米国の住民と市民が1つの「American」と言うタイプであることを示すために、私は個人的に「American」という言葉よりも「USA American」(米国のアメリカ人)と言う言葉を好んで使っている。「Americans」にはカナダ、中米、南米も含まれている。しかし米国に暮らす人々は自分達のことを「Americans」と呼びたがり、政府役人は、現大統領(ジョージ W. ブッシュ)も米国のことを「America」と呼んでいる。

(11) Wilcox, Mariko “Mountain Libraries Elevate Service to Lithuanian Patrons”. Colorado Libraries 2007. p.21-23.(本稿ではZita Podgurskisの著作の22頁から引用。)

(12) Debbie Llenza, e-mail message to author, Feb. 1, 2007.

Ms. Llenzaが勤務するフロリダ州ブロワード郡図書館(The Broward County Library)のウェブサイトは下記の通り。

“Broward County Library”. http://www.broward.org/library/, (accessed 2007-09-07).

(13) Champlin, Maria, e-mail message to author Jan. 31, 2007.

Ms. Champlin はブラジル出身で、15年以上にわたって米国のポルトガル語を話すコミュニティ(ブラジルおよびポルトガル出身)とラティーノ/ヒスパニックの人々のためにサービスを提供している。彼女は現在ネバダ州ラスベガス在住で、図書館と仕事をしている。本稿著者を通じて彼女との連絡が可能である。consult@riosbalderrama.com

(14) Goodman, Linda,は2007年1月22日、メールで著者に次のように語ってくれた。「スペインから日本に向けての輸出に関する窓口担当者の連絡先です。

Sra. Maricruz Moreno-Sainz, Federación de Gremios de Editores de España, CEA Bermudez, 44; 28003 Madrid, Spain; FA (011 34 91 535 2625; E-mail fgee@fge.es”.

これはスペインの全てのスペイン系出版社の上部団体です。

Ms. Goodmanが代表を務める会社はThe Bilingual Publications Company, 270 Lafayette ST., NY, NY 10012; (212) 431-3500 and E-mail lindagoodman@juno.comです。」

(※注のメールアドレスの@は半角に読み替えてください。)