レファレンス協同データベース新着事例

西武の堤清二が三越の坂倉芳明を引き抜いたという、デパート業界の出来事をモデルにした小説を読んだことがある。また読みたいが書名を思い出せないので調べてほしい。(さいたま市立中央図書館)

『社長ハンティング』大下英治/著 徳間書店 1991(『敵陣より帝王を撃て』大下英治/著 徳間書店 1987 の加筆・改題)と判明した。 回答プロセス:主要部分ではないが、引き抜きのエピソードに触れている以下の資料を提供した。 『王国の崩壊』高杉良/著 新潮社 2005 『十三人のユダ 三越・男たちの野望と崩壊』大下英治/著 新潮社 1989 『銀座デパート戦争』渡辺一雄/著 角川書店 1985 国会図書館にレファレンスを依頼し、以下の回答を得た。 『この経済小説がおもしろい! ビジネスと人生の本質に迫る絶対オススメ78冊』堺憲一/著 ダイヤモンド社 2010』の「巻末作品リスト1 業種別にわかるオススメ経済小説400冊」(pp.215-262)の「百貨店」の項(pp.238-240)に『社長ハンティング』が挙げられており、「西武の堤清二による三越の坂倉芳明ヘッドハンティングが題材。原題『敵陣より帝王を撃て』。」という内容紹介がある。 その他、国会図書館から経済小説に関する資料として以下を紹介された。 『小説で読む企業ガイド』岩出博/著 文芸春秋 1999 『経済小説のモデルたち』佐高信/著 社会思想社 1994 『経済小説の読み方 増補版』佐高信/著 社会思想社 1996 『社長のモラル 日本企業の罪と罰』佐高信/著 講談社 2000 『日本経済のドラマ 経済小説で読み解く1945-2000』堺憲一/著 東洋経済新報社 2001 照会先:国会図書館

埼玉新聞の記事検索をしてほしい。 ①鳩ヶ谷市・川口市2女性殺人事件(1974年)、②岩槻市3人惨殺殺人事件(1985年)、③大宮市母娘強盗殺人事件(1981年)、④宮代町母子放火殺人事件(1980年)、⑤熊谷市3人連続殺人事件(1976年)、⑥川口市荒川バラバラ殺人事件(1999年) 以上、6点の事件概要・裁判・死刑判決の記事を探しています。(さいたま市立中央図書館)

①について 1974.9.14 9面「料理店の女主人殺される」 1975.1.23 9面「マダム殺しに関連? 盗みの男の自宅に指輪」 1975.1.28 9面「なじみ客を逮捕 鳩ヶ谷のマダム殺し」 1975.1.29 9面「マダム殺しの石田を起訴 浦和地裁」 1975.1.30 8面「石田を追起訴 浦和地裁」 1975.2.18 9面「人妻殺しも自供 鳩ヶ谷 マダム殺しの石田」 1975.2.19 9面「自供通り人骨を発見 川口の造成地 人妻殺しの石田 三人殺し(鳩ヶ谷)」 1975.4.26 11面「石田、起訴事実認める 浦和地裁で初公判 鳩ヶ谷のマダム殺し」 1975.5.9 8面「石田を殺人などで起訴 浦和地裁」 1979.5.10 9面「石田に死刑求刑 鳩ヶ谷の二主婦殺し「残忍で反社会的」」 1979.7.19 11面「鳩ヶ谷のママ殺し 侵入前に殺されていた 弁護側最終弁論 石田被告の無罪主張」 1979.9.20 11面「鳩ヶ谷のママ殺し再度否認 最終弁論で石田被告」 1980.1.31 1面 11面 「石田に死刑の判決 浦和地裁 飲食店ママ殺し」(1面) 「死刑判決に平然 ふてぶてしい石田 鳩ヶ谷のママ殺し」(11面) 1989.6.14 14面「石田被告の死刑確定 鳩ヶ谷市の2女性殺害」 2014.4.20 17面「92歳死刑囚が拘置所で病死 県内で女性2人殺害」 ②について 1985.3.9 11面「日本刀で父親ら3人を惨殺 犯行の長男割腹し重体」 1985.3.27 11面「岩槻の3人惨殺事件 回復の長男逮捕 父親殺害3年前に決意」 1985.6.15 11面「長男を殺人罪で起訴 岩槻の父親ら3人惨殺で」 1985.8.30 12面「岩槻の3人殺しで初公判 殺害の事実認める 神田被告」 1986.2.28 22面「神田被告に死刑求刑 浦和地裁 岩槻の三人惨殺事件で」 1986.5.31 15面「神田被告に死刑判決 岩槻の3人殺害事件 浦和地裁 計画的、極めて残虐 反省の態度見られぬ」 1986.12.23 15面「神田被告、二審も死刑 岩槻市の3人殺害事件冷酷で無残な犯行」 1989.11.21 14面「神田被告の死刑が確定 岩槻の3人殺害事件」 ③について 1981.4.5 1面「大宮で母娘殺される 繁華街、凶行は三日夜か」 1981.4.6 11面「大宮の母娘殺し 恨みの犯行強まる 頭を殴打、残忍な手口」 1981.4.7 11面「怨恨の線強まる 大宮の母娘殺人 物盗りは偽装工作か」 1981.4.8 11面「持ち去られた現金 大宮の母娘殺し 二階からも血こん」 1981.4.9 11面「複数による犯行か 大宮の母娘殺し 室内から通帳など発見」 1981.4.10 13面「発生から一週間 大宮母娘殺しのナゾ 三つの線上にカギ 物取りでは不自然さ残す」 1981.4.10 13面「顔見知り、内情に精通 大宮の母娘殺し 捜査陣の見方強まる」 1981.4.15 11面「大宮の母娘殺し 犯人は窓から侵入 車に血痕、遺体遺棄も」 1981.4.17 13面「犯人は女性と逃避行? 大宮の母娘殺し 出入りの元セールスマン 別件で指名手配 大宮署」 1981.4.18 11面「大宮の母娘殺し 犯人は北陸方面に? 父親宅に愛用の車 同居女性から手紙」 1981.4.19 15面「大宮の母娘殺し 第三の容疑者浮ぶ 元呉服店員の同級生 消息断つ」 1981.4.22 11面「大宮の母娘殺し 佐川を指名手配 自室から母娘の血こん」 1981.4.24 13面「佐川の手配書全国に配布 大宮の母娘殺し」 1981.5.11. 1面「大宮の母娘殺人事件 佐川を和歌山で逮捕 潜伏先のパチンコ店で」 1981.5.12 11面「大宮の母娘殺し 佐川、犯行認める 借金に追われ殺害計画 大宮署へ護送 共犯をほのめかす」 1981.5.13 11面「大宮の母娘殺し 共犯の独古を全国手配 佐川と同一行動 事件直後から姿くらます」 1981.5.14 11面「独古の手配書3万枚を配布 母娘殺人で大宮署」 1981.6.2 11面「佐川を強殺罪で起訴 浦和地検 大宮の母娘殺人事件」 1981.6.19 13面「殺害前に死体遺棄計画? 大宮の母娘殺し」 1981.7.24 15面「佐川、計画犯行を否認「致命傷は独古」と主張 大宮の母娘殺し事件 「殺意」などで争う構え」 1981.10.28 15面「独古を特別指名手配に指定 足取りプッツリ 再犯の恐れある凶悪犯 大宮の母娘殺人」 1982.2.19 13面「大宮の母娘殺人結審 共犯の独古依然逃走中 佐川被告、殺意を否認」 1982.2.26 13面「佐川被告に死刑求刑 「残虐非情の行為」大宮の母娘強殺事件で 浦和地裁」 1982.3.12 13面「「有期懲役刑が相当」大宮の母娘強殺事件公判 弁護側が最終弁論」 1982.3.31 13面「佐川に死刑判決 大宮母娘殺人事件」 1982.11.1 12面「大宮の母娘殺し 独古ら特別手配 警視庁」 1983.4.3 13面「大宮の母娘殺人 発生から2年 共犯・独古はどこだ 依然手がかりつかめず」 1987.6.24 13面「死刑判決を支持 東京高裁が控訴棄却 母娘殺し」 1991.11.30 15面「被告の上告棄却 大宮の母娘殺し 最高裁 死刑判決を支持」 1996.10.17 21面「大宮の母娘殺人 独古容疑者、都内で死亡 検察が全国指名手配中被疑者死亡で送検へ」 1999.12.18 18面「2人に死刑執行 大宮母娘殺害の確定者も 法務省発表」 ④について 1980.3.22 1面「宮代で殺人放火 母親と大学生の長男 首を絞められる 夫の留守中」 1980.3.22 11面「こわばる主婦の表情」 1980.3.23 11面「寝入りばなに絞殺 宮代町の殺人放火」 1980.3.24 11面「新たな手がかりつかめず 宮代の殺人放火」 1980.3.25 11面「車両や歩行者検問 宮代町の殺人放火事件」 1980.3.26 11面「物盗りの犯行か 手提げ金庫の盗難確認 宮代町の放火殺人」 1980.3.27 11面「宮代の殺人放火 事件から一週間 部屋で待ち伏せ殺害?」 1980.4.4 11面「消えた金庫探す 宮代町の殺人放火 捜査員が川ざらい」 1980.4.19 11面「捜査、振り出しに 手がかりつかめず長期化 宮代の放火殺人から一ヵ月」 1980.5.11 13面「宮代町の放火殺人 栃木で強盗兄弟が自供 灯油使う同じ手口 県警裏付け捜査急ぐ」 1980.5.13 11面「宮代町の放火殺人 ほぼ犯人と断定 杉戸署捜査本部 村松兄弟を再逮捕へ」 1980.5.14 11面「鳩ヶ谷の放火も自供 宮代町母子殺人犯の兄弟」 1980.5.21 13面「村松兄弟を真犯人と断定 宮代の母子殺人 盗み見つかり居直る」 1980.5.29 11面「「自供は脅しと誘導」宮代町の母子殺し 村松兄弟が犯行否認」 1980.6.12 11面「宮代町母子殺人 村松兄弟は処分保留 決め手の証拠欠く 再び逮捕、引き続き追及」 1980.7.1 11面「「村松兄弟の犯行」宮代の母子殺人で起訴」 1980.10.7 11面「〝村松兄弟にはアリバイがあった〟 宮代の母子殺人放火、あす注目の初功公判 弁護側 証人を探し出す 裁判過程で出廷、無罪主張」 1980.10.9 11面「宮代の母子殺人 起訴事実を全面否認 村松兄弟 えん罪主張」 1980.10.30 15面「調書作成などについて証言 宮代の母子殺人で第二公判」 1983.4.21 11面「宮代町の母子殺人事件 弟被告は精神分裂病 浦和地裁、公判を中断」 1984.4.4 11面「措置入院を解除 宮代町の母子殺人村松弟被告が病状回復」 1984.7.12 19面「村松弟、1年10カ月ぶり出廷 宮代町の母子殺人公判」 1985.2.28 11面「宮代町の母子強殺事件 村松兄弟に死刑と無期求刑 両被告は一貫し無罪主張」 1985.4.11 11面「村松兄弟が無罪主張 浦和地裁宮代町の母子強殺事件結審」 1985.9.27 13面「宮代の母子強殺事件判決 村松兄弟に死刑、無期」 1992.7.30 19面「宮代・強殺事件の兄弟被告 2審でも死刑と無期 東京高裁」 1998.10.9 23面「村松被告の死刑確定 宮代の母子強盗殺人 最高裁が上告棄却」 ⑤について 1976.3.20 1面、9面 「熊谷 共犯も消す連続殺人 不動産業者が自供 三年間、三人に毒牙」(1面) 「欲に狂ったギャンブル男 高田 発掘作業 ヤジ馬もおびえる目」(9面) 1976.3.25 9面「穴掘り六日、遺体出ず 熊谷 高田の三人連続殺人」 1976.4.14 9面「ついに一遺体発見 熊谷の連続殺人 田島さんと確認 高田を再逮捕」 1976.4.16 11面「連続殺人の高田を身柄送検」 1976.7.14 9面「連続殺人の高田 起訴事実認める 浦和地裁で初公判」 1976.10.6 9面「〝第二の遺体〟発見 熊谷の三人強盗」 1976.12.14 11面「高田を追起訴 熊谷の連続殺人」 1976.12.16 9面「遺体の発掘を断念 熊谷の連続殺人」 1976.12.18 2面「佐藤さんの遺体発掘を断念 熊谷の連続強盗殺人事件 高田の犯行濃い 捜査固まり次第追送検」 1976.12.26 2面「発掘断念の件も送検 熊谷・連続殺人の高田 強盗殺人など四容疑」 1977.11.23 3面「熊谷の三人殺し 高田を伴って実地調査」 1980.11.15 11面「高田、起訴事実認める 熊谷の「死体なき殺人」事件」 1982.5.15 11面「熊谷の三人殺し事件 発覚直後に自殺 高田被告「親方で恩人」と」 1983.6.10 13面「高田被告の手紙を証拠採用 熊谷の3人殺し公判 浦和地裁」 1985.6.8 11面「熊谷の3人連続殺人事件 高田被告に死刑求刑」 1986.3.26 11面「あす高田被告に判決 熊谷の三人強殺事件」 1986.3.28 15面「高田被告に死刑判決 凶悪、重大な犯行 熊谷の3人連続殺人事件」 1994.9.15 18面「控訴審も死刑判決 熊谷の3人殺害 反省なし、量刑妥当 東京高裁」 1999.2.26 23面「県内で3人殺害 高田被告の死刑確定へ」 ⑥について 1999.1.20 19面「川口 荒川に人間の左腕 死後1週間、切断の跡なし」 1999.1.22 19面「左足も発見 川口、腕と同一人物か」 1999.1.23 19面「周辺から新たに肉片見つかる」 1999.1.28 19面「左足に切断痕 死体遺棄で本格捜査 川口・荒川の漂着遺体」 1999.2.4 19面「荒川に成人の右足 川口の女性遺体と同一?」 1999.2.21 17面「芝川で太もも発見 川口」 1999.4.9 19面「川口の荒川バラバラ死体 会社員男性が供述「遺体切断して捨てた」」 1999.4.10 19面「川口バラバラ事件 知人の男殺害自供 県警逮捕別件で仮釈放中 死体損壊、遺棄容疑」 1999.4.14 19面「川口・荒川のバラバラ殺人 殺人容疑で再逮捕へ 容疑者が上申書住居ばかにされ絞殺」 1999.4.29 19面「「安アパート」に逆上 川口・荒川バラバラ殺人 逮捕の男自供」 1999.7.6 19面「川口バラバラ殺人事件公判 被告、起訴事実認める 弁護側精神鑑定を請求」 2001.3.27 22面「荒川女性バラバラ殺人 被告に死刑求刑」 2001.4.26 19面「川口バラバラ殺人 死刑回避求め結審」 2001.6.29 21面「強殺仮出所中に女性を殺害 横田被告に無期懲役 さいたま地裁」 2002.10.1 18面「東京高裁 一審破棄し死刑判決 川口・荒川のバラバラ殺人「偶発的でない」」 2002.10.26 19面「荒川バラバラ殺人で上告取り下げ 横田被告の死刑確定」 回答プロセス:埼玉新聞記事検索で検索した。 記事名によっては、検索に引っかからないため、事件に関連する記事を全て網羅しているわけではないが、 質問内容の事件概要・裁判・死刑判決の記事は見つけることができた。

ドバイ(アラブ首長国連邦)についてわかる本。特に海運(港に貨物船が航行していると思うのでそのこと)について載っている本がみたい。(さいたま市立中央図書館)

『アラブ首長国連邦を知るための60章』細井長/編著 明石書店 2011、『ドバイ・ベトナム・インド経済・経営の視点から確かなことがわかる本』恩田達紀、池上一希、近江淳/著 明日香出版社 2008、『世界年鑑 2017』共同通信社 2017、『世界国勢図会 2016/17』矢野恒太記念会 2016、 にドバイについての記述があったので、この4冊を提供し、回答とした。 回答プロセス:・調査継続中にご本人が来館されたので、上記『アラブ首長国連邦を知るための60章』、『ドバイ・ベトナム・インド経済・経営の視点から確かなことがわかる本』の2冊を提供したところ、港をどれだけ使っているか、またその推移等について詳しく分かるとよい、とのことだった。統計が載っている『世界年鑑 2017』、『世界国勢図会 2016/17』に世界の商船船腹量や港の港湾別コンテナ取扱量が記載されていたため、こちらも提供した。

神社にある鐘をならす意味を知りたい。小学生向けの本で探している。(さいたま市立中央図書館)

『神社・お寺のふしぎ100』 田中ひろみ/文 偕成社 2015 Q15 神社のお参りのときに鳴らす大きな鈴は、なんのためにあるの? Q26 お寺には、なぜ大きい鐘があるの? 回答プロセス:業務端末で検索。 書名に「ジンジャ」、複合条件のタイトルに「鐘」と入力。 参考資料:藤本頼生, 東京都仏教連合会 監修 , 田中ひろみ 文 , 偕成社編集部 ほか 写真 , 藤本, 頼生 , 田中, ひろみ, 1964- , 東京都仏教連合会 , 偕成社. 神社・お寺のふしぎ100 : すぐ近くにある「日本人の心のふるさと」のなぜ. 偕成社, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026313378-00, 9784035284000

さいたま市見沼区にある「宮ヶ谷塔」の地名の由来は?(さいたま市立中央図書館)

『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/著 角川書店 1991  P.832に「「ミヤ」(宮)は鎮守氷川社をさし、「ヤト」は湿地の意。」との記載あり。 以下の資料にも同様の記載あり。 『大宮の地名 下巻(大宮雑記帳 6)』秋山 喜久夫/著 丸岡書店 1975 P.155-156 『埼玉県地名誌-名義の研究 改訂新版』韮塚 一三郎/著 北辰図書 1977 p.21,58

高村光太郎と中原綾子の関係について知りたい。(さいたま市立中央図書館)

下記の資料を提供した。 『歌人 中原綾子』松本和男/編著 中央公論事業出版(発売) 2002年1月 回答プロセス:業務端末で“中原綾子”を主題検索。 『歌人 中原綾子』松本和男/編著 中央公論事業出版(発売) 2002年1月 中原綾子についてかなり詳しく書いてあり、この1冊を読めばよさそう。書簡もまとめてある。 ジャパンナレッジで検索。 『日本人名大辞典』の項目がヒットするが、高村光太郎のことは記載なし。「昭和6年に『いづかし』を創刊」とあり。 高村光太郎 1883年生 中原綾子 1898年生で、高村に傾倒していた。 『新潮日本文学アルバム 8 高村光太郎』新潮社 1984年6月→×。全く何も出てこない。 事前調査事項:『高村光太郎全集 第14巻 増補版』(高村光太郎/著 筑摩書房)に、高村が中原に「妻の智恵子が狂ってしまって悲しい」という手紙を書いていることがわかり、中原が創刊した雑誌『いづかし』に、高村が序詩を載せたらしい。中原の詩集『悪魔の貞操』にも高村が序文を書いている。 参考資料:『歌人 中原綾子』松本和男/編著 中央公論事業出版(発売) 2002年1月, 4-89514-177-2

さいたま市緑区にある国昌寺の「開かずの門」について書かれている本を探してほしい。(さいたま市立中央図書館)

以下の5点の資料を提供した。 『埼玉県伝説集成 分類と解説 中巻』韮塚一三郎/編著 北辰図書出版 1976 p.592-593 『浦和市史 民俗編』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980 p.807 『浦和の歴史と文化を知る本』青木義脩/著 さきたま出版会 1982 p.49,114,213 『浦和市文化財調査報告書 第22集』浦和市教育委員会/編集 浦和市教育委員会 1977 p.1-4 『図説浦和のあゆみ』浦和市総務部行政資料室/編 浦和市 1993 p.145(「国昌寺山門の龍」カラー写真(5x3cmくらい))

さいたま市岩槻区の真福寺貝塚で出土し、現在国立博物館で所蔵している重要文化財「みみずく土偶」について、発見時の信頼できる報告書または研究所はないか。(さいたま市立中央図書館)

 同貝塚の調査史は、『史跡真福寺貝塚総合調査概報(2) さいたま市埋蔵文化財調査報告書第12集』([さいたま市教育委員会]生涯学習部文化財保護課/編 さいたま市教育委員会 2017)、『真福寺貝塚 調査の軌跡 第40回特別展』(さいたま市立博物館/編 さいたま市立博物館 2016)、『国指定史跡真福寺貝塚総括報告書 (第1期確認調査報告書)(生涯学習部文化財保護課/編集 さいたま市教育委員会 2015)、『史跡見沼通船堀(西縁)確認調査』(さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課/編 さいたま市教育委員会 2016)に、記述されています。しかし、いずれも大正15年(1926年)の大山史前研究会による調査から記述が始まっており、それより以前だとされる“みみずく土偶”発掘時の調査については、言及がありません。さらに、『新編 埼玉県史 資料編1』(埼玉県/編集 埼玉県 1980)の月報p5は、「今日重文に指定され、東京国立博物館に陳列されている岩槻市真福寺貝塚出土の朱塗木兎土偶(原文ママ)」について「正式な記録はない」と記しています。以上のことから、少なくとも発掘当時、正式な性格を帯びた報告書の類は刊行されなかったか、散逸したものと推測されます。  では、発掘時以降に調査、研究が行われていないかと、県内公共図書館の所蔵資料を探したところ、「埼玉県柏崎村真福寺貝塚調査報告」(『史前学小報』第2号に収録 史前学会 1928 埼玉県立熊谷図書館所蔵)に、甲野勇氏が「中澤澄男氏が且つて此地に於て採集された土偶(第十八圖)は、右足を缺損するも他は全く完全な所謂木兎土偶である。」とのみ記しているのが見つかりました。この時点では右足部分が欠損していたようです。  また、報告書ではありませんが、発掘者の中澤澄男氏自身がこのみみずく土偶の発見と、その後右足部分を合体させたいきさつについて記した文章として、「趣味の採集」(『趣味の考古学』に収録 雄山閣 1937 国立国会図書館デジタル化資料)があります。 回答プロセス:『真福寺貝塚 調査の軌跡 第40回特別展』(さいたま市立博物館/編 さいたま市立博物館 2016)に、真福寺貝塚のこれまでの調査歴が詳しく網羅されている。この資料の巻末に挙げられている参考文献と、その後に刊行された資料をあたっていった。

大阪市の住宅地図を古いものからできるだけ見たい。(近畿大学中央図書館)

下記サイトに各図書館の住宅地図の所蔵一覧があった。  ☆大阪府立図書館 http://www.library.pref.osaka.jp/ (2018/10/18 確認) 中之島図書館所蔵住宅地図一覧 https://www.library.pref.osaka.jp/site/business/list24-94.html (2018/10/18 確認) 中之島図書館所蔵住宅地図一覧《 大阪市 》 https://www.library.pref.osaka.jp/site/business/jmp-shi.html (2018/10/18 確認) 大阪府立中央図書館所蔵住宅地図一覧 《大阪市》  https://www.library.pref.osaka.jp/site/central/lib-map-j-map-j-map-city-central.html  (2018/10/18 確認)   大阪市立中央図書館所蔵 住宅地図バックナンバー一覧PDF版 (大阪市分・1999年まで) https://www.oml.city.osaka.lg.jp/?action=common_download_main&upload_id=4002  (2018/10/18 確認) 回答プロセス:当館には、最新の住宅地図しか所蔵していなかった。 大阪府立図書館、大阪市立図書館の所蔵を確認した。 参考資料:大阪の古い住宅地図を探している。(近畿大学中央図書館) http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000134142, (2018/10/18 確認)

薬草のアルカロイド抽出実験の実例が書かれた専門書を探している(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を紹介します。 ・『天然有機化合物実験法 生理活性物質の抽出と分離』名取信策、池川信夫、鈴木真言 編 講談社 1977年  動植物等に含まれる物質の抽出・分離について、各研究者によって執筆されています。   p377~393 第26章「トウダイグサ科の有毒アルカロイド並びにジテルペン」平田義正             ユズリハアルカロイドの分離             アルカロイドを含む成分の抽出実験法が書かれています。   p394~409 第27章「日本産植物よりのインドールアルカロイド」坂井信一郎             キョウチクトウ科ヤロードからのアルカロイドの検出、カギカズラよりアルカロイドの抽出の実験例が書かれています。  アコニタム、アサ、フグ毒については、   p410~421 第28章「トリカブトの強心成分ハイゲナミンの分離」横田正実   p438~453 第30章「カンナビノイドの分析と単離」西岡五夫   p575~587 第39章「フグ卵巣からテトロドトキシンの抽出・分離」太刀川隆治、酒井浄 内容が質問に近いものとして、参考までに以下の資料を紹介します。 ・『生薬学・天然物化学』吉川雅之 編 化学同人 2008年  生薬、天然物について解説した資料。生薬と基原植物の写真の口絵があります。   p113~124 アルカロイド(3章 生薬成分の構造と生合成)   p166~172 アルカロイド系医薬品(6章 天然医薬品)   p187~193 抽出と分離精製(7章 天然有機化合物の研究法) ・『アルカロイド 毒と薬の宝庫』船山信次 著 共立出版株式会社 1998年   p143にフグ毒、p259にアコニットアルカロイドについて記述あり。 参考資料:名取信策, 池川信夫, 鈴木真言 編 , 名取, 信策, 1923- , 池川, 信夫 , 鈴木, 真言. 天然有機化合物実験法 : 生理活性物質の抽出と分離. 講談社, 1977. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001339593-00, 参考資料:吉川雅之 編 , 吉川, 雅之, 1947-. 生薬学・天然物化学. 化学同人, 2008. (ベーシック薬学教科書シリーズ : 薬学教育モデル・コアカリキュラム準拠 ; 7) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009313049-00, 9784759812572 参考資料:船山信次 著 , 船山, 信次, 1951-. アルカロイド : 毒と薬の宝庫. 共立出版, 1998. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002696152-00, 4320055047

さいたま新都心周辺の下原刑場以外の浦和・与野周辺にあった刑場跡について知りたい。(さいたま市立中央図書館)

さいたま市立図書館・埼玉県立浦和図書館・埼玉県立文書館で調べても見つからず。 回答プロセス:以下調査したが該当の記載がなかった資料 『日本刑罰史蹟考』 重松一義/著 成文堂 1985 『関東取締出役-シンポジウムの記録-』 関東取締出役研究会/編 岩田書院 2005 『大日本地誌大系 15 新訂増補版』 雄山閣 1996 『埼玉県警察史 第1巻』 埼玉県警察史編さん委員会/編集 埼玉県警察本部 1974 『与野市史 通史編 上巻』 与野市総務部市史編さん室/編 与野市 1987 『浦和市史 通史編2』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1988

さいたま市のPRキャラクター「ヌゥ」について、図書資料で調べたい。(さいたま市立中央図書館)

以下の資料に掲載があった。 ・『市報さいたま 年鑑版 平成19年1月号(No.69)12月号(No.80)』さいたま市市長公室広報課 2008年  2007(平成19)年10月(Vol.78)「さいたまんが」のページに、初めてヌゥが登場する。  「ヌゥ 日本最大規模を誇る都心緑地空間『見沼田んぼ』の主の子孫。市民に役立つ情報を伝える役」とある。 ・『埼玉新聞縮刷版 平成19年9月号』埼玉新聞社 2007年  P390 2007年(平成19年)9月21日16面 「さいたま市 PRキャラが誕生 『つなが竜ヌゥ』がお披露目」 ・『埼玉新聞縮刷版 平成19年10月号』埼玉新聞社 2007年  P394 2007年(平成19年)10月21日12面 「『つなが竜ヌゥ』1日署長に 浦和競馬場 きょう消防フェア」 ・『埼玉新聞縮刷版 平成21年3月号』埼玉新聞社 2009年  P613 2009年(平成21年)3月31日19面 「さいたま市のキャラクター『ヌゥ』4月から一般公開」

ピーナッツみそのレシピが載っている本は?(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を提供した。 『減塩なのにおいしい!たれ・ソース・ドレッシング おかずのレパートリーが増える』服部幸應/著 PHPエディターズ・グループ 2014 P.76 『農家が教える野菜の収穫・保存・料理 おいしいレシピ229』西東社編集部/編 西東社 2016 P.178 『いろいろ蒸す 鍋で、せいろで、フライパンで。肉も野菜もお魚も。たくさんの「美味しい」を蒸しましょう!』岩崎啓子/著 河出書房新社 2009 P.32 『青山ファーマーズマーケット畑レシピ 農家が教えてくれたおかず100』青山ファーマーズマーケット/著 主婦と生活社 2012 P.98 『武蔵裕子流ストックレシピ 最長2か月おいしさ続く保存食レシピ80』武蔵裕子/著 主婦と生活社 2015 P.42,43 『絶品<ナッツ>レシピ 世界中で食べられてきた栄養源、納得の61品』重信初江/著 高橋書店 2010 P.70 『秘密のストックレシピ 作りおきの調味料/ごはんの友/漬けるもの/おやつのもと』白崎裕子/著 マガジンハウス 2015 P.65

日本では、いつからどのような理由で、1日3食が定着したのか?また、おやつはどのような位置づけか?(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を紹介しました。 ・『日本の食文化 昭和初期・全国食事習俗の記録』成城大学民俗学研究所/編 岩崎美術社 1990年  p631 日本食事概要一覧表というものが載っています。地域ごとの食事の時間帯が記載されています。1日3食の定着については記載なし。 ・『全集日本の食文化 第10巻 日常の食』芳賀登/監修 石川寛子/監修 雄山閣出版 1997年  p37 慶応2年の献立帖  p237 菓子について記述されています。 ・『日本を知る事典』大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980年  p365 「日に三回の食事が普通になったのは江戸中期になってからで」との記述があります。 ・『日本風俗史事典』日本風俗史学会/編集 弘文堂 1994年  p320 「江戸時代には昼食が固定して三度食となり」との記述があります。 ・『日本人のひるめし』酒井伸雄/著 中央公論新社 2001年  p24 (3)「ひるめし」のはじまり     「鎌倉時代の初期には、朝廷を含めた公家社会では一日三回の食事が定着していた」との記述あり。  p30 「武家では昼食を食べることは昔はなかった」との記述あり。 ・『食生活の歴史』瀬川清子/[著] 講談社 2001年  p205 「中世までは一日二食が普通」、「烈しい労働をする者には、間食を給していた」、「いつの間にかその間食が朝食と夕食の間にわりこんで昼食になり、一日三食が正規の食事になった」との記述あり。   ・『日本民俗大辞典 上 あ~そ』福田アジオ/[ほか]編 吉川弘文館 1999年  p861 “しょくじ”      「平安時代は一日二食で労働力の激しい者などが間食をとったという。次第に間食が固定化して中食(昼食)になり、中世から近世にかけて一日三食になり、定着した」との記述あり。 ・『絵でよむ江戸のくらし風俗大事典』棚橋正博/編著 村田裕司/編著 柏書房 2004年  p188 「日本人の一日の食事の回数が従来の朝夕二回から昼が加わって三回に変わり、それが定着するのは、江戸時代になってから」との記述あり。 ・『図録・近世武士生活史入門事典』武士生活研究会/編 柏書房 1991年  p195 「朝夕二食に加え、夜食が出されている。これが、一日三食の原型であり、その習慣は元禄年間に広まった」との記述あり。 ・『図説江戸時代食生活事典』日本風俗史学会/編 雄山閣出版 1996年  p89 “かんしょく 間食”(おやつについて)

西南戦争に現浦和周辺の若者達は出征しているか?(さいたま市立中央図書館)

出征数については資料は見当たらなかった。 死者数については記載があった。 『埼玉県史 通史編5』 埼玉県 1988 p132 戦死者は北足立郡において51人 回答プロセス:以下参考資料 『日本全国郡区分人口表』 国立国会図書館デジタルコレクション P14-15 北足立郡148.706 入間郡114.721 比企郡59.983 秩父郡63.834 児玉郡28.456 大里郡25.657 北埼玉郡128.090 南埼玉郡113.425 北葛飾郡65.892 『埼玉県史 通史編5』埼玉県 1988 p131 埼玉県から西南戦争に従事した人々は明治七、八年に徴兵された人々である p132 埼玉県人が多く戦死したのは東京鎮台第一連隊に所属した人々で、三月十七日の田原坂の戦いであった 『さいたま世相史 明治の埼玉警察史話』 篠原孝/著 さきたま出版会 1976 p101 警察抜刀隊101名が参加している 埼玉県統計署によれば、本件から西南戦争に政府軍として出征した315名のうち189名が戦死としるされている。 『埼玉県警察史 第1巻』 埼玉県警察史編さん委員会/編集 埼玉県警察本部 1974 p242-275 p582-584 明治10年4月6日の埼玉県達により、322名の士族が徴募に応じ、7名は出征しなかった

江戸~明治時代のさいたま市内の各村の庄屋について、村名・人名等を知りたい。(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を紹介した。 『浦和市史調査報告書』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年 (第10~16、18集のみ) 回答プロセス:『日本歴史大辞典』日本歴史大辞典編集委員会/編 河出書房新社 1985年  “庄屋”の意味を確認したところ、関東では名主、関西では庄屋と呼ばれるとの記述あり。 『浦和市史調査報告書』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年  文書の差出人・受取人・送付した年が載っている。宛名に「名主」と記載されている。  文書を送付した年が書いてあるだけなので、名主役を勤めた時期を正確に特定できるものではない。  第18集まで出版されているが、調査に活用できるのは、第10~16、18集のみ。

浸透圧のしくみについて解説されている資料を紹介してほしい。(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を紹介した。 ・『おもしろい!料理の科学(世の中への扉)』平松サリー/著 講談社 2017年  p149 “9章 食塩のチカラ” 浸透圧の解説あり。 ・『学研の中学生の理科自由研究』学研教育出版/編 学研教育出版 2013年  p26-31 卵とセロハンを使用した浸透圧の実験について記述あり。 ・『身近な科学の大研究』栗岡誠司/監修 PHP研究所 2008年  p28 浸透圧とはなにか、どのように生活に活用されているか等が書かれています。 ・『身のまわりのふしぎサイエンス』内田麻理香/監修 岩崎書店 2012年  p6-12 塩について記述あり。p9に浸透圧について記述あり。 ・『理系のためのはじめて学ぶ化学[物理化学]』齋藤勝裕/著 ナツメ社 2007年  p119 浸透圧について記述あり。浸透圧を求める方程式も記述されている。

「小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし)」の影印が載っている本が見たい。(さいたま市立中央図書館)

以下の資料を提供・紹介した。 『歌でおぼえる寺子屋くずし字入門「小野篁歌字尽」』杉村卓二/著 創元社 2016 『国語文字史の研究 13』国語文字史研究会/編 和泉書院 2012(p189-214「絵抄本『小野篁歌字尽』影印と解題」) 『異体字研究資料集成 1期9巻 2版』杉本つとむ/編 雄山閣出版 1995(p291-328「『小野篁哥字尽』影印」) 『小野篁歌字尽』村山二郎 1893(国立国会図書館デジタルコレクション・インターネット公開資料) 『小野篁歌字尽』近八郎右衛門 編 近八郎右衛門 1886(国立国会図書館デジタルコレクション・インターネット公開資料)

戦後~昭和末期の、(旧)大宮市および(旧)岩槻市のバス路線を知りたい。(さいたま市立中央図書館)

 旧大宮市については、以下の資料に掲載があった。 ・『統計季報』大宮市 1953年~1983年  「運輸・通信」の章「自動車路線別乗降人数」に、各事業者調べの路線名、月間延乗降人員、月間乗車券売上高が記載されている。  旧岩槻市については、まとまった掲載のある資料は見つからなかった。    以下の資料に断片的な情報があり、参考までに紹介した。 ・『東武鉄道65年史』東武鉄道年史編纂事務局 編集 東武鉄道 1964年  p.144とp.145の間に「当社鉄・軌道路線図」があり、昭和37年11月1日現在の主要道営バス路線が鉄道路線などとともに書き込まれている。 ・東武鉄道百年史』東武鉄道社史編纂室 編集 東武鉄道 1998年  p.695 「路線バス営業キロ数のピーク、昭和43年9月における主要バス路線」の図あり。 ・『東武鉄道百年史 資料編』東武鉄道社史編纂室 編集 東武鉄道 1998年  p.321~449 年表 「バス・開発・関連会社」の欄に、路線運行開始などの記載があり。 ・『東武鉄道バス事業本部』東京乗合自動車愛好組合・新座支部 1992年  p.37~39 平成4年現在だが、大宮営業所の路線が掲載されている。  p.80~81 主な新路線 「昭和59年度 大宮駅東口~工業団地東(59年9月28日実施)」、「昭和63年度 大宮駅西口~シティハイツ三橋」、「平成元年度 大宮駅~成田空港」の記載あり。 ・『地域とともに 西武バス60年のあゆみ』西武バス株式会社社史編纂委員会 編 西武バス 2007年  p.212~213 「路線網の変遷」として、1946年、1966年、1986年、2006年の西武バス(自動車)路線図が掲載されている。  p.215~222 路線開設一覧 ・『埼玉県広域道路地図』人文社 1983年 ・『埼玉県広域道路地図』人文社 1985年  道路地図にバス路線が書き込まれており、バス停名も記載されている。 ・『国際興業五十年史』国際興業株式会社社史編纂室 編集 国際興業 1990年  p.242 大宮営業所 バス路線図が掲載されているが平成元年9月1日現在のもの。 ・『いわつき 市勢要覧 1967』岩槻市商工課統計係 1967年  岩槻駅から近郊の駅へ、バス(東武バス、国際興業バス)が出ていたことを表す絵図があるが、正確な路線がわかるものではない。 回答プロセス:旧大宮市、旧岩槻市の統計や要覧を確認した。 各バス会社が出している資料を確認した。 「バス路線・バス停名入り」の標記がある道路地図を確認した。 事前調査事項:『埼玉県市町村誌 大宮市』大宮市 編 発行年不明 p.217~221に、昭和45年の大宮市のバス路線が掲載されているのは確認済。

いわき市の小学生の読書感想文の入賞作品がまとめられた本があると聞いたので、教えてほしい。(いわき市立いわき総合図書館)

毎年発行されている資料①『文集いわき』(いわき市小学校教育研究会国語部会/編・発行)の最後に「いわき地区読書感想文コンクール優秀作品」が掲載されています。 参考資料:【資料①】『文集いわき』[K/375/イ],

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