CA1518 – 動向レビュー:ライブラリアンとナレッジ・マネジメント / 梅本勝博

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カレントアウェアネス
No.279 2004.03.20

 

CA1518

動向レビュー

 

ライブラリアンとナレッジ・マネジメント

 

 1990年代後半から始まったナレッジ・マネジメントは,競争力の源泉としての知識の重要性に着目した最新の経営理論・実践であり,既存の知識を共有・活用する「知識管理」をベースに新しい知識を創り続けることを目指す「知識経営」を意味する。組織的な知識創造によって価値を生みだすナレッジ・マネジメントは,その名を冠した学会,学術雑誌,大学院プログラム・コース・科目が世界中で叢生していることでもわかるように,一過性の流行りのビジネス・コンセプトなどではなく,品質管理がそうであったように,社会の様々の分野に応用できる一種の社会技術であり,社会運動である。

 このナレッジ・マネジメント運動のきっかけを作ったのは,実は日本人である。一橋大学の野中郁次郎教授は,1985年に 『企業進化論 情報創造のマネジメント』(1)で当時の組織論の情報処理パラダイムを否定し,1990年にはさらに論を進めて 『知識創造の経営』(2)という本を上梓した。翌年には,経営の分野で最も権威あるハーバード・ビジネス・レビューに,英語論文The Knowledge-Creating Company(3)を発表して,当時の日本企業の強さの源泉が組織的知識創造であることを実証し,世界中の研究者のみならずビジネスの実務者にも大きな影響を与えた。さらに1995年には,同じタイトルの英文書The Knowledge-Creating Company(4)で,組織的知識創造理論を日本から世界に発信した。これが世界的ベストセラーになって,ナレッジ・マネジメントがグローバルな社会運動に発展していったのである。

 こうして始まったナレッジ・マネジメント運動の創発に,ライブラリアンが深く関わっていたことはあまり知られていない。私事にわたるが,筆者は一橋大学でライブラリアンとして働いていた1982年に野中教授と出会い,『企業進化論』 の出版には研究助手として関わった。その後,アメリカ留学から一時帰国していたときにThe Knowledge-Creating Companyの出版プロジェクトに参加し,1996年には同書を 『知識創造企業』(5)として翻訳する機会を与えられた。さらに1997年,野中教授が北陸先端科学技術大学院・知識科学研究科の初代科長に就任するのと同時に,筆者も助教授として同研究科に奉職することになり,現在は社会システム構築論講座教授として,企業のみならず,行政,NPO,医療,福祉,保健などの分野へのナレッジ・マネジメントの展開を進めるとともに,それらの啓発・普及に努めている。

 また,ナレッジ・マネジメントの分野でThe Knowledge-Creating Companyと並ぶ世界的ベストセラーWorking Knowledge(6)(拙訳 『ワーキング・ナレッジ 知を活かす経営』(7))の共著者の一人プルサック(Laurence Prusak)も,ライブラリアンである。彼は,ボストンにあるシモンズ・カレッジで情報学修士・司書資格を取った後,ハーバード・ビジネス・スクールのべーカー図書館に勤めたことがあり,現在はIBMのナレッジ・マネジメント研究所所長として,著作や講演を通じてナレッジ・マネジメントを普及させるために世界中を飛び回っている。このような彼の経歴を反映してか,Working Knowledgeでは数か所で,ナレッジ・ブローカー(知識仲介者)やナレッジ・マネジャーとしてのライブラリアンを高く評価している。

 ナレッジ・マネジメントに関する本を上梓している研究者の中には,ライブラリアンの資格を持っていないが,図書館情報学大学院に所属してナレッジ・マネジメントの教育に従事している人たちがいる。例えば,米国情報学協会(American Society for Information Science: ASIS)のモノグラフ・シリーズとして出版されたKnowledge Management for the Information Professional(8)の著者スリカンタイアー(Kanti Srikantaiah)は,シカゴのドミニカン大学図書館情報学大学院の教授であり,同大学院附属のナレッジ・マネジメント・センターの所長でもある。同書の共著者ケーニグ(Michael E. D. Koenig)は,同大学院の院長を務めた後,現在はロング・アイランド大学のパーマー図書館情報学大学院の院長になっている。また,The Knowing Organization(9)の著者でThe Strategic Management of Intellectual Capital and Organizational Knowledge(10)の編者の一人であるチュウ(Chun Wei Choo)は,カナダのトロント大学情報学部(Faculty of Information Studies)の教授である。最近出たKnowledge Management: Cultivating Knowledge Professionals(11)の著者アルハワンディ(Suliman Al-Hawamdeh)は,2000年にシンガポールの Nanyang(南陽)工科大学のナレッジ・マネジメント・プログラムを立ち上げた後,現在はオクラホマ大学図書館情報学大学院で教鞭を執っている。

 ナレッジ・マネジメントで修士号を出している大学院としては,インターネットで確認しているだけでも世界中で15に上るが,経営大学院(ビジネス・スクール)や情報科学・コンピュータ・サイエンスの大学院がほとんどで,図書館情報学の大学院としては,上記の Nanyang(南陽)工科大学とオクラホマ大学,オハイオ州のケント州立大学だけである。その他には,コロラド州デンバー大学の教育学部にナレッジ・マネジメントの修了証書(Certificate)を出すプログラムがある。今のところ,ナレッジ・マネジメントを冠した博士号(Ph.D.)を出している図書館情報学大学院はない。ミシガン大学の情報学大学院とビジネス・スクールが共同でナレッジ・マネジメント分野専攻のPh.D.を出しているとの情報があるが,同大学のホームページでは確認できない。ビジネス・スクールでは,英国アストン大学がナレッジ・マネジメントを冠したPh.D.を出しており,その他にもノース・カロライナ大学(チャペル・ヒル校)が,ナレッジ・マネジメント分野専攻で博士号を出しているそうである。

 図書館情報学という名前が示すように,元来は主に本や雑誌という形の知識を取り扱ってきた図書館は,コンピュータとデータベースの発達に伴って電子情報も取り扱うようになり,情報管理(information management)の機能を果たすようになってきたが,ナレッジ・マネジメントは,図書館にそれが本来対象としてきた知識というものを改めて見直すきっかけを与えることになった。しかしながら,経営理論・実践としてのナレッジ・マネジメントは,知識管理あるいは知識経営と訳されているにもかかわらず,実際はデータ,情報,知識,知恵という知のすべてのレベルを対象にしている。

 これら4つの知は,微妙に意味が重なり合い,定義するのが難しいが,敢えて定義すれば,人間が作り出した信号あるいは記号(文字・数字)の羅列がデータで,それらを分析することによって抽出されてきた断片的な意味が情報,行為につながる価値ある情報体系が知識,実行されて有効だとわかった知識の中でも特に時間の試練に耐えて生き残った知識が知恵ということになろう。(図1参照)。

 

図1 知の4つのレベル


 

図1 知の4つのレベル

 

 知は,生命体の持っている能力(power),その能力が発揮される過程(process),その過程から生まれてくる成果(product)の3つの意味を持っている。したがって,ナレッジ・マネジメントの課題は,成果としての知(データ,情報,知識,知恵)をいかにマネージしていくか,すなわちそれらをいかに創造・共有・活用していくか,その過程をいかにマネージしていくか,さらに能力としての知をいかに増大させていくか,ということになろう。注意すべきは,知を創造する場合,その過程は管理するのではなく支援するのだ,という点である。なぜならば,管理は創造性を殺すからである。

 知には,明確な言語・数字・図表で表現されたマニュアルや教科書などの「形式知(explicit knowledge)」と,はっきりと明示化されていないメンタル・モデル(例えば世界観)や身体的技能(例えば熟練技能)などの「暗黙知(tacit knowledge)」という二つのタイプがある。形式知は,客観的・理性的・合理的であり,言語化・数値化されているので共有しやすく,コンピュータで処理できる。一方,暗黙知は,主観的・身体的・経験的であり,言語化されていないので,獲得するためには同じ時空間での体験の共有が必要であり,コンピュータに載せるのは難しい。この暗黙知という概念は情報管理にはないことに注意すべきである。

 ナレッジ・マネジメントの基礎理論である野中教授の組織的知識創造理論は,(1)知識には形式知と暗黙知という二つの相互補完的なタイプがある。(2)人間の創造的活動において,両者は互いに作用し合い,形式知から暗黙知が,暗黙知から形式知が生成される。(3)組織の知は,異なったタイプの知識(暗黙知と形式知)そして異なった内容の知識を持った個人が相互に作用し合うことによって創られる,という前提に立っている。

 これらの前提から「知識変換」と呼ぶ4つの知識創造の様式(モード)が導き出される。すなわち,共通体験を通じて技能や思いなどの暗黙知を獲得する「共同化(Socialization)」,その暗黙知から対話を通じて明示的な言葉や図で表現された形式知を創造する「表出化(Externalization)」,断片的な形式知を組み合わせて体系的な形式知を創造する「連結化(Combination)」,そして実体験を通じてその体系的な形式知を身に付け暗黙知として体化する「内面化(Internalization)」である。組織の知は,この4つのモードをめぐるダイナミックなスパイラルによって創られる(図2参照)。この組織的知識創造のプロセス・モデルは,4つのモードのイニシャルを取ってSECI(セキ)モデルと呼ばれ,世界中で広く知られている。

 

図2 SECIモデルと知のスパイラル


 

図2 SECIモデルと知のスパイラル

 

 野中教授はさらに,知識が創造・共有・活用されるコンテクスト(空間・状況・文脈)として「場」というコンセプトを提唱した。場は,1つの英単語に翻訳することができないので,海外では”ba”が使われている。場には,閲覧室や書庫あるいは図書館全体などの物理的でリアルな場や,ネット上に存在するデータベース(電子書庫)や電子会議室などのバーチャルな場,さらには職員によって共有されて日常行動や意思決定に反映される組織の理念などのメンタルな場,プロジェクト・チームなどの組織的な場がある。

 我々が持っている知のほとんどは,場に依存している。特に経験的な暗黙知は「場」と分かちがたく結びついている。例えばマニュアルは,行為の文脈(どのような時に,どのような状況で)を説明するものだが,それらをすべて書き尽くすことはできず,暗黙知のままにとどまる部分もある。マニュアルを読んでわかったつもりになっても,実際にはできない場合があるのは,その文字の背後にある実体験者の持つ暗黙知が十分に形式知化されていないからである。

 場を理解するときのキーコンセプトは,相互作用(インタラクション)である。知識は,孤立している個人によってではなく,個人間の相互作用ならびに個人と環境の間の相互作用によって創られる。相互作用は,リアルであったり,バーチャル(すなわちITベース)であったり,それらの組み合わせであったりする。特に共同化と表出化においては,同じ時間と空間で(すなわちリアルな場で)直接顔を会わせながら相互作用することが重要である。なぜなら,これらのモードは,電子的に伝達することが難しい暗黙知を取り扱うからである。

 意図的な場の創造と支援は,特許や文書などの成果としての知の管理や,個人や組織の能力としての知のマネジメント(すなわち人材開発)と並んで,ナレッジ・マネジメントの重要な側面である。もちろん自生的に生まれてくる場もあるが,それらを意識して育成し,活性化して,つないでいくことが求められる。ナレッジ・マネジメントが対象とする組織や地域や国家は,場の重層的な集合だからである。今後はデータベースや知識ベースなどのバーチャルな場をマネージする図書館の機能とライブラリアンの役割はますます重要になっていくだろう。しかし,ライブラリアンとユーザーがあるいはユーザー同士が直接出会って情報・知識を創造・共有・活用するリアルな場としての図書館と,その場をマネージするナレッジ・マネジャーとしてのライブラリアンの存在価値がなくなることはない。

北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科:梅本 勝博(うめもとかつひろ)

 

(1)野中郁次郎.企業進化論: 情報創造のマネジメント.東京,日本経済新聞社,1985,272p.
(2)野中郁次郎.知識創造の経営: 日本企業のエピステモロジー.東京,日本経済新聞社,1990,278p.
(3)Nonaka,Ikujiro. The knowledge-creating company. Harvard Bus Rev,69(6),1991,96-104.
(4)Nonaka,Ikujiro. et al. The knowledge-creating company: how Japanese companies create the dynamics of innovation. New York,Oxford University Press,1995,284p.
(5)野中郁次郎ほか.(梅本勝博訳) 知識創造企業.東京,東洋経済新報社,1996,401p.
(6)Prusak,Laurence. et al. Working knowledge:how organizations manage what they know. Boston,Harvard Business School Press,1998,199p.
(7)Prusak,Laurence. et al. (梅本勝博訳) ワーキング・ナレッジ:「知」を活かす経営.東京,生産性出版,2000,372p.
(8)Srikantaiah,T.K. et al. ed. Knowledge management for the information professional. Medford,Information Today,2000,598p.
(9)Choo,C.W. The knowing organization:how organizations use information to construct meaning,create knowledge,and make decisions. New York,Oxford University Press,1998,298p.
(10)Choo,C.W. et al. ed. The strategic management of intellectual capital and organizational knowledge. New York,Oxford University Press,2002,748p.
(11)Al-Hawamdeh,S. Knowledge management: cultivating knowledge professionals. Oxford,Chandos,2003,222p.

 


梅本勝博. ライブラリアンとナレッジ・マネジメント. カレントアウェアネス. 2004, (279), p.6-9.
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