レファレンス協同データベース新着事例

エレベーターの仕組みについて書かれた本はないか。大人用と子ども用で。(香芝市民図書館)

次の本にエレベーターの昇降の仕組みが載っていた。 1.『透視絵図鑑なかみのしくみ まちなか』 六曜社 <児500> P.14-17に図解で詳しく掲載。エスカレーターもあり。 2.『エレベーター革命』文芸社 <528>   内容紹介にエレベーターの構造について記載されている。 <参考>『凄いぞ!エレベーター』文芸社<536.7> 対話形式でメンテナンスや事故等の整備をする実務の視点から書かれている。   質問の本質からは少し外れているかも。 回答プロセス:1.キーワード「エレベーター」で蔵書検索 2.上記の本の中身を見て紹介。 参考資料:こどもくらぶ 編さん , こどもくらぶ. 透視絵図鑑なかみのしくみ まちなか. 六耀社, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026851358-00, 9784897378053 参考資料:エレバイザー 著 , エレバイザー, 1957-. エレベーター革命. 文芸社, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007526137-00, 4835581911 参考資料:霞昇 著 , 霞, 昇. 凄いぞ!エレベーター. 文芸社, 2010. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011015717-00, 9784286095424 備考:児童書が一番分かりやすかった。

木辻城(きのつじじょう)のことが載っている本はないか。 現在の上牧町にある片岡城の出城だとのこと。(香芝市民図書館)

『上牧町史』上牧町史編集委員会/編 上牧町役場,1977年 P.442-444に記載有。 回答プロセス:1.片岡城の近く、上中あたりにあるとのことだったが、念のためにインターネットで片岡城の住所を調べる。 2.たまたま開いた「ニッポン城めぐり」(ttps://cmeg.jp/w/castles/6397 2018.4.12アクセス)の片岡城のページに、wikipediaからの引用で「南方約1.2㎞には出城の木辻城があった」「(片岡城は)北葛城郡上牧町に存在した城」と記載有。 3.『上牧町史』と、念のため『王寺町史』で木辻城を調べると、『上牧町史』に約2ページにわたって記述があった。 木辻城については、下記の資料には記載なし。 1.『王寺町史』 2.『日本城郭大系10』(三重奈良和歌山) 新人物往来社<N216.5奈良県> 3.『片岡の歴史』 上島秀友著 FM西大和 4.『やさしく読める王寺町の歴史』岡島永昌 王寺町 下記の資料は貸出中のため、確認できず。 『図解近畿の城郭』1・2・4巻 戎光祥出版<216> 上牧町立図書館他に下記資料があるようなので、案内した。(当館未所蔵) 『片岡城跡 中世山城の研究』日本地名学研究所/編 上牧町教育委員会 照会先:上牧町立図書館 『片岡城跡 中世山城の研究』日本地名学研究所/編 上牧町教育委員会

1.香芝市関屋辺りにある道標について載っている本はないか。「これより東、奈良」のようなことが書いてある。 2.香芝市畑にある石仏について載っている本はないか。室町時代の古いものだと聞いた。(香芝市民図書館)

1.「田尻峠の里程標(田尻)」が該当。「従是東奈良縣管轄」との表示有。下記資料に掲載。 a.『香芝町史』 P.104「本町内の道標」の①として掲載。P.93の地図に対応。 b.二上山博物館ホームページ内『かしばの道再発見~香芝の道標と近世主要街道~』  (pdfファイル) http://www.city.kashiba.lg.jp/kanko/cmsfiles/contents/0000000/801/files010321.pdf 〔2018.11.13アクセス〕 2.「一本松の阿弥陀石仏(香芝市畑2丁目)」が該当。下記資料に掲載。  c.『かしばの文化財3 風渡る野辺の石仏』香芝町教育委員会/編  d.『かしばの文化財 石仏をたずねて』香芝町教育委員会/編 回答プロセス:1.について (1)関屋のどのあたりか地図で確認。国道165号付近とのことだったので、上記bのサイトの地図と記事で確認。「ホームページ版」の記事(PDF)のNo.1に記載有。前年の12月に行った講座資料(上記ホームページ版と地図をプリントアウトした者)が余っていたので、お渡しした。 (2)『香芝町史』を確認すると上記回答の箇所に記述有り。 2.について (1)場所を詳しく尋ねると、よく通る道で、香芝市畑の以前人形屋があったところを南に行ったところ、木の下にある、とのことだった。また、一般人のブログでも紹介されていた、とのことだったので、「香芝市」「畑」「石仏」でgoogle検索。ヒットしたサイトを確認してもらった。 *サイト記事:「石仏み~つけた」内の「香芝市 畑 阿弥陀如来石仏」  https://blog.goo.ne.jp/sekibutudaisuki/e/4a3321dbf24bd298bcb0bfde61151cfd 〔2018.11.13アクセス〕 (2)質問者に石仏を確認すると、これだ、とのこと。自館資料の上記回答c.d.を当たると 掲載されていた。『香芝町史』も確認したが、ざっと見たところ、掲載されていないようだった。(但し、通読していないため見落としている可能性も有) 参考資料:香芝町(奈良県) , 香芝町(奈良県). 香芝町史 [本編]. 香芝町, 1976. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045399735-00, 参考資料:香芝市二上山博物館/編 , 香芝市二上山博物館. 風薫る野辺の石仏. 香芝市二上山博物館, 1993. (かしばの文化財 ; 3) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I044877937-00,

横浜市金沢区にあった、泥亀新田(でいきしんでん)の開発をした永島家について知りたい。 特に旧永島邸に関する資料があればそれを見たい。(横浜市中央図書館)

1.永島家について    永島家に関する主な資料として次の資料をご紹介します。  (1)『泥亀永島家の歴史』 永島加年男/著 西岡芳文/編 永島加年男遺稿集刊行会 2015.7     永島家の最後の当主による遺稿集です。(参考:「タウンニュース 金沢区版」2015年7月16日 号)泥亀永島家の江戸末期までを著者が調査したものを、県立金沢文庫の学芸員である編者がま とめています。本文のほか、永島家の年表、系図などが資料としてまとめられています。     編集後記で西岡氏が以下のようにまとめています。「永島家は、但馬出身で医道を学び、奥医師 として代々幕府医官を勤めた長嶋家を本家とする。初代徳元の子・祐伯は、武州金沢に居を移し、 野島地崎の干潟を干拓して新田を開いた。この新田は祐伯の号「泥亀」に因んで泥亀新田と呼ば れた。金沢の分家は「永島」を名字とし、代々泥亀新田の名主役を勤めながら、金沢の入海(内 川入江)の干拓を試みた。(以下略)」  (2) 「泥亀新田の改革-泥亀永島家の家歴稿・祐伯三代まで-」     永島加年男 『六浦文化研究 第12号』 六浦文化研究所 2004.5     永島家の家歴稿として、(1)の元になった原稿とみられます。副題にあるように祐伯三代までを まとめています。  (3) 『泥亀永島家の面影 永島家文書とその世界 企画展』  神奈川県立金沢文庫/編  神奈川県立金沢文庫 2016.6     県立金沢文庫で平成28年に実施された企画展の図録です。p.4-7の総説部分に江戸から現代ま でまとめられています。  (4)『金沢文庫古文書 第15輯・第16輯 永島家文書』 金沢文庫(横浜) 1960     戦前、永島家が満洲に転居した際に県立金沢文庫に寄託、その後寄贈された資料。泥亀新田割 付状、新田開拓の経緯、石高、費用などの記録があり、江戸時代における大規模新田開発の資料 として有用とされています。 (5)『江戸時代神奈川の100人』 神奈川近世史研究会/編 有隣堂 2007.3     p.14「永島泥亀・亀巣」の項目で、泥亀新田開発を中心に短くまとめられています。    2.旧永島邸について    永島邸についての資料は明治期、戦後の資料が確認できます。   明治期の建物について、「二階家が建てられ、金沢の眺望をほしいままにして、亀巣の偉業を象徴する ランドマークとなっていた」ようですが、関東大震災で邸宅は倒壊し、とりあえずの再建を行います。   昭和18(1943)に野島が海軍に接収され、永島邸も門構え以外の建物が撤去されました。   このことが『泥亀永島家の面影 永島家文書とその世界 企画展』(4)に書かれています。   邸宅を確認できる資料として、『相中留恩記略』(1)江戸時代後期の絵図のほか、明治期の写真、 絵葉書、戦後に正門だけが残された写真とその経緯などを以下の資料から確認することができます。  (1)絵図    『相中留恩記略』福原高峰/撰 長谷川雪堤/画 相中留恩記略刊行会/編集 有隣堂 1967.12    江戸時代後期の相模国の名勝を探訪して編集された図会形式の地誌で、本編が天保10年(1839)に 成稿されました。巻二十三p.434に、泥亀新田が収録されており、名主段右衛門(永島家当主)の 宅地の様子が描かれています。  p.175-176 「名主段右衛門」  (2)絵葉書 確認できた資料の中では建物が最もはっきり写っています。   (横浜都市発展記念館横浜絵葉書データーベース) 「野島の夕照 泥亀の牡丹園」 http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/ppcDB/ppcDB_b20_037_31.htm 絵葉書中に「横須賀鎮守府第三號ノ三大正十四年二月二十五日○○○」とあり、    絵葉書の作成された時期が推測できます。     (3)写真    ア~ウは、同じ写真を掲載しています。アには、撮影者が「日下部金兵衛」とあり、     明治期の牡丹園の写真だと思われます。     ア『愛された金沢八景 楠山永雄コレクションの全貌 特別展』 神奈川県立金沢文庫/編 神奈川県立金沢文庫 2017.2 p.27 永島泥亀の牡丹 日下部金兵衛    イ『ぶらり金沢散歩道 歴史・伝説・民話を歩く』 楠山永雄/著 金沢郷土史愛好会  2003.10     p.129 泥亀の牡丹  「野島の永島邸と牡丹園」とある写真の掲載があります。    ウ金沢区役所     泥亀新田と沿岸部埋立 http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/rekishi/otona/landscape/deiki.html    「永島家の牡丹園(楠山永雄コレクション 神奈川県金沢文庫)」  (4)『泥亀永島家の面影 永島家文書とその世界 企画展』  神奈川県立金沢文庫/編  神奈川県立金沢文庫 2016.6     「旧永島家表門」の写真のほか、明治期の〔永島邸牡丹園〕も掲載されています。  (5)『泥亀永島家の歴史』 永島加年男/著 西岡芳文/編 永島加年男遺稿集刊行会 2015.7     明治期の「永島泥亀邸と牡丹園」や永島邸(絵葉書)、昭和期の「永島家古写真」、 戦後の「解体直前の永島邸正門裏側」が掲載されています。     戦後に残されていた正門は、平成18年(2006)10月頃、保存運動も起こらないまま破壊・撤去 されたことも p.393に記されていました。

明治から昭和30年代にかけて、三渓園とその周辺の変遷がわかる地図・地形図が見たい。(横浜市中央図書館)

三渓園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷(さんのたに)にある日本庭園です。実業家 原富太郎(1868~1839年)が1902年(明治35)頃から造成を開始し、1906年(明治39)に一般公開されました。 1  各年代の地形がわかる資料には次のものがあります。 (1)明治14年の地図  『横濱實測圖』 古地図史料出版 出版年不明   1881年(明治14)作成の復刻 縮尺1:5,000   『三溪園100周年原三溪の描いた風景 三渓園100周年原三渓の描いた風景』p.56にも 「まだ田園が広がる三渓園一帯」として掲載されている、鮮明で詳細な資料です。 横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」でも閲覧することができます。   「横浜実測図」 http://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/dcv/IndexServlet?mode=1&id=12004&r=0&x=0&y=0&uniq=1534819017704 (2) 明治15年の地図  『明治前期・昭和前期横浜都市地図』 清水靖夫/編 柏書房 1995年   p.80 1882年(明治15)縮尺1:10,000(1:20,000迅速測図を使用したもの)   このほかにp.84 1931年(昭和6)縮尺1:10,000        p.182 1953年(昭和28)縮尺1:10,000 も収録しています。 (3) 大正10年の地形図  『1/25000地形図 本牧 (東京)』 建設省国土地理院/〔編〕 建設省国土地理院    1921年(大正10年)測図、1923年(大正12)発行  縮尺1:25,000 (4) 昭和6年の地形図 『1/10000地形図 本牧 ホンモク』 大日本帝国陸地測量部/〔編〕 大日本帝国陸地測量部  1931年(昭和6)測図、1932年(昭和7)発行 縮尺1:10,000 (5) 昭和23年の地形図 『1/10000地形図 本牧 ホンモク』 大日本帝国陸地測量部/〔編〕 大日本帝国陸地測量部  1931年(昭和6年)測量、1948年(昭和23)修正測量、1954年(昭和29)発行 縮尺1:10,000 (6) 昭和33年の地形図 『横浜市五千分一地形図』 横浜市 1958年   1958年(昭和33)縮尺1:5,000   84-8根岸に三渓園が掲載されています。園内の建物の配置まで記載されています。 (7)インターネットで閲覧できる資料   横浜市建築局「横浜市三千分一地形図」   http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map.html   昭和初期と昭和30年代の三千分一地形図が閲覧できます。詳細、鮮明で園内の建物の  配置までわかります。   縮尺1:3,000   ア 三千分一地形図第三十九号「本牧」      昭和7年測図 昭和9年製版      http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map/039s.html       イ 三千分一地形図第三十九号「本牧」      昭和7年測図 昭和27年部分修正 昭和27年製版      http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map/039-2s.html   ウ 三千分一地形図「84-8根岸(昭39)」      昭和39年修正      http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000-30s/84-8s.html 2  三渓園の園内の地形や建物の配置がわかる資料には次のものがあります。 (1)『名勝三溪園保存整備事業報告書(中間) 平成28年度』 株式会社環境事業計画研究所/編   三渓園保勝会 〔2016〕   平成20年度から国庫補助等を受けて実施している保存整備事業の報告書です。   p.250-255    三渓園の地理的環境、地形特性、植生等が地図、地形図を用いて解説されています。   p.266-268    大正12年、昭和9年、平成18年の三渓園配置図が掲載されています。   巻末資料として、以下の資料が掲載されています。   p.347 明治14年(1881)「横浜実測図」   p.348 大正11年(1922)「横浜市空中写真」   p.349 昭和9年(1934) 横浜市「3000分の1地形図」 (2)『日本の庭園美 7 三渓園』 集英社 1989年   庭園解説の中で以下の資料が掲載されています。   p.60 庭園配置図 縮尺1:3,000   p.62-63 内苑・外苑断面図   p.64-65 臨春閣前断面図、聴秋閣・流れ断面図

東京都豊島区の巣鴨地蔵通り商店街はいつから「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるようになったのか。(横浜市中央図書館)

「おばあちゃんの原宿」「おばあさんの原宿」「おばあさんの竹下通り」等、類似の名称がありますが、 多くの資料で昭和50~60年代に呼ばれるようになったとされています。 また、呼ばれるようになった契機として「読売新聞」(1987年1月22日)を紹介している資料もあります。 関係資料を次のとおりご紹介します。 1 巣鴨地蔵通り商店街に関する資料  (1)『おばあちゃんの原宿 巣鴨とげぬき地蔵の考現学』川添登/編著 平凡社 1989   p.23「一〇年ほど前からおばあちゃんたちが著しく増加し、最近にいたって「おばあちゃんの原宿」 とよばれるようになった。」   p.168~169 巻末の座談会より   「ここがクローズアップされたのは、たしか昭和六一年の一一月ですよ。   NHKのテレビがとり上げて、お年寄りの巣鴨というようなことで放映したのです。<略>」  (2)「巣鴨とげぬき地蔵(万頂山高岩寺)の変容と発展    「おばあちゃんの原宿」は,どのようにしてつくられたか」川添登   『国立歴史民俗博物館研究報告』(33), p.43~74, 1991-03   (1)の著書である川添氏が、(1)の刊行後も独自に調査を続行し、改めて書き下ろしたものです。   p.59「『おばあちゃんの原宿』とよばれるようになったのは、昭和50年代の後半からである。」  (3)『大都市高齢者と盛り場 とげぬき地蔵をつくる人びと (都市研究叢書) 復刻版』   倉沢進/編 東京都立大学出版会 2001   p.117~125「2.とげぬき地蔵とマスコミ―「おばあちゃんの原宿」へのまなざし」    「おばあちゃんの原宿」というイメージの生成・共有について、テレビや雑誌などのマスコミが   大きな役割を果たしていると述べており、とげぬき地蔵とおばあちゃんを結びつけた媒体として   1988~1991年代の番組や記事が複数紹介されています。  (4)『とげぬき地蔵商店街の経済学 「シニア攻略」12の法則 (日経ビジネス人文庫)』   竹内宏/著 日本経済新聞社 2005   p.51~52「無邪気なおばあちゃんたち」   「おばあちゃんの原宿」という名称は昭和60年代につけられ、「商店街の人気ぶりをレポート   した読売新聞の記者が、「おばあちゃんの原宿」と表現した」とあります。  (5)「中高年の聖地ルポ 巣鴨地蔵通り商店街にシニア客獲得の極意を見た」大橋繕一郎   『商業界』54(9), p.72~79, 2001-09   「「おばあちゃんの原宿」として全国的に名高い同商店街が脚光を浴び始めたのは昭和60年ごろ」  (6)「東京ホットラインNo.6」    『ひろしま中小企業支援情報 GET』2004年8月号 Vol.14 p.7 広島市産業振興センター 2004.8 http://www.assist.ipc.city.hiroshima.jp/pdf/GET_Vol_14.pdf    巣鴨地蔵通り商店街が紹介され、昭和60年以降「おばあちゃんの原宿」としてマスコミに頻繁に   取り上げられるようになったとあります。  (7)「巣鴨商業地区における風土形成試論」小長谷悠紀    『立教大学観光学部紀要』(19) p.76~86, 2017-03 http://doi.org/10.14992/00014721    「表1 商店街組織・地域有志等による資料」と「表3 巣鴨周辺の地域に関する主な既存研究    (年代別)」に巣鴨地区を対象とした既存研究の文献一覧が掲載されています。    「「おばあさんの原宿」という言葉がまちで拾われ、報じられた」ことの出典が『読売新聞』    (1987年1月22日)とあります。  (8)「商店街活性化に関する考察--巣鴨・小布施・長浜を事例にして」井原久光    『長野大学紀要』24(1) p.61~83 2002-06 http://id.nii.ac.jp/1025/00000407/    p.68~「3.巣鴨地蔵通り商店街」    「昭和60年に巣鴨地蔵通り商店街を取材した読売新聞の記者は『おばあちゃんの原宿』と命名し(略)」 2 流行語  当時の流行語・新語として次の資料を確認しました。  (1)『イミダス 1989 情報・知識』集英社 1989  p.919「おばあさんの原宿」が掲載されています。   前後の1988年版、1990年版には掲載されていません。  (2)『現代用語の基礎知識 1990年版』自由国民社/編 自由国民社 1989   p.1248~1249「おばあちゃんの竹下通り」   前後の1989年版、1991年版には掲載されていません。 3 新聞記事  「おばあさんの原宿」という名称が報じられたとされる新聞記事を確認しました。  (1)「いのちとこころ(第一部・長生き社会の健康)15」   (『読売新聞』朝刊 昭和62年1月22日 p.1)    記事本文に「毎月四の日の縁日には高齢者が詰めかけ、若者たちの向こうを張って、   いま、”おばあさんの原宿”と呼ばれる。」とあります。

「ドリア」という料理が、横浜のニューグランドホテル発祥かどうかを知りたい。 また、横浜発祥の料理(食べ物)を調べるには、どのような資料があるかを知りたい。(横浜市中央図書館)

1 下記の資料に、ドリア発祥に関する記述がありました。 (1)ホテルニューグランド関連の資料   ア『横浜流 すべてはここから始まった』 高橋清一/著 東京新聞出版局 2005.7     ホテルニューグランドの現総料理長による“料理人の目で見たホテルニューグランド物語”です。 p.36-38「受け継がれる名物料理、シュリンプドリア」という項目があります。     1927年に来日した初代総料理長のサリー・ワイル氏がドリアを考案したことについて書かれています。    イ『初代総料理長サリー・ワイル』 神山典士/著 講談社2005.9     ドリアを考案したワイル氏の伝記です。     p.113-114 ドリアを即興で作ったという記述があります。    ウ『Memories of HOTEL NEW GRAND』 ホテルニューグランド/編著 神奈川新聞社 2017.12     ホテル・ニューグランド90周年を記念して作られた資料です。     p.46 “横浜発祥”を多く生み出してきたとし、ドリアについてのエピソードも簡略に書かれています。   エ『ホテル・ニューグランド八十年史』 「ホテル・ニューグランド」編集委員会/編 神奈川新聞社 2008.3      ホテル・ニューグランドの80周年記念誌です。     ドリアについての記述はありませんが、巻頭の写真ページに1935年のメニューが掲載されており、 「芝蝦のドリア」とあります。   オ『横浜の時を旅する ホテルニューグランドの魔法』 山崎洋子/著 春風社 2011.12   p.61 ワイル氏の考案によるもので、後に全国的なスタンダードメニューになったものの代表として シュリンプドリアについて書かれています。考案の経緯や、当時の作り方などに言及しています。 (2)料理(洋食)に関する資料   ア『日本の洋食』 青木ゆり子/著 ミネルヴァ書房 2018.5     p.72-73「3 全国各地で発展した「日本の洋食」」の中に「ドリア」の項目があります。     初代料理長ワイル氏について、ドリア考案の経緯や名前の由来について説明されています。   イ『フランス食の事典』 日仏料理協会/編 白水社 2000.10     p.425「ドリアふう」の項目に、名前の由来、料理の特徴、ホテルニューグランドのシェフ     サリー・ワイル氏考案の旨が説明されています。   ウ『あのメニューが生まれた店 コロナ・ブックス』 菊地武顕/著 平凡社 2013.11     p.64-65「ドリア ―ホテルニューグランド・横浜」     考案の経緯や、当時の作り方などを説明しています。   エ『料理人たちの饗宴』 桜沢琢海/著 河出書房新社 2002.8     p.216-221「ドリアを広めた日本のエスコフィエ、サリー・ワイル」     ドリア考案について、ワイル氏について書かれています。     ※ドリアの発祥の経緯等については、諸説あるようです。複数の資料をご確認ください。 2 下記の新聞記事にも、ドリアの発祥に関する記事がありました。   いずれも、ドリア考案の経緯や当時の簡単な作り方、考案者のワイル氏についてまとめられています。 (1)毎日新聞 2017年7月22日 朝刊25面    「HOTEL 夢のひととき ホテルニューグランド ワイルの思い脈々と」 (2)産経新聞 2003年11月16日 朝刊25面    「憧れの店憧れの味 コーヒーハウス ホテルニューグランド 「ザ・カフェ」 シーフードドリア」 (3)神奈川新聞 2017年8月23日 朝刊1面    「横浜・ホテルニューグランド 初代料理長レシピ復刻へ 伝統の味後世に」 (4)東京新聞 2010年11月26日 朝刊28面    「美味の遺伝子=ホテルニューグランド シーフードドリア 即興料理 貴族の名」     3 横浜発祥の食べ物(料理)を調べられる主な資料は、下記のとおりです。 (1)『横浜もののはじめ考 第3版』 横浜開港資料館/編 横浜開港資料館 2010.3     p.40-63「Ⅲ ホテルと洋食文化」 (2)『横浜もののはじめ』 横浜市図書館/編 横浜市教育委員会 1977.1     p.1-10「第一部 飲食」 (3)『幕末・明治の横浜 西洋文化事始め』 斎藤多喜夫/著 明石書店 2017.3     p.105-138「第五章 食生活の国際化」 (4)『横浜ことはじめ かもめ文庫』 半沢正時/著 神奈川合同出版 1988.3     項目分けはされていませんが、「牛鍋」「氷水(あいすくりん)」「ビール」などが載っています。 (5)『横浜もののはじめ物語』 斎藤多喜夫/著 有隣堂 2017.11     p.87-98「第六話 洋食事始め」 (6)『横浜・神奈川さいしょ物語』 NTT出版/編 NTT出版 1996.3 項目分けはされていませんが、「アイスクリーム」「牛鍋」「ハム」などが載っています。 (7)『ヨコハマ洋食文化事始め』 草間俊郎/著 雄山閣出版 1999.5     発祥についてだけではなく、当時の食文化や普及の様子など詳しく書かれています。 (8)『横濱事物起源(1)~(26)』 〔横浜市〕〔1990〕     昭和15年1月11日から7月4日まで毎木曜日,横浜市報に連載されたものを横浜市立図書館で電子複写し製本したもの。     目次や索引はありませんが、「牛肉屋の始め」「パン製造の始め」「氷水屋の始め」などが載っています。 (9)『明治事物起原 8 ちくま学芸文庫』 石井研堂/著 筑摩書房 1997.12     p.37-143「第十八編 飲食部」     横浜に限らず、明治時代の事物起源をまとめた資料ですが、横浜が起源のものも多く載せられています。

昭和28年11月に発足した海運合理化促進懇話会について記した資料はないか。(日本海事センター海事図書館)

①、②に発足及び活動についての記事あり。 ③~⑥にも関連記事あり。 委員長を務めた村田省蔵氏の他、米田冨士雄氏、寺井久信氏等関係者の伝記にもあたったが、回想録が主で同会に関する資料としては使えなかった。 参考資料:①雑誌「海運」(日本海運集会所)第315号(1953.12), 参考資料:②雑誌「海運調査月報」(三井船舶株式会社)第17号(1953.12), 参考資料:③「創業百年史」日本経営史研究所編 大阪商船三井船舶株式会社発行 1985年(M.2210/O73), 参考資料:④「日本郵船株式会社百年史」日本経営史研究所編 日本郵船株式会社発行 1988年(M.2210/N77), 参考資料:⑤「現代日本海運史 戦後十五年の歩み」加地照義,岡庭博,古川哲次郎監修 日刊海事通信社発行 1961年(M.2110/G34), 参考資料:⑥「戦後日本の海運と造船 1950年代の苦闘」海事産業研究所編 中川敬一郎著 日本経済評論社発行 1992年(M.2110/Ka21),

獅子舞の起源を知りたい(小野市立図書館)

①『日本大百科全書 10』小学館 p729~730 写真、絵図有 ②『祭・芸能・行事大辞典 上(総説あ~そ)』朝倉書店 p791~792 ③『日本民俗語大辞典』桜楓社 p668 ④『年中行事辞典』東京堂出版 p355~357 ⑤『狛犬事典』戎光祥出版 「第11章 獅子舞と獅子使い」 ⑥『定本柳田国男集 第7巻』筑摩書房 p443~453 「獅子舞考」 ⑦『民俗学辞典』東京堂出版 p.255~256 ⑧『正倉院宝物』新潮社 p27 小野市西脇町の獅子舞について ①『小野の歴史と文化』小野市立好古館 p.86 ②『小野市の文化財』小野文化財保護協会 p.59 ③『小野の文化財』小野市教育委員会 p.85 ④『播磨 小野史談 第5号』小野の歴史を知る会 p.61~70 ⑤『播磨 小野史談 第7号』小野の歴史を知る会 p.14~21 小野市西脇町の氏神・若一神社の神事として行われている獅子舞。始まりは明らかでないが、若一神社の囃太鼓に「文化6年」(1809)の銘があることから、このころに流行した疫病退散を祈願して舞を奉納したとされている。 参考資料:日本大百科全書 10 (さえーしつ). 小学館, 1986. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001801918-00, 4095260106 参考資料:小島美子, 鈴木正崇, 三隅治雄, 宮家準, 宮田登, 和崎春日 監修 , 小島, 美子, 1929- , 鈴木, 正崇, 1949- , 三隅, 治雄, 1927-. 祭・芸能・行事大辞典 上(総説あ~そ). 朝倉書店, 2009. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010622593-00, 参考資料:石上堅著 , 石上, 堅(1908-). 日本民俗語大辞典. 桜楓社, 1983-04. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000246138-00, 4273009811 参考資料:三隅治雄編著 , 三隅, 治雄(1927-). 全国年中行事辞典. 東京堂出版, 2007-06. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000539921-00, 9784490107104 参考資料:上杉 千郷 , 上杉 千郷. 狛犬事典. 戎光祥出版, 2002. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064977153-00, 4900901202 参考資料:柳田, 国男, 1875-1962. 定本柳田国男集 第7巻. 筑摩書房, 1962. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000841734-00, 参考資料:民俗学研究所編, 民俗学辞典. 東京堂出版, 1985., 参考資料:杉本一樹 著 , 杉本, 一樹, 1957-. 正倉院宝物 : 181点鑑賞ガイド. 新潮社, 2016. (とんぼの本) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027664324-00, 9784106022722 参考資料:小野市立好古館 編 , 小野市立好古館. 小野の歴史と文化 : 小野市立好古館常設展示案内. 小野市立好古館, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002424642-00, 参考資料:「小野市の文化財」編集委員会 編 , 小野文化財保護協会. 小野市の文化財. 小野文化財保護協会, 1981. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001541924-00, 参考資料:小野市教育委員会. 小野の文化財. 小野市教育委員会, 1996. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003002063-00, 参考資料:小野の歴史を知る会 編 , 小野の歴史を知る会. 小野史談. 小野の歴史を知る会, 1983., ISSN 09114696 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000038716-00,

人類に誕生について調べている。人間はどうやってできたのか?(小学生)(小野市立図書館)

人類の歴史について 『せいめいのれきし』岩波書店 『人間』福音館書店 『人類の長い旅』さ・え・ら書房 『人が歩んだ500万年の歴史 1』岩波書店「人はどこからきたか」 『人が歩んだ500万年の歴史 2』岩波書店「人のはじまり」 進化・生命について 『総合百科事典ポプラディア 9』ポプラ社 p.49「ヒト」の項「ヒトの進化の歴史」 『いのちって、なんだろう? 1』フレーベル館「人はサルから生まれたって本当?」 『まんがNHKスペシャル地球大進化 6』小学館 『生命 5』小学館 『そのはじまりと進化のなぞ 5』リブリオ出版「人類」 『進化の大研究』PHP研究所 人間とは 『人生って、なに?』朝日出版社「どうして人間は存在するの?」 『おおきく考えよう』晶文社 p.17「きみは存在する」 p.69「人間の本質とは」 『天才のら犬、教授といっしょに哲学する。人間ってなに?』岩崎書店 『いのちってなんだろう』佼成出版社 p.39「人間について考えよう」 参考資料:総合百科事典ポプラディア 9 新訂版. ポプラ社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000477257-00, 9784591118740 参考資料:バージニア・リー・バートン 文・絵 , いしいももこ 訳 , まなべまこと 監修 , Burton, Virginia Lee, 1909-1968 , 石井, 桃子, 1907-2008 , 真鍋, 真, 1959-. せいめいのれきし : 地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし 改訂版. 岩波書店, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026504963-00, 9784001112504 参考資料:加古里子 ぶん・え , 加古, 里子, 1926-2018. 人間. 福音館書店, 1995. (福音館のかがくのほん) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002397311-00, 4834012786 参考資料:キム・マーシャル 著 , 藤田千枝 訳 , Marshall, Kim , 藤田, 千枝, 1931-. 人類の長い旅 : ビッグ・バンからあなたまで. さ・え・ら書房, 1983. (やさしい科学) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001643900-00, 4378038528 参考資料:瀬戸口烈司 文 , 木村しゅうじ 絵 , 瀬戸口, 烈司, 1942- , 木村, しゅうじ, 1930-. 人が歩んだ500万年の歴史 1 (人はどこからきたか). 岩波書店, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002397313-00, 4001153319 参考資料:瀬戸口烈司 文 , 木村しゅうじ 絵 , 瀬戸口, 烈司, 1942- , 木村, しゅうじ, 1930-. 人が歩んだ500万年の歴史 2 (人のはじまり). 岩波書店, 1995. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002403781-00, 4001153327 参考資料:細谷亮太 監修 , 細谷, 亮太, 1948-. いのちはどこからきたの?. フレーベル館, 2016. (いのちって、なんだろう? ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027605051-00, 9784577044704 参考資料:小林たつよし まんが , NHK「地球大進化」プロジェクト 編 , 小林, たつよし, 1955- , 日本放送協会. 地球大進化 : 46億年・人類への旅 6 (ヒト果てしなき冒険者). 小学館, 2005. (まんがNHKスペシャル) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007581257-00, 4092264062 参考資料:本庄敬 まんが , 本庄, 敬, 1961-. 生命 : 40億年はるかな旅 第5巻 (ヒトがサルと別れた日/ヒトは何処へ行くのか). 小学館, 1995. (まんがNHKスペシャル) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002446156-00, 4092262051 参考資料:フィオレンツォ・ファッキーニ 著 , 赤藤由美子, ミノス翻訳センター 訳 , Facchini, Fiorenzo, 1929- , 赤藤, 由美子 , ミノス翻訳センター. 人類 : 「器用な人」から「知恵ある人」へ. リブリオ出版, 1994. (そのはじまりと進化のなぞ ; 5) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002393958-00, 4897843979 参考資料:長谷川眞理子 著 , 長谷川, 真理子, 1952-. 進化の大研究 : 恐竜は鳥に近い! : 生物のひみつを探ろう. PHP研究所, 2009. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010627459-00, 9784569780115 参考資料:オスカー・ブルニフィエ 文 , 西宮かおり 訳 , ジェローム・リュイエ 絵 , Brenifier, Oscar , 西宮, かおり, 1971- , Ruillier, Jérôme, 1966- , 重松, 清, 1963-. 人生って、なに?. 朝日出版社, 2006. (こども哲学) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008494288-00, 4255003661 参考資料:ペーテル・エクベリ 作 , イェンス・アールボム 絵 , 枇谷玲子 訳 , Ekberg, Peter, 1972- , Ahlbom, Jens, 1954- , 枇谷, 玲子. おおきく考えよう : 人生に役立つ哲学入門. 晶文社, 2017. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028529892-00, 9784794969750 参考資料:セシル・ロブラン, ジャン・ロブラン 文 , リオネル・コクラン 絵 , 伏見操 訳 , Robelin, Cécile , Robelin, Jean , Koechlin, Lionel, 1948- , 伏見, 操, 1970-. 天才のら犬、教授といっしょに哲学する。人間ってなに?. 岩崎書店, 2010. (10代の哲学さんぽ ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010964840-00, 9784265079018 参考資料:中村桂子, 金森俊朗, 沼野尚美, 高橋卓志, 鷲田清一 著 , 中村, 桂子, 1936- , 金森, 俊朗, 1946- , 沼野, 尚美, 1956-. いのちってなんだろう. 佼成出版社, 2007. (子どもだって哲学 ; 1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008797111-00, 9784333022878

工繊大教授であった清水光氏の略歴と著書がないか知りたい。(京都工芸繊維大学附属図書館)

本学の教授であり、京都工芸繊維大学関係資料から在籍時期が1949-1961(享年)年だと確認出来る。NDL Authoritiesからは本名が清水光繁だとわかる。杉山平一氏の論文に略年譜の資料になるものが多く記載されている。また、京都大学大学院文学研究科図書館には「清水文庫」として、清水文庫目録に掲載されている資料が所蔵されている。 回答プロセス:①自館にて確認可能なデータベース ⇒「清水光」で検索  〇Japan Knowledge → ヒットなし  〇NDL Authorities → 本名「清水光繁」を確認  〇CiNii Articles→ 次の記事が見つかる  杉山平一「清水光について」,『映像学』28, p. 40-45,1983,日本映像学会(資料1)   →J-stageにてweb掲載を確認   →京都工芸繊維大学の表記を確認   →本名「清水光繁」筆名「清水光」と分かる   →著書・関連資料も多く掲載されている ②自館OPAC ⇒「清水光」「清水光繁」で検索  ・『映畫と文化』(778||S ID:9200339356)(資料2)  →清水氏著書  工繊大関係資料   ・『京都工芸繊維大学 工芸学部80年』(377.28||K4 ID:9200504983)(資料3)   →p.29の年表にて名前と在籍時期が1949-1961年と確認   ・『京都工芸繊維大学百年史』 (377.28||Ky6 ID:9200220683)(資料4)   →p.143に担当講義と、映画芸術という月刊雑誌を編集していたとの記載を確認   →上記の杉山平一氏の記事にて、「そろばん屋」より5冊刊行と確認    →CiNii Booksより雑誌を確認    →そろばん屋書店(發賣)『映画藝術』映畫藝術社, 1930,NCID:AA11661360 ③Webcat plus→「清水光」「清水光繁」で検索   「清水文庫目録 : 京都大学文学部米文学研究室」 (019||K3 ID:9853438215)(資料5)   →本学所蔵を確認   →p.1の例言にて、清水氏所蔵の洋書703部727冊が京都大学文学部米文学研究室にて所蔵されていること、また口絵に清水氏の肖像も掲載されていることを確認。   ・Webcat plus著者情報にて、関係図書を確認可能 参考資料:杉山 平一 , 杉山 平一. 清水光について. 1983-12. (日本映像学会第9回大会特集号) 映像学 / 日本映像学会 [編] (28) p. p40~45 http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2679912-00, (資料1) 参考資料:清水光 著 , 清水, 光, 1903-. 映画と文化. 教育図書, 1941. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000972886-00, (資料2) 参考資料:京都工芸繊維大学 , 京都工芸繊維大学. 京都工芸繊維大学工芸学部80年. 京都工芸繊維大学工芸学部創立80周年記念事業委員会, 1983. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064916720-00, (資料3) 参考資料:京都工芸繊維大学 , 京都工芸繊維大学. 京都工芸繊維大学百年史 : 1899-2000. 京都工芸繊維大学百周年事業委員会, 2001. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064916733-00, (資料4) 参考資料:清水, 光, 1903- , 京都大学文学部. 清水文庫目録 : 京都大学文学部米文学研究室. 京都大学文学部図書室, 1961. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001029630-00, (資料5) 参考資料:NDL Authorities「清水光」http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00071570,

有馬温泉の歴史を調べている。(小学生)(小野市立図書館)

①『総合百科事典ポプラディア 1』ポプラ社 p.151~152 ②『兵庫県の歴史』山川出版社 p.96  「…舒明天皇以来の名湯有馬温泉には多くの貴族たちが来訪している。…当時の有馬温泉は療養の地として重視されていたと考えられる。」 ③『兵庫県の不思議事典』新人物往来社 p.43~44「有馬温泉の開発者は?」 ④『47都道府県・温泉百科』丸善出版 p.192~194 ⑤『新修神戸市史 歴史編 3』p.210~212「有馬温泉の歴史・地誌類」 ⑥『三田市史 下巻』p.829「有馬温泉」 ⑦『KOBECCO(神戸っ子) 2009年10月号』神戸っ子出版 p.14~15「有馬の湯と茶の湯と秀吉」 ⑧『温泉の科学』日刊工業新聞社 p.98 インターネットより 有馬温泉観光協会公式サイト「有馬の歴史」http://www.arima-onsen.com/history.html (最終確認:2018/11/4) 参考資料:総合百科事典ポプラディア 1 新訂版. ポプラ社, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000477248-00, 9784591118665 参考資料:今井修平, 小林基伸, 鈴木正幸, 野田泰三, 福島好和, 三浦俊明, 元木泰雄 著 , 今井, 修平, 1950- , 小林, 基伸, 1953- , 鈴木, 正幸, 1943- , 児玉, 幸多, 1909-2007. 兵庫県の歴史 第2版. 山川出版社, 2011. (県史 ; 28) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011301158-00, 9784634322813 参考資料:有井基, 大国正美, 橘川真一 編 , 有井, 基, 1932- , 大国, 正美, 1958- , 橘川, 真一, 1931-. 兵庫県の不思議事典. 新人物往来社, 2007. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009193467-00, 9784404034854 参考資料:山村順次 著 , 山村, 順次, 1940-. 47都道府県・温泉百科. 丸善出版, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026976159-00, 9784621089965 参考資料:神戸っ子出版KOBECCO編集部 編 , 月刊神戸っ子Vol.577(2009October). 神戸っ子出版,2009., 参考資料:西川有司 著 , 西川, 有司. 温泉の科学. 日刊工業新聞社, 2017. (B&Tブックス. おもしろサイエンス) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028345044-00, 9784526077296 参考資料:新修神戸市史編集委員会 , 神戸市 , 新修神戸市史編集委員会 , 神戸市. 新修神戸市史 歴史編3. 神戸市, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045762367-00, 参考資料:三田市史編纂委員会 編 , 三田市史編纂委員会. 三田市史 下巻. 三田市, 1965. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077850031-00,

諸外国の学校におけるICTの整備状況を調査したものはないか(国立教育政策研究所教育図書館)

以下を紹介 『21世紀のICT学習環境 : 生徒・コンピュータ・学習を結びつける』 →PISA2012調査(対象15歳)  第2章が学校におけるICT環境調査 『教員環境の国際比較 : OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2013年調査結果報告書』 →p.68-69「学校の教育資源」  「教育用コンピュータが不足している、あるは適切でない」という項目がある 回答プロセス:OECDの国際調査の報告書を確認 参考資料:21世紀のICT学習環境 : 生徒・コンピュータ・学習を結びつける  経済協力開発機構編著. -- 明石書店, 2016. -- (OECD生徒の学習到達度調査(PISA)). 【当館請求記号】375.17||263, 参考資料:教員環境の国際比較 : OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2013年調査結果報告書  国立教育政策研究所編. -- [国立教育政策研究所], 2013. 【当館請求記号】374.3||650,

戦前の国語教科書で、夏目漱石がどのくらい取り上げられていたのか調査したい。(国立教育政策研究所教育図書館)

以下を紹介 『旧制中等教育国語科教科書内容索引』 旧制中学校と高等女学校について、明治期・大正期・昭和期に分けて、出典別に掲載作品をまとめたもの。 出典別のため、「夏目漱石」でまとめて引くことはできず、「草枕」など作品名ごとに検索が可能。 回答プロセス:以下を参照 教科書で習った教材の探し方(国語) http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=man_view&id=2000004421 参考資料:旧制中等教育国語科教科書内容索引  田坂文穂編. -- 教科書研究センター, 1984. 【当館請求記号】375.9||174,

昭和30年代に発行された『作文教室』という雑誌を探している(国立教育政策研究所教育図書館)

石森延男主宰『作文教育』もしくは友文社『作文教育』の可能性が高い ※いずれも当館所蔵なし 回答プロセス:『国語教育研究大辞典』 p.946「国語教育関係雑誌年表II(昭和20年以降) で調査 →『作文教室』はなし。『作文教育』はあり。 ※上記年表で創刊年のみ分かった  石森延男『作文教育』=昭和25~30年の間  友文社『作文教育』=昭和30~35年の間 参考資料:国語教育研究大辞典  国語教育研究所編. -- 普及版. -- 明治図書出版, 1991. 【当館請求記号】375.803||9,

諸外国の授業時間の比較ができる資料はないか(国立教育政策研究所教育図書館)

以下を紹介 『図表でみる教育』 『諸外国における教育課程の基準 : 近年の動向を踏まえて』 回答プロセス:(1)海外の教育統計のため、『図表でみる教育』(最新:2017年版)を調査  表D1.1「義務教育の(普通プログラム)の授業時間 あり (2)レファレンス協同データベースを検索 ・諸外国(アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア)の中学校体育の授業時間数を知りたい。 http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000143296  →『諸外国における教育課程の基準 : 近年の動向を踏まえて』国によっては教科別の授業時数もあり 参考資料:図表でみる教育 : OECD教育インディケータ  OECD教育研究革新センター編集 ; 2017年版. -- 明石書店 , 2017 【当館請求記号】370.5||85||2017, 参考資料:諸外国における教育課程の基準 : 近年の動向を踏まえて  (教育課程の編成に関する基礎的研究 報告書4) 国立教育政策研究所 , 2013.3 【当館請求記号】372||319||4,

OECDの刊行物"Starting strong II : early childhood education and care"の日本語訳はないか(国立教育政策研究所教育図書館)

『OECD保育白書 : 人生の始まりこそ力強く : 乳幼児期の教育とケア(ECEC)の国際比較』 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB05545032 【参考】 OECD:日本語翻訳版(教育分野)一覧 https://www.oecd.org/tokyo/publications/japaneseedition/japanese-translations.htm 回答プロセス:CiNiiBooksで検索したところ、回答の図書がヒットした 参考資料:OECD保育白書 : 人生の始まりこそ力強く : 乳幼児期の教育とケア(ECEC)の国際比較  OECD編著 ; 星三和子 [ほか] 訳. -- 明石書店, 2011. 【当館請求記号】376.1||330,

昭和20年代に小学校1年生で習う漢字を知りたい。現在の学年別漢字配当表に該当するものはないか。(国立教育政策研究所教育図書館)

「当用漢字別表」(昭和22年9月29日)を紹介 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/syusen/tosin03/index.html ※当用漢字の中で義務教育の期間に、読み書きともにできるよう指導することが必要 ※学年別ではない(学年別のものは見当たらなかった) 回答プロセス:(1)漢字配当表について調査 ・小学校学習指導要領の別表に学年別漢字配当表あり  いつから掲載されているか、『教育課程史』(国語教育史資料 ; 第5巻)調査  →昭和33年「小学校学習指導要領」から学年別漢字配当表あり ・NDLデジタルコレクションを調査  →『やさしい国語のきまり : 子どもの文法』(1957)に「学年別漢字配当表」あり 1957(昭和32)年以前の 学年別漢字配当表 は見当たらず (2)昭和20年代の状況を調査 ・教育研究論文索引、CiNiiArticles で論文見当たらず ・Google検索  「教育漢字」の項目に「1948年(昭和23年)に公布された『当用漢字別表』である」との記述あり (3)昭和23年「当用漢字別表」を調査 ・『近代日本教育制度史料』を調査  28巻 p.548-「当用漢字別表の実施に関する件」(内閣訓令第一号)と当用漢字別表(内閣告示第一号)あり ・インターネットで入手できるものを調査  Google検索→回答のウェブページが見つかった ※なお、NDLデジタルコレクションでも、複数の資料に掲載されている 参考資料:やさしい国語のきまり : 子どもの文法  石田佐久馬 編[他] さ・え・ら書房, 1957, 参考資料:教育課程史  増淵恒吉責任編集. -- 東京法令出版, 1981. (国語教育史資料 / 野地潤家[ほか]編集 ; 第5巻) 【当館請求記号】375.802||1||5, 参考資料:近代日本教育制度史料  近代日本教育制度史料編纂会編 ; 第1巻 - 第35巻 総索引. -- 大日本雄弁会講談社, 1956 【当館請求記号】373.08||1,

兵庫県にいた、妻鹿氏と森本氏のルーツと、それぞれの家が赤松氏と関わりがあったか分かる資料はあるか。(小野市立図書館)

●妻鹿氏 ①『姓氏家系大辭典 第3巻』 角川書店 p6062  妻鹿(メガ)の項より  「妻鹿(メガ)・・・播磨国飾磨郡の妻鹿邑より起こる。播磨^古跡考に「國府山城は三野荘妻鹿村に在り、元弘中、妻鹿長宗・此に據りて勤王す。」  と。太平記巻八に「播磨国の住人、妻鹿孫三郎長宗と申すは、薩摩氏長が末にて・・・(中略)・・・」と。赤松圓心の甥也。   又播磨鑑に「國府山城は山野庄妻鹿村に在り、古城主は妻鹿孫三郎貞祐(始め長宗)といふ、薩摩氏長の末裔也」 とあることから、②③を確認。 ②『地志播磨鑑(復刻版)』 播磨史籍刊行会 p113「國府城」、p116「妻鹿構居」 ③『太平記一』 兵藤 裕己/校注 岩波書店 p417 第八巻12「妻鹿孫三郎人飛礫の事」 ④『赤松氏の史料と研究 1』p47 村上源姓赤松氏譜 貞祐の項より、「貞祐・・・妻鹿孫三郎兼刑部大輔」とあり、妻鹿は赤松の分家であることが確認できた。この系譜では妻鹿孫三郎(貞祐)を初代に、元祐・祐国と三代目まで確認できる。 ●森本氏 資料①『兵庫県大百科事典 下』 神戸新聞出版センタ- p1157 森本氏の項より「鎌倉~戦国時代の地方武士。伊丹氏の庶子家。杜本とも書く。橘御園のうち大路村(伊丹市)の下司公文職を伊丹氏から分与され森本を拠点とした。」とあり、同ページに森本氏系図が載っている。 p1158 森本基長の項より「摂津守護赤松光範に属して各地に転戦」とあり、森本氏と赤松氏に関わりがあったことが確認できる。 なお、森本氏の系図と、赤松氏との関係に関して、尼崎市地域研究資料館の以下のページにそれぞれ記載がある。 系図に関して、『尼崎市地域研究資料館 apedia 北河原森本文書』(最終確認2018/11/04) 赤松氏との関連に関して、『尼崎市地域研究資料館 図説 尼崎の歴史 中世編 2節 尼崎と南北朝の内乱-観応の擾乱と尼崎 』(最終確認2018/11/04) 参考資料:太田亮 著 , 太田, 亮, 1884-1956. 姓氏家系大辞典 第3巻. 角川書店, 1963. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001288296-00, 参考資料:平野 庸脩 編集 , 平野‖庸脩. 地志播磨鑑. 播磨史籍刊行会, 1958. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046163630-00, 参考資料:兵藤裕己 校注 , 兵藤, 裕己, 1950-. 太平記 1. 岩波書店, 2014. (岩波文庫 ; 30-143-1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025354282-00, 9784003014318 参考資料:藤本哲/著 , 藤本 哲 , 藤本 哲. 赤松氏の史料と研究 1. 1976-12. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I079613050-00, 参考資料:神戸新聞出版センター/編集・制作 , 神戸新聞出版センター. 兵庫県大百科事典 下巻. 神戸新聞出版センター, 1983. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004977785-00, 照会先:尼崎市地域研究資料館 apedia 北河原森本文書 照会先:尼崎市地域研究資料館 図説 尼崎の歴史 中世編 2節 尼崎と南北朝の内乱-観応の擾乱と尼崎

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