レファレンス協同データベース新着事例

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歌川広重、東洲斎写楽、横山大観の作品が見たい。(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
次の資料を紹介した。 【歌川広重】 『日本美術全集 15 浮世絵と江戸の美術 江戸時代4』小学館 2014 『もっと知りたい歌川広重』東京美術 2007 『原色日本の美術 17 浮世絵 改訂三版』小学館 1994 『原色日本の美術 18 風俗画と浮世絵師 改訂三版』小学館 1994 【東洲斎写楽】 『日本美術全集 15 浮世絵と江戸の美術 江戸時代4』小学館 2014 『原色日本の美術 17 浮世絵 改訂三版』小学館 1994 『原色日本の美術 18 風俗画と浮世絵師 改訂三版』小学館 1994 【横山大観】 『日本画にみるさくら 横山大観から中島千波まで』青幻舎 2014 『原色日本の美術 30 近代の日本画 改訂三版』小学館 1994 『現代日本美術全集 2 横山大観』集英社 1971 参考資料:辻惟雄, 泉武夫, 山下裕二, 板倉聖哲 編集委員 , 辻, 惟雄, 1932- , 泉, 武夫, 1954- , 山下, 裕二, 1958- , 大久保, 純一, 1959-. 日本美術全集 15. 小学館, 2014. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025620350-00, 9784096011157 参考資料:内藤正人 著 , 内藤, 正人, 1963-. もっと知りたい歌川広重 : 生涯と作品. 東京美術, 2007. (アート・ビギナーズ・コレクション) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008587464-00, 9784808708177 参考資料:山根有三‖著 , 鈴木重三‖著 , 辻惟男‖著 , 池上忠治‖著 , 小林忠‖著. 原色日本の美術 改訂第三版 第17巻. 小学館, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I014401582-00, 4096633178 参考資料:山根 有三/ほか著 , 山根‖有三. 原色日本の美術 第18巻 改訂第二版. 小学館, 1990. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I013115232-00, 4096631183 参考資料:島田康寛 監修 , 島田, 康寛, 1945-. 日本画にみるさくら : 横山大観から中島千波まで. 青幻舎, 2014. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025372286-00, 9784861524400 参考資料:河北倫明 著 , 河北倫明. 近代の日本画 改訂第3版. 小学館, 1994. (原色日本の美術 ; 第30巻) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077445080-00, 4096633305 参考資料:横山, 大観 , 細野, 正信 , 横山, 大観 , 細野, 正信. 横山大観. 集英社, 1971. (現代日本美術全集) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045672917-00,

コンビニなどで手軽にとれる朝食に関する本はないか。朝食をとらない生徒に向けて、何も食べないよりは、せめて何か買ってでも食べてほしい。その際に、おにぎりや菓子パンだけでなく、組み合わせて食べるとよい食材について紹介されているものがあるとよい。(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
『コンビニへ「健康」を買いに行こう!』小林弘幸 主婦の友社 2013 *第2章「朝・昼・夕 コンビニの効率的活用術」が参考になった。水とバナナ、ヨーグルトやスープ、シリアルといった朝食向けの食材の紹介や、おにぎり・カップめんなどの単品に加えるとよいサイドメニューの紹介あり。 『マグカップでかんたん朝ごはん 混ぜるだけ!チンするだけ! 早うまの103品』堤人美 新星出版社 2012 *ひと手間、ではあるが、火を使わず手軽にできるところがよい、とのこと。 回答プロセス:次の資料もあわせて紹介した。 『短時間で栄養バランス朝ごはん パンと牛乳からのステップアップ』吉田朋子 芽ばえ社 2017 『からだにやさしいセブン-イレブンいいごはん』杉本恵子 講談社 2012 『外食のカロリーガイド』5訂増補 香川芳子 監修 女子栄養大学出版部 2008 買ってきたものを切る・焼くなどひと手間をかけるものは除外。手軽といっても、うどんなど、朝から自宅で火を使って調理するのは生徒にとってハードルが高い(それができるなら、そもそも朝食抜きにはならない)。 参考資料:堤人美 著 , 堤, 人美. マグカップでかんたん朝ごはん : 混ぜるだけ!チンするだけ! : 早うまの103品. 新星出版社, 2012. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023975014-00, 9784405092327 参考資料:香川芳子 監修 , 香川, 芳子, 1931-. 外食のカロリーガイド : 外食の「メニュー選択術」編/外食編/コンビニ・市販食品編 5訂増補. 女子栄養大学出版部, 2008. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009395839-00, 9784789506199 参考資料:小林弘幸 著 , 小林, 弘幸, 1960-. コンビニへ「健康」を買いに行こう!. 主婦の友社, 2013. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024584180-00, 9784072883501 参考資料:杉本恵子 著 , 杉本, 恵子, 1956-. からだにやさしいセブン-イレブンいいごはん♪. 講談社, 2012. (講談社のお料理BOOK) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023893648-00, 9784062995696 参考資料:吉田朋子 著 , 吉田, 朋子, 管理栄養士. 短時間で栄養バランス朝ごはん : パンと牛乳からのステップアップ. 芽ばえ社, 2017. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028592219-00, 9784895793940 備考:関連事例:「朝食はなぜ大切か」について書かれている本はないか。(4517-2017-001) http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000221324

尿検査でわかることや、泌尿器のしくみ、泌尿器系の病気について、わかりやすく書かれている資料はないか。尿検査の提出率向上のため、生徒に尿検査の意味や大切さを伝える参考にしたい。(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
次の資料を紹介した。 『人のからだ ポプラディア情報館』ポプラ社 2006 *p66-67「泌尿器のつくりとはたらき」、p68-69「腎臓のつくりとはたらき」>「毎日ちがう尿の色」のコラムあり 『わかりやすい人体解剖図で知る病気事典』福士斉 誠文堂新光社 2014 *p128-「泌尿器」 『身近な病気がよくわかる本』藤原大美  講談社ビジネスパートナーズ 2013 *p316-「人間ドックで指摘される異常所見:尿蛋白陽性/尿潜血陽性」 『検査でわかること 健康診断・人間ドックガイド』NHK出版(別冊NHKきょうの健康) 2015 *p114-121「腎臓・尿路の検査」 事前調査事項:「高校保健ニュース」(少年写真新聞社)のバックナンバー検索により、2013年4月8日号(461号)で「尿検査で早期発見 慢性腎臓病」が特集されていることは確認したが、発行されてから時間が経っているため、実物は手元にない。 http://www.schoolpress.co.jp/2018koho.htm 参考資料:坂井建雄 監修 , 坂井, 建雄, 1953-. 人のからだ. ポプラ社, 2006. (ポプラディア情報館 = Poplardia information library) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008148907-00, 4591090477 参考資料:齋藤道雄 監修 , 福士斉 著 , 齋藤, 道雄 , 福士, 斉, 1958-. わかりやすい人体解剖図で知る病気事典 : 症状から引ける. 誠文堂新光社, 2014. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025130507-00, 9784416713372 参考資料:藤原大美 著 , 藤原, 大美, 1945-. 身近な病気がよくわかる本 : 町のお医者さんが書きました。. 講談社ビジネスパートナーズ, 2013. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024343579-00, 9784876019908 参考資料:検査でわかること : 健康診断・人間ドックガイド. NHK出版, 2015. (別冊NHKきょうの健康) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026092288-00, 9784147941716

ヘリオス航空522便墜落事故について、情報が分かる書籍があれば紹介してほしい。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
【資料1】『飛行機事故はなぜなくならないのか』(687.7/ア) p.116-122 第5章 空に消えた旅客機 「ヘリオス航空522便墜落事故」 事故の原因から対策までの記載。 【資料2】『航空機事故50年史』(687.7/カ) p.256-257 「737酸欠墜落」 事故について概略が記載。 【資料3】『空のプロの仕事術』(687.3/ス) p.189-192 「ヘリオス航空機が減圧によって墜落」 ヒューマンエラーによる航空機事故の事例の一つとして、ヘリオス航空機事故について記載。 【資料4】『危ういハイテク機とLCCの真実』(538.8/ス) p.190-194 「ベテラン機長でも理解が難しいCRM」 ヘリオス航空機事故を例に、CRM(機長が多くの有効なリソース(情報)を集め、最良の判断を下すこと)のみで事故を防ぐことの難しさについて記載。 他に、当時の新聞記事を縮刷版(朝日・読売・日経・毎日)やデータベース(聞蔵Ⅱ・日経テレコン)で閲覧することも可能です。 事前調査事項:『まさかの墜落』加藤寛一郎/著,大和書房,2007 参考資料:【資料1】青木謙知 著 , 青木, 謙知, 1954-. 飛行機事故はなぜなくならないのか : 55の事例でわかった本当の原因. 講談社, 2015. (ブルーバックス ; B-1909) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026302933-00, 9784062579094 参考資料:【資料2】加藤寛一郎 [著] , 加藤, 寛一郎, 1935-. 航空機事故50年史 : 第一人者がはじめてすべてを明かす. 講談社, 2008. (講談社+α文庫) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009332154-00, 9784062811989 参考資料:【資料3】杉江弘 著 , 杉江, 弘, 1946-. 空のプロの仕事術 : チームで守る航空の安全. 交通新聞社, 2015. (交通新聞社新書 ; 077) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026077044-00, 9784330539157 参考資料:【資料4】杉江弘 著 , 杉江, 弘, 1946-. 危ういハイテク機とLCCの真実. 扶桑社, 2013. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024389709-00, 9784594068028 備考:該当事故は2005年8月、ヘリオス航空はキプロス機で、現場はギリシャ。 インターネットで検索すると、TV番組で取り上げたことがあるようで、その番組に関連する検索結果が多い。 以下その他の確認済み資料 『航空機事故に学ぶ』小林忍/著,講談社,2012(687.7/コ) 90年代までの事故しか載っていない。 『鉄道・航空機事故全史』災害情報センター[他]/編,日外アソシエーツ,2007(R686.7/テ) 国内しか載っていない。 『数字でみる航空 2006』国土交通省航空局/監修,航空振興財団,2006(R687.2/ス/06) 世界の主要航空事故(外国登録機に関わる物)は一覧しかなく、死亡者数が180名以上が基準。該当事故は乗員乗客が全員死亡したが、180人も乗っていなかったので掲載されていない。 『TEAMで安心を育てる』ANAラーニング株式会社[他]/著,角川学芸出版角川出版企画センター,2010(336/チ) ANAの資料。事例が載っていない。 『機長が語るヒューマン・エラーの真実』杉江弘/著,ソフトバンククリエイティブ,2006(687.7/ス) p.60に事例紹介があるが、「「凍えている」メールはうそ キプロス機墜落」(朝日新聞2005年8月16日夕刊13面)にある乗客からのメールの話を引用している。 『ヒューマン・エラー学の視点』村田厚生/著,現代書館,2012(509.8/ム) 『ヒューマンエラーと機械・システム設計』柚原直弘[他]/編,講談社,2012(531.9/ヒ) 『ヒューマンエラーは裁けるか』シドニー・デッカー/著,東京大学出版会,2009(326.1/デ)

中学生の時に読んだ本をもう一回読みたい。覚えている情報は次のとおり。 ・単行本サイズ ・表紙は白地に黄色と緑の模様 ・日本人のいろんな作者の作品が入っている ・恋愛系の短編集(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
『LOVE or LIKE』石田衣良ほか 祥伝社 2006 『I LOVE YOU』伊坂幸太郎ほか 祥伝社 2005 回答プロセス:『LOVE or LIKE』(祥伝社)が、そのような表紙だった気がする。 質問者に確認したところ、「あ!『LOVE』って入ってたかも!」モニターで確認してもらうと隣に表示されていた「『I LOVE YOU』の方かも…?」とのこと。2冊を提供予定。 事前調査事項:質問者は質問当時高校3年生。 参考資料:石田衣良, 中田永一, 中村航, 本多孝好, 真伏修三, 山本幸久 著 , 石田, 衣良, 1960- , 中田, 永一, 1978- , 中村, 航, 1969-. Love or like. 祥伝社, 2006. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008245274-00, 4396632665(祥伝社文庫 2008年刊) 参考資料:伊坂幸太郎, 石田衣良, 市川拓司, 中田永一, 中村航, 本多孝好 著 , 伊坂, 幸太郎, 1971- , 石田, 衣良, 1960- , 市川, たくじ, 1962-. I love you. 祥伝社, 2005. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007809211-00, 4396632517(祥伝社文庫 2007年刊)

バラの病気が写真で分かるようになっていて、どう対処すればいいか載っている本はないか。(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
『家庭園芸草花の病気と害虫』米山伸吾,木村裕 農山漁村文化協会 2000 *バラに関しては8種の病気とそれぞれの診断方法・防ぎ方が載っている。対処法は主に薬の散布のよう。 事前調査事項:病気になったのは庭に植えたミニバラとのこと。 参考資料:米山伸吾, 木村裕 著 , 米山, 伸吾, 1931- , 木村, 裕, 1939-. 家庭園芸草花の病気と害虫 : 見分け方と防ぎ方. 農山漁村文化協会, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002876094-00, 4540991523

国語表現で「将来子どもに名前をつけるとしたら」という授業をしている。いろいろな観点から資料を集めてはいるが、名づけ事典が少ないので5,6冊お借りしたい。(神奈川県学校図書館員研究会)

2019年8月20日
『男の子女の子赤ちゃんのしあわせ名前大事典 最新版』田口二州 学研プラス 2017 『世界で通じる名づけBOOK』栗原里央子監修 世界文化社 2016 『女の子の幸せ名づけ事典 最新版』阿辻哲次 黒川伊保子 ナツメ社 2011 『男の子の幸せ名づけ事典 最新版』阿辻哲次 黒川伊保子 ナツメ社 2011 『最新版 赤ちゃんの幸せ名づけ事典』ナツメ社 2011 参考資料:田口二州 著 , 田口, 二州 2世, 1945-. 男の子女の子赤ちゃんのしあわせ名前大事典 : 最新版 : 「最高の名前」が必ず見つかる!. 学研プラス, 2017. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028150190-00, 9784058007822 参考資料:栗原里央子 監修 , 栗原, 里央子. 世界で通じる名づけBOOK : 子どもにつけたい外国語由来の名前. 世界文化社, 2016. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027331916-00, 9784418164172 参考資料:阿辻哲次, 黒川伊保子 監修 , 阿辻, 哲次, 1951-. 女の子の幸せ名づけ事典 : 赤ちゃんへの最初の贈りもの 最新版. ナツメ社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011097559-00, 9784816349997(決定版 2014年刊) 参考資料:阿辻哲次, 黒川伊保子 監修 , 阿辻, 哲次, 1951-. 男の子の幸せ名づけ事典 : 赤ちゃんへの最初の贈りもの 最新版. ナツメ社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011097578-00, 9784816350009(決定版 2014年刊) 参考資料:阿辻哲次, 黒川伊保子 監修 , 阿辻, 哲次, 1951-. 赤ちゃんの幸せ名づけ事典 : 赤ちゃんへの最初の贈りもの 最新版. ナツメ社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011087132-00, 9784816350016(決定版 2013年刊)

『進歩的文化人:学者先生戦前戦後言質集』38ページに書かれている、『オール読物』に掲載された今日出海が羽仁一家をモデルとした風刺小説「狸一族」が読みたい。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
小説のタイトルは「狸一族」ではなく、「狸退治」でした。 以下の2点の資料に「狸退治」が掲載されています。 【資料1】『人間研究:小説集』今日出海/著 【資料2】『オール読物』1950年8月号 回答プロセス:自館と国立国会図書館の所蔵を検索したが、「狸一族」はヒットしなかった。 雑誌名『オール読物』キーワード「今日出海」で検索。3件ヒットしたが「狸一族」はなし。 『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録 人名編』3(R027.5/オ/3) p.314「今日出海」の項目に該当なし。 データベース「MAGAZINE PLUS」で検索。 雑誌名『オール読物』,キーワード「今日出海」で検索。「狸」がつく題の作品があった。 「狸退治」1950年8月号,p.40-59   国立国会図書館HPで「狸退治」を検索したところ、『人間研究:小説集』新潮社,1951年に収録されていることが分かった。デジタル化されているが、国会図書館限定なので確認はできなかったため、羽仁一家をモデルとした小説かは不明。 google booksで「今日出海_狸退治」を検索したところ以下の資料が見つかり、「狸退治」が羽仁一家について書かれたものという事が分かった。 『大宅壮一全集 第14巻』大宅壮一/著,蒼洋社,1980(308/オ/14) p.269「羽仁一家や五郎氏については、今日出海のモデル小説『狸退治』をはじめ~」 参考資料:【資料1】今日出海 著 , 今, 日出海, 1903-1984. 人間研究 : 小説集. 新潮社, 1951. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000876978-00, 参考資料:【資料2】狸退治. オール読物 1950年8月号 p. p.40-59,

アメリカの建国以来現在に至るまでの国防の予算、武器輸出額などの数字が知りたい。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
1.国防予算 アメリカホワイトハウス公式サイト内Historical Tables (https://www.whitehouse.gov/omb/historical-tables/)にて以下の資料が確認できます。 【資料1】PDF「Table 3.1—Outlays by Superfunction and Function: 1940–2023」の表のうち、「National Defense」で1940年以降の国防費を見ることができます。 【資料2】PDF「Table 3.2—Outlays by Function and Subfunction: 1962–2023」の表では、1962年以降になりますが、細目も見ることができます。 また、以下の資料で1789年~1970年までの国防省への歳出、1900年~1970年までの国防費を確認できます。前述の【資料1】【資料2】とは誤差があります。 【資料3】『アメリカ歴史統計 第2巻 植民地時代~1970年』アメリカ合衆国商務省/編,原書房,1986,R355/ア/2 p.1114-1115 連邦政府の歳出:1789-1970年 p.1115-1116 使途目的別にみた連邦政府の歳出:1900-1939年、1940-1970年 1789年より前のデータは見つかりませんでした。なお、【資料4】によりますと、p.22に「商務省に残される軍事支出の記録は、アメリカが独立宣言を発した1776年の建国の年から15年後、1791年からはじまる。」とあります。 【資料4】『アメリカの巨大軍需産業』広瀬隆,集英社,2001(559.0/ヒ) 2.武器輸出額 以下の資料にて1950年以降の武器輸出額を調べることができます。 【資料5】ストックホルム国際平和研究所内SIPRI arms transfers database (https://www.sipri.org/databases/armstransfers)>Generate importer/exporter TIV tables.>Step 1 Exports でUnited Statesを選択、Step2で年代を選択、Step3で仕向国別か武器別を選び、Step4でフォーマットを選んでダウンロードを押すと、選択した年代の中で年ごとに配列されます。 1950年以前のデータは発見することができませんでした。 また、【資料1】p.895 「U249-263 用途別輸出入額:1923-1970年」に国産品特別カテゴリー(軍事製品)という項目があり1925年以降1970年までの額が確認できます。p.881の解説によりますと「軍用機、エンジン、タービン、ミサイル、ロケット、軍用トラック、軍用船、兵器、および国防省により仕向国が秘密とされ分類された軍事用品を含んでいる」とあります。 さらに、「外国に対する合衆国の軍事物資販売」などについて、1970年以降2009年までは、以下の年鑑で追うことができます。 【資料6】『現代アメリカデータ総覧』 アメリカ合衆国商務省センサス局/編(R355.3/ゲ) 備考:米国大使館の広報・文化交流部であるアメリカンセンターにて、アメリカの情報に関するレファレンスサービスが専門スタッフによって行われている。 https://jp.usembassy.gov/ja/education-culture-ja/american-center-japan-ja/research-reference-ja/

動物の群れが作られる要因について書かれている本はあるか。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
【資料1】『オックスフォード動物行動学事典』(R481.7/オ) p.713「群れの形成:哺乳類」 【資料2】『生物の事典』(R460.3/セ) p.310「動物の社会」>p.314「哺乳類の社会」 【資料3】『動物の社会行動』(481.7/イ) 【資料4】『個性の生態学 動物の個性から群集へ』(481.7/カ) 【資料5】『ふしぎふしぎ動物ランド5 群れと社会』(481/フ/5・児童) 【資料6】『群れとなわばりの経済学』(481/ヒ・児童) 【資料7】『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』(361.4/フ) 参考資料:【資料1】デイヴィド・マクファーランド 編 , 木村武二 監訳 , オックスフォード動物行動学事典. どうぶつ社, 1993. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002313314-00, 4886225004 参考資料:【資料2】石原勝敏, 末光隆志総編集 , 生物の事典. 朝倉書店, 2010. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007657247-00, 9784254171402 参考資料:【資料3】伊藤嘉昭著 , 動物の社会 新版. 東海大学出版会, 2006. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000513106-00, 4486017374 参考資料:【資料4】片野修 著 , 個性の生態学 : 動物の個性から群集へ. 京都大学学術出版会, 1991. (生態学ライブラリ ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002150546-00, 4876980020 参考資料:【資料5】海野和男 [ほか]編著 , ふしぎふしぎ動物ランド 5 (群れと社会). 大日本図書, 1992. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002167232-00, 4477162243 参考資料:【資料6】日高敏隆 著 , 群となわばりの経済学. 岩波書店, 1983. (岩波グラフィックス ; 9) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001603091-00, 参考資料:【資料7】レン・フィッシャー 著 , 松浦俊輔 訳 , 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? : 群知能と意思決定の科学. 白揚社, 2012. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023809084-00, 9784826901659 備考:《追加情報》 『動物学の百科事典』日本動物学会/編,丸善出版,2018(R480.3/ド) p.556「群れと社会性」 参考文献として沓掛展之・古賀庸憲『行動生態学』共立出版,2015、デイビス.N.B.他『行動生態学』野間口眞太郎他訳,共立出版,2015、が挙げられている。(当館所蔵なし) 『社会の起源 動物における群れの意味』菊水健史/著,市川眞澄/編,共立出版,2019(481.7/キ)

内藤とうがらしについて 1.中野区と内藤とうがらしの歴史 2.江戸時代に区内のどの辺りで栽培が行われていたか 3.中野区内での内藤とうがらしに関する事業の実施状況 について知りたい。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
1.中野区と内藤とうがらしの歴史について 新宿御苑のある内藤町は江戸時代、高遠藩主内藤家の下屋敷で、その菜園から周囲に広がったのが「内藤とうがらし」でした。交通の要所として内藤新宿が都市化していくと、とうがらしの産地は甲州街道を下り中野や杉並へ移っていきます。以上のことが下記資料で説明されています。 【資料1】『東京府史 行政篇 2』東京府/編,東京府,1935(B23/D/2) p.373「蕃椒」 「豊多摩郡に於ける蕃椒の栽培は、その起源最も古く、既に旧幕時代、新宿内藤家の下屋敷で播種した為、内藤蕃椒の称がある程である。古来、大久保・落合・中野・杉並・野方の町村地方はその産出を以て名高く、古くはその実を乾燥し碾いて麁粉として薬味に販売したが、後葉蕃椒として消費さるるに至り、その用途は二者に分れた。現今は住宅地の発展と共にその栽培殆んど廃絶し、西部農村に於いて僅かに栽培するだけである」 【資料2】『江戸・東京 農業名所めぐり』JA東京中央会,2002(D41/D) p.34「内藤トウガラシとカボチャ」 「トウガラシは当時、成熟したものを漬物用や香辛料として使われたと考えられるが、新宿の都市化とともにこの付近では栽培されなくなり、新宿に続く杉並・中野区では、昭和三十~四十年ころまで栽培され、おもに葉トウガラシ用として市場に出荷されていた。」 【資料3】『情熱の!新宿内藤とうがらし~新宿名物誕生物語』成田重行/著,株式会社H14,2015(619.9/ジ) p.16 「唐辛子畑は内藤新宿から西へ西へと移動」 「内藤新宿周辺は、宅地化による農地の消滅や農業の二次化が進むなか、需要のある作物を作らなくなりましたが、その需要を受け継ぐように西の街道周辺の農家が栽培を始めたのです。」 2.江戸時代に区内のどの辺りで栽培が行われていたか 【資料4】『江戸建築叢話』大熊喜邦/著,中央公論社,1983(521.5/フ) p.83に天保十四年(1843年)「甲州道中宿村大概帳」の引用で、「此宿最寄にてとふがらしを作る尤内藤駿河守下屋敷内重にて右の分上品の由其余中野村柏木村辺にても作り一円に内藤とふがらしとて此所の名物也」とあります。 江戸時代の中野村は、おおよそ現在の東中野・中央・本町・中野あたりです。 【資料5】『中野区史 上巻』中野区/編,中野区,1943(M25/A/1) p.158「中野村は郡の東部に在り、東は神田上水を限って豊島郡柏木村に対し、西は多磨郡高円寺村に接し、南は本郷村、同新田、和田村隣り、北は新井及び上高田の二村に連り、豊島郡上落合村にも続いていた」 このほか各種史誌などを確認しましたが、中野における江戸時代のとうがらし栽培についての記載を確認できたのは、上記【資料4】のみでした。参考までに、年代は違いますが中野でのとうがらし栽培について記載のあった地域資料をご紹介いたします。 【資料6】『古老の語る沼袋・江古田の歴史』中野区沼袋地域センター/編,1988(M25/A) p.42「四 大正初期の沼袋の様子」の中で、当時沼袋周辺で作った穀類と野菜として葉トウガラシが挙げられています(p.45下段)。 【資料7】『ふる里上高田の昔語り』細井稔,加藤忠雄/共著,いなほ書房,1982(N73/A) 上高田の野菜作りについて、p.232「二月下旬頃、苗床の上に丈夫な板を渡し、茄子、きゅうり、白瓜、唐茄子、冬がん、葉とうがらし等々の種を播く」との記述があります。(「明治・大正・昭和篇」の中にあり、正確な年代は記載されていません) 【資料8】『中野区区勢総覧』中野区役所/編,1940(B32/A/40) p.723-724に食用農産物 昭和12年  p.729-730に特殊農産物(食用農産物)昭和13年 どちらにも「蕃椒」の作付面積、収穫高などあり。  3.内藤とうがらしに関する事業の実施状況 【資料9】『農といえる中野!中野・内藤とうがらし普及プロジェクトブック』中野・環境市民の会/編,2018(D44/A) NPO法人中野・環境市民の会がその取り組みをまとめたブックレットです。p.14-18では、2016年度・2017年度の中野区内での活動がまとめられています。 p.14 2016年度 p.16 2017年度 p.18 中野・内藤とうがらし栽培(育てにすと)拠点2017 また、新宿区内ではNPO法人おいしい水大使館が中心として行っている「新宿名物、復活!内藤とうがらしプロジェクト」(http://naito-togarashi.tokyo/)があります。サイト上で紹介されている取り組みやイベントは【資料3】でも紹介されています。 【資料3】『情熱の!新宿内藤とうがらし~新宿名物誕生物語』成田重行/著,株式会社H14,2015(619.9/ジ)

尖閣諸島の購入について 1.藤村修内閣官房長官の2012年9月11日の記者会見の内容が見たい。 2.尖閣諸島購入のため当時の石原都知事が寄付を募ったと思うが、その寄付金は返却されたのか知りたい。結局国有化されたため、都の寄付金は使う予定がなくなったはずである。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
1.藤村修内閣官房長官の記者会見 官房長官の定例記者会見の様子は首相官邸HP(https://www.kantei.go.jp/)で公開されています。 首相官邸トップ>記者会見>内閣官房長官記者会見>平成24年9月>平成24年9月11日(火)午前>「平成24年9月11日 尖閣諸島の購入について」 (https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201209/11_a.html) 2.尖閣諸島の寄付金 【資料1】『毎日新聞』2017年9月10日朝刊31面「尖閣寄付金14億円宙に 活用実績なく都へ返還要求160件」 “都は「基金の使用目的に寄付者への返還は入っていない」として応じていない。” 【資料2】「東京都尖閣諸島ホームページ」>「基金について」(http://www.soumu.metro.tokyo.jp/senkaku/kikin.html) [基金について]“都は、都民、国民の皆様から寄せられた東京都尖閣諸島寄附金を、尖閣諸島の所有者となった国に、島々を活用していく資金として託すため、また、寄附金を厳格に管理していくため、都の「基金」としました。” [都の対応について]“都は、この基金を国に託すため、毎年国に対して提案要求を行っています。今後は、国の動向を見極めながら、地元自治体と連携し、寄附金を寄せていただいた都民・国民の皆様の志が活かされるよう対応していきます。” 備考:その後の動き 『朝日新聞』2018年8月25日朝刊4面 「小池都知事、尖閣寄付金の国への譲渡検討」 「東京都尖閣諸島ホームページ」http://www.soumu.metro.tokyo.jp/senkaku/index.html

エレベーターガールという職業について調べたい。1日の仕事内容や作法、なぜその仕事についたのか、等。 また、そもそもエレベーターガールというのは通称なのか、正式な職業名なのか。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
1.仕事内容等について掲載されている資料 【資料1】『百貨店ガール』新村美希/著,メディアファクトリー,2009(673.8/シ) 日本橋高島屋のご案内係(受付・エレベーター運転・店内放送)の業務を紹介。案内係の1日や研修など。 【資料2】『百貨店・ショッピングセンターで働く人たち』浅野恵子/著,ぺりかん社,2015(673.8/ア)p.30「働いている人にInterview!1 店内案内」 エレベーター業務もある三越日本橋本店で店内案内業務をしている人のインタビュー。「店内案内のある1日」としてスケジュールの掲載もあり。 【資料3】「百貨店業とビルメンテナンス業における女性職域―受付案内職とエレベーター運転職の事例研究」樋谷美紀/著, 法政大学大学院,2008年(http://hdl.handle.net/10114/1743) エレベーター運転職の職務内容や技能、キャリア展開等について考察した研究論文。 【資料4】『職業ハンドブック』雇用情報センター(R366.2/シ)1986年版p.465-468「エレベーター係」、1991年版p.448-451「エレベーター係」 「どんな職業か」「労働条件の特徴」等、この職業の概略を掲載。 【資料5】『OL術』グループなごん/編,晶文社,1990(366.3/オ)p.153「エレベーター・ガールの悲劇」 自分の職場での毎日について語った本。 さらに、「国立国会図書館デジタルコレクション」(http://dl.ndl.go.jp/)にて、「エレベーターガール」で検索していただきますと、年齢、教育程度、給与、仕事に対する感想が掲載された『デパート女店員になる近道』や、エレベーターガールの1日が掲載された『婦人界55(3) 』など、古いものではありますが関連資料がいくつかヒットします。(「図書館送信限定」とある資料は、中野区立中央図書館にて閲覧が可能です。) 2.エレベーターガールの名称について  事典類や多くの書籍には「エレベーターガール」という名称が掲載されています。一方、総務省・厚生労働省の現在の職業分類では「エレベーター係」としています。 【資料6】『日本国語大辞典 第2巻 』小学館国語辞典編集部/編,小学館,2001年(R813.1/ニ/2)p.719「エレベーターガール」「エレベーターボーイ」 【資料7】『近代日本職業事典』松田良一/著,柏書房,1993年(R366.2/マ)p.43「百貨店のエレベーターの運転をする女性たちをエレベーターガールと呼んだ」 【資料8】『外来語語源辞典』堀井令以知/編,東京堂出版,1994(813.7/ガ)p.42「(和製英語)英語ではelevator operatorという。男女ともにいう。」 【資料9】「総務省 日本標準職業分類」(http://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/shokgyou/index.htm) 「サービス職業従事者」に分類。昭和35年・平成21年は「エレベーター係」、それ以外は「エレベータガール」。 【資料10】「2011年第4回改訂厚生労働省編職業分類」(http://www.jil.go.jp/institute/seika/shokugyo/index.html) 索引は「エレベーターガール」、本編では「エレベーター係」。 なお、エレベーターガールは1929年上野の松坂屋が起用したのが始まりと言われており、『読売新聞』1929年4月8日夕刊3面では「『昇降機ガール』が日本にも出来た」との見出しで、「東京にも愈々エレヴエタ・ガールが現れました」と紹介しています。 【資料11】『松坂屋百年史』松坂屋/編,松坂屋,2010年(673.8/マ)p.83「エレベーターガールの始まりも松坂屋」

警察署にある補導室とはどんなものか。写真や図もあればほしい。(中野区立中央図書館)

2019年8月20日
【資料1】『背景ビジュアル資料9 警察・病院・消防署・ハイパーレスキュー』(778.4/ハ/9)  p.29「少年補導室 徳島県小松島警察署」写真あり 【資料2】『現代用語の基礎知識 1974』(R081/ゲ/74)  p.138「少年補導室」の項あり 【資料3】「岐阜県警察」  岐阜県>岐阜県警察>岐阜県警察について>法令・資料>県警主管の規定等>通達・通知>少年課  「少年補導室の運用 (昭和44年1月13日防発第20号)」 https://www.pref.gifu.lg.jp/police/gifuken-keisatu/horei-shiryo/kitei/tsutatsu-tsuchi/shonen/  設置基準や参考図あり。 【資料4】「警視庁」  警視庁>警視庁について>情報公開ポータル>訓令・通達一覧>生活安全部  H47「警視庁少年警察活動規程」 http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/johokoukai_portal/kunrei/kunrei_seian.html 「面接の場所は、事務室等人の出入りが多く、他人の耳目に触れるおそれがある場所を避け、少年が落ち着いて話せるよう、少年補導室等の適当な場所とすること。」 参考資料:【資料1】かさこ 著 , 木村俊幸 監修 , かさこ , 木村, 俊幸. 警察・病院・消防署・ハイパーレスキュー. グラフィック社, 2010. (背景ビジュアル資料 ; 9) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010932995-00, 9784766120301

島崎藤村(しまざきとうそん)『千曲川のスケッチ』中の「一ぜんめし」という項に、「蕎麦はもとより名物だ。酒盛の後の蕎麦振舞と言えば本式の馳走に成って居る。」と登場する蕎麦振舞(そばふるまい)とはどのようなものか。岩手県のわんこそばのルーツとして「そば振舞」というものがあるが、同じように半ば強制的にお代わりを勧める食べ方なのか。(県立長野図書館)

2019年8月20日
・『そば事典 味覚選書』 植原路郎著 柴田書店 1975 【596/196】 p.31、108 ※【】内は県立長野図書館の請求記号  蕎麦振舞:秋の収穫が終わってからの骨休めである。最初に酒が少々出ることを「そば前」という。そばを味わう集まりだから、そばが運ばれてきたら、酒盃は遠慮する。「中割」といって、そばの途中で酒が出ることもある。最後に出るお酒を「箸洗い」という。酒盛りではないから、酒はほどほどにすべきもの。酒の肴にも蕎麦の香を損なうようなつまみ物や料理は出さない。ただし鯉だけは使うことがある。  縁者呼び:北陸地方で正月に行う「蕎麦振舞」で、この時は「どうぞ、どうぞ」と止めどなくサービスする。呼んだ方にはこのようにするのがサービスであるいう風習が残っている。  このように「蕎麦振舞」とは、催しの一つとされているようだ。ただし、北陸地方や能登では「縁者呼び」といわれ、岩手県のわんこそばのルーツと同じような意味となる。 ・『蕎麦辞典』 植原路郎著 東京堂出版 2002 【596.3/ウロ】 p.43、44、142  蕎麦振舞:この催しは蕎麦処では、どこでも行われるが、信州、上越、能登などでは、特色ある催しとされている。 ・『蕎麦の事典』 新島繁著 柴田書店 1999 【383.8/ニシ】 p.132  蕎麦振舞:蕎麦処でみられる風習で一部では「縁者呼び」と言われている。 章の一部で「蕎麦振舞」について記載があった資料 ・『そば・風味風習』 植原路郎著 ダヴィッド社 1957 【383/38】 p.126 ・『そば物語』 植原路郎著 井上書房 1959 【596/39】 p.73 調査済み資料 ・『物語・信州そば事典』 中田敬三著 郷土出版 1998 【N596/74】 ・『蕎麦史考』 新島繁著 錦正社 1975 【383.8/ニシ】 ・『そば風土記』 植原路郎著 毎日新聞社 1974 【596/182】 ・『蕎麦談義』 植原路郎著 東京堂出版 1973 【596/163】 ・『長野県史 民俗編 第1巻(1)東信地方 日々の生活』 長野県編 長野県史刊行会 1986 【N209/11-3/1-1ア】 ・『長野県史 民俗編 第4巻(1)北信地方 日々の生活』 長野県編 長野県史刊行会 1984 【N209/11-3/4-1ア】 ・『小諸市誌 歴史篇1』 小諸市誌編纂委員会編 小諸市教育委員会 1979 【N222/43/2-1】 ・『小諸市誌 歴史篇2』 小諸市誌編纂委員会編 小諸市教育委員会 1984 【N222/43/2-2】 ・『小諸市誌 歴史篇3 近世史』 小諸市誌編纂委員会編 小諸市教育委員会 1991 【N222/43/2-3】 ・『小諸市誌 近現代篇』 小諸市誌編纂委員会編 小諸市教育委員会 2003 【N222/43/4】 回答プロセス:1 当館の検索システムで「蕎麦振舞」、「そば ふるまい」と検索するがヒットしない。 2 郷土資料の5類(596:食品)の資料を見たが、「蕎麦振舞」に関する資料は見つからなかった。 3 『長野県史』、『小諸市誌』を見たが、「蕎麦振舞」に関する記載は見つからなかった。 4 当館の検索システムで「そば 歴史」と検索すると、『そば事典』が見つかり、「蕎麦振舞」に関する記載が確認できた。「蕎麦振舞」は上越や長野では催しの一つとされていることがわかったため、詳しい内容も含めて回答した。 5 4の手順で見つかった『蕎麦の事典』に「蕎麦振舞」は一部の地域で「縁者呼び」ともいわれることがわかった。「蕎麦振舞」と合わせて回答した。 6 前記の『そば事典』、『蕎麦の事典』の著者が植原路郎であるため、当館の検索システムで「植原路郎」で検索して、「蕎麦振舞」に関する記載が見つかったので、合わせて回答した。 参考資料:植原路郎著 , 植原, 路郎. そば事典. 柴田書店, 1975. (味覚選書,) 【596/196】 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008144923-00, 参考資料:植原路郎 著 , 植原, 路郎, 1894-1983. 蕎麦辞典 改訂新版. 東京堂出版, 2002. 【596.3/ウロ】 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003662889-00, 4490106041 参考資料:新島繁 編著 , 新島, 繁, 1920-2001. 蕎麦の事典. 柴田書店, 1999. 【383.8/ニシ】 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002839404-00, 4388058521 参考資料:植原路郎 著 , 植原, 路郎, 1894-1983. そば : 風味・風習. ダヴィッド社, 1957. 【383/38】 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000973797-00, 参考資料:植原路郎 著 , 植原, 路郎, 1894-1983. そば物語. 井上書房, 1959. 【596/39】 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000998953-00,

戦前、沖縄本島南部にカラスは生息していたか。(沖縄県立図書館)

2019年8月20日
以下の資料①、②より南部には古くからカラスがいたと考えられる。また、③、④、⑤より古典文学にも登場していることがわかる(ただし、⑤大川敵討の記述は詩的表現である)。⑥より時代や地域の特定はできないものの、豚舎にも出入りしていたことがわかる。 ① 『南島考古 第28号』(沖縄考古学会/[編] 沖縄考古学会 2009.5) pp.1-17「港川フィッシャー遺跡について」(小田静夫/著) p.9-10「7.動物化石」のp10「②具志頭村教育委員会の調査」で「出土した脊椎動物化石は…鳥類ではハシブトガラス…」と記載されている。 ② 『中部・南部琉球の上部更新統産鳥類化石群, 及びその現世鳥類相に対する意義』(松岡廣繁/著 1999) p325に「今日中部琉球と宮古に分布するリュウキュウハシブトガラスと…化石群中に共存するので…」と記載されている。 ③ 『沖縄古語大辞典』(沖縄古語大辞典編集委員会/編 角川学芸出版,角川グループパブリッシング(発売),デジタルパブリッシングサービス(印刷・製本) 2011.9) p217に「がらす」という項目でカラスについての説明が記載されている。 ④ 『南島歌謡大成 沖縄篇 上 Ⅰ』(外間 守善/編,玉城 政美/編 角川書店 1980.4) p143「139 マーダニ祈願のお崇べ(東村平良)」の中に「からしん うしぬきて(鴉も押し退けて)」と記載されている(東村の事例)。 ⑤ 『校註琉球戯曲集』(伊波 普猷/編著 復刻版 榕樹社 1992.11) pp.303-452「大川敵討」の中、p377に「いや、烏(がらす)よも女(ゐなご)。」と記載されている。 ⑥ 『沖縄の豚と山羊 -生活の中から-』(島袋 正敏/著 ひるぎ社 1989.1) p60に「開放的な豚舎は、ガラサー(リュウキュウハシブトガラス)が餌を求めて常に出入りする。」と記載されている。 参考資料:南島考古 第28号, (p.1-17) 参考資料:沖縄古語大辞典, 4-04-622821-5(p.217) 参考資料:南島歌謡大成 Ⅰ, (p.143) 参考資料:校註琉球戯曲集, (p.303-452) 参考資料:沖縄の豚と山羊, (p.60) 参考資料:沖縄大百科事典 下 ナ?ン, (p213 ハシブトガラス)

那覇市の与儀公園で田中角栄が「日本列島改造論」について演説した年月日が知りたい。(沖縄県立図書館)

2019年8月20日
以下の資料より、田中角栄が与儀公園において演説した年月日は「1974(昭和49)年6月14日」であることがわかった。 ① 『戦後六十年沖縄の政情 自由民主党沖縄県連史』(自由民主党沖縄県連史編纂委員会/編集 自由民主党沖縄県支部連合会 2005.12) p292-293に「一九七四年六月十四日、復帰後初めての参院選通常選挙が公示された。…午後二時から与儀公園で、田中角栄総裁を迎えて行われる総決起大会に臨んだ」と記載されている。 ② 『沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1974年6月』([沖縄県立図書館] [2011.3]) 昭和49年(1974年)6月14日付 朝刊 1面に「田中首相 きょう来沖」の記事がある。また、11面には「阻止 歓迎 あわただしい動き 田中総裁の来沖控え」の記事があり、総理訪問時の行動計画などが書かれている。 昭和49年(1974年)6月14日付 夕刊 1面に「わずか二時間滞在 田中首相選挙遊説で来沖」の記事がある。 昭和49年(1974年)6月15日付 朝刊 1面に「田中首相の来沖が起爆剤」」の記事がある。また、10面から11面にかけて「歓迎、講義の渦の中 滞在2時間の田中首相」の記事がある。 ③ 『琉球新報[マイクロフィルム複製本] 1974年6月』([沖縄県立図書館] 444p) 昭和49年(1974年)6月14日付 朝刊 1面に「田中首相きょう来沖」の記事がある。また、11面には「二転三転 やっぱりヘリ 首相のコース」の記事があり、演説会場である与儀公園までの移動予定図が掲載されている。 昭和49年(1974年)6月14日付 夕刊 1面に「田中総裁沖縄入り」の記事がある。 昭和49年(1974年)6月15日付 朝刊 1面に「参院選対決機運盛り上がる」の記事があり、「田中総裁を迎え、1万5千人が参加して開かれた自民党の尚詮個人演説会」の写真が掲載されている。また、11面には「田中首相、沖縄をかけ抜ける」の記事がある。 参考資料:戦後六十年沖縄の政情, 4-9902806-0-1(p292-293) 参考資料:沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1974年6月, (昭和49年(1974年)6月14日付 朝刊・夕刊、昭和49年(1974年)6月15日付 朝刊) 参考資料:琉球新報[マイクロフィルム複製本] 1974年6月, (昭和49年(1974年)6月14日付 朝刊・夕刊、昭和49年(1974年)6月15日付 朝刊)

伊藤博文が来県した時の状況が分かる資料が見たい。(沖縄県立図書館)

2019年8月20日
【回答資料】 ① 『近代の洋画家、創作の眼差し』 (宮内庁三の丸尚蔵館∥編、宮内庁、2010.10) p36-39 「山本芳翠の九州・沖縄連作画について」の項目で、p36 「明治二十年、国内外の情勢の変化に憂慮し海防設備の必要性を説いた内閣総理大臣の伊藤博文に対し、十一月に明治天皇より沖縄、鹿児島、長崎、広島四県の巡視が命ぜられた。この巡視の目的は、各地の沿海防備の状況を見て、その施設を研究することであった。巡視には、伊藤の他に、陸軍大臣大山巌、海軍参謀本次長仁礼景範、侍従の東園基愛が加わり、また熊本・鹿児島両県への差遣の勅命を受けた侍従米田虎雄が同乗した。また巡視先の様子を記録する必要から写真家も同行したと推察される。…さて、伊藤率いる巡視隊は、十一月八日に横浜を軍艦六隻で出発した。…二十一日に沖縄に到着した。」の記述がある。 ② 『琉球新報 第23巻(1955年3月・4月)』 (東京 不二出版、2006.4) 4月12日 3面 博文公と来島した山本芳翠画伯に関する記事の中で、「国内情勢に憂慮した伊藤博文公が一時遠ざかるため沖縄旅行を計画」。「沖縄の実情を明治天皇に知らすために随行させた親友の山本芳翠に沖縄の風景、風俗人物など20余点を描かせ・・・」とある。 ③  『伊藤博文傳 中巻』 (春畝公追頌会∥著、春畝公追頌会、1940.10) p516-517 「十一月十一日、公は沖縄、鹿児島、広島四県巡視の命を拝し、八日、陸軍大臣大山巌、海軍参謀本次長仁礼景範、…」の記述がある。 p517 琉球に滞在した時に詠んだ漢詩がある。 ④  『歴代総理大臣伝記叢書 1 伊藤博文』 (御厨/貴∥監修、ゆまに書房、2005.7) p274-275 出発の様子の記述がある。 ⑤  『明治・大正・昭和 沖縄の世相史』 (山城 善三∥著、沖縄文教出版、1969.8) p69-70 「現職大臣の沖縄訪問(明二〇 調)」の項目がある。 ⑥  『沖縄縣史 第1巻 通史』 (沖縄県教育委員会∥編、国書刊行会、1989.10) 年表 明治20年11月21日に「伊藤総理大臣・大山陸軍大臣・仁礼海軍大臣ら、軍事視察のため来県する。」の記述がある。 【参考資料】 ① 『福原実日記[複写]』 (福原 実∥[著]、[名嘉氏]、[1978.11]) → 明治21年1月-8月までの日記のため該当しない。 ②  『南島史学 第12号』 (南島史学会∥編、南島史学会、1978.6) p32 「日誌は明治二十一年一月一日より九月四日までの分が現存している」とある。 【インターネットの情報(2019.07.30現在)】 06/08: 琉文21>琉球誌③ http://ryubun21.net/index.php?itemid=12966#more → 「1887年(中略)11月に伊藤博文総理大臣、大山巌①陸軍大臣が軍艦で画家の山本芳翠、漢詩人の森槐南を同行して来沖した。」とある。 参考資料:近代の洋画家、創作の眼差し 宮内庁三の丸尚蔵館/編 三の丸尚蔵館展覧会図録 宮内庁 2010.10, (p36-39) 参考資料:琉球新報 縮刷版 平成7[1995]年5月 琉球企画(発売) 1995.6, (4月12日 3面) 参考資料:伊藤博文傳 中巻 春畝公追頌会/著 春畝公追頌会 1940.10, (p516-517) 参考資料:歴代総理大臣伝記叢書 1 御厨 貴/監修 ゆまに書房 2005.7, 4-8433-1779-9(p274-275) 参考資料:明治・大正・昭和 沖縄の世相史 山城 善三/著 沖縄文教出版 1969.8, (p69-70) 参考資料:沖縄縣史 第1巻 通史 沖縄県教育委員会/編 国書刊行会 1989.10, (年表) 参考資料:福原実日記[複写] 福原 実/[著] [名嘉氏] [1978.11], 参考資料:南島史学 第12号 南島史学会/編 南島史学会 1978.6, (p32)

沖縄での捕鯨および鯨肉を食べていたことについて知りたい。(沖縄県立図書館)

2019年8月20日
沖縄における捕鯨および鯨肉の消費については、小型鯨類(イルカ、ゴンドウクジラなど)と大型鯨類(ザトウクジラなど)で状況が異なる。 1.  小型鯨類の捕鯨は、沖縄県内各地での始まりは明確ではない。小規模の手投げ銛による捕鯨はかなり昔から行われていたようだ(資料①)。名護市のイルカ漁(イルカと呼ばれているが、実際には殆どがゴンドウクジラだった。(資料①③))は有名だが、多数の船による追い込み漁は、明治以降に行われた(資料③)。明治以前のイルカ漁については、確実な記録は得られていない(資料③)。  捕鯨が行われていたことから、鯨肉も琉球王府時代から食べられていたようだ(資料①③)。資料③によると、琉球王府時代の資料「間切公事帳」の「大魚」はイルカを指している可能性が高く、イルカが食の対象と考えられていたことは確実なようだ。明治以降、イルカ肉を炒めたりソーキ汁、また保存食として塩漬けなどにして消費した(資料③)。 2.  大型鯨類の捕鯨は、沖縄県では戦後名護町から始まった(資料①と②では、1950年、資料④では1952年の記述がある)。戦後の食糧不足の時代だったため、捕鯨が盛んになったようだ。本部村、与那城村でも捕鯨が行われたが、1956年に米国民政府によって国際捕鯨法に従うように指導されて頓挫した(資料④)。それ以降は、名護漁業共同組合、琉球食品株式会社(糸満町)、海洋水産株式会社(佐敷村)で、捕鯨が行われた。  捕鯨のピーク時には、年間290頭が捕獲された(資料①②)。統計資料によると、鯨肉の輸出も盛んに行われた(資料⑤~⑦)。しかし、鯨が激減したため、1963年には年間でマッコウクジラ1頭のみだった(資料①②)。1965年の国際捕鯨委員会による北太平洋のザトウクジラの捕獲禁止、1966年の琉球政府による沖縄海域での捕獲禁止が決定したため、沖縄での捕鯨は終了した(資料②)。  戦後の食糧不足の時代には、鯨類を食べる習慣がなかった地域にも、鯨肉が広がった(資料①)。糸満町の琉球食品株式会社では、鯨肉の缶詰も生産されて島内で販売された(資料④)。沖縄での捕鯨が終了した後は、統計資料より、鯨肉の缶詰の輸入が行われたことが分かる(資料⑦)。 ① 『あじまあ 4号 名護博物館紀要』(名護博物館∥編・刊、1988.3) p15-54 「名護の捕鯨-名護における捕鯨の起りとその変遷- 宮里尚」の論文がある。 p16 「沖縄県名護市(旧名護町)では、明治以前からヒートゥ漁(ピトゥ:コビレゴンドウクジラを中心とするイルカ狩り)が行なわれ、ゴンドウクジラ捕獲はこの地域の人々の経済と食生活をうるおしてきた。」の記述がある。 p21-25 「名護捕鯨の歩み」の項目で、1950年から1963年までの県内の捕鯨について記述がある。 p21 「名護や沖縄各地における捕鯨の始まりは決して明確ではない。恐らく、かなり古い時代から各地の沿岸で原始的な手投げ銛などによる小型捕鯨は行なわれていたと考えられる。(中略)その当時捕鯨(ザトウクジラ)に携わった人々からの聞き取り調査によると、名護漁民の捕鯨は、1950年(昭和25年)本町[名護町]船籍第三廣泉丸乗組員により沖縄県の北方に位置する伊是名島の仲田沿岸で、捕獲したのが始まりであったという。」の記述がある。 p 51-53 「鯨肉の消費変遷」の項目で、戦後の鯨肉の普及する様子の記述がある。 p 52 「当時、冷蔵施設が乏しかったため解剖された鯨肉は、すぐ町公設市場(精肉店)や個人の精肉店への出荷が主であった。…しかし、巨大な鯨を見たことも、食用に用いたこともなかった地域での販売に四苦八苦して、時には地域住民の理解を求めるために各路地の広場を利用して、水炊きをおこない試食させながらの商いであったという。…その結果、極めて町内広く大衆に好まれ、これから近村へ次いで都市へと次第に普及していった。」の記述がある。 p 53 「1958年には島内消費は拡大され鯨肉生産報告書から見ると、年間250トン余も食用として消費され、食生活向上に大きな役割を果している。また町内外の精肉店においても畜肉より鯨肉がずらりと並べられ活気を示して販売されていたという。」の記述がある。 ② 『名護市史 本編9 自然の文化誌』(名護市史編さん委員会∥編、名護市役所、2001.3) p106-114 「名護の捕鯨」の項目がある。 p108 「・・・一九五〇年、底魚一本釣船、第三廣泉丸(十五トン・焼玉機関・六十馬力)は、伊是名島の中田沿岸付近の漁場を探索中に親子のザトウクジラを発見した。」と記述があり、その際子クジラを捕獲したことが名護の捕鯨の始まりであるとの記述がある。 p112-113 「沖縄捕鯨年次捕獲状況」の表(p112)と鯨資源の枯渇についての記述(p113)がある。 p113 国際的な要因(ザトウクジラの捕獲禁止)による捕鯨の終了についての記述がある。 ③ 『イルカと日本人』(中村/羊一郎?著、吉川弘文館、2017.2) p109-128 「近代から始まった祝祭的イルカ漁-沖縄県名護湾-」の項目がある。 p112-113 「沖縄におけるイルカ漁の最も古い記録であり、成立は明治二十二年(一八八九)であるが、本文中に明治二十年に八〇頭を捕獲したとあることから、少なくとも明治中期には多数のイルカを対象とした追い込みが行われていたことがわかる。…この記録以前には、イルカ漁に関する確実な記録は知られていない。…王府の高貴な食べ物としてはザンすなわちジュゴンが珍重されてきたことは名高いが、イルカが供されていたという記録は管見には入っていない。…「間切公事帳」の大魚がイルカをさしている可能性は高く、イルカが食の対象と考えられていたことは明らかである。ただし、銛などによる個別漁はあったろうが、積極的に追い込み漁を行なっていた可能性は低く、その開始は、あいまいな伝承を除けば明治以前にさかのぼることはないとみてよい。」の記述がある。 p116 「捕獲されるイルカの大部分はコビレゴンドウである…」の記述がある。 p122-123 イルカ肉の調理法についての記述がある。 ④ 『月刊沖縄経済 5号』(沖縄経済振興センター//編・刊、1982.4) p157-159 「一九五〇年代 沖縄の捕鯨業」の記事がある。 p157 「琉球で初めて行われたのは戦後であるが、一九五二年に名護漁協が一八屯の漁船で、而も手銛で座頭鯨を一頭仕止めたのに始まる。」の記述がある。 p157-158 県内の捕鯨会社の変遷についての記述がある。 p158 「現在、琉球食品KKに於ては、鯨肉の缶詰も製造され専ら島内に販売されている。」の記述がある。 → 名護町、本部村、与那城村で捕鯨が行なわれたが、1956年に米国民政府によって国際捕鯨法に従うように指導され、本部村と与那城村の捕鯨は頓挫。 ⑤ 『琉球水産業の概況 1962年』(琉球政府経済局水産課∥編・刊、1963.7) p16 「主要魚種漁獲指数の推移」で、1955年から1962年まで、鯨の指数が記述されている。 p20 「1962年製造加工品生産高」で、鯨油およびその他鯨加工品に生産高が記述されている。 p27 「1962年魚種別漁獲高」で、1~3、12月に鯨の漁獲高が記述されている。 p34 「業態別漁獲高」で、1~3月に捕鯨漁業の漁獲高が記述されている。 p43 「市町村別魚種別漁獲高」で、名護町、那覇市、平良市に漁獲高が記述されている。 p47-49 「鮮魚卸売市場魚種別取扱高」で、1~3、12月に鯨の取扱高が記述されている。 p50 「年度別会社別捕鯨業状況」で、1958年から1962年の捕獲高および輸出高などが記述されている。 → 県内の捕鯨会社は、各年2~3社のみ。 ⑥ 『琉球の水産業 1966年』(琉球政府農林局∥編・刊、[1967.6序]) p6 「主要魚種別年次別漁獲高の推移」で、1957年から1963年まで、鯨の指数が記述されている。 p195-196 「水産物輸出高の推移」で、1957年から1962年に、鯨肉および鯨脂の輸出高が記述されている。 ⑦ 『琉球の水産業 1967年』(琉球政府農林局水産部漁政課∥編、琉球政府農林局、1968.6) p292-315 「水産物の月別輸出入高」で、気密缶入り鯨肉の輸入高が記述されている。 参考資料:あじまあ 4号 名護博物館/編 名護博物館 1988.3, (p15-54) 参考資料:名護市史 本編9 名護市史編さん委員会/編 名護市役所 2001.3, (p106-114) 参考資料:イルカと日本人 中村 羊一郎/著 吉川弘文館 2017.2, 4-642-08305-8(p109-128) 参考資料:月刊沖縄経済 5号 沖縄経済振興センター 沖縄経済振興センター 1982.4, (p157-159) 参考資料:琉球水産業の概況 1962年 琉球政府経済局水産課/編 琉球政府経済局水産課 1963.7, (p16,20,27,34,43,47-50) 参考資料:琉球の水産業 1966年 琉球政府農林局/[編] 琉球政府農林局 [1967.6序], (p6,195-196) 参考資料:琉球の水産業 1967年 [琉球政府]農林局水産部漁政課/編 琉球政府 1968.6, (p292-315)

昭和31年ごろのバスの運賃(安慶名から糸満近辺まで)について知りたい。(沖縄県立図書館)

2019年8月20日
池原(安慶名)~糸満間の1951(昭和31)年ごろのバス料金について、以下の資料より53B円程度ではないかと考えられる。また、この2地点を直接結ぶ路線は当時存在しない。 ① 『沖縄バス株式会社30周年記念誌 あゆみ』(沖縄バス [1981]) p9に「当時のバス運賃」(昭和25年)の項目があり、その中で「那覇~屋ケ名間 25B円(約64日円) 那覇~糸満間 28B円(約70日円)」と記載されている。 p41に「運行系統表(創立一年後)昭和26年3月31日現在」の表があり、以下ように記載されている。 4 与勝線 起点:那覇 首里~普天間~コザ~安ゲ名~南風原~平安名 終点:屋ケ名 9 島尻一周線 起点:那覇 首里~糸満~米須~具志頭~百名~知念~佐敷 終点:那覇 14 金武湾線 起点:那覇 首里~普天間~胡屋~コザ~安ゲ名 終点:金武湾 18 宜野湾線 起点:那覇 国場~与那原~コザ~安ゲ名~石川 終点:宜野座 ② 『沖縄自動車ものがたり』(「沖縄自動車ものがたり」刊行委員会、沖縄トヨタ自動車、 2002) p40-45に戦後のバスについての沿革が記載されており、p41の関連年表に「1950年3月、公営バス廃止。民営バスへ引継がれる。」と記載されている。 ③ 『沖縄事始め・世相史事典』(山城 善三/編著,佐久田 繁/編著 2013.4) p622に「バス民営に。那覇-名護間三十八円」の見出しがあり、その中で「市外線を受け持った沖縄バスの当時の運賃は那覇-名護(西回り)三十八B円(九八日円換算)、那覇-読谷二十二B円(五五円)、那覇-石川二十四B円(六一円)、那覇-糸満十B円(二四円)、那覇-佐敷十二B円(三一円)、本部一周(名ゴ基点)二十八B円(七〇円)、島尻一周三十八B円(九八円)。」と記載されている。 参考資料:沖縄バス株式会社30周年記念誌, (p9、p41) 参考資料:バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表, (p40-45) 参考資料:沖縄事始め・世相史事典, 4-284-50319-8(p622)

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