CA1245 – 東南アジア諸国における子どもの本と図書館 / 大貫美佐子

カレントアウェアネス
No.235 1999.03.20


CA1245

東南アジア諸国における子どもの本と図書館

一口にアジアといっても,様々な国がそれぞれ独自の歴史と多様な民族構成をもっており,全体をまとめて述べることはできない。それにもかかわらず「アジア」という言葉で一括りにされてしまうことが,この地域の大きな問題である。日本のマスメディアを通じて得られる情報だけでは,固定化したイメージにとらわれ,実状を把握することは難しい。ここでは,私自身のユネスコの出版文化事業に携わる経験をもとに,東南アジアのいくつかの特徴的な国について子どもたちの読書環境の現状を述べたい。

現在,出版文化が最もゆがんだ状況にあるのはフィリピンであろう。この国の植民地としての歴史は4世紀近くにわたっている。16〜19世紀はスペインが宗主国となり,キリスト教の国としてスペイン語での教育普及が行われた。この時代は,教育を受けられたのはごく一部の人々だけであり,フィリピンの伝統的な民族ごとの言語,豊かな口承伝統の世界はまだ残っていた。しかし,その後アメリカの統治下にはいると,すみずみまで教育をいきわたらせるという方針のもとに,徹底的な英語の教育が行われた。そのため,国を担うべき知識人の間では英語が教養の証とみなされ,自国語が使われなくなっていった。そして,フィリピンの独自のことばによって育まれてきた文化が失われていったといわれている。外国による長い支配は,今でもこの国の出版にふかく影をおとしている。

その後も,アメリカ系の大手書店がアメリカ国内で売れ残った本を大量にフィリピンに輸入し,フィリピン国内の出版物が本屋・図書館に並ぶのはわずか一割にも満たない。あとの9割は輸入書で占められている。このような状況下で,フィリピンの出版や図書館活動を,より現地の人々のニーズにそったものにしていくことは,大きな努力を要する。フィリピンの出版社は本の製作費を抑えるために作家の報酬を削減し,それが創作意欲をそいで,良い作品がつくられなくなるという悪循環もおこっている。

しかし,厳しいなかにもいろいろな動きが出てきた。フィリピン国内の若手作家は,INKというグループを結成し,共同で情報交換や児童書に関するワークショップの開催,民間に働きかけて作品展を行うといった活動をしている。また,民話を絵で表現するために必要な時代考証のための歴史書を調査し,アダルナ・ブックシーズという本を通して,フィリピンの文化に根ざした出版活動を行っている。

ベトナムは戦争で暗いイメージを持たれがちだが,豊かな絵本の歴史を持った国である。中国,フランス,ロシアの影響を受けつつも独自の表現方法による文化的な活動はさかんであった。ベトナム戦争中も,子どもの本の出版社が作家の創作活動を支援したり,ポケットに入れてどこでも持ち歩けるような小さな版型の絵本をつくるなどして,文化を絶やさないようにと努めていた。1990年代に入り,市場開放で出版の分野は,商業主義にはしる面もみられるが,盛り上がりをみせている。

東南アジア諸国で出版される子どもの本のうち,半分くらいは伝統的な民話である。民話を本にして残していこうという動きが強くみられるのはどこの国でも同じである。しかしこれに日本や欧米のNGO,協力団体などが協力する際には,センシティヴなかかわりが強く求められると思う。日本は,1つの民話を国民のほとんどが共有できる(もちろんアイヌにはユーカラがある)が,アジア・太平洋地域は1か国に実に多様な文化をもつ民族をかかえている。国によっては,民話の採録にも様々な問題がある。700以上の異なる民族が生活するといわれるパプアニューギニアでは,昔から伝わる民話はその部族だけの宝物である。それを採録し,本にして広めることは,他の民族に宝物を奪われることである。採録の時期や方法によっては,民族間の対立やナショナリズムをあおる危険性がある。

近年,フィリピンや中国,タイ,マレーシアでは,紙不足もあって電子媒体が急成長をみせている。1997年11月,タイの国立図書館に行ってみると,児童書のコーナーの本が全てインターネットに接続した端末に入れ替わっていた。しかし,まだ自国語で子ども向けのコンテンツを作成・提供するという段階ではなく,結局見られるのは外国のものばかりである。型にとらわれない豊かな表現力をもった,魅力的な作家やイラストレーターがいるにもかかわらず,インターネットに限らず,自国内に魅力的な作品として出版されたものが少ないためか,外国もの,特に日本のアニメ「ドラえもん」などは大人気である。

日本や中国のように紙の媒体に深い執着のない東南アジアでは,新しいメディアの普及にたいへん力を入れている。できるだけ安く良い本を普及させていくことはもちろんであるが,今後はアジアの中で図書館の果たす役割が,本と新しいメディアの両方でますます重要となってくるだろう。識字率が低く学校の運営も難しいというところが多いので,図書館が地域に定着したものとなるのはこれからである。

では,アジアの人々にとって求められている図書館の姿とはどのようなものか。私は,東南アジアを訪れるたび,次のように思う。現在は輸入された文化として欧米の運営方法をそのまま取り入れようとしているように見受けられるが,それでは根づかない。もっとその国の文化に根ざした,コミュニティの共有の場としての空間にできないものだろうか。アジアの伝統文化は,日本のように本の中に納められてはいない。現在でも生き生きと人々の日常生活に息づいている。よって,文化を棚に並べておくのではなく,歌ったり踊ったりと,実際に生活や儀礼などと密着した図書館があれば,アジアの人々は気軽に足が向くようになるのではないだろうか。

一方,日本の中でも,故郷を離れて働きに来ている東南アジア諸国の人々の多くが,自国の文化から遠ざかり,孤独な生活を送っている場合が多い。地域の公共図書館に対する彼らのニーズはもっと多様化してきている。図書館側からもアジアの言語で出版された本を求める声は多い。ここで述べたことを,遠い外国の話ではなく,日本でも身近な問題として受け止めてほしい。

ユネスコ・アジア文化センター:大貫 美佐子(おおぬきみさこ)

Ref:大貫美佐子 違いを認め合う平等観をこどもとしょかん(71)2-10,1996
大貫美佐子 アジアの人達と共に生きる図書館を! ぷらたなす(38)6-12,1996
大貫美佐子 子ども向け環境の本の出版を通して国際協力 子どもの本 25(3)30-33,1999