フィードアグリゲーター

甲府市天神町のお寺「法性山 玄法院」の歴史を知りたい。また、湯村山山頂にある金毘羅さんと、玄法院とのつながりはあるか。(山梨県立図書館)

玄法院は甲府市天神町にある真言宗醍醐派の修験寺。本尊は不動明王。1192(建久3)年創立。 武田信虎が巨摩郡下黒沢村(高根町)から府中峰本(甲府市)に移し、信玄から山号と寺号を賜り1720(享保5)年、上府中久保町(甲府市)に移転して現在に至ったと伝わる。 1892(明治25)年に建てられた高さ約15メートルの鐘楼は、「玄法院の鐘」として市民に親しまれた。 2013(平成25)年甲府駅北口甲州夢小路に新造された「時の鐘」は、これを模して造られたもの。 湯村山城は、武田信虎が1523(大永3)年に甲府市の湯村山山頂に築いた山城。1533(天文2)年、玄法院の第八代住職が四国讃岐の金毘羅宮にお参りして、その分岐したものを湯村山城の守護神としたと言われる。 回答プロセス:1.『山梨百科事典』で調べる。「玄法院」「湯村山城」の項あり。 2.寺記を調べる。 『「甲斐国志」「寺記」所載寺院索引』の「修験」の項に、「玄宝院」(国3-471)、「玄法院」(寺4-879)あり。『甲斐国志』および『甲斐国社記・寺記』の該当箇所を確認。 3.インターネットで検索。キーワードは「湯村山」、「金毘羅」、「玄法院」。 湯村山の金毘羅宮の情報は、インターネットから得た。 参考資料:山梨日日新聞社/編集 , 山梨日日新聞社. 山梨百科事典 増補改訂版. 山梨日日新聞社, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004985704-00, (p.318,1029) 参考資料:秋山 敬/編 , 秋山‖敬. 『甲斐国志』『寺記』所載寺院索引(稿). 秋山 敬, 2004. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005560117-00, (p.150) 参考資料:山梨県立図書館. 甲斐国社記・寺記 第4巻. 山梨県立図書館, 1969. (山梨県史料 ; 12) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001237170-00, (p.879-881) 参考資料:松平 定能/編 , 松平‖定能 , 佐藤‖八郎. 甲斐国志 第3巻. 雄山閣, 1982. (大日本地誌大系 ; 46) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732762-00, (p.471) 参考資料:笹本正治 編・著 , 笹本, 正治, 1951-. 山梨県の武田氏伝説. 山梨日日新聞出版局, 1996. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004300471-00, 4897106818(p.251,393) 参考資料:及川 武躬/編 , 及川‖武躬. 甲斐を訪ねて. 山梨県観光振興会, 1957. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544945-00, (p.190) 備考:山梨観光わいわいねっと 山と川と土と人と「湯村山、湯村温泉ハイキング」(2009.10.02)http://www.yy-net.org/blog/02029/blog/archive/2009/10/021031095808.html 【2017.1.21確認】

清哲村(現韮崎市)生まれの加賀爪正光(鳳南)の経歴について知りたい。(山梨県立図書館)

雑誌「山と渓谷」155号(1952(昭和27)年4月号)の「先人の面影11 加賀爪鳳南」(平賀文男著)によると、清哲村青木に生まれ住んでいた人で、文学、特に詩歌と俳句に関心があり、鳳南という雅号を持つ。清哲村を中心として登山趣味及び登山口の開発を趣旨として石仏会を起こし、青木鉱泉の主人などとも連絡して実行した。山梨県庁山林課景勝開発係から異動し東山梨地方事務所の兵事課長として在任中、1943(昭和18)年7月17日に逝去。行年41。 『峡中文人録』には1903(明治36)年6月30日清哲村生まれの「加賀爪正光」が掲載され、早稲田大学法科在籍。芙蓉詩社、サフラン社に関係し、青年詩社を興し雑誌「青年」を発行、目下峡北時報記者、との記述があり、『大正年代甲陽俳人名鑑』には「北巨摩郡清哲村(菖月改)加賀爪不朽」があり、「通称正光、鳳凰舎ト号ス 明治三十六年六月三十日生 職業農蠶ニ従事ス…大日本国民中学卒業後芙蓉詩社其他ニ関係セリ」との記述がみられる。 回答プロセス:1.『峡中文人録』(渋谷俊・大塚源一郎編 柳正堂書店 1923)に「加賀爪正光」がある。鳳南の号はなし。1903(明治36)年6月30日清哲村生まれ、略歴あり。 2.山梨県立図書館横断検索サービス(http://mets2.elib.gprime.jp/search_pref_yamanashi/basic_table.php)で「加賀爪鳳南」を検索すると、「webcatplus」「GoogleBooks」で情報あり。 「webcatplus」では、「山と溪谷」の記事情報があり、所蔵する該当号を見てみると、155号(山と渓谷社 1952)の「先人の面影11加賀爪鳳南」(平賀文男)に人物についてふれられている。1943(昭和18)年7月17日没。 「GoogleBooks」では『韮崎市誌』の一部が表示され、『韮崎市誌』に当たってみると、中巻(韮崎市 1978)に『大正年代甲陽俳人名鑑』を典拠とした「加賀美不朽」(通称正光)の記述がある。『峡中文人録』の「加賀美正光」と生年月日、村名同じ。また別に「加賀美鳳南」が名前のみ記載されていた。 3.『大正年代甲陽俳人名鑑』(山田弘道 1920)の「加賀爪不朽」の項を確認する。 4.「白鳳」創刊号(白鳳会 1933)には、加賀美鳳南の寄稿文はあるが履歴等なし。戦後刊行の「白鳳」や、「山梨県山岳連盟誌」にも該当する記述は見られなかった。 事前調査事項:質問の出典:『鳳凰山』(ハイキング社 1933) 参考資料:山と渓谷 山と渓谷社 1月号 新春スキー号〜4月号, (155号p.42-43) 参考資料:渋谷俊, 大塚源一郎 編 , 渋谷, 俊, 1888-1968 , 大塚, 源一郎. 峡中文人録. 柳正堂書店, 1923. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000586415-00, (p.41) 参考資料:山田 弘道/著 , 山田‖弘道. 大正年代甲陽俳人名鑑. 山田弘道, 1920. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005546173-00, (p.177) 参考資料:韮崎市誌編纂専門委員会 編 , 韮崎市誌編纂専門委員会. 韮崎市誌 中巻. 韮崎市, 1978. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003740289-00, (p.691-693)

江戸時代、徽典館学頭となった石野市左衛門について、経歴などがわかる資料があるか。(山梨県立図書館)

石野市左衛門については、「甲府御城付」巻8に、「高弐百俵御役料十人扶持」で、1857(安政4)年に教授方になったことが記されている。「甲府徽典館」には、1858(安政5)年の記述に続く箇所に名前がみられ、甲府勤番中の学者から学頭を命じられたことが記され、「教育資料人物部」には「石野市左衛門」の項目で数行あり、上記と類似する記述の他に、1868(明治元)年3月に先立ち江戸に行ったとある。『寛政譜以降旗本家百科事典』第1巻(東洋書林 1997)には市左衛門を父とする「石野□一郎」があり、1865(慶応元)年に甲府勤番になっている。詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:1.自館のOPACで「石野市左衛門」で検索するが該当資料なし。 2.『甲斐志料集成』第6巻教育・宗教編(歴史図書社 1981)で徽典館関連の史料を見る。 「甲府徽典館」に甲府勤番中の学者、徽典館学頭を命ぜられたことの記述。 「教育資料人物部」の「石野市左衛門」に甲府勤番士持高200俵、1853(嘉永6)年学問所頭取、1857(安政4)年学頭、1868(明治元)年3月に先立ち江戸へ行ったことなどが記される。 「甲府徽典館」「教育資料人物部」は『甲府市史』史料編4(甲府市役所 1987)にも収録あり。 3.『県指定史跡甲府城跡』下巻(山梨県 2005〔山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第222集〕)の「甲府城関連人名索引」から、史料「甲府御城付巻之八」の情報を得る。収録されている『甲府城総合調査報告書』(山梨県教育委員会 1969)で、高200俵御役料10人扶持、安政4年教授方の記載がある。(「甲府御城付」は『甲府市史』史料編2(甲府市役所 1987)にも収録あり。 4.『寛政譜以降旗本家百科事典』第1巻(東洋書林 1997)に、「石野□一郎」の父が市左衛門で徽典館学頭とある。 参考資料:甲斐志料集成刊行会/編 , 甲斐志料集成刊行会. 甲斐志料集成 第6巻 復刻版. 歴史図書社, 1981. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732914-00, (p.151,204) 参考資料:甲府城総合学術調査団/編 , 甲府城総合学術調査団. 甲府城総合調査報告書. 山梨県教育委員会, 1969. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005733364-00, (p.255) 参考資料:甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市. 甲府市史 史料編 第4巻. 甲府市, 1987. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004980631-00, (p.273,313) 参考資料:甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市. 甲府市史 史料編 第2巻. 甲府市, 1987. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004980629-00, (p.340) 参考資料:小川恭一 編著 , 小川, 恭一, 1925-2007. 寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻. 東洋書林, 1997. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002655625-00, 4887213034(p.252-253)

幕末の侠客津向文吉について、経歴、出身などわかる資料があったら知りたい。(山梨県立図書館)

津向文吉(ツムギ・ブンキチ)は、1810(文化7)年生まれ、1883(明治16)年没。鴨狩津向村(現市川三郷町)出身の博徒。詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:1.山梨日日新聞データベースで「津向」「文吉」を掛け合わせて検索する。 1996(平成8)年1月15日付14面「山日YBSキャラバン 移動編集局 六郷町」に、ゆかりの人の一人として「津向の文吉」があり、顔写真、略歴が掲載されている。 2.インターネットで「津向文吉」で検索すると、山梨県立博物館発行資料の情報があった。『黒駒勝蔵対清水次郎長』(山梨県立博物館 2013)には、「津向文吉」の項がある。『博徒の活動と近世甲斐国における社会経済の特質』(山梨県立博物館 2013)には、表1「「町村取調書」記載の博徒一覧」、図1「甲州博徒の分布」、「甲州博徒関連資料集」の「Ⅱ新聞類」と「Ⅳ墓地・位牌関係資料」に津向文吉に関するものがみられた。 3.前項の参考文献を探す。『新・日本侠客100選』(今川徳三著 秋田書店 1990)、『甲州侠客伝』(子母澤寛編 今川徳三著 人物往来社 1968)に「津向の文吉」の項があった。 4.国立国会図書館サーチで「津向 文吉」で検索すると、図書館送信資料の「人物往来歴史読本」12(8)(人物往来社 1967.8)の記事があった。確認すると、内容は『甲州侠客伝』に収録されているものだが、『甲州侠客伝』にない図版があった。 参考資料:山梨県立博物館 編. 黒駒勝蔵対清水次郎長 : 時代を動かしたアウトローたち. 山梨県立博物館, 2013. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024685636-00, (p.6,18) 参考資料:山梨県立博物館 編 , 山梨県立博物館. 博徒の活動と近世甲斐国における社会経済の特質. 山梨県立博物館, 2013. (山梨県立博物館調査・研究報告 ; 6) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024684994-00, (p.4-5,45,71-72) 参考資料:今川徳三 著 , 今川, 徳三, 1919-. 新・日本侠客100選. 秋田書店, 1990. (新100選シリーズ) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002049936-00, 4253004032(p.143-146) 参考資料:今川徳蔵 著 , 子母沢寛 編 , 今川, 徳三, 1919- , 子母沢, 寛, 1892-1968. 甲州侠客伝. 人物往来社, 1968. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001108823-00, (p.65-102) 備考:・「山梨日日新聞」1996(平成8)年1月15日付14面「山日YBSキャラバン 移動編集局 六郷町」内「ゆかりの人」 ・国立国会図書館デジタルコレクション「人物往来歴史読本」12(8)人物往来社 1967年8月号(永続的識別子info:ndljp/pid/2366692)230-243p

山梨県立博物館図録『富士山 信仰と芸術』に、武田信虎が富士山に登っているという記載があると聞いたが、確認したい。(山梨県立図書館)

『富士山 信仰と芸術』(「富士山-信仰と芸術-」展実行委員会 2015)(p208)に『勝山記』についての記載があり、「大永二年に信虎が、富士山の火口を一周する「お鉢巡り」をしたという記述がある」との一文があった。 また、p116に『勝山記』の表紙等の写真がある。 『勝山記』(勝山村史編さん委員会編 勝山村 1992)を確認したところ、p85-86に、該当部分の本文の写真と読み下し文がある。 回答プロセス:・『富士山 信仰と芸術』を見る。 p208に、「「お鉢巡り」をしたという記述がある」との一文と、『勝山記』についての記載があり。また、『勝山記』の表紙等の写真あり。 ・『勝山記』を自館システムで検索し、現物を確認すると、該当部分の本文の写真と読み下し文あり。 参考資料:「富士山−信仰と芸術−」展実行委員会/編集 , 「富士山ー信仰と芸術ー」展実行委員会. 富士山 : 信仰と芸術. 「富士山−信仰と芸術−」展実行委員会, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069635581-00, (p.116,208) 参考資料:勝山村史編さん委員会/編 , 勝山村史編さん委員会. 勝山記 : 勝山村史別冊. 勝山村, 1992. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005793807-00, (p.85,86)

明治時代、陸軍による甲府城払い下げ時に山梨県の財政的境遇を救った、旧甲府市柳町三丁目「上野屋 松村甚蔵」氏について記された資料があるか。(山梨県立図書館)

村松甚蔵(1869(明治元)年~1945(昭和20)年)は柳町の砂糖問屋上野屋当主。1910(明治43)年南塘文庫設立。1917(大正6)年甲府城払下げにあたり、山梨県に1万1622円を指定寄付した。1919(大正8)年県会議員、1927(昭和2)年衆議院議員。 詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:1.データベース「山梨日日新聞縮刷版検索」で「松村甚蔵」で検索するが該当なし。キーワードを「甲府城 上野屋」で検索してみたところ、2000(平成12)年3月3日21面「連載 城下町こうふ点描 上甚さん私財投じて”歴史”守る」がヒット。当主名が「村松甚蔵」で生没年、1917(大正6)年の甲府城払下げや1910(明治43)年の南塘文庫設立について記述あり。 2.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)で「村松甚蔵」を引くと項目があった。1919(大正8)年県会議員、1927(昭和2)年衆議院議員。 3.『山梨県議会史』第3巻(山梨県議会 1974)の「歴代山梨県議会議員略歴 三 自大正元年至大正一五年」に「村松甚蔵」掲載。顔写真や履歴があった。 4.『山梨本のある風景‐個人文庫と稀覯本探訪‐』(植松光弘著 山梨ふるさと文庫 1989)を見ると「盛況だった私設図書館‐南塘文庫(甲府市)」がある。 5.『甲州古今人物辞書』(川手秀一編 山梨協会本部 1935)に「村松甚蔵」で経歴、写真がそれぞれ掲載。 6.『山梨人事興信録』には、第1版(甲府興信所 1918)、第2版(甲府興信所 1928)、第3集(甲府興信所 1940)に掲載があった。 7.蔵書検索で「ハライサゲ」で検索すると、『甲斐』119号(山梨郷土研究会 2009)に「甲府城払下げ問題落着一件」(秋山敬)があった。論文中の「四 連隊誘致と払下げの実現」に、寄付について若干触れている箇所があった。 参考資料:山梨日日新聞社/編集 , 山梨日日新聞社. 山梨百科事典 増補改訂版. 山梨日日新聞社, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004985704-00, (p.918-919) 参考資料:山梨県議会. 山梨県議会史 第3巻. 山梨県議会, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001204752-00, (p.1268) 参考資料:植松 光宏/著 , 植松‖光宏. 山梨・本のある風景 : 個人文庫と稀覯探訪. 山梨ふるさと文庫, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005759940-00, (p.21-23) 参考資料:川手秀一 編 , 川手秀一. 甲州古今人物辞書. 山梨協会本部, 1935. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I003886062-00, (p.83、写真p.52) 参考資料:甲府興信所. 山梨人事興信録. 甲府興信所, 1918. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000535676-00, (p.414) 参考資料:甲府興信所 編 , 甲府興信所. 山梨人事興信録 第2版. 甲府興信所, 1928. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000618459-00, (p.756-757) 参考資料:甲府興信所 編 , 甲府興信所. 山梨人事興信録 第3輯 第3版. 甲府興信所, 1940. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000652086-00, (p.968-969) 参考資料:甲斐 山梨郷土研究会 第119号 磯貝正義先生追悼, (p.124-126)

1734(享保19)年に起こった甲府城御金蔵破り事件の概要や、犯人の高畑村次郎兵衛について記された資料を知りたい。(山梨県立図書館)

甲府城御金蔵破りは、1734(享保19)年12月24日、甲府城内の現金1400両が盗まれた事件。 甲府勤番支配2名が処分されたほか、当番の勤番士らも職務怠慢や虚偽報告、賭博などの罪によって処罰された。 9年後の1742(寛保2)年に高畑村百姓次郎兵衛が犯人として逮捕され、磔刑となった。 事件の概要など詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:1.『甲府市史』通史編2巻近世(甲府市役所 1992)の第1章第5節3「御金蔵破りと綱紀粛正」に事件の概要や甲府勤番士の処罰、次郎兵衛についての記述がある。『甲府市史』史料編4巻近世3(甲府市役所 1987)には、第8章第1節「甲府城御金蔵破り」があり、事件関連の資料4点掲載(史料392~395)。そのうち史料394、395は次郎兵衛や周囲の者の供述・陳述。 『甲府城物語-武田氏天目山に滅びず』(斎藤芳弘著 テレビ山梨 1973)には「ご金蔵破り」の項で記載があった。 2.国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)で「御金蔵 甲府」で検索したところ、『甲斐史学』第13号「甲府城御金蔵の由来(上条馨)」の情報を得る。『甲斐史学』と併せて上条(條)馨の著作を見たところ、『甲州風物誌・続』(上條馨著 柳正堂書店 1961)に「甲府城御金蔵」がある。 3.オンラインデータベース「山梨日日新聞縮刷版検索」で「御金蔵」で検索したところ、2005(平成17)年11月15日5面に『中近世甲斐の社会と文化』(飯田文彌編 岩田書院 2005)発刊の記事があり、甲府城御金蔵破り事件の実録本「甲金録」に関する論文があることがわかる。そのほか、1999(平成11)年8月27日18面・9月3日18面に「連載・城下町こうふ点描御金蔵」上・下の記事を確認。 『中近世甲斐の社会と文化』で、掲載論文は「実録『甲金録』翻刻と解題(石川博)」。論文中の「解題」に『甲府市史』が関連図書として見られる。 4.『山梨県史』通史編4近世2(山梨県 2007)の索引「金蔵破り」から該当箇所を見ていくと、関連資料名に『甲府市史』、「甲金録」(p601)と「兜嵓雑記」(p613-614)があった。 5.『甲斐叢書』第2巻(第一書房 1974)で「兜嵓雑記」を見たところ、「於御城内御金紛失之事」の項目があった。 参考資料:甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市. 甲府市史 通史編 第2巻. 甲府市, 1992. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004980625-00, (p.241-254) 参考資料:甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市. 甲府市史 史料編 第4巻. 甲府市, 1987. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004980631-00, (p.93-128) 参考資料:斎藤芳弘 著 , 斎藤, 芳弘, 1926-. 甲府城物語・武田氏天目山に滅びず. テレビ山梨, 1973. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001213693-00, (p.92-109) 参考資料:甲斐史学会/編 , 甲斐史学会. 甲斐史学 第2巻 復刻. 国書刊行会, 1982. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005545658-00, (13号 p.55-57) 参考資料:上条 馨/著 , 上条‖馨. 甲州風物誌 続. 柳正堂出版, 1961. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005566904-00, (p.104-115) 参考資料:飯田文彌 編 , 飯田, 文弥, 1928-. 中近世甲斐の社会と文化. 岩田書院, 2005. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007962030-00, 4872943872(p.411-455) 参考資料:甲斐叢書刊行会 編. 甲斐叢書 第2巻. 第一書房, 1974. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001455286-00, (p.231-240) 備考:「山梨日日新聞」1999(平成11)年8月27日18面「連載・城下町こうふ点描」4御金蔵(上) 「山梨日日新聞」1999(平成11)年9月3日18面「連載・城下町こうふ点描」5御金蔵(下)

山梨の人は固い桃を好んで食べるのか。(山梨県立図書館)

県産品として出荷する際には、市場に出た時に一番おいしい時期を考慮して早めに収穫するため、地元の人は固い桃を食べて育ったせいではないかと想像されている。 詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:・所蔵資料を見る。 『山梨あるある』(TOGO著 TOブックス 2015) 小さい時から固い桃しか食べたことがないので、やわらかい桃はくさりかけだという認識があるとの記述。 『山梨原人』(渡邊允規編 原人舎 2011) 固めの桃を皮ごと丸かじりするとの記述。 『ももの栽培』(山梨県果樹園芸会 1977) 「果実の成熟の段階は、成熟初期(硬熟期)、適熟期、完熟期の3段階に分けられる。成熟初期は弾力がなく硬い状態。甘みが少なく、酸味が抜け始める。数日たつと、適熟期となり、糖分が急激に上昇、弾力が出て、果汁が出る。完熟期は果実は大きくなり、果汁も多く風味も強い。外部からの圧力に耐えられないほどの柔らかさになり、皮も容易に剥けるようになる。市場への遠近を考慮して収穫期を決める。」との記述。 参考資料:THOGO 著 , 上重さゆり 画 , THOGO, 1976- , 上重, さゆり. 山梨あるある. TOブックス, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026005092-00, 9784864723398(p.60) 参考資料:渡邊 允規/編. 山梨原人 : 山ばっかりだけど山梨大好きだぁ!山梨のイイトコ集めました. 原人舎, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I040767128-00, (p.7) 参考資料:山梨県果樹担当普及員研究会/編 , 山梨県果樹担当普及員研究会. ももの栽培. 山梨県果樹園芸会, 1977. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005546393-00, (p.169-173)

緒方八重が大坂の緒方洪庵のところへ行った道筋(西宮市立中央図書館)

生瀬から安倉、昆陽、伊丹、神埼という順に通ったと思われる。 回答プロセス: 西岡まさこの小説『緒方洪庵の妻』では「安倉を過ぎ姥ヶ茶屋で道は二つに分かれる(中略)百起は昆陽への道をとった。」とあるところから西国街道を通ったと考えられる。しかし小説では証明にならないので、近世から近代にかけての街道を確認する。  『西宮市史』第2巻P144からの記述によると、「摂津国絵図」では西国街道が「池田、小浜を経て生瀬に達し・・・」とあるので、八重はその道を逆に生瀬から小浜、安倉を経て昆陽から神崎川に出たと思われる。 参考資料:緒方洪庵の妻西岡まさ子/著河出書房新社, (P9) 参考資料:西宮市史第2巻/西宮市編集発行, (P143)

ドイツの絵本 『もじゃもじゃペーター』 の書評、論評が読みたい。 出版当時は大成功をおさめたが、後に批判されたらしい。(島根県立図書館)

(1) 当館所蔵から以下の資料を紹介。 【資料1】 『絵本論 -瀬田貞二子どもの本評論集-』 (福音館書店)  p86~ 「絵本の歴史から」   1844年の冬、ドイツのフランクフルトのお医者さんのハインリッヒ・ホフマンが、自分のひとり息子にクリスマスの贈りものとして本を買ってやろうとしました。 町じゅうの本屋をさがして、三つになるカールにふさわしい絵本がてんでないのにがっかりしました。 ・・・(中略)・・・ ホフマン先生は新しく石版技術を習って心をこめて絵本をつくりあげました。 ・・・(中略)・・・ この絵本が在来のかた苦しいお説教のついた、古くさい宗教画のような安本を圧倒して、ぞくぞく版を重ねたことはいうまでもありません。・・・(中略)・・・ 当時のしかつめらしいかたくなな儀礼をよそに、いたずら坊主を手玉にとっているこの絵本が、うえかわいた子どもたちに、清水のように消化されたさまが想像されます。 【資料2】 『オックスフォード世界児童文学百科』 (原書房 1999)  p852~853 「もじゃもじゃペーター  Struwwelpeter」   ハインリヒ・ホフマン(1809-94)作のしつけ物語・詩集。 1845年、ドイツでは作者自身のさし絵により出版され、匿名の英語版は、1848年ライプツィで初めて出版され大成功をおさめた。 ・・・(中略)・・・ この作品は長い間、おもしろおかしいだけの人畜無害なものと受け入れられるか、過剰に恐ろしい、気味の悪いもので、繊細な子どもにとっては精神的外傷の原因にさえなると批判されるか、両者のあいだを行き来してきた。  【資料3】 『ドイツの子どもの本』 (白水社 1991)  p10~ 「児童文学の歴史 中世から現代まで」   p21~24  ・・・(前略)・・・ところがひとりの素人が、これらの玄人をしのぎました。 ハインリヒ・ホフマンの 『もじゃもじゃペーター』 (1845年)が大成功をおさめたのです。 なるほどこの本にはお説教もありますが、おかしみがあふれ、父親の愛がしみ通っています。 ・・・(中略)・・・ この絵本はその後ヨーロッパ中の言葉に訳されましたが、二十世紀になってから激しい論争にさらされました。 (以下略)・・・     【資料4】 『世界の絵本・児童文学図鑑』 (柊風舎)  p406 「エリック・カール評 もじゃもじゃペーター」   ドイツにいたときは、『もじゃもじゃペーター』を読んだ。 それは10編の短い詩が入っていて、教育的なものや、恐ろしいものもあった。・・・(中略) ・・・ 私はこの本が大好きだった - こんなに残酷な内容なのに。  【資料5】 『「もじゃぺー」に<しつけ>を学ぶ  日常の「文明化」という悩みごと』 (東京学芸大学出版会 2012)  本体そで部分の記載 「髪はぼうぼう爪もにょきにょき伸ばしっぱなしのペーターは、ドイツで百五十年以上にわたって読みつがれてきた絵本の主人公。 大人のいうことをきかないペーターは、最後にどうなったのか? しつけの本ともされてきたこのこわい絵本が、長く愛されてきた理由をひもときます。」  p97 「日本の国際子ども図書館は、世界でも有数の 『もじゃペー』 関連の諸文献を備えた機関であるといえます。 この豊富な蔵書をもとにして、2006年、「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」という展示会が同図書館で開催され、およそ220の関連書籍が展示されました。・・・(中略)・・・その後も国際子ども図書館は、『もじゃペー』 関連の著作を随時購入し、『もじゃペー』 関連の著作群を充実させています。」 【資料6】 『国際子ども図書館の窓  第7号 2007.3』 (国立国会図書館国際子ども図書館)  p6~10  上野の森に、いたずらっ子たちがやってきた 「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本展」 に寄せて  吉原高志   「・・・ (前略)・・・親の言うことを聞かない子どもたちは、しまいには痛い目にあっています。 そういう意味では、悪いことをすれば報いを受ける、という教訓を含んでいて、確かに教育の本、しつけの本と言えるでしょう。 けれども、『もじゃもじゃペーター』が、今なお子どもたちに読み継がれている一番の理由が、「教育」や「しつけ」にあるとは思えません。   子どもたちは、このいたずらっ子たちに共感し、自分たちの仲間や自分自身を見つけているにちがいありません。・・・(中略)・・・ 子どもたちはいたずらが大好きです。 大人たちから見れば、下らないことに夢中になって、時には痛い目にもあうでしょう。 でもそのようにして、子どもたちは学んでいくのです。 その原型のような子ども像が、『もじゃもじゃペーター』には描かれています。(以下略)・・・  フランクフルト大学の児童図書研究所の前所長であるクラウス・ドーデラーは、『もじゃもじゃペーター』 にはシュールリアリズムに通じるものがあり、その現実を超えたおかしみに子どもたちは魅力を感じている、と書いています。」   ※インターネット公開あり http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_998505_po_2006-mado-full.pdf?contentNo=1 【資料7】 『国立国会図書館月報 No.540 2006.3』 (国立国会図書館)  p30~31  国際子ども図書館展示会 「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」   「・・・ この本には、「もじゃもじゃペーター」を始め、「悪がきフリードリッヒの話」、「マッチ遊びの悲しい話」、など10の「いたずらっこ」の話が、韻文と絵により描かれ、教育的でありながらナンセンスなおかしさがあります。   『もじゃもじゃペーター』 は、日本ではあまり知られていませんが、会場を訪れてこの絵本に出会った子どもたちは、共感をもって、もじゃもじゃペーターたちを受け入れているようです。」 【資料8】 『現代詩手帖 第19巻3号 1657号 1976.3』 (思潮社)  特集 : マザー・グース  谷川俊太郎 吉田新一 小島美子 ジョセフ・ラブ   p151  吉田 「たとえば十九世紀の中ばちょっと前ですけど、ドイツのお医者さんでハインリッヒ・ホフマンっていう人の作った絵本で 『ストルーウェル・ペーター (もじゃもじゃのペーター)』 というのがありますが、今われわれが見るととても残酷なんです。・・・(中略)・・・ まあ、子どもをしつける意図をもった絵本ですが、これをイギリスの子どもたちは全部ナンセンスの本ととったんですね。」 (2) インターネットで公開されている文献から以下のものを紹介。 国立国会図書館国際子ども図書館    ホーム > 展示会・イベント > イベント情報 > 過去のイベント   http://www.kodomo.go.jp/event/event/event2006-03.html(最終確認2018/2/15)   『児童文学に見る子ども像 -もじゃもじゃの系譜-』     講師 : 本田和子(ほんだますこ)氏 (前お茶の水女子大学学長)     会場 : 国際子ども図書館3階ホール 文化学園リポジトリ 『文化学園大学 研究紀要 18 1987.01』pp.158-167  「H.ホフマンのDer Struwwelpeter(もじゃもじゃペーター)に関する一考察」 西岡万里子    http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/2371/1/001031118-16.pdf(最終確認2018/2/15) つくばリポジトリ 『教育制度研究紀要 (6) 2011-02』pp.43-56  「『帰ってきた、もじゃもじゃペーター』の中のしつけ絵本」 荒川麻里 https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=83&item_id=21723&item_no=1(最終確認2018/2/15) 参考資料:【資料1】瀬田貞二 著 , 瀬田, 貞二, 1916-1979. 絵本論 : 瀬田貞二子どもの本評論集. 福音館書店, 1985. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001818863-00, 4834004112(p87-88 当館請求記号 子研究909/214) 参考資料:【資料2】ハンフリー・カーペンター, マリ・プリチャード 著 , 神宮輝夫 監訳 , Carpenter, Humphrey, 1946- , Prichard, Mari , 神宮, 輝夫, 1932-. オックスフォード世界児童文学百科. 原書房, 1999. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002758630-00, 4562031042(p852~853 当館請求記号 子研究909/オ99 ※貸出禁止資料) 参考資料:【資料3】野村泫 著 , 野村, 泫, 1925-. ドイツの子どもの本 : 大人の本とのつながり. 白水社, 1991. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002090776-00, 4560042489(p21~24 当館請求記号 子研究909/ノ91 ※書庫資料) 参考資料:【資料4】ジュリア・エクルスシェア 編 , 井辻朱美 監訳 , Eccleshare, Julia , 井辻, 朱美, 1955-. 世界の絵本・児童文学図鑑. 柊風舎, 2011. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011289081-00, 9784903530529(当館請求記号 子研究909/エ11) 参考資料:【資料5】山名淳 著 , 山名, 淳, 1963-. 「もじゃペー」に〈しつけ〉を学ぶ : 日常の「文明化」という悩みごと. 東京学芸大学出版会, 2012. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023947663-00, 9784901665285(当館請求記号 子研究726/ヤ12) 参考資料:【資料6】吉原高志. 上野の森に、いたずらっ子たちがやってきた-「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」展に寄せて-. 国立国会図書館国際子ども図書館, 2007.3. 国際子ども図書館の窓 第7号 2007.3 p. 6-10, ISSN 1346-261X, (子ども室所蔵 資料番号:921074940) 参考資料:【資料7】国際子ども図書館展示会「もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本」. 国立国会図書館, 2006.3. 国立国会図書館月報 No.540 p. 30-31, ISSN 0027-9153, (資料番号なし ※書庫資料) 参考資料:【資料8】谷川俊太郎・吉田新一・小島美子・ジョセフ.ラブ. ドラマとしてのうた マザー・グースのヒューマニティ. 思潮社, 1976.3. 現代詩手帖 19(3) p. p151, (資料番号なし ※書庫資料)

山梨県は場合によって「関東地方」「中部地方」と、ふりわけられる地域が違うがなぜかを知りたい。(山梨県立図書館)

地理上では中部地方、甲信越地方、行政上では関東地方、首都圏でもある。詳細は参考資料をご覧ください。 回答プロセス:・所蔵資料を調査。 『山梨県謎解き散歩』(萩原三雄編著 新人物往来社 2012)の「地理-山梨は関東か、それとも中部か」に関連の記述があった。 『山梨あるある』(TOGO著 TOブックス 2015)に「中部地方なのか「首都圏」なのか微妙な位置づけ」の記述がみられた。 参考資料:萩原三雄 編著 , 萩原, 三雄, 1947-. 山梨県謎解き散歩. 新人物往来社, 2012. (新人物文庫 ; は-7-1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023527975-00, 9784404041760(p.56-59) 参考資料:THOGO 著 , 上重さゆり 画 , THOGO, 1976- , 上重, さゆり. 山梨あるある. TOブックス, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026005092-00, 9784864723398(p.9)

山梨の「かつ丼」は、東京のものとは違うのか。一般的に東京で言う「かつ丼」のことは「煮かつ」と呼んでいるのか。(山梨県立図書館)

参考資料をご覧ください。 回答プロセス:・所蔵資料を見る。 『山梨あるある』(TOGO著 TOブックス 2015)の「ソースかつ丼が主流」や『山梨県謎解き散歩』(萩原三雄編著 新人物往来社 2012)の「カツ丼の不思議?」にかつ丼はご飯にとんかつと千切りキャベツを乗せソースをかけて食べるもので、卵でとじたかつ丼は煮かつ丼ということの記述が見られた。 『山梨県謎解き散歩』には、明治30年代ごろから始まった説を紹介している。 『甲州知ったかぶり』(宮崎光著 山梨ふるさと文庫 2000)にも「甲州式カツ丼」というエッセイがある。 参考資料:THOGO 著 , 上重さゆり 画 , THOGO, 1976- , 上重, さゆり. 山梨あるある. TOブックス, 2015. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026005092-00, 9784864723398(p.60) 参考資料:萩原三雄 編著 , 萩原, 三雄, 1947-. 山梨県謎解き散歩. 新人物往来社, 2012. (新人物文庫 ; は-7-1) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023527975-00, 9784404041760(p.212-214) 参考資料:宮崎光 著 , 宮崎, 光, 1942-. 甲州知ったかぶり. 山梨ふるさと文庫, 2000. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004348596-00, (p.27-37)

元号が入った本は? 例えば、「文久」は西暦何年から何年までか?(香川県立図書館)

「広辞苑」の「文久」の項で回答。 「広辞苑」は持っているので、自分でも見てみる、とのこと。 回答プロセス:レファ協をキーワード:年号で検索、など。 当館には、例えば、次のような所蔵あり。 <参考資料コーナー> ・21002 K23 1-2  「元号事典」    ※年号索引、読み方あり。 ・21003 K18 2-2  「日本史総合年表」    ※年号索引あり。 ・21003 N15  「日本史広辞典」    ※巻末付録 西暦・年号・天皇等の表あり。 ・4490 K1 1-2  「暦の百科事典」     ※年号索引あり <一般資料コーナー> ・21002 T17 1-2  「年号の歴史」 ・4498 N1  「日本暦西暦月日対照表」    ※干支に関する情報もあり。 備考:お墓に書かれた元号を調べたい。その人が何歳で亡くなったかを知りたいから。

日本史の歴史年号を語呂で覚える本は?(香川県立図書館)

当館所蔵なしだが、次の出版を確認。  ・教科書に出てくる歴史年号を語呂あわせで覚えよう 1―3 ながたみかこ/文と絵,鬼頭明成/監修 汐文社 2006.9 回答プロセス:インターネットでレファ協 語呂 年表or日本史で検索。 レファレンス事例にもないようだ。 ネット上にはいろいろ紹介されている。

山梨県庁別館の山梨近代人物館で、滋賀県人の塚本定右衛門が紹介されているそうだが、山梨県との関わりを知りたい。(山梨県立図書館)

塚本定右衛門は、1907(明治40)、1909(同42)年の水害の際、「治水のための植林費用に」と会社名で県に1万円の寄付をした人物。 県は、これを明治天皇から下賜された恩賜県有林の植林にあて、三富村上釜口、中ノ沢一帯をその場所に選び、「塚本山」と命名した。 山梨県の治水・林業振興に貢献した人物である。 回答プロセス:1.「塚本定右衛門」「山梨近代人物館」で蔵書検索をするが、該当なし。 2.山梨日日新聞データベースで「塚本定右衛門」を検索する。   ・明治40、42年の水害の際、1万円を寄付した人。   ・寄付金を恩賜県有林の整備にあて、「塚本山」と命名。 3.恩賜林関係の資料を調べる。 参考資料:山梨日日新聞1991年1月28日, (10面) 参考資料:山梨日日新聞1991年1月29日, (10面) 参考資料:山梨日日新聞1991年1月30日, (10面) 参考資料:山梨県恩賜林保護組合連合会/編 , 恩賜林御下賜100周年記念事業記念誌編集委員/編. 恩賜林と保護団体 : 恩賜林御下賜100周年記念誌. 山梨県恩賜林保護組合連合会, 2012. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I044107604-00, (p.353-356) 参考資料:山梨日日新聞社 編集製作 , 山梨日日新聞社. 森を育てた人々 : 山梨緑の礎. 山梨県みどりの基金, 1991. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002145335-00, (p.46-57) 参考資料:山梨県/編 , 山梨県林務部/編 , 山梨県 , 山梨県林務部. 塚本山. 山梨県林務部, 1953. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005546460-00, (1冊) 参考資料:山梨日日新聞社/編集 , 山梨日日新聞社. 山梨百科事典 増補改訂版. 山梨日日新聞社, 1989. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I004985704-00, (p.180,620)

「スキルス胃がん」の本は?(香川県立図書館)

例えば次のような所蔵あり。 ・胃がんと言われたら… 検査・診断・治療・手術,お医者さんの話がよくわかるから安心できる(4934/H10) ・僕は慢性末期がん 「余命半年」の宣告どおりに死にたくない人におくる本(9160/O108) 回答プロセス:件名:胃癌 × キーワード:スキルス で検索。 参考資料:平山廉三, 松木盛行 著 , 平山, 廉三, 1937-. 「胃がん」と言われたら… : 検査・診断・治療・手術 : お医者さんの話がよくわかるから安心できる. 保健同人社, 2009. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010367615-00, 9784832703971(日販マーク内容紹介:胃がんの検査や治療法、手術や化学療法を解説し、治療に対する不安を解消。わかりやすい言葉と見やすい図版で胃がんの発生、症状などの基礎知識から、女性に多いスキルス胃がんや、手術できない胃がんのことも解説。) 参考資料:尾関良二 著 , 尾関, 良二. 僕は、慢性末期がん : 「余命半年」の宣告どおりに死にたくない人におくる本. 文藝春秋, 2009. (文春新書 ; 694) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010087404-00, 9784166606948(日販マーク著者紹介:1958年山形市生まれ。県立山形南高等学校卒。78年日本警備保障入社。83年広告代理店を起業、現在に至る。2005年末期のスキルス胃癌で余命半年の宣告を受ける。・・・)

甲府城内にあった「御薬園」について書かれた資料があるか。(山梨県立図書館)

「御薬園」(ごやくえん)は幕末期(1797(寛政9)年)、甲府城下町・堀の内側に甲府医学所により設置された、敷地3,000坪にも及ぶ薬草園。はじめは「甲府薬園」の名称で、町医4名による協同私設形式だったが、翌年官立になり「甲府御薬園」と改称した。現在の甲府警察署や甲府地方裁判所付近にあたる。栽培種など、詳細については参考資料をご覧ください。 回答プロセス:1.甲府場内にあったということから甲府城関係の資料を見るが、記載が見つからない。 2.業務システムで検索するがヒットなし。基本事典にも記載がない。 3.植物・薬草関係の資料を見る。 『山梨の薬草』に「甲州御薬園」として記載あり。寛政9(1797)年、甲府城郭内に甲府医学所を設置し、そこに薬園が設けられたこと、現在の甲府警察署付近にあたることが書かれている。 4.インターネットで検索すると、現在の甲府地方裁判所付近にあったとの記載あり。 『甲府城下町遺跡(甲府地方裁判所地点)』に少し記載あり。 5.医学の歴史に関する資料を見る。 『甲斐国医史』に開設の経緯、栽培種、閉設まで、まとまった記載あり。 参考資料:村松学佑 著 , 村松, 学佑, 1869-1926. 甲斐国医史 : 中世・近世・近代にかけた甲州全医師医方資料集成. 甲斐国医史刊行会, 2002. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003600780-00, (p.106-115) 参考資料:山本 裕康/著 , 村松 正文/著 , 山本‖裕康 , 村松‖正文. 山梨の薬草. 山梨日日新聞社, 1984. (山日カラーブックス) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005543080-00, (p.6) 参考資料:山梨県埋蔵文化財センター/編集 , 山梨県埋蔵文化財センター. 甲府城下町遺跡(甲府地方裁判所地点) : 甲府地方裁判所庁舎新営工事に伴う発掘調査報告書. 山梨県教育委員会, 2007. (山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 ; 第249集) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005563550-00, (口絵,p.66)

日本橋から京都までの旧東海道の地図が欲しい。 その地図をみて、歩くためのプラン作りに使いたい。(相模原市立相模大野図書館)

下記の資料を提供した。 『地図で旅する東海道』 『地図と写真で歩く旅東海道 日本橋~箱根編』 『古地図・古写真で見る 東海道五十三次』 『週刊 日本の街道 14』 『今昔東海道独案内 東篇』 『今昔東海道独案内 西篇』 『地図と写真から見える!日本の街道歴史を巡る!』 『完全踏査 古代の道』 『古写真で見る街道と宿場町 保存版』 『東海道を歩く 東京・日本橋-京都・三条大橋=492㎞東海道五十三次完全踏破マニュアル』 『東海道五十三次を歩く 3』 回答プロセス:1.自館OPACでキーワード“トウカイドウゴジュウサンツギ”で検索する。 『古地図・古写真で見る 東海道五十三次』 新人物往来社 2002 【s21292479 291】  『東海道を歩く 東京・日本橋-京都・三条大橋=492㎞東海道五十三次完全踏破マニュアル』 山と渓谷社大阪支局/編 山と渓谷社 2001 【s21057690 T291.09】 『東海道五十三次を歩く 3』 講談社 1999 【s21981782 291】 自館OPACでキーワード“ニホン カイドウ”で検索する。 『地図と写真から見える!日本の街道歴史を巡る!』 街道めぐりの会/編著 西東社 2014 【s30827257 682.1】 自館OPACでキーワード“トウカイドウ チズ”で検索する。 『地図と写真で歩く旅東海道 日本橋~箱根編』 永田一八/著 毎日コミュニケーションズ 2007 【s26791228 291.093】  『地図で旅する東海道』 今尾恵介/著 東京書籍 2005 【s24389090 291.093】 『今昔東海道独案内新装版』 今井金吾/著 日本交通公社出版事業局 1994 【s11602729 682.1】 なお、『今昔東海道独案内』については、古い版で「東篇」「西篇」があることもわかった。 2.『今昔東海道独案内新装版』については、市内に所蔵があったが、見ずらい部分もあるようなので、古い版の「東篇」「西篇」を神奈川県立図書館OPACで検索した。 結果、所蔵している市町村があり、そこから取り寄せた。 3.1の情報を基に、直接書架を確認したところ、以下の資料もあったため内容を調べた。 『完全踏査 古代の道』 武部健一/著 吉川弘文館 2004 【s22048334 682.1】 p27-92に東海道についての記載あり。 『古写真で見る街道と宿場町 保存版』 児玉幸多/編著 世界文化社 2001 【s19118173 682.1】 p46-47に地図の記載あり。 『週刊 日本の街道 14』 講談社 2002 【s23125800 T291】 p32-33に地図の記載あり。 参考資料:『地図で旅する東海道』 今尾恵介/著 東京書籍 2005, 参考資料:『地図と写真で歩く旅東海道 日本橋~箱根編』 永田一八/著 毎日コミュニケーションズ 2007, 参考資料:『古地図・古写真で見る 東海道五十三次』 新人物往来社 2002, 参考資料:『週刊 日本の街道 14』 講談社 2002, 参考資料:『今昔東海道独案内 東篇』 今井金吾/著 筑摩書房 2012, 参考資料:『今昔東海道独案内 西篇』 今井金吾/著 筑摩書房 2012, 参考資料:『地図と写真から見える! 日本の街道歴史を巡る!』 街道めぐりの会/編著 西東社 2012, 参考資料:『完全踏査 古代の道』 武部健一/著 吉川弘文館 2004, 参考資料:『保存版 古写真で見る街道と宿場町』 児玉幸多/編著 世界文化社 2001, 参考資料:『東海道を歩く 東京・日本橋-京都・三条大橋=492㎞東海道五十三次完全踏破マニュアル』 山と渓谷社大阪支局/編 山と渓谷社 2001, 参考資料:『東海道五十三次を歩く 3』 講談社 1999,

1945年の終戦後、台風には女性名(英名)がつけられていたが、いつからいつまでつけられていたか。(相模原市立相模大野図書館)

1947年5月からはじまり、1953年には廃止になった。 回答プロセス:直接、気象・災害関連の書架を確認し下記2点を提供した。 ①『気象災害の事典』 新田尚/監修 酒井重典・鈴木和史・饒村曜/編集 朝倉書店 2015【s31678410 R451.9】 p264、p273に「太平洋戦争後の気象事業は、連合軍司令部によって細部まで管理され、 中央気象台の台風予報は1947年5月からアメリカ極東空軍の発表と一致させられている。 1947年からアメリカ軍が使用しはじめたアルファベット順の英名(女性名)がつけられた」との記載あり。 また、p274に「日本が独立した1953年からは、台風は発生順の番号で呼び、英語の女性名は、 船舶向けの情報など一部を除いて使われなくなった。」との記載あり。 ②『お天気50年 気象と災害の記録』清水昭邦/著 山海堂 1997 【s15247349 451.98】p91にも同様の記載あり。 注:【 】は自館の資料コードと請求記号 参考資料:『気象災害の事典』新田尚/監修 酒井重典・鈴木和史・饒村曜/編集 朝倉書店 2015, 参考資料:『お天気50年 気象と災害の記録』清水昭邦/著 山海堂 1997,

『相模原の養蚕業と上溝市場』p80掲載の絵図の写真 ①「上溝村絵図」および ②「上溝村絵図面」の出典はどこにあるのか。(相模原市立相模大野図書館)

「上溝村絵図」および「相州高座郡上溝村絵図面」(「上溝村絵図面」正式名称)は相模原市立博物館に所蔵されている。 回答プロセス:『相模原の養蚕業と上溝市場』相模原市教育委員会社会教育部社会教育課/編 相模原市教育委員会 1987 【s24135220 K1-63】 p80掲載の絵図 ①「上溝村絵図」および ②「上溝村絵図面」の出典を調査した。 ①「上溝村絵図」 自館OPACにて検索対象「郷土資料」指定、キーワード“カミミゾ イチバ”で検索、下記資料がヒットした。 『相模原市史 第6巻』相模原市/編 相模原市 1984 【s15524366 K1-21】 p406に「上溝村絵図」と同じ絵図の掲載あり。「明治初年 上溝村絵図(40cm×52cm)」と記載あり。 参考資料頁p662を確認すると「上溝村絵図」の所有者は「金子家」とある。 更に資料提供者頁p663を確認すると「溝村 金子孝一(住所記載)」となっている。 この情報を元に下記資料で確認をする。 『博物館所蔵古文書目録』 相模原市立博物館/編  相模原市立博物館 2005 【s23293004 K1-06】 p250「旧上溝村 金子光江氏寄贈資料」頁「書状の部」項内、p252「<絵図>」欄に「(上溝村絵図)」とある。 よって、資料①は金子家から相模原市立博物館に寄贈されていることがわかった。 ②「上溝村絵図面」 自館OPACにて検索対象「郷土資料」指定、キーワード“サガミハラ エド”で検索、下記資料がヒットした。 『絵図から地形図へ』相模原市立博物館/編 相模原市立博物館 1997 【s23304033 K1-29】 p25に「上溝村絵図面」と同じ絵図の掲載あり。絵図の正式名称が「相州高座郡上溝村絵図面」とわかる。 この情報を元に下記資料で確認をする。 『博物館所蔵古文書目録』 相模原市立博物館/編  相模原市立博物館 2005 【s23293004 K1-06】 p250「旧上溝村 金子光江氏寄贈資料」頁「書状の部」項内、p252「<絵図>」欄に「相州高座郡上溝村絵図面」とある。 よって、資料②も金子家から相模原市立博物館に寄贈されていることがわかった。 注:【 】は自館の資料コードと請求記号 参考資料:相模原の養蚕業と上溝市場 相模原市教育委員会社会教育部社会教育課/編 相模原市教育委員会 1987, 参考資料:『相模原市史 第6巻』相模原市/編 相模原市 1984, 参考資料:『博物館所蔵古文書目録』 相模原市立博物館/編  相模原市立博物館 2005,

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