CA1290 – 英国の書籍再販協定消滅の影響(1) / 寺倉憲一

カレントアウェアネス
No.244 1999.12.20


CA1290

英国の書籍再販協定消滅の影響(1)

英国では,1995年9月に書籍再販協定(Net Book Agreement: NBA)がその効力を事実上失うに至った。書籍の長期的需要低迷,出版コストの上昇等により,同国出版業界の業績が悪化する中,幾つかの大手出版社がNBAを脱退し,大手書店やスーパーマーケットと提携してベストセラーの値引き販売を始めたこと等が直接の契機となり,その時点までNBAの遵守のために必要な諸活動を担ってきた出版者協会(Publishers Association: PA)は,同年9月28日に開かれた協議会で,以後NBAの履行を担保するための法的措置をもはや執らないことを決定した。

ここでいうNBAとは,英国において1957年に締結された出版者間の協定であり(書籍の再販売価格設定・維持のための協定自体については,その淵源を1899年まで遡ることができる),その定めるところによると,同協定に加盟する出版者は,自らの出版する書籍に小売価格として定価(net price)を設定する場合には,その定価を下回る価格で書籍が公衆へ販売されることを認めてはならないこととされていた。従って,NBAに加盟する出版者は,同協定を遵守しようとすれば,それぞれの取引先の書籍販売業者(取次店,小売書店)へ書籍を卸す際に締結する各契約において,当該販売業者が定価を下回る価格で書籍を販売することを禁じなければならないこととなる(ただし,図書館,大口購入者,公共施設等を対象とする場合や,仕入れた書籍が一定期間売れなかった場合などには,一定の条件の下で,例外的に,書籍の値引き販売を書籍販売業者に認めてよいことになっていた)。英国では,このようにして,1995年まで書籍の再販売価格が維持されてきた(なお,NBAが対象としていたのは書籍のみであり,新聞・雑誌については,NBAの存在と関わりなく値引き販売が可能であった)。

英国においては,上のような再販売価格の維持行為の内,出版者間の取り決め(即ち,NBAそれ自体)については制限的取引慣行法(Restrictive Trade Practices Act),出版者と書籍販売業者との間の契約により再販売価格を設定・維持する行為については再販売価格法(Resale Prices Act)の各々定めるところにより,本来ならば禁止される筈のものである。しかし,これらの法律には例外規定も置かれており,同国の制限的取引慣行裁判所(Restrictive Practices Court)が公共の利益に反しないと特に認める場合に限り,その適用が除外され得ることとなっている。このため,1957年のNBA締結後,PAは,NBAについて,上述の法律適用除外措置を認めるように,制限的取引慣行裁判所に対する申し立てを行った。NBAの存在あってこそ,出版者は比較的安定した書籍の売り上げ収入を確保することができるようになり,これを以てベストセラーのみならず,地味でそれ程売れ行きの見込めない学術書等を含め,多種多様な書籍の出版が可能となるとともに,書店にあっても,多くの種類の書籍を店頭に取り揃えることができる等とした上で,このような書籍の商品としての特殊性に鑑みれば,NBAの存在が結局のところ消費者の利益につながるとの主張であった。この申し立てを承けた同裁判所は,審理の結果,1962年10月30日に,NBAのPA会員間協定につき制限的取引慣行法の適用除外を認め,引き続き,1968年3月1日には,書籍を再販売価格法の適用除外商品と認め,NBAにより書籍の再販売価格維持が行われても,公共の利益に反するものではないとの判断を示した。それ以来,英国において,NBAは,各種競争法の規定の存在にも拘わらず,その合法性を認められてきていた。

だが,このようなNBAの存在については,以前から,競争を排除することにより書籍の価格が下がるのを妨げるものだとの批判が根強く存在し,近年では,その廃止を求める声も無視し得ないものとなりつつあった。これらの度重なる批判を背景として,既に,NBAの実質的消滅に先立つ1995年3月,英国公正取引庁(Office of Fair Trading: OFT)長官は,制限的取引慣行裁判所判決がNBAを公共の利益に反するものではないと判断した30年以上前と比較して,印刷技術や流通等の点で書籍の出版・販売をめぐる事情が大きく変わったとの認識の下に,同裁判所に対し,NBAの例外的取り扱いを認めた1962年以降の一連の判決及び当該判決に基づく同裁判所の諸命令について,その見直しを申し立てた。これに対し同裁判所は,1997年3月13日の判決において,遂に,1960年代と今日とでは状況が大きく変わったとのOFT長官の主張を容れ,NBAが今日でもなお公共の利益に反しないとはいえず,それ故,法の適用除外を引き続き認めることはできないとの判断を示した。この結果,NBAは,事実上,その効力を失ったというだけではなく,現在では,その存在自体が違法とされるに至っている。

ただし,だからといって,今日において,NBAの功罪に関して,否定的な評価が定まったというわけではない。NBAの存在によって地味な専門書等も含めた多様な書籍の出版が可能となっていたなどとして,NBAを存続させるべきであったとする擁護派も,出版社や書店の関係者をはじめ,依然,存在しており,NBAに対する批判派と擁護派の双方の主張は,様々な点で著しく隔たったままである。

この点に関し,参考までに,NBAの例外的取り扱いを認めた制限的取引慣行裁判所の1962年判決と,NBAを違法とした同裁判所の1997年判決を例にとって,その判決理由を比較してみると,まず,NBAの例外的取り扱いを認めた1962年判決では,NBAが廃止された場合には,競争に生き残るために書店では極めて限られた売れ行きの良い書籍しか置かなくなり,また,出版社では多くの販売部数を見込めない専門書などの出版が困難になる等の事態が推測されるとして,その結果,品揃えの豊富な小売書店が減少し,一部のベストセラーを除いて書籍の価格が全体として却って高騰し,出版点数が減少する等の弊害が生じる恐れがあることを認めていた。これに対し,NBAを違法とした1997年の同裁判所判決では,NBAの廃止により国民にもたらされ得る弊害を全く特定できなかったとした上,ペーパーバックの価格上昇率が一般のインフレ率の2倍になっていることを指摘し,再販売価格維持行為が物価の上昇の抑止に失敗した事例であると述べ,NBAの存在が書籍全体の価格高騰を抑えるのに役立っているという見解に疑問を呈している。

このようにNBAの評価についての賛否両論は,NBAが廃止された場合に生じ得る影響に関し,双方が相当異なる予想を述べていた。それでは,NBAの消滅が現実のものとなった今日,どのような影響が実際に現れているのだろうか。この点に関し,NBAが実質的にその効力を失った直後の1996年1月から,1998年3月までにわたり,書籍の出版・販売の実態について,その変化を調査したクランフィールド(Cranfield)大学による報告書が1998年5月に公表されている。

次回では,この調査報告書の多岐にわたる調査・分析の中から,特にNBAの消滅が公立図書館の資料収集に及ぼした影響に関する調査結果に焦点を当てて,簡単に紹介を行うこととしたい。

寺倉 憲一(てらくらけんいち)

Ref: Net Book Agreement 1957, (1962) LR 3 RP 246.(NBAに対する競争法規適用除外を認めた英国制限的取引慣行裁判所の1962年10月30日判決。LEXISにより入手。) この判決については,次の資料に全文の邦訳が収録されている。――箕輪成男編訳本は違う:イギリス再販制裁判の記録 新装版 出版流通対策協議会 1992
Net Book Agreement 1957 (No 4), [1998] ICR 753 (1997). (NBAを違法とした上掲裁判所の1997年3月13日判決。LEXISにより入手。) この判決についても,次の資料に全文の邦訳が収録されている。――金子晃ほか 英国書籍再販崩壊の記録:NBA違法判決とヨーロッパの再販状況 文化通信社 1998
Office of Fair Trading. Court strikes down Net Book Agreement. Press release No. 07/97, 1997. 3. 13
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(last access 1999. 1. 4)