レファレンス協同データベース新着事例

常磐銀行本店(後・常陽銀行本店) 大正11年竣工 五十銀行本店(後・常陽銀行土浦銀行) 大正10年竣工・煉瓦造 上記の2行について, (1) 平面図,立面図があるか。 (2) 建物の「間口,高さ」は分かるか。(茨城県立図書館)

ご依頼の件について調査しましたが,残念ながら平面図・立面図等の図面は見つかりませんでした。したがって,建物の間口,高さも分かりませんでした。念のため,『常陽銀行七十年史』を編集した常陽史料館にも確認してみましたが,平面図・立面図はないとのことでした。 お役に立つかわかりませんが,写真・スケッチ等はいくつか見つかりましたので,参考までご案内します。 1 写真・スケッチ等があった資料 ・『解散記念』(五十銀行輔仁会,1935)…各支店職員の記念写真集でした。 図版1枚目 本店写真 図版4,5枚目 本部・本店営業部職員写真 本店玄関にて撮影したようです。 ・『創立二十周年記念写真帳』(常陽銀行,1955) 図版1枚目 本店写真 部分 ・『常陽銀行七十年史』(常陽史料館年史編纂チーム/編,常陽銀行,2006) p.13 「創設当時の本店」 ・『三十年のあゆみ』(記念誌発刊委員会/編,常陽銀行従業員組合,1978) 巻頭図版「目でみる組合の活動」 「赤レンガの旧土浦支店」写真あり ・『常陽藝文 1995年07月01日号』「芸文風土記:茨城に四つの国立銀行が誕生 土浦、水戸、古河」(常陽藝文センター,1995) p.5 「昭和時代初期の常磐銀行本店(昭和3年発行「イハラキ時事」より)」 「昭和時代初期の五十銀行本店(「五十銀行解散記念」)より」 ・『茨城県における銀行合併の特色』(金沢 忠夫/著,近代セールス社,1988) p.19 「常陽銀行旧本店(大正11年1月常磐銀行本店として設立)」 ・『亀山さんの憶い出』(常陽銀行人事部/〔編〕,常陽銀行人事部,1974) p.16-17間の図版 常陽銀行本店 部分     ※亀山甚 常磐銀行・常陽銀行初代頭取 ・『三宅亮一語集』(三宅 亮一/〔話〕・常陽銀行総務部/編,常陽銀行総務部,1976) p.7 「旧本店」  p.276 スケッチ画     ※三宅亮一 大正11年常磐銀行支配人→昭和4年取締役 ・『茨城県の昭和史 上巻』(奥村 芳太郎/編,毎日新聞社,1984) p.183 常陽銀行本店 部分(昭和24年) 建物の構造は同じように見えます。 既に確認済ですのでご存知かもしれませんが, ・『常陽銀行二十年史』(常陽銀行,1955) 図版「当行の機械化」 タイトルの背景に建物画あり。 図版「本店沿革略誌」 写真あり 図版「土浦支店」 土浦支店写真 部分 2 その他調査した資料 ×『茨城の明治百年』(当館資料番号:001052806187) ×『建築画報 192』「特集・茨城県の建築」(当館資料番号:001052673231) ×『茨城の建築探訪』(当館資料番号:001053424444) ×『茨城の近代建築』(当館資料番号:001054169337) ×『東茨城郡誌 下巻』(当館資料番号:001051983672) ×『土浦市史』(当館資料番号:001052633904) ×『水戸市史 下巻2』(当館資料番号:001052394531) ×『亀山甚遺稿』(当館資料番号:001052531876) ×『銀行と共に六十年』(当館資料番号:001052928775) ×『水戸の昭和史 図説編』(当館資料番号:001052386883) ×『水戸 市制80年写真集』(当館資料番号:001052928056) ×『茨城人国譜 その1 金融・商業編』(当館資料番号:001052437199) 回答プロセス:(1) 常陽銀行,常磐銀行,五十銀行を全項目検索し,内容を確認 (2) 金融機関の歴史についての図書を確認 (3) 関係する市町村史を確認 (4) 県内建築に関する図書を確認 (5) 『常陽銀行七十年史』を編集した常陽史料館に照会 → 平面図・立面図ともなし 事前調査事項:(1) 写真集等 ・『水戸商工案内』 T11 ・『写真集明治大正昭和 水戸』 ・『写真集明治大正昭和 土浦』 ・『常陽銀行二十年史』 ・『水戸のいまむかし』 ・『常陽文庫 1995.7月号』 ・『土浦商工会誌』 土浦商工会 1932 ・『むかしの写真土浦』 ・『図説土浦・石岡・つくばの歴史』 (2) 建築関係 ・『図面でみる都市建築の明治』,『〃大正』,『〃昭和』 柏書房 ・『日本の建築 明治・大正・昭和』 1~10 三省堂 ほか ・明治・大正・昭和に出版された雑誌 「建築雑誌」,「建築世界」,「建築画報」 参考資料:解散記念五十銀行輔仁会/編五十銀行輔仁会, 参考資料:創立二十周年記念写真帳常陽銀行, 参考資料:常陽銀行七十年史常陽史料館年史編纂チーム/編常陽銀行, 参考資料:三十年のあゆみ記念誌発刊委員会/編常陽銀行従業員組合, 参考資料:常陽藝文常陽藝文センター 1995年07月01日号, 参考資料:茨城県における銀行合併の特色金沢 忠夫/著近代セールス社, 参考資料:亀山さんの憶い出常陽銀行人事部/〔編〕常陽銀行人事部, 参考資料:三宅亮一語集三宅 亮一(1891~)/〔話〕常陽銀行総務部, 参考資料:茨城県の昭和史上巻奥村 芳太郎/編毎日新聞社, 参考資料:常陽銀行二十年史常陽銀行,

「潮来町史」426頁 下段13行目に、井村武達「小宮山楓軒・久保木清淵と延方鄕校」という出典が記されているが、 これが論文なのか、本なのか知りたい。(茨城県立図書館)

「小宮山楓軒・久保木清淵と延方郷校」は,図書である。なお,出版者は「井村先生を囲む会」,出版年は昭和53年(1978年)である。 回答プロセス:1.「小宮山楓軒・久保木清淵と延方鄕校」が茨城県立歴史館において所蔵していることをホームページ上の検索画面より確認。 2.茨城県立歴史館へ電話し,その資料が本であることを確認。 照会先:一般図書茨城県立歴史館

山川出版社『佐賀県の歴史』P.169の1~3行目記載の文章,「父直能と同じく元武も、親子のように年齢の離れた光圀と親交があった。茨城県立図書館蔵の鍋島元武宛徳川光圀書簡(五四通)によると、元武は光圀の酒飲み友だちであり、茶屋遊び・能の鑑賞・千寿会の同志として親しかったことがわかる。」について,原本の複写もしくは更に詳説されている書籍があるか知りたい。(茨城県立図書館)

 鍋島元武宛徳川光圀書簡については,〔徳川光圀書翰集〕のタイトルで,茨城県立図書館デジタルライブラリーにて画像を公開していますのでこちらをご覧ください。 http://www.lib.pref.ibaraki.jp/guide/shiryou/digital_lib/valuable_m/001051356176/Bibliography.html [最終アクセス 2017/04/12]  なお,こちらの資料を翻刻した図書として『水戸義公(小城・鍋島侯あて)烈公(土浦・土屋侯あて)書翰集』があります。 回答プロセス:(1) 当館デジタルライブラリーの確認 → 翻刻はなし。 (2) 『水戸義公(小城・鍋島侯あて)烈公(土浦・土屋侯あて)書翰集』を確認 →茶屋遊び等の記述について伊藤修氏の解題でも取り上げられている。 参考資料:水戸義公(小城・鍋島侯あて)烈公(土浦・土屋侯あて)書翰集茨城県立図書館/編集茨城県立図書館,

 湯浅四郎氏の生没年や経歴等を知りたい。(茨城県立図書館)

『郷土文化』第4号,第5号の執筆者紹介に,現職・住所・主な業績が掲載されていました。 また, 『全国図書館案内 下』によりますと,名古屋市鶴舞中央図書館に,湯浅四郎氏旧蔵資料からなる湯浅コレクションがあり,同館発行の『湯浅コレクション展示目録』があるとのことですので,まだでしたらそちらにもお問い合わせになってはいかがでしょうか。 回答プロセス:1 当館所蔵資料から調査 (1) 著者検索より ・『郷土文化 第4号』(茨城県郷土文化研究会/編,茨城県郷土文化研究会,1963)  「茨城の芸豪」という文章が掲載されており,巻末の執筆者紹介(p.110)では, -----    〔現職〕〔現住所(電話)〕のほか〔主な業績〕として東洋古美術、茶道古器玩、各種文献資料の蒐集と研究、蒐集の一部を学校、図書館、博物館其他の公共施設に寄贈 ----- と,紹介されています。 ・『郷土文化 第5号』(茨城県郷土文化研究会/編,茨城県郷土文化研究会,1964)  「貴重な古文献資料」という文章が掲載されており,巻末の執筆者紹介(p.161)では, ----- 〔現職〕〔現住所(電話)〕のほか〔主な業績〕として藤紫楼叢書一、二、三号(私版)その他古美術文献、資料の蒐集研究に関する私見随筆など。 ----- と,紹介されています。 (2) 書名検索より ・『湯浅四郎氏寄贈郷土絵葉書』等71点ほど湯浅氏から寄贈されている資料がありますが,特殊コレクション扱いをしていないため,詳細は不明です。 2 特殊コレクションの目録等から (1) 『全国特殊コレクション要覧 改訂版』(国立国会図書館参考書誌部/編集,国立国会図書館,1977) p.123 名古屋市立鶴舞中央図書館のコレクションに湯浅コレクションが掲載されています。 ----- 湯浅コレクション 〔内容〕江戸~明治の郷土関係資料 和書45部書画334点絵葉書29点陶器100点その他54点 〔注〕①〔収集・旧蔵書およびその略歴〕 湯浅四郎 郷土研究家 ----- (2) 『全国図書館案内 下』(書誌研究懇話会/編,三一書房,1990) p.122 上記同様名古屋市立鶴舞中央図書館のコレクションの一つとして湯浅コレクションが掲載されています。 ----- 〔湯浅コレクション〕 郷土史家・湯浅四郎旧蔵の江戸時代から明治期にかけての郷土関係書四五冊、書画、絵葉書三六三点、陶器百点、その他五四点を、昭和二十七年に寄贈されたものである。内容は、『湯浅コレクション展示目録』に詳しい。閲覧・複写可。貸出不可。 ----- 参考資料:郷土文化創刊号~第5号茨城県郷土文化研究会/編茨城県郷土文化研究会, 参考資料:全国特殊コレクション要覧国立国会図書館参考書誌部/編集国立国会図書館, 参考資料:全国図書館案内下書誌研究懇話会/編三一書房,

『茨城県工業技術センター研究報告第26号』掲載の「粒状培土」と,茨城県農業総合センター園芸研究所の研究成果「培地バック技術を導入した高糖度トマト生産方法」掲載の「粒状セラミックス」は同じものか。(茨城県立図書館)

茨城県立陶芸大学校(旧・窯業指導所)に確認したところ,同じものだとのことでした。 回答プロセス:(1) 質問に出てくる資料から確認→調査 ・園芸研究所研究成果「培地バッグ技術を導入した高糖度トマト生産方法」 「粒状セラミックス(県工業技術センター窯業指導所試作)」 「培地バック技術は特許技術(特許第3857978号)」→J-PlatPatの特許・実用新案番号照会で特許公報を確認→粒状培土・粒状セラミックスとも記述なし。 研究期間:2003~2005年度 ・『茨城県工業技術センター研究報告第26号』 ・「石材研磨スラッジの活用方法の一つとして粒状に成形・焼成した粒状培土」 ・p.49「試験栽培用粒状培土試作」に「各試作品を試験栽培用として県農業総合センター園芸研究所にトマト,メロンの育苗,花卉栽培等の試験を真壁石材協同組合を通じて依頼」 ・p.49「本研究は,平成9年度活路開発ビジョン調査事業の実施に当たり真壁石材協同組合の依頼により実施したもの」 (2) 茨城県窯業指導所は現在の茨城県立陶芸大学校なので,同大学校のwebより技術情報を確認 ・『茨城県工業技術情報誌 トライ vol.20 窯業編』(茨城県工業技術センター窯業指導所,2004.1) p.4 「石材研磨粉を活用した高糖度トマト栽培始まる」 →「石材研磨スラッジの有効利用を目的に石材副産物活用研究会を立ち上げ,…(略)…園芸研究所が開発した底面旧液式の高糖度トマト栽培に適した粒状培土の開発を行なってきました。」 「今年度より石材業界の有志10人により,いしやのトマト組合を設立し,栽培技術の修得と販路開拓を目的に実証栽培試験を岩瀬町猿田地区にて始めています。」 窯業指導所では「粒状培土」,園芸研究所では「粒状セラミックス」という言葉を使っているらしい。 (3) 石材副産物活用研究会をwebで確認 →いしやのトマト組合へTel→現・茨城県石材業協同組合連合会 ・現在は活動していない。 ・粒状培土については,当時試作してもらったが,あくまで試作で,販売・生産はしていない。 ・用語については,陶芸大学校に当時協力してくれた方がいるので,そちらで確認してもらった方が確実。 (4) 茨城県立陶芸大学校へTel ・その当時のトマトの栽培であれば同じもの 参考資料:茨城県工業技術センター研究報告第26号茨城県工業技術センター/〔編集〕茨城県工業技術センター, (p.48-49 小島均「石材研磨スラッジを利用した粒状培土の開発(第1報)」)

『外科医佐藤進』に,戊辰戦争時三春町での医療活動の様子が記載されているか。規模や実際に医療活動を行っている写真があるか。(茨城県立図書館)

p.70-73に三春での様子について記述あり。 写真は,『元帥公爵大山巌』所収の竜穏院の写真(p.71)のみ。 竜穏院の規模については,p.70に「竜穏院は、曹洞宗総持寺の末寺で、一一室・延一五〇畳もあり、病院として十分」との記述あり。 p.291「履歴書」,p.297「略年譜」にも三春へ出張し,医療に従事したことは記載あり。 回答プロセス:該当図書を確認 参考資料:外科医佐藤進森田 美比(1914~)/著常陸太田市,

以前読んだ本で「いるかの子どもが病気になり,病院へ行くために両親のいるかがコートに隠れて人間の乗る電車に乗っていたところ,親切な人間にいるかの病院を紹介される。いるかの病気が治り,いるか達はお礼に海の上に「ありがとう」という文字を描く。」という内容のものを探している。(茨城県立図書館)

お探しの本は間瀬なおかた著の「いるかがとぶうみ」です。 回答プロセス:1.タイトルに「いるか」という文字はあるか,絵柄のイメージは覚えているか等,   本の印象について確認。 2.「絵本ナビ」「Google」で検索。「絵本ナビ」は「いるか」というテーマで検索,   「Google」は画像検索をする。 3.間瀬なおかた著の「いるかがとぶうみ」であると判明。 参考資料:いるかがとぶうみ間瀬 なおかた/作・絵ひさかたチャイルド,

九十九里浜が出てくるエッセイ・小説を読みたい。 オッペシについて書かれているものがあればなお良い。(茨城県立図書館)

参考資料に挙げられている図書を紹介。 (1) 九十九里+日本文学(NDC:91) → 3冊 (2) オッペシを含むもの → 1冊 (3) 房総の文学を紹介した図書 → 2冊 回答プロセス:(1) 「九十九里」で検索 → 該当しそうな資料を紹介 (2) 「オッペシ」で検索 → 『斎藤隆介全集 第11巻』に「六十七歳のオッペシ・酒井きん」あり。 (3) レファ協を検索 → 千葉県立西部図書館の事例「千葉県内の地名がでてくる現代小説を探す手段はあるか。」より,『房総文学散歩 中巻』『房総を描いた作家たち』を紹介。 事前調査事項:高村光太郎の『九十九里浜の初夏』は既に読んだ。 参考資料:ふるさと文学館第13巻ぎょうせい, 参考資料:九十九里浜有情小関 与四郎/著東京新聞出版局, 参考資料:松本清張全集36松本 清張/〔著〕文芸春秋, 参考資料:斎藤隆介全集第11巻斎藤 隆介/〔著〕編集岩崎書店, 参考資料:房総を描いた作家たち中谷 順子(1948~)/著暁印書館, 参考資料:房総文学散歩中巻鳥海 宗一郎/〔著〕千秋社, 参考資料:レファレンス協同データベース:千葉県内の地名がでてくる現代小説を探す手段はあるか。, (http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000207253)

寛政7年に常陸国河内郡で生まれ、足立家は代々佐竹氏の侍医であった足立春英について知りたい。 彼の諱は尚あるいは尚賢、字は春英、号は竹陰と言われている。(茨城県立図書館)

ご依頼のありました件について,下記回答プロセスのとおり調査しましたが,足立春英について有効な情報はみつけることができませんでした。 回答プロセス:1 佐竹家臣より  佐竹氏は,秋田へ移封されているため,史料等も茨城ではなく秋田にあり,県内の県史・市町村史を作成するにあたっては,秋田県より収集した史料により書かれたものが大半です。寛政年間にも佐竹氏の侍医であったとすれば,秋田へご相談ください。  なお,茨城県立歴史館にも問い合わせしましたが,秋田へ移封される以前(中世)に佐竹氏の侍医であった場合,『佐竹家臣系譜』に掲載がなければ史料を探すことは難しいとのことでした。 (1) 『佐竹家臣系譜』  p.39-40 安立氏(家伝文書より),安達氏(諸士系図より)が掲載されていますが,いずれも掲載されているのは常陸より秋田へ行った代までです。  こちらの資料は,国立国会図書館デジタル化資料送信サービスを通じて閲覧可能ですので,ご確認ください。 (2) 『茨城県史料 中世編 4,5』  目次にて確認しましたが,「アダチ」氏については掲載がありませんでした。 2 旧河内郡の市町村史より  旧河内郡には,仙台藩,前橋藩等の領地がありました。下記の市町村史を郷土の人物を取り上げている部分を中心に確認しましたが,足立春英について記述のある図書はありませんでした。 (1) 『竜ケ崎市史 近世編』(竜ケ崎市史編さん委員会/編集,竜ケ崎市教育委員会,1999) (2) 『牛久市史 近世』(牛久市史編さん委員会/編,牛久市,2002) (3) 『新利根村史 1・2』(村史編纂委員会/編,新利根村,1981・1983 (4) 『図説河内の歴史』(河内町史編さん委員会/編集,河内町,2003) (5) 『藤代町史 通史編』(藤代町史編さん委員会/編集,〔藤代町〕,1990) (6) 『藤代町史 暮らし編』(藤代町史民俗調査員会/編纂,東日本印刷,2005) 3 その他  google booksにて「足立春英」について検索したところ,『寺門静軒』(永井 啓夫/著,理想社,1966)という郷土資料がヒットしたため,図書を確認したところ,静軒の弟子である松本文斎について説明(p.44-45)に次のように書かれていました。参考まで。  「松本文斎(のち万年)は,文化十二年八月二十五日、武蔵国秩父郡大宮(現秩父市)に生まれた。幼名を一郎、のち政秀と改め文斎又は万年と号した。幼少の頃から学問に志し足立春英に学び、のち江戸に出て静軒に師事すること六年、帰省して 医業と子弟の訓育に当たった。」 事前調査事項:「角川日本姓氏歴史人物大辞典10」 「赤堀村誌 上・下」 「群馬県教育史 別巻人物編」 参考資料:佐竹家臣系譜常陸太田市史編さん委員会/編常陸太田市, (p.39-40) 参考資料:寺門静軒永井 啓夫/著理想社, (p.44-45) 照会先:一般図書茨城県立歴史館

「寺門静軒(永井啓夫/著 理想社 1966.1 請求記号L274.2/テラ/」 のP.279の後ろから5行目に掲載されている雑誌「ひたち」11号について、茨城県立図書館での所蔵の有無を知りたい。また,所蔵しているのであれば,そちらに記載されている「寺門静軒(著者:水城学人)」の記事に出てくる人物の名前を知りたい。(茨城県立図書館)

雑誌「ひたち」11号については,茨城県立図書館で所蔵あり。  該当記事は,p4~9に掲載されている。  記事に出てくる人物の名前としては,「寺門静軒」,「石川弥一郎」,「松本万年」,「竹井淡如」,「吉田六左エ門」, 「田中正彝」,「青木錦村」,「楠公(楠木正成)」,「武田耕雲齋」がある。 参考資料:ひたち創刊号~第13号岩下 喜平/編ひたち発行所, (p4-9)

家の掛軸に「柳煙梅雪隠青桜」という言葉が書かれている。恐らく漢詩の一部だと思うのだが,それは何という漢詩かということと,その言葉の意味を知りたい。(茨城県立図書館)

〇『全唐詩 第17冊』(康煕帝/〔彙編〕 中華書局 1960) p6769掲載の段成式作「嘲飛卿七首」が該当する漢詩となる。 〇言葉の意味については,訳が見つけられなかったため不明。 回答プロセス:1.該当する漢詩が何であるかを調べるため,Google   (https://www.google.co.jp/ 2017年6月11日最終確認)にて「柳煙梅雪   隠青桜」を,完全一致で検索する,節を途中で区切って検索するなどいくつか   の方法で検索を行なう。   →言語設定日本語による検索の結果,該当するウェブページのヒットなし   →言語設定中国語による検索の結果,いくつか該当しそうなウェブページが     ヒット。「柳煙梅雪隠青桜」は唐代の詩人である段成式作の,「嘲飛卿七首」     の一節と思われることが判明。 2.全唐詩庫(http://www3.zzu.edu.cn/qts/ 2017年6月11日最終確認)   にて,「柳煙梅雪隠青桜」を検索。    →全唐詩第584巻第017首 段成式作「嘲飛卿七首」がヒット。 3.当館所蔵の『全唐詩』の現物を確認。第17冊のp6769に掲載の段成式作   「嘲飛卿七首に,「柳煙梅雪隠青桜」の1節があることを確認。 4.「柳煙梅雪隠青桜」の意味を調べるため,「嘲飛卿七首」の翻訳されたものが   どこかに掲載されていないかを探そうと国立国会図書館デジタルコレクション   にてインターネット公開されている『中国詩詞翻訳索引 Ⅵ 唐・五代』   (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3051605 2017年6月11日最終   確認)を見るも,段成式は「折楊柳(七首)」の訳が掲載されている資料の情報   しかなし。 5.茨城県立図書館の921の書架をブラウジングし,『中国名詩鑑賞辞典』,   『漢詩名句辞典』,『中国詩人選集』,『詳解全訳漢文叢書7 唐詩選』,『漢詩   大観 第2巻』,『漢詩体系6 唐詩選』,『校注唐詩解釈辞典』を確認するも   「柳煙梅雪隠青桜」の意味の分かる記述なし。 参考資料:全唐詩第17冊康煕帝/〔彙編〕中華書局, 参考資料:中国名詩鑑賞辞典山田 勝美(1909~1989)/〔著〕角川書店, 参考資料:漢詩名句辞典鎌田 正/著大修館書店, 参考資料:中国詩人選集別巻〔1〕吉川 幸次郎/編集・校閲岩波書店, 参考資料:詳解全訳漢文叢書第7巻至誠堂書店, 参考資料:漢詩大観第2巻佐久 節/編井田書店, 参考資料:漢詩大系6集英社, 参考資料:校注唐詩解釈辞典松浦 友久/編大修館書店,

三島由紀夫の辞世の句を知りたい。(茨城県立図書館)

『三島由紀夫全集 37 詩歌』p.812に辞世の句が2編掲載されています。 また,『コレクション日本歌人選 020 辞世の歌』p.98-101には解説もあります。 回答プロセス:(1) 三島由紀夫は決定版全集があるので,全集の詩歌の巻を確認。 (2) 辞世の句を集めた図書を確認。(検索語:辞世) ×『辞世千人一首』・・・索引があったが,三島由紀夫なし。 〇『コレクション日本歌人選 020 辞世の歌』 参考資料:三島由紀夫全集37三島 由紀夫/著新潮社, (p.812) 参考資料:コレクション日本歌人選020和歌文学会/監修笠間書院, (p.98-101)

小説以外で天狗党の乱及び西上の経路がわかる図書を4~5冊紹介してほしい。(茨城県立図書館)

以下の図書を紹介。 1 『幕末・維新 図解雑学』(高野/澄‖著,ナツメ社,2005)  p.134-135「徳川慶喜と水戸天狗党」  天狗党の西上経路と日付が図示されています。 2 『総図解よくわかる幕末・維新』(結喜/しはや‖編,新人物往来社,2010)  p.78-79「天狗党の乱」  1同様天狗党の西上経路と日付が図示されています。 3 『天狗党始末記』(上村 健二/著,善本社,1977) 4 『天狗党の跡をゆく』(鈴木 茂乃夫/著,暁印書館,1983) 5 『天狗党追録』(室伏 勇/著,暁印書館,2001) 回答プロセス:(1) 天狗党に関する郷土資料を確認 (2) 図解のある一般書で西上の経路のある図書を確認 参考資料:幕末・維新高野 澄/著ナツメ社, 参考資料:総図解よくわかる幕末・維新結喜 しはや/編新人物往来社, 参考資料:天狗党始末記上村 健二/著善本社, 参考資料:天狗党の跡をゆく鈴木 茂乃夫(1909~)/著暁印書館, 参考資料:天狗党追録室伏 勇(1934~)/著暁印書館, 参考資料:概説水戸市史水戸市史編さん委員会概説水戸市史編さん部会/編水戸市役所, 参考資料:水戸市史中巻5水戸市史編さん委員会/編水戸市役所, 参考資料:水戸天狗党残照菊池 健晴/著筑波書林,

「若い太陽の塔」(岡本太郎作,「太陽の塔」とは別に,こういった塔がモンキーパークにある)の掲載されている資料が見たい。(茨城県立図書館)

「岡本太郎展 生誕100年」 p29に掲載 回答プロセス:自館OPACにて,著者岡本太郎で検索。掲載されていそうな資料にあたりをつけ,現物を確認したところ「岡本太郎展 生誕100年」 p29に掲載されていることが判明。なお,『岡本太郎と太陽の塔』(平野暁臣/編著)には掲載なし。 参考資料:岡本太郎展岡本 太郎(1911~1996)/作NHK, (p29)

水浜電車の磯浜駅だった場所が,現在のどこかを知りたい。 自分で調べた結果では,大洗町にあるスーパー「エコス」か,「セイブ」のどちらかだと思う。(茨城県立図書館)

『水濱電車』(小野寺靖/著,小野寺靖,2012) P159に「磯浜停留場跡」の写真が掲載されている。 写真を確認すると,「エコス」が写っていたので,現在の「エコス」がある場所が該当する旨を回答。 回答プロセス:レファ協の事例(茨519)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000026889 に挙がっている参考資料には記載なし 参考資料:水浜電車小野寺 靖(1940~)/著〔小野寺靖〕, (P159)

(1) ギネスブックで世界最高齢は何歳か。 (2) 泉重千代氏は120歳で亡くなったと記憶しているが,ギネスブックには何歳で記録されているか。(茨城県立図書館)

(1) 『ギネス世界記録 2017』によると,史上最高齢はジャンヌ・ルイーズ・カルマン氏(フランス)で,122歳164日となっています。  史上最高齢の男性は,木村次郎右衛門氏で,116歳54日となっています。 (2) 泉重千代氏については,『ギネス世界記録 2007』では,史上最高齢の男性で120歳237日と出ていますが,『ギネス世界記録 2011』では,提出された出生証明書が若くして亡くなった兄のものである可能性があり,その場合,重千代氏の享年は120歳ではなく105歳になるとの記述があります。 『ギネス世界記録 2012』では,トーマス・ペーター・トラヴァルド・クリスチャン・フェルディナンド・モーテンセン氏が,年齢が確認されている最高齢の男性と書かれています。 また,2012年12月27日朝日新聞夕刊大阪本社発行版の「115歳252日、男性で史上最長寿 京都・木村さん、世界一並ぶ」という記事では,「ギネスブック2011年版までは、鹿児島県の泉重千代さん(1986年死去)を男性の史上最長寿と認定していたが、戸籍に疑問があるとして12年版からはデンマークのクリスチャン・モーテンセンさん(98年死去)を最長寿としている。」と書かれていました。 回答プロセス:(1) 最高齢→最新版のギネスブックを確認。 (2) 泉重千代氏の年齢→インターネットを検索→ウィキペディア→出典より,該当するギネスブックを確認 (3) 泉重千代氏の年齢→当館が契約している新聞記事データベースを確認(茨城新聞・朝日新聞) ・朝日新聞→回答へ ・茨城新聞→2013年 06年13日「世界最高齢116歳死去 男性史上最長寿 京都の木村さん」 「1986年に死去した鹿児島県伊仙町の泉重千代さんについては、ギネス社はホームページで、当時120歳の年齢に疑問が生じたとしている。」と記載あり。 参考資料:ギネス世界記録2017クレイグ・グレンディ/編角川アスキー総合研究所, (p.76) 参考資料:ギネス世界記録2007クレイグ・グレンディ/編ポプラ社, (p.63) 参考資料:ギネス世界記録2011クレイグ・グレンディ/編角川マーケティング, (p.99) 参考資料:ギネス世界記録2012クレイグ・グレンディ/編角川マガジンズ, (p.102)

『日本昔話通観(9)茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川』(同朋舎)という本の中に、次のような場面がある昔話は載っているか?...

ご依頼の件について,『日本昔話通観(9)』を確認しました。 「姥皮」(p.246-247),「蛇婿入り」(p.16-33)〔うち「蛇婿入り-姥頭巾型」p.25-28〕,「猿婿入り」(p.137-143)〔姥皮型にあたるものはなし〕に分類される昔話はありましたが,「皮をくれた人物の片足が不自由だった」とされているものはありませんでした。 回答プロセス:(1) 『日本昔話通観(29) 総合索引』より「姥皮」に関するページを確認。 (2) 『日本昔話通観(9)』について,(1)のページを確認。 (3) 『日本昔話通観(9)』について,目次より「姥皮」,「蛇婿入り」,「猿婿入り」,「たにし息子」,」「火焚き娘」,「蛙報恩」に関するものを探し,該当するページを確認。 参考資料:日本昔話通観第9巻稲田 浩二(1925~)/責任編集同朋舎, 参考資料:日本昔話通観第29巻同朋舎出版,

茨城県常陸大宮市金砂郷町にある芦間という地名の歴史を知りたい。 市村高男著『戦国期東国の都市と権力』(思文閣出版、1994年) 166頁には、佐竹氏が家臣を「蘆間政所」、「阿島政所」に補した旨が記載があるが、古文書で芦間の地名に異なる字があてられる事例があったか。また、佐竹時代に当地を修めた奉行人なり領主がいれば知りたい。(茨城県立図書館)

 市町村史,及び代表的な地誌で調査しました。 『戦国期東国の都市と権力』に取り上げられているような家蔵文書については,通読しなければならないため調査いたしかねます。ちなみに,県史作成のため収集し翻刻した『茨城県史料』は,中世編だけで6巻あり,うち秋田藩家蔵文書は4・5巻に収録されています。 (1) 『金砂郷村史』(金砂郷村史編さん委員会 編,金砂郷村,1989)  http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002016398-00 (国会,東京都立所蔵あり) p.154 原始・古代「第4章 常陸国風土記の時代」中,『新編常陸国誌』を引用し,久米郡の解説の中に「葦間」とあります。 p.283 中世「第2章 室町・戦国期の金砂郷」に「金砂郷村中世の地名一覧表」があり,「葦間」,「足満」「あし間」が挙げられています。史料名・出典も記載されています。 また,中世第1章から第2章(p.197-292)にかけてご覧になれば佐竹時代の支配関係も記載されています。 (2) 『茨城県史料 近世地誌編』(茨城県史編さん近世史第1部会 編,茨城県,1968)   http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001224981-00 (国会,東京都立所蔵あり) 「水府志料」  p.221 久慈郡の村名一覧に「芦間村」あり。 p.309 和久村の解説中「芦間の内和久村」とあり。 p.310 「芦間村」「芦間山」解説あり。 「常陸紀行」  p.407 紙漉きの郷の一つとして「芦間」あり。 p.419 東金砂山の項に金砂合戦について記述あるが,芦間の地名なし。 (3) 『角川日本地名大辞典 8 茨城県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂,角川書店,1983)   http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001646574-00  p.67 「芦間」項目あり。中世~近代まで時代ごとの解説あり。文書の出典は上記(1),(2)に同じ。 (4) 『日本歴史地名大系 第8巻 (茨城県の地名)』(平凡社,1982)   http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001595807-00  p.138-139 「芦間村」項目あり。文書の出典は上記(1),(2)に同じ。 (5) 『茨城の地名 増補』(江原忠昭 著,耕人社,1976)   http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001221663-00  p.6 「芦間」あり。古代・中世・近世関係の主要文書中の地名として「蘆間」と書かれています。 回答プロセス:回答のとおり。 参考資料:金砂郷村史金砂郷村史編さん委員会/編集金砂郷村, 参考資料:近世地誌1茨城県立歴史館, 参考資料:茨城県史料近世地誌編茨城県史編さん近世史第1部会/編茨城県,

正徳期の北茨城市中郷町松井の庄屋の名前を知りたい。 「常陸国多賀郡記録」に出ているのではないかと思う。(茨城県立図書館)

『北茨城市史』の資料編である『北茨城市史 別巻』,『北茨城史壇』を確認しましたが,お探しの「常陸国多賀郡記録」については,翻刻されている資料がありませんでした。 念のため,北茨城市歴史民俗資料館にも確認しましたが,所蔵資料に「常陸国多賀郡記録」はなく,現在も個人の所蔵とのことでした。 回答プロセス:(1) 『北茨城市史 上巻』,市史の史料編である別巻,『北茨城史壇 創刊号~第12号』を確認 →「常陸国多賀郡記録」の翻刻はなし。 →『北茨城史壇 第6号』に「史料紹介 「安良川組鑑」抄」があり庄屋の名前で「善□□」,「靱負」があるが,この史料は宝暦12年(1762)成立の史料のため,今回探している時期と異なる。 (2) 「常陸国多賀郡記録」で,茨城県立歴史館,国会図書館サーチ,東京大学史料編纂所横断検索を検索 →該当史料なし (3) 北茨城市歴史民俗資料館へ電話にて照会 →北茨城市教育委員会にも確認したが,「常陸国多賀郡記録」は歴史民俗資料館の所蔵資料にはなく,現在も個人所蔵とのこと。 事前調査事項:『北茨城市史 上巻』p.435に,「松井村は一八世紀初めの正徳期に沼田家の独占は崩れ、下村、大友、根本の諸家からも庄屋を出すようになった。」とあり,この部分の注(p.446)をみると「常陸国多賀郡記録」(個人蔵)となっている。 参考資料:北茨城市史上巻北茨城市史編さん委員会/編集北茨城市,

水戸八景と女人和歌大系に出てくる女性詠み人の一致していない部分について同一人物か知りたい。 「立原氏女夏」と「利子」,「和子」は同一人物か。(茨城県立図書館)

『江戸期おんな表現者事典』(柴桂子/監修,現代書館,2015)  P388  和子 文化14年(1817)~弘化4年(1847)享年31 画・和歌・書。常陸水戸藩士で画家立原杏所の二女。画家春沙の妹。祖父は水戸藩随一の儒学者立原翠軒。夏子,利子とも。号,竹沙。・・・以下略。     →この資料からは,立原氏女夏は,利子と和子の名前を使用していた。和子は立原杏所の次女夏と同一人物であるとの記載がございます。 また,『江戸期おんな表現者事典』の上記記載中に「斉昭撰「弘道館梅花詩歌」に「春ことにかわらて咲るうめの華ゆく末人の愛はやすらん」が載る」と記載がございます。 「弘道館梅花詩歌」は,国文学研究資料館で彰考館の写が閲覧可能でございます。 国文学研究資料館 https://www.nijl.ac.jp/ (2017年6月21日最終アクセス) 〒190-0014 東京都立川市緑町10-3 IP電話 代表 050-5533-2900 請求記号 32-73-12,89コマ,E C1276,89コマ,E 資料種別 マイクロ・紙焼 書名 弘道館梅花詩歌(こうどうかんばいかしいか),外 場所(状態) 〔100007600/〕 『弘道館・偕楽園』(茨城県観光課/編集・刊,1962) P67 「現在弘道館に「梅花詩歌集」という1冊が保存されてあるが,これには詩26人分,歌69人分をまとめて収められている。」と記載がありました。 弘道館所蔵の「梅花詩歌集」に「春ことにかわらて咲るうめの華ゆく末人の愛はやすらん」の歌が収録されているか確認したところ,収録があるとのことでございます。 事前に弘道館に閲覧相談の連絡を頂ければ,閲覧は可能とのこと。 弘道館では,「梅花詩歌帖」の名称で登録してあるそうです。 くずし字で書かれているそうですので,直接,ご自身でご確認頂ければと思います。 弘道館  〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29 電話 029-231-4725 その他調査資料の結果を記載いたします。特定出来る記載は見つかりませんでした。 1.『立原両先生』(無名居士/著,友部延吉,1915) P38~P39 「二女夏子」「公名を利子」の記載あり 2.『水戸藩系譜外戚伝』(斉藤新一郎/編,水戸学振興会,1956) P30 立原氏の箇所には「家臣立原甚太郎任。 女子 名ハ利子夏ト称ス 斉昭ノ侍女」との記載あり 3.『三百藩藩主人名事典 2』(藩主人名事典編纂委員会/編,新人物往来社,1986) P78 徳川斉昭の側室として「立原利子」の記載あり。 4.『幕末日本と徳川斉昭』(茨城県立歴史館/編纂,茨城県立歴史館,2008) P86 斉昭の側室として,「利子(水戸藩士立原杏所娘)」の記載あり。 5.『茨城の画人』(大内健二/著,川又書店,1988) P91  「立原竹沙」の項に,「立原杏所の次女」「次女を夏子といった」との記載あり。 6.『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(荒木矩/編,第一書房,1980) P642 「竹沙」の項には,「立原杏所の二女」「二女を夏子といふ」「藩主斉昭烈公の側室となり」との記載あり。   7.『書画骨董人名大辞典』(常石英明/編著,金園社,1975) P163 「立原竹沙」立原杏所の二女との記載あり 8.『立原杏所とその師友』(立原杏所/ほか画,茨城県立歴史館,2010)記載なし 9.『水戸の南画 林十江・立原杏所とその周辺』(茨城県立歴史館/編,茨城県立歴史館,1978)記載なし 10.『立原杏所・林十江印譜』(牧大介/編,立原善重,1960)記載なし 11.『国書人名辞典 第3巻』(市古貞次/ほか編,岩波書店,1996)記載なし 12.「近世女人風土記(三)常陸国の巻(茨城県)」(柴桂子著)P182-185 所収『江戸期おんな考 第3号』  P183 斉昭の側室立原和子の記載あり 回答プロセス:1.立原杏所関係の図書を確認  『立原両先生』(無名居士/著,友部延吉,1915) P38-39 「二女夏子」「公名を利子」の記載あり  『立原杏所とその師友』(立原杏所/ほか画,茨城県立歴史館,2010)  →記載なし  『水戸の南画 林十江・立原杏所とその周辺』(茨城県立歴史館/編・刊,1978)  →記載なし  『立原杏所・林十江印譜』(牧大介/編,立原善重,1960)  →記載なし 2.徳川斉昭関係の図書を確認  『水戸藩系譜外戚伝』(斉藤新一郎/編,水戸学振興会,1956)  P30 立原氏の箇所には「家臣立原甚太郎任。女子名ハ利子夏ト称ス 斉昭ノ侍女」との記載あり  『三百藩藩主人名事典 2』(藩主人名事典編纂委員会/編,新人物往来社,1986)  P78 徳川斉昭の側室として「立原利子」の記載あり  『幕末日本と徳川斉昭』(茨城県立歴史館/編・刊,2008)  P86 斉昭の側室として,「利子(水戸藩士立原杏所娘)」の記載あり 3.書画の事典で確認する  『茨城の画人』(大内健二/著,川又書店,1988)  P91 「立原竹沙」の項に,「立原杏所の次女」「次女を夏子といった」との記載あり  『大日本書画名家大鑑 伝記 上編』(荒木矩/編,第一書房,1980)  P642 「竹沙」の項には,「立原杏所の二女」「二女を夏子といふ」「藩主斉昭烈公の側室となり」との記載あり    『書画骨董人名大辞典』(常石英明/編著,金園社,1975)  P163 「立原竹沙」 立原杏所の二女との記載あり 4.人名事典で確認する  『国書人名辞典 第3巻』(市古貞次/ほか編,岩波書店,1996)  →記載なし 5.女性関係の図書で確認する  「近世女人風土記(三)常陸国の巻(茨城県)」(柴桂子著)P182-185 所収『江戸期おんな考 第3号』  P183 斉昭の側室立原和子の記載あり  『江戸期おんな表現者事典』(柴桂子/監修,現代書館,2015)  P388   和子 文化14年(1817)~弘化4年(1847)享年31  画・和歌・書。常陸水戸藩士で画家立原杏所の二女。画家春沙の妹。祖父は水戸藩随一の儒学者立原翠軒。夏子,利子とも。号,竹沙。 6.『女人和歌大系』の原本「弘道館梅花詩歌」を所蔵機関を調べる  →国文学研究資料館 彰考館の写しを所蔵  →弘道館 「梅花詩歌帖」の資料名で所蔵 参考資料:立原両先生無名居士/著友部伸吉, (P38,P39) 参考資料:水戸藩系譜外戚伝斉藤 新一郎/編水戸学振興会, (P30) 参考資料:三百藩藩主人名事典2藩主人名事典編纂委員会/編新人物往来社, (P78) 参考資料:幕末日本と徳川斉昭茨城県立歴史館/編集茨城県立歴史館, (P86) 参考資料:茨城の画人大内 健二(1909~)/著川又書店, (P91,P252) 参考資料:大日本書画名家大鑑索引編荒木 矩/編第一書房, (P642) 参考資料:書画骨董人名大辞典常石 英明/編著金園社, (P163) 参考資料:江戸期おんな考桂書房 一括平2.10~平7.9, (P183) 参考資料:江戸期おんな表現者事典柴 桂子/監修現代書館, (P388) 参考資料:弘道館・偕楽園茨城県観光課/編集茨城県観光課, (P67)

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