フィードアグリゲーター

出版関係文献資料

(2498):2018.11.中旬, P.45-42

新聞・雑誌書評リスト

(2498):2018.11.中旬, P.50-47

「車力(しゃりき)」という仕事をしていた人の具体的な作業内容。どこでどのような作業をするのかなど。(蒲郡市立図書館)

具体的な作業内容まではわからなかった。 「車力」の意味、指し示す職業については辞書および『日本人の生活文化史 5  路と車』より。 ただし、全体を読めば歴史や大まかな仕事内容はわかりそうだが、具体的にどこで何をという風ではない。 回答プロセス:【1】言葉の意味を確認する。辞書棚で「車力(しゃりき)」を調べる。 関連項目として記載のある「車借(しゃしゃく)」、「馬借(ばしゃく)」もみる。次の4冊に記載あり。 a)『日本国語大辞典』6巻(車力)P.1172 b)『日本歴史大事典』2巻(車力、車借)、3巻(馬借) c)『国史大辞典』7巻(車力、車借) a)『日本国語大辞典』6巻(車力)P.1172 <車力・掲載内容> 1)荷物をのせて人が引いたり押したりする車。荷車。 2)大八車などをひいて荷物の運搬をすること。また、その業に従事する人。近世では、一般に零細業者が多く、大八車所持の有力商人などと雇用関係にある者も少なくなかった。 方言)荷車。大八車。小さい車。荷車を引く人。荷車を引いて職業とする人。人力車夫。左官の下回りとなって土を運んだり壁下地の下塗りをしたりする職人。木こり。 b)『日本歴史大事典』2巻(車力、車借)、3巻(馬借) <車力・掲載内容> 荷車を引いて荷物運送を仕事とする人のことで、車所持者に雇われる場合が多い。一一世紀に東大寺は盛んに車力を使用していたが、荘園からの年貢や商品輸送が盛んとなった一一世紀以降に車所持の車借(しゃしゃく)が登場するとともに、彼らに雇われる車力も出現した。(以下略) 参考文献あり。遠藤元男『路と通』、南和男『江戸の社会構造』。 <車借・掲載内容> 中世・近世において牛に車を引かせて物資の運搬に携わった運送業者。くるまかし、車力(しゃりき)ともいう。『新猿楽記』に(略)馬借(ばしゃく)・車借を業とし、(略)という人物がみえる。彼らは『庭訓往来』にもみえる鳥羽や白河など京都周辺の交通の要地に多く集住していた。鎌倉末期には鎌倉でも車借のいたことが知られ(略)。「一遍上人絵伝」などに描かれる車借は牛飼同様童形であり、牛飼の一方の生業でもあったようである。(以下略) 参考文献あり。網野善彦「中世前期の馬借・車借」 <馬借・掲載内容> 中世、午の背に荷物を積んで運搬し、駄賃を稼いだ陸上運送業者。一一世紀半ばの『新猿楽記』に車借とともに記されているのが初見。(以下略)。 c)『国史大辞典』7巻(車力、車借) <車力・掲載内容> 平安時代以降、江戸・明治時代まで、車をひいて荷物運搬を業とした者の称。康平元年(1057)十月の『東大寺修理所修理記』になどによると、東大寺は車力を盛んに利用し、これに運賃として貢納米の九%を支払っている。(略)『新猿楽記』には、馬借・車借・駄賃などとともに車力の呼称もみえる。このように平安時代から鎌倉・室町時代には、荘園領主の年貢その他の陸上運送に車力も関与したが、これは直ちに荷車・力車を所有したのではなく、車借の統率者たる車屋に(略)貸与されて運送労働に従事する場合が多かった。(以下略) 参考文献あり。『新猿楽記』、『近世風俗志』、『中世商品流通史の研究』『路と通』(以下略) <車借・掲載内容> 中近世の交通労働者。(以下略) 参考文献あり。(略) →参考文献より自館所蔵の『新猿楽記』で辞書に書かれている事柄を確認。 【2】未所蔵資料を相互貸借を利用して調べる。 県内・近隣県図書館の所蔵を調べ次の3冊を借用。 d)『日本人の生活文化史 5  路と車』遠藤元男、毎日新聞社 e)『日本中世商業発達史の研究』脇田晴子、御茶の水書房 f)『中世商品流通史の研究』佐々木銀弥、法政大学出版局 見てみたかったが所蔵がなく、確認しなかった資料。 『中世前期の馬借・車借』網野善彦、立命館文学 d)『日本人の生活文化史 5  路と車』 →第二章「牛車の時代」の五「車力と車借」P.95以外にも関連することが記載されている。 全体を読めば歴史や大まかな仕事内容はわかりそうだが、具体的にどこで何をという風ではない。 e)『日本中世商業発達史の研究』→車力の人への支払いについて f)『中世商品流通史の研究』→車力の人への支払いについて →結果、知りたい具体的な事柄はわからなかったが、 『日本人の生活文化史 5  路と車』遠藤元男、毎日新聞社を提供。 わからないことがあるというところにロマンがありますねという返答にてこの件終了とした。 事前調査事項:市内で「車力」という名前がつく会社へ由来などを聞きに行った。はっきりしたことはわからなかった。 参考資料:日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部 編 , 小学館. 日本国語大辞典 第6巻 第2版. 小学館, 2001. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003013601-00, 4095210060(P.1172) 参考資料:日本歴史大事典 2. 小学館, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002934086-00, 4095230029 参考資料:日本歴史大事典 3. 小学館, 2001. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002959816-00, 4095230037 参考資料:遠藤元男. 路と車. 毎日新聞社, 1980年. (日本人の生活文化史 5), 参考資料:脇田晴子著. 日本中世商業発達史の研究. 御茶の水書房, 1969-03. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000034530-00, 参考資料:佐々木銀弥 著 , 佐々木, 銀弥, 1925-1992. 中世商品流通史の研究. 法政大学出版局, 1972. (叢書・歴史学研究) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001147561-00,

秋草俊という人物について書かれた本が見たい。特に陸軍中野学校を創設した後の動きが知りたい。(兵庫県立図書館)

<当館所蔵資料> ①『日本陸海軍総合事典』(兵庫県立図書館請求記号:392.1/145) p.6 秋草俊の略歴あり ②『昭和史の軍人たち』(392.8/10) p.208~219 秋草俊の経歴の記載あり(p.213~中野学校創設以降) ③『日本のインテリジェンス工作』(391.6/116) p.47「(前略)秋草はその後、関東軍情報部長などを経て、敗戦後はソ連軍に逮捕され、モスクワ郊外の監獄にて死去した。」との記述あり ④『陸軍中野学校 1』(391.6/1/1) p.148~149 秋草俊の略歴あり <国立国会図書館デジタルコレクション> ⑤『日ソ戦争と戦後抑留の諸問題』 p.20-37 4 ソ連政府の日本人抑留者送還政策 p.24「ハルビン特務機関にいた秋草俊少将はすぐに前線の牢獄に入れられて尋問を受け、45年10月14日にはモスクワのルビャンカ監獄に入れられ、さらにそこでの特別会議(オソ)で25年の禁固刑を宣告された。」 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8624244_po_page_2037.pdf?contentNo=4&alternativeNo= ⑥『法廷証番号743: 秋草俊訊問調書』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10274838 回答プロセス:②は、リサーチ・ナビ(国立国会図書館)の「テーマ別データベース」で“秋草俊”で検索してヒットした資料の中で当館で所蔵していた資料。 参考資料:①秦郁彦 編 , 秦, 郁彦, 1932-. 日本陸海軍総合事典 第2版. 東京大学出版会, 2005. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007913368-00, 4130301357 参考資料:②秦郁彦 著 , 秦, 郁彦, 1932-. 昭和史の軍人たち. 文芸春秋, 1982. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001599436-00, 参考資料:③山本武利 著 , 山本, 武利, 1940-. 日本のインテリジェンス工作 : 陸軍中野学校、731部隊、小野寺信. 新曜社, 2016. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027669779-00, 9784788514997 参考資料:④陸軍中野学校 1 新装改訂版. 番町書房, 1973. (陸軍中野学校 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046028489-00,

江戸時代の播磨国の地名が載っている絵図はないか。(兵庫県立図書館)

①『日本古地図大成』(兵庫県立図書館請求記号:291.038/6/1) p.116-117 播磨国大絵図(播磨国細見図)寛延2年刊 p.85-87 播磨国絵図(幕府撰慶長国絵図)慶長末年頃 ②『江戸時代 日本国絵図選要』(291.03/92/1) 播磨国細見図(寛延2年)が載っている。 【 参考 】 インターネット上で閲覧できる絵図もいくつか見つかった。 ・デジタルアーカイブシステムADEAC 播磨国大絵図(播磨国細見図) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2321315100/2321315100100010/mp02016400 ・国立公文書館 デジタルアーカイブ  元禄国絵図(播磨国)  https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0301000000/0000000228/00  天保国絵図(播磨国)  https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0303000000_5/0000000290/00   ※インターネット情報の最終確認日は2018年7月12日 参考資料:①編集委員: 海野一隆, 織田武雄, 室賀信夫 , 海野, 一隆, 1921-2006 , 織田, 武雄, 1907-2006 , 室賀, 信夫, 1907-1982 , 中村, 拓, 1891-1974. 日本古地図大成. 講談社, 1972. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001223684-00,

昭和19年8月22日に遭難した対馬丸の全乗船者数と死亡者数が知りたい。(兵庫県立図書館)

以下の資料を紹介した。 ①『沖縄戦とその前後』(兵庫県立図書館請求記号:210.75/88)  p.31「対馬丸に乗り組んだ疎開者は千六百十一人で、そのうち百七十七人は生存、千四百三十四人が死没した。」との記載あり。 ②『対馬丸』(916/188)  p.230「学童だけについていえば、運よく生き残った者、わずか五十九名。(中略)一般疎開者も生存者は九十八名しかいない。」との記載あり。 <インターネット情報> 〇対馬丸記念館 「対馬丸に関する基礎データ」の中で、対馬丸の乗船者数と対馬丸撃沈による犠牲者数(平成28年8月22日再改訂)が掲載されている。 http://tsushimamaru.or.jp/?page_id=72(最終確認日:2018年10月25日) 回答プロセス:自館の蔵書検索でキーワード“対馬丸”で検索したところ4件の資料がヒットした。 このうち①・②に学童数についての記述が見つかった。 参考資料:①浦崎康華 著 , 浦崎, 康華, 1897-. 沖縄戦とその前後 : 対馬丸遭難事件の周辺・泊出身の戦没者一四九〇余人. [浦崎康華], 1977. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001697431-00, 参考資料:②大城 立裕/[ほか]著 , 長 新太/絵 , 大城‖立裕 , 長‖新太. 対馬丸. 理論社, 1982. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000084443-00, 4652071108

作曲家山田耕筰が作曲したA)兵庫県立柏原高等学校校歌(作曲:山田耕作 作詞:富田砕花)、B)龍谷大学学歌(作曲:山田耕筰 作詞:学歌作成委員会)が載っている資料を探している。また、作曲に至った経緯や曲の解説等、作曲に関することが載っている資料はあるか。(兵庫県立図書館)

A)兵庫県立柏原高等学校 校歌(作曲:山田耕作 作詞:富田砕花) ①『創立六十周年記念誌』(兵庫県立図書館請求記号:376.4/2)   巻頭 校歌歌詞の記載あり  p.29 校章校歌及び校旗の制定     校歌制定の経緯について記述あり ②『創立七十周年記念誌』(376.4/1)  巻頭 校歌の歌詞の記載あり  p.164 楽譜・歌詞の記載あり  p.168~170 校歌の制定        校歌制定の経緯・解説の記述あり ③『沿革史(明治30年~昭和51年)』(376.4/165)  p.37 校歌歌詞の記載あり  p.39~40 校章・校歌の制定       校歌制定の経緯について記述あり ④『創立九十周年記念誌』(376.4/304)  p.26 楽譜・歌詞の記載あり  ⑤『柏原高校百年史』(376.4/K35)  p.303 楽譜・歌詞の記載あり ⑥『創立110周年記念誌』(376.4/K229)  p.54~55 校歌草案・楽譜、校歌制定の経緯について記載あり ○『学校要覧』昭和34年度 兵庫県立柏原高等学校 1959  巻頭 校歌歌詞・楽譜の記載あり 【調査済み不見当資料】 ・『柏原高校の校長室から』 神戸新聞総合出版センター 2009.3(376.4/K262) ・『新聞記事で見る柏原高校 平成18年度』 兵庫県立柏原高等学校 2007(376.4/K221/2006) ・『百年の青春』兵庫県立柏原高等学校百周年記念事業実行委員会 1997.4 (376.4/K36) B)龍谷大学 学歌(作曲:山田耕筰 作詞:学歌作成委員会) ⑦『竜谷大学三五〇年の歩み』(377.2/436/3)  巻頭「龍谷大学学歌」歌詞あり  p.92 略年表に「1933 昭和8 10 龍谷大学学歌を制定する」 ⑧『全国大学短大高専校歌集』(767.6/9)  p.277 龍谷大学学歌 歌詞・楽譜あり 作曲に至った経緯や曲の解説等、作曲に関する記述は不見当。 【調査済み不見当資料】 ・『竜谷大学三百五十年史 通史編 上巻』竜谷大学 2000.3(377.2/436/1-1)  p.799-800 「校歌・寮歌・白線会会歌をめぐる回想」 作曲に関するエピソードは不見当 ・『竜谷大学三百五十年史 通史編 下巻』竜谷大学 1998.3(377.2/436/1-2)  巻頭「略年表」1933(昭和8)年10月 学歌を制定(山田耕筰作曲) <参考> 龍谷大学HP > 校友会とは > 学歌 https://www.ryukoku.ac.jp/alumni/about/song.html (2018年9月25日最終確認) 「龍谷大学学歌は、…」とはじまる一文があり、龍谷大学学歌に関する山田耕筰の発言が掲載されている。 参考資料:①兵庫県立柏原高等学校 編 , 兵庫県立柏原高等学校. 創立六十周年記念誌 : 兵庫県立柏原高等学校. 柏原町, 1957. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046023326-00, 参考資料:②兵庫県立柏原高等学校記念誌編集委員会 編 , 兵庫県立柏原高等学校. 創立七十周年記念誌 : 1966. 柏原町, 1967. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046352669-00, 参考資料:③兵庫県立柏原高等学校 〔編〕 , 兵庫県立柏原高等学校. 沿革史(明治30年〜昭和51年). 兵庫県立柏原高等学校, 1977. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046336440-00, 参考資料:④兵庫県立柏原高等学校創立九十周年記念誌編集委員会 編 , 兵庫県立柏原高等学校. 創立九十周年記念誌. 柏原町, 1986. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045381783-00, 参考資料:⑤兵庫県立柏原高等学校内柏原高校百年史編集委員会 編 , 柏原高等学校 (兵庫県立). 柏原高校百年史. 兵庫県立柏原高等学校百周年記念事業実行委員会, 1997. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002608327-00, 参考資料:⑥創立110周年記念誌編纂委員会 編集 , 兵庫県立柏原高等学校. 創立110周年記念誌. 兵庫県立柏原高等学校, 2007. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046266190-00, 参考資料:⑦竜谷大学三五〇年の歩み. 竜谷大学, 1991. (竜谷 大学 三百五十年史 3) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046353356-00, 参考資料:⑧全国大学短大高専校歌集. 桜楓社, 1985. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003945738-00,

「高野山文書」の中で“聖方”について書かれた箇所が見たい。(兵庫県立図書館)

①『大日本古文書 家わけ 1ノ3 高野山文書之三』(兵庫県立図書館請求記号:210.08/37/2-3)  p.132 四六七「高野山惣分沙汰所老衆評諚書」に「諸口関之替地、垣郡にて合廿五石、同聖方より合拾石、可出者也」と記載あり 上記の資料は、東京大学史料編纂所データベース(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller)でデジタル化資料として閲覧できる。 <検索手順> 横断検索画面で「聖方␣高野山」と入力し検索 →古文書フルテキストデータベースの「一覧へ」ボタンをクリック →天正五年閏七月十二日の「画」ボタンをクリックすると、デジタルテキストが表示される ②『日本国語大辞典 第11巻』第2版(813.1/148/11)  p.277「聖方」  「*高野山文書‐天正五年〔1577〕潤七月一二日・高野山惣分沙汰所、老衆評諚書(大日本古文書三・四六七)「諸口関之替地、垣郡にて合廿五石、同聖方より合拾石、可出者也」」と記載あり 参考資料:①東京大学史料編纂所/編纂 , 東京大学史料編纂所. 大日本古文書 家わけ1ノ3. 東京大学出版会, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000025403-00, 参考資料:②日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部 編 , 小学館. 日本国語大辞典 第11巻 第2版. 小学館, 2001. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003048207-00, 4095210117

日光東照宮陽明門の模型を作りたい。参考になる資料はあるか。(兵庫県立図書館)

以下の資料を紹介した。 ①『日光東照宮 日本名建築写真選集 第15巻』(兵庫県立図書館請求記号:521/71/15)  p.14-37 陽明門の図版  p.108-110 陽明門の解説(p.109に陽明門の立面図と平面図の掲載あり) ②『不滅の建築 12 東照宮陽明門』(521/122/12)  表紙、口絵に陽明門の図版(p.62-63に図版の説明あり)  p.60 陽明門の立面図 ③『文化財の保存と修復 3』(709.1/43/3)  p.4 陽明門の図版  p.49-54「国宝日光東照宮陽明門の彩色の秘密」 ④『NHK国宝への旅 6』(709.2/299/6)  p.46 陽明門の図版と解説 参考資料:①伊藤ていじ [ほか]編 , 伊藤, ていじ, 1922-2010 , 牧, 直視, 1926- , 伊東, 竜一, 1957- , 栗田, 勇, 1929-. 日本名建築写真選集 第15巻. 新潮社, 1993. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002242953-00, 4106026341 参考資料:②鈴木嘉吉, 工藤圭章 [責任編集] , 鈴木, 嘉吉, 1928- , 工藤, 圭章, 1929-2008 , 岡本, 茂男, 1929-2011. 不滅の建築 12. 毎日新聞社, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001989739-00, 4620602825 参考資料:③文化財保存修復学会 編 , 文化財保存修復学会. 文化財の保存と修復 3. クバプロ, 2001. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003622408-00, 4906347053 参考資料:④NHK取材班 著 , 日本放送協会. NHK国宝への旅 第6巻 (兵庫 姫路城.栃木 日光東照宮.兵庫 浄土寺阿弥陀三尊). 日本放送出版協会, 1987. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001872856-00, 414008538X

モーツァルト作曲「交響曲第40番ト短調K550」を解説した資料がみたい。(兵庫県立図書館)

以下の①~④の資料を紹介した。 ①『最新名曲解説全集1』(兵庫県立図書館請求記号:760.8/13/1)  p.239-242 概説と解説の記載あり。 ②『作曲家別名曲解説ライブラリー13 モーツァルト1』(762.3/417/13)  p.93-97 概説と解説の記載あり。 ③『名盤鑑定百科 交響曲篇』(760.9/90/1-1)  p.30-32 解説と「交響曲第40番ト短調K550」が収録されているディスクの一覧表あり。 ④『名曲鑑賞入門』(760.8/14)  p.90 曲の解説あり。 参考資料:①音楽之友社/編 , 音楽之友社. 最新名曲解説全集 1. 音楽之友社, 1979. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005615791-00, 4276010012 参考資料:②音楽之友社/編 , 音楽之友社 , 海老沢‖敏. 作曲家別名曲解説ライブラリー 13. 音楽之友社, 1993. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005779889-00, 4276010535 参考資料:③吉井亜彦 著 , 吉井, 亜彦, 1944-. 名盤鑑定百科 交響曲篇. 春秋社, 1997. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002643336-00, 4393934458 参考資料:④野宮勲 著 , 野宮, 勲, 1931-. 名曲鑑賞入門. 文研出版, 1978. (文研リビングガイド) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001382891-00,

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