CA662 – 曲がり角にきた中国の国営書店体制 / 岡村志嘉子

カレントアウェアネス
No.128 1990.04.20

 

CA662

曲がり角にきた中国の国営書店体制

改革・開放路線の浸透する中国では,図書の発行・流通システムに大きな変化が生じている。個人経営書店や集団所有制書店が隆盛を極める一方で,長らく図書発行・流通の大動脈であった国営新華書店の経営が苦境に陥っている。

新華書店を補助し“購書難(図書購入難)”を解決する手段として,個人経営や集団所有制の書店は,今や無視することのできない存在となっている。ところが,市場原理導入が本格化するにつれ,俗悪図書の急増,流通体制の混乱といった新たな問題が生じてきた。

その原因は,一つには,個人経営や集団所有制の書店が書籍卸売権,特に一級卸売権を有していることにある。国は個人経営書店の卸売業務を認めていないが,実際,地方行政機関が営業許可証を発行するに当たって,相当数の個人経営書店に一級卸売権が与えられてしまっている。これが俗悪図書の温床である。そのほか,1)海賊版を発行する,2)出版社員にリベートを使ってベストセラーを安値で仕入れる,3)リベートを使って客寄せをする,というように,不当な手段による利益追求が公然と行われている。それに対して,国営新華書店側は全く受け身の防戦を余儀なくされている。

新華書店の最大の悩みは,融資が受けにくくなったことである。全国の新華書店の年間売上げ高は40億元を超えるが,自己資金はわずか1.5億元で,資金の大部分を融資に頼っている。その融資が,国の金融引締め政策のあおりで激減した。1989年5月の調査では,18の省,市の新華書店は,いずれも30−50%の融資不足で,教科書用の融資さえ十分でないところもある。貸付金利も引上げられた。1988年9月以前月利6.6‰であった銀行の貸付金利は,1989年2月以降9.45‰となった。

このような状況の中では,新華書店は,発注を大幅に減らし,返本期日を早めざるを得ない。今では図書は100日も経ないうちに返本されてしまう。そうでないと損をするからだ。多角経営に乗り出したところも少なくない。例えば,遼寧省撫順市の新華書店は,5階建ビルの1,2階はそれぞれ日用品,金物のテナント,5階はダンスホールで,3,4階のみが書店である。湖南省の13の市クラスの新華書店のうち,62%に当たる8か所がテナント経営をしている。

一方,個人経営や集団所有制の書店は,国営書店よりも低い割引率で出版社から本を仕入れ,機動力を生かして,図書市場で新華書店より優位に立っている。それに加えて,近年,学校,行政機関,事業所等が争うように書店を設立し,特に売れ筋の図書については新華書店にとって替わりつつある。党や政府の機関が,主として公費で購入される政治学習書や業務関連書の販売を自ら手がけ,定価の5−20%を発行費として出版社から受け取っている例もある。また,これらの機関が図書を出版する場合,新華書店発行となると35%の税金がかかるが,当該機関ならば0.09%の税金で済む。

売れる図書,つまり手っ取り早く利益が上がる図書を新規参入者たちに奪われた新華書店に委ねられているのは,売れ行きの悪い図書と農村部である。1985年以降図書発行量が急増した都市部に対し,農村部での図書発行は停滞したままである。税制の欠陥が,その原因の一つであることは疑いない。第一に,都市の書店と農村の書店に同一の税率が適用されていること。農村部,とりわけ辺境地域では,図書発行に都市部とは比較にならないほどの経費がかかり,その割に利益が少ない。1988年上半期,内蒙古,新疆,青海,寧夏,チベット,貴州,広西,雲南の8つの省と自治区にある645の県クラス以上の新華書店のうち,301か所が赤字であった。第二に,教科書と一般図書の税率が同じであること。教科書に比べて一般図書の方が販売に経費がかかるのに,全く顧慮されず儲けにならないため,一般図書の販売が全く促進されない。銀行の貸付金利も都市農村同一である。

このまま放置すれば新華書店は早晩行き詰まり,偏った図書市場が中国の出版文化の健全な発展を妨げることになる。次のような対策が必要である。

  1. 出版法,著作権法(注)を早急に制定する。
  2. 内容の優れた図書には低税率,低俗図書には高税率をかける。
  3. 図書市場の管理体制を一元化し,強化する。一級卸売権は国家新聞出版署のみに帰属させる。
  4. 新華書店に対し,低利融資,減税等の経済的優遇措置を実施する。農村部の図書発行事業を促進させる。
  5. 党や政府機関の参入を制限する。教科書はすべて新華書店に委ねる。

岡村志嘉子

(注)著作権法案は1989年12月全国人民代表大会に提出され,現在審議中である。

Ref.人民日報 1990. 2. 10
光明日報 1989. 11. 7